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浮き世さらば


安保法案に対する一連の国内の動き、そして実験としての意味合いも含めた前回の記事の反応からたくさんのことを発見し、理解することができた。すこしここにまとめておく。

安保法案に反対していた人々は、平和を望んでいるようで実は平和を望んでいるのではなく、自己保身したいのである。自己保身して何が悪い?そう、その通りだ。だから平和はおとずれない。実は誰も平和を望んでいないからだ。自分がよければそれでいい。そんな人々ばかりだった。

日本の学生はやはり愚かだった。あれほどエネルギーと工夫する力があるのならもっと生産性のある活動ができたはずだ。しかし、選んだのは”デモ”。しかも、安保法案反対運動で、上記のように自己保身の連中ばかり。日本の未来も明るくなかった。

自民党、安倍首相に批判が集まったが、日本の政治は自民党以外何もできない。政権交代の際の民主党は目も当てられない程だった。その結果としてすぐに自民党政権に戻った。それを批判してどうなる?自民党のやり方以外なんともならないのが日本の政治だということを国民が認めなければならない。一つの政党以外機能しない国家ははっきり言って終わっている。

そして記事に対する反応がほとんどなかった、にもかかわらず差別などの実際的な被害があるものについての記事には反応がある事実を考えると、後世にいいものを残そうという気は誰にもない。原発があることをみれば明らかだが、自分の世代さえよければ、あとは次の世代に責任をとらせればいいとみんなは考えている。そのことがよくわかった。ほんとに自分勝手だな、みんな。もっと後の世代のことを考えてほしい。所詮自分たちに直接関係のあることには関心を示し、直接関係がなければ無関心でいられるのだ。

人間が社会をつくっているのは、種の保存の本能によるのであり、世界平和を実現するためではない。動物界における弱肉強食の中で、勝ち残るための手段であり、人間という種の中での生き残りの戦闘は免れないようだ。夢を見るのではなく、現実としっかりとした論理的思考を持つべきだ。こんなことは明らかだ。平和主義も意味を持たない。イエスが生まれて?2000年経っても争いがなくならない事実からも明白だ。

僕は平和を望み、死んでいきたいと思う。僕のような人間こそ生き残るべきとも思わないでもないが、生存競争の中では、消えていくべき存在なのだ。強いものが生き残っていくべき世界なのだ。僕はようやくこの事実をうけいれることができそうである。


テレビを見るのは害だ。超高齢化社会になりつつあり、テレビをつければ保険や老化に抗うサプリメントなど、老人のためのCMが目につく。とてもうんざりする。そして、あれを買え、これを買えと躍起になって訴えてくる。異常だ。地球のごみを積極的に増やそうとする馬鹿者だ。それを経済などと格好のいいことを言って、馬鹿げている。テレビは見ない。馬鹿になる。

新聞も読まない。常に過去の出来事を知ることができるだけでなんの働きかけもできない。そして手に入れた知識は何の役にも立たない。今起っている事実の根拠を知ることができるのみであり、物好きのすることだ。新聞は読まない。

ネットは真実を伝え得ると期待していたが、利用者が未熟なために一番有害かもしれない。悪意に満ち、欲にまみれた事象が飛び交う醜い世界。そのことをブログを始めて痛感した。僕が求めるものと世間の求めるものが雲泥の差があり、意味がない。ただただむなしい。

これ以上古典を読むこと、これももはや徒労に終わるだろう。真理を知り、世界のあるべき姿、高尚なる思想、それがあっても世界にとっては意味がなく、なにも好転しない、変わらない。僕がこれ以上真理を究めたところでなんになろう?それを知りたい人はいないのに。読書しない人間が多くいる世界などつまらない。読書しないのは馬鹿だ。いや、結局世界をよくしようとか、そういう意欲がないのだろう。自己保身。自分さえよければそれでいい。反吐が出る。

ネットをやめるべきときが近づいているのを感じる。スマホも然り。読書もこれ以上は時間の無駄の様だ。これもやめちまおうか。世界は回る。勝手に進んでいき、過ぎていく。破壊しながら、炎上しながら回転し続ける。人間という名のがんが、地球を滅ぼすか、人間が地球を征服するか、地球が人間を駆逐するか、それとも宇宙が地球を飲み込むのか。そんなことはもはやどうだっていい。なるようになるだろう。みんな暇つぶしをし、おもしろきことも無き世をおもしろく、するためになにがなんだかわからないながらとりあえずあくせくしている。

