心の平和は心を乱すようなことを一切かえりみないことによって得られる 『偏見』と『差別』 

貧しい者は富める者に押さえつけられてうめき、富める者は偏見に押さえつけられてうめいているのを見ていた。かれはこう言っていた。わたしの言うことを信じなさい。わたしたちの幻想は、わたしたちの不幸を覆いかくしてくれるどころではなく、それを大きくし、なんの価値もないものに価値をあたえ、幻想をもたなければわたしたちには感じられないさまざまのいつわりの欠乏を感じさせる。心の平和は心を乱すようなことをいっさいかえりみないことによって得られる。だれよりも生命をだいじにしている人はだれよりも生命を楽しむことができない人なのだし、むやみに幸福を願っている人はかならずこのうえないみじめな人間になるのだ。   『エミール』


学生時代には出会うこと少なく、意識の上にものぼってこなかった『偏見』。僕にとってこの『偏見』、『差別』は過去の未熟な世界での出来事であり、『人種差別』についてはアメリカ特有の問題という認識であった。少なからず日本の教育ではそのような捉え方であったように思うし、現実の、身近な問題だと教えられた記憶はない。僕も社会常識に乏しいめでたい人間であったのだ。同時に生まれ育った環境が『偏見』や『差別』とは縁遠い?恵まれたものであったということもあるだろう。それを最近になって気が付いた。

アルバイトをしていたとき、今まで関わりが濃かった連中というのは、いわゆる高等な教育を受けられる、そして受けてきた者たちで、頭の良さ、ときには容姿の優劣が関心事でそうした問題が持ち上がりにくかったのであろう、それがスポーツを生活の中心として生きてきた連中と親しむようになって『偏見』の現実を知った。彼らの口からは「在日」という言葉が多く聞かれた。成績に対して、そうした観点からケチをつけるのである。卑劣きわまりないのだが、彼らはこうしてなんとかメンツを保とうとしているのだろう、また特に親