テレビをやめ、新聞をやめ、ネットをやめ、読書をやめ、僕はなにをしていこう…自己保身の人間とはどうせうまくやっていけない。彼らのために汗を流すこともむなしい。生きるために働き、親しい人たちと愛や友情の中で健やかに暮らしていこう。やはり物理的な壁を越えての友情、愛は難しいようだ。文字のやりとりには限界があり、いくらSNSなどが発展し、普及しようとも、そこに真実の愛は芽生えない。僕らは心のこもった声や表情、ふれあいでお互いを深く知り、深く親しむ。身体以外の余剰の道具も技術ももはや必要ない。これらはリスクを必ず伴う。夢を追い、理想を求め、絶望し、諦め、悟る。僕は死ぬのを待つのみだ。愛と友情と健康を考えながら、実践しながら…



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なぜ安保反対ではないのか (安保法案反対ではなく)

一連の安保法案反対運動に僕は正直違和感を抱いている。

大前提として僕は歴史学者でもなければ、憲法学者でもなく、一国民としての標準的な知識しか有していない。この立場で発言するため、たくさんの誤解と間違いを含んでいるに違いないが、それでも道理に合った、あるいは人道的な主張となりうると思う。

安保法案、「集団的自衛権」を認めることに関して、僕は日米安全保障条約と日本とアメリカを取り巻く世界情勢を考えてみれば当然の流れと思える。今更、これほど強い反応を示すのは国民としてどうかと思っている。安保法案反対ではなく、安保反対の方が筋が通っている。なぜ今、安保反対ではなく、安保法案反対なのか。安保法案反対は少し虫がよすぎるのではないかと僕は思う。日本は完全に平和ボケだ。今までの徴兵なし、とりあえず戦争の心配なし、核兵器を持たない、暮らしはアメリカが条約によって守ってくれていたからにすぎない。それでアメリカにもメリットがあった。しかし、状況がどんどん変わってきてしまったのだ。いや、いずれはこうなることは決まっていたのかもしれない。日本の地理的条件を考えてみると、平和であることの方が奇跡だといっていい。僕たちはそのことを自覚しているか?中国・ロシアとアメリカの間に位置しており、最近緊迫している朝鮮半島とも近い。中国経済は陰りを見せ、かつてのようにアメリカ経済の安定もなく、力強さもない。地理的状況から基地がおかれるのは当然のことだ。それが安全保障条約なのだ。守ってやってるんだから、俺たちのことも守ってくれよというのは当たり前じゃないか。自分のところは守ってもらって、あとは何もしませんでは普通に考えたらおかしい。安保反対運動をしている方々は間接的にアメリカに核を持たせている。もしそうでないとするならば、私たちに死ぬ気はあるか?自衛隊で自衛できるだろうか?今の世界で核がある以上自衛できるなどありえない。核を持たないということは、平和のために国が、国民が、個人が死ぬ覚悟があるということでなければならない。占領されようとも、攻撃されようとも、断じて戦争はしませんと言い切れなければならない!それは大変に美しい。人間としてあるべき姿だ。もし日本がそうした国家でありうるならば僕は感激する。安全保障条約を解消する勇気が国民になければならない。それを訴えるのが僕は最も正しいと考えている。それが現実的でないというならば、やはり安保法案を受け入れざるを得ないのが現実と言わざるを得ない。戦争するのは断じていけない。でも日本は戦争をし、アジアを占領?(一つにすると言った方がいいか)しようとし、敗戦はしたものの、経済は発展した。ロシアにしても、中国にしても、アメリカにしても、多くの国が核開発をし、軍のために多くのお金を使っている中、僕らは経済と日本社会の在り方を考えることができた。アメリカと同盟国であるがために、北方領土や尖閣諸島の問題などがはっきりしていないのであるから、僕らはそれらを交渉でもって解決していくべきだ。僕らにそれができるか。日米安全保障条約が解消され、沖縄からは基地がなくなり、領土も利益も何もかも争いの元は話し合いで解決し、できぬ場合は(戦争になるのだろうがそれをしない以上)受け入れることになるが、それができるか。いや、できなければならない。平和の道は遠い。しかし、僕らは姿勢を見せることはできる。安保法案反対、戦争反対と叫ぶならば、もっと進んで、国民全体が核を持ちません、戦争をしません、個別的な利益を追求しません、人を傷つけませんと宣言すべきだ。これを実現させた国はなんと美しいだろう。

博識で賢い方々、この記事、考えに関して、間違いの指摘、反対意見、批判をどうかよろしくお願いします。
僕は誤った見方で政治を見たくはありません。また考えも無しにただ世間に迎合するのもよしとはしません。
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高級ブランドを考える 銀座中央通り 

国内外を問わず有名ブランドが立ち並ぶ銀座中央通。それは偉観といってもよいものだ。ルイ・ヴィトン、シャネル、カルティエ、ブルガリ、ディオール、etc…。それぞれの店舗がコンセプトやブランド理念を体現している。その中でも圧倒的な存在感を示していたのが『ブルガリ 銀座タワー店』だ。

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ヘビをモチーフにしたイルミネーションの独創性には驚いた。ブランドとは付加価値(本来の利用価値とは別の価値を持つこと)に他ならないが、このビルにおけるこのヘビはまさに付加価値ともいうべき、ビルの利用上プラスどころか窓の一部を覆い、重量を増しているのでマイナスであるのだが、宣伝効果は絶大であろう。通行者の目を引き、同時にこのブランドがもつ独自性とデザイン性、豪華さ、大胆さを伝えている。美しくはなく、相応しいとも思わなかったのもまた事実ではあり、ブランドのナンセンスさもまた浮き彫りとなっているように感じられる。

僕のブランド観を少し。ブランド品は高い。高すぎる。僕が求めるものは高品質。高い技術と洗練されたデザイン。しかし、それを見抜き、理解することができない僕はブランドという看板を頼りにするしかないのである。ブランドには必ず歴史と伝統がある。そうしたしっかりとした土台のないブランドはあまり信用できない。僕はブランドの歴史と伝統に非常に興味がある。今回、ちょうどディオールの店舗で展覧会をやっていたので観賞させていただいたのだが、今までのブランドイメージがいい意味で大きく塗り替えられた。それまでディオールというといわゆる有名ブランドの中では劣るというイメージだったが、歴史と伝統からうまれた品格がしっかりあった。その背景にある歴史や伝統、いわれや物語を知ると全く違って見えてくる。理想は、ブランドだから良質にちがいないと思って満足するのではなく、使ってみて良いと思ったものが、結果的にブランド品であろうがなかろうが、哲学と努力によって拵えられたものだった、となることである。

要はブランド製だろうがなんだろうが、いい素材、いい職人、いいデザイナーによってつくられた、使い易くて心地よく、長持ちする製品でありさえすれば満足だ。僕は正しい価値判断を養うためにも、少しずつ持ち物にブランド品を加えていきたい。基本的にはアウトレット品でなんの問題もない。ボッテガ・ヴェネタの革製品は手触りと色彩が素晴らしいし、ダン・ヒルはやはりクールだ。

けれども、革製品は動物を殺さなければいけないし、僕の目指す生き方にクールさなど必要ないのもまた事実である。ブランドについてはもう少し深く考える必要がありそうだ。無理に高いものを買う必要は当然ないし、安いからといって偽造品や類似品を買うのもどうかと思う。僕には歴史と伝統あるブランドの定番商品のアウトレット品がふさわしいのだと勝手に思っている。
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自殺のための2つの契機 人生は「空」 死すること常に思えば不足なし

私は喜んで当然だったが、実際はそうでなかった。母はきっと辛い想いにかられつつ私に最初の譲歩をしたのであり、それは母が私のために抱いていた理想の最初の放棄であり、あれほどの努力家がはじめて敗北を認めた気がしたからである。私が勝利を収めたとしても、それは母の意志に反してであり、病気や深い悲しみや年齢がそうするように母の意志を弱め、道理を曲げさせたのであり、この夜は新たな時代のはじまりとなり、悲しい日付として残るように思われた。  プルースト著 『失われた時を求めて』より


僕は2度、自殺を考えたことがある。いや、正確には、2つの自殺のための契機持っていると言った方がいいかもしれない。おそらくそれは薄れるとも消え去ることのない類のもので、自殺志願者の多くはこうした深い傷や痛みを背負っているのだと思う。自殺という結果は一つだけれどその動機は多くあり、社会の働き次第で防ぎ得るものもあれば、現実と人生の成立条件上仕様のないものもある。自殺を考えるほどの苦痛、辛苦に苛まれていないのならば、その現状にひとまず感謝すべきだ。そして明日やってこないとも限らないこの苦痛、辛苦、人生の不確定さと不安定さに対する覚悟は持っておく必要がある。当たり前のことは決して当たり前ではないのだから。

僕はずっと長い間、母の理想を実現することが子としての義務だと思っていた。母は今でも妥協ではなく、断念は含みながらも僕に対して理想の実現のための努力をし続けている。僕が生まれてきたのは何かを望まれてに違いないし、生まれてきたらあとは僕の好き勝手に生きていいというわけにはいかないと考えている。とはいえ、僕はその理想を実現するために必要な構成要素の2つを欠いていた。その発見の時期が異なったがために契機が2度訪れたというまでである。決して母の理想は特別なものではなく、人間として、生物として存在する、すなわち生まれた意味と生きる意味を明らかにするという単純なことなのだ。けれど、僕にはそれが大変難しく、意味を見いだすことなく、ただ現実を受け入れるというむなしさの中で生きていくことに絶望せざるを得ないのである。人生は「空」である、こう思うことが僕の救いであり、「死」を準備し、「自殺」を肯定し、選択肢に加えることで、ずいぶん生きやすくなったものである。僕も彼もいずれ死ぬ。どんなひどいことになったって死ねば関係ない。また死ぬことに比べたらどうってことない。死ぬよりかはましだ。こんな考えが僕をとても楽にする。「命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である」という西郷隆盛の言葉を思い出す。
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銀座和光 日本の歩んできた道のりと進むべき道


東京・銀座、そこには日本の歩んできた道のりと進むべき道が示されているように思う。

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銀座のシンボルの一つとなっている銀座和光。時計台が特徴的でゆるやかな曲面に緻密な計算に裏付けされた美しい窓の配置とそれを強調しまた引き締める骨組みとなっている大きな柱。縦じまには粋が込められ、曲面には優雅さと西洋を盛り込んでいる。正確な時を刻む時計にも日本の技術の高さと徹底した完璧主義(これは自殺の一因ともなっていると考えられる)が見て取れる。日本のスタイルは外国の技術や文化を取り入れながら、伝統的な日本様式を一層洗練することでこれによって圧倒的な独自性を持っていた。しかし、この取り入れるという謙虚さと洗練するという地道な努力を忘れてしまったのではなかろうか。あるいはもっとひどいことに、国家、人種としての自信、アイデンティティを失ってしまっているのかもしれない。目先の結果、利益ばかり求め、長い目で見ることができなくなってしまっている。地道な努力、それは待つことであり、耐えることである。これは非常に難しいことだ。しかし、日本人にはそれが必要でもあったのだろう、求められても来たにちがいない。その中で自然に身についた習慣、美徳でもあったはずだ。西洋化とは端的にいって、急げ、そして奪え!である。このように建造物は時代を反映し、時代を映す。造られた当時のそれまでの変遷や流行、そして技術があり、当時の姿を現代に伝える建造物はそれが残っている、残すという時代的価値観を物語る。

経済的資本価値(経済の事はよくわからないが、株価と為替)で国家が比べられ、計られるようになって久しい。少なくとも今まで僕が生きている間はずっと、毎日毎日株価と為替が値動きして、それに人々が四苦八苦し、一喜一憂してきた。当たり前の光景だが、一つの地球上でトリックをやりあっているのはなんとも奇妙である。この辺りが地価日本一であることもあって、こんな考えまでも浮かんできてしまった。
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個人個人の相互理解から新たに団体が成立しなければならない 興亡は進歩である

「団体というのは美しいものだ」と、デミアンは言った。「しかし現在いたるところに繁盛しているやつは、ぜんぜん団体ではない。個人個人の相互理解から新たに団体が成立しなければならない。それはしばらくのあいだ、世界を改造するだろう。いま存在している団体は衆愚人の団体にすぎない。人々はたがいに不安を持ちあっているので、たがいに逃げ、寄りあっている―紳士たち同士、労働者たち同士、学者たち同士!なぜ彼らは不安を持っているのか。人は自分自身の腹がきまっていない場合にかぎって不安を持つ。彼らは自分自身の立場を守る決意を表明したことがないから、不安を持つのだ。自分自身の内部の未知なものに対して不安を持つ人間たちばかりの団体だ!彼らはみな、自分らの生活の法則がもはや適合しないこと、自分たちが古いおきての表に従って暮していること、宗教も道徳もなに一つ、われわれの必要とするものに適応しないことを感じている。百年以上ものあいだヨーロッパはひたすら研究し、工場を建ててきた。彼らはひとりの人間を殺すのに幾グラムの火薬がいるかを精密に知っているが、どういうふうにして神に祈るかを知らない。どうしたら一時間でも満足していられるかを知らない。一つ学生クラブをのぞいてみたまえ!あるいは金持ち連のやって来る娯楽場を!絶望的だ!―ねえシンクレール、どこからも朗らかなものはやって来はしない。おびえながら集まっている、これらの人々は、不安と邪心に満たされており、だれもほかの人を信じない。彼らは、もはや理想ではない理想にたよっている。新しい理想を立てるものがあると、だれでもかまわず石をぶつけて殺す。清算のあるべきことをぼくは感じている。清算の来ること、まもなく来ることを信じていい!むろんそれが世界を改善しはしない。労働者が工場主を殺すか、あるいはロシアとドイツがたがいに砲撃しあうかしても、所有主が変わるだけだ。だが、それもむだじゃないだろう。それは今日の理想の無価値を示し、石器時代の神々を取り除くことになるだろう。今日あるような世界は、死ぬことを、滅びることを欲している。実際それは死滅するだろう」   『デミアン』ヘルマン・ヘッセ著より


僕は個人個人の相互理解によって堅い絆で結ばれた団体がは必ず実現できると信じている。団体というとなにかエネルギーを感じすぎるのでチームくらいにしておいたほうがいいかもしれない。わたしたちが科学技術で交通網や通信を発達させ、世界の距離を近づけ、交渉、ときには戦争によって、あるいは交易で文化や人種の壁を取り払っているのは、相互理解によって結ばれた一つの世界の実現のためであるに違いない。これは目に見えない自然の意志とでもいうものかもしれない。仮にそうでないとしても、そう考えることで何か不都合があるだろうか?世界が一つに、この考え方に問題があるのならば教えてほしい。僕には世界は一つになるべきだという考え以外全く正しい答えが見つからない。では現代において何ができるのか?わたしたちが考えるべきことは今何ができるのかということである。世界は日々、有力者によってコントロールされ、天才によって変革され、市民によって変化していく。その速く、強い流れの中で、時流に乗りながら尚、有効な方法によってこの自然の意志を実現するために努力しなければならない。適時なことで言えば、デモ行進もその一つであるだろう。映像で見る限り、言い方は悪いかもしれないが60年安保闘争よりもスタイリッシュでファッショナブルな感じを受ける。しっかりと時代に合った活動をしているものだ。僕自身はブログやツイッターを利用して相互理解を基礎としたコミュニティー(量子論の無と有の間のゆらぎのような、はっきとりた境界を持たない)の実現(相互リンクやフォロー、フォロワーというのは元来そうしたものであるべきと考える)を試みたい。事実、少しずつではあるが、フォロー、フォロワー、リンクや交流するブロガーが増えたりしている。また、単純に増えているばかりか、淘汰といってもいいかもしれないが、交流する利用者にも変化がある。こういったところは単純におもしろさを感じる。だが、こういうサービスの利用者と提供者のほとんどは金儲けしか考えていないのが現状だ。だからこそ健全なコミュニティーに所属したいという気持ちにもなるのかもしれない。最近で言えば、たとえばユーチューバーだが、youtubeと広告を提供する企業にうまく搾取されているという感が否めない。必死にyoutubeを利用し、一生懸命企業の広告塔をしているのだ。こうしたことは世間のどこでも行われているもので、結局は主人と奴隷、権力者と虐げられる者、資本家と労働者という関係なのだ。この点でfc2ブログには本当に感謝している。ただこうやって文字を入力するだけで、世界に体裁よく発信させてくれるのである。広告が出たり、記事データがある日ぶっ飛ぶとかのリスクはあるものの、僕のような利用者にとってはほんとうにありがたい。これで収入も得られたらという考えから、いわゆる人気ブロガーなるものは存在するのだろうか?ちょっとよくわからないが、あまり主旨と離れたり、妙な欲や考えを抱くと害その身に至るということは肝に銘じておいた方がよさそうだ。

歴史は繰り返す。あらゆるものが生れ、死ぬ。作られ、間もなく壊れる。そこには一つの希望がある。そこに価値が無いことの証明である。その過程こそが目的に向うことであり、意味である。原爆を落とされ、原発が壊れてもなお、原発を早急に稼働させる日本は再び原子力によって痛みつけられなければならないであろう。戦争をなくすには、戦争を世界のなにもかも壊れるまで続けなければならないのであろう。それが人間にとっての唯一の進歩であるらしい。原爆投下による戦争抑止力は70年あまりなのだとするとあまりに情けない。しかしそれが現状だ。国民の過剰反応かも知れない、誤解であるかもしれない、しかし誤解があることが問題であって反対することが問題ではないし、やはり反対多数のなか、民主主義において強行するということが問題なのではないか。誤解を解くことはできないのか?もっと多くの人命が失われ、もっと広く自然が破壊されなければ世界を変えることはできないのであろう。きっといつの日か、失敗を多く繰り返した先に、個人の尊厳、平等が保障され、世界が一つとなる日は来るであろう。ただその日が一日でも早く、出来る限り損失が少なく実現することを願うばかりだ。
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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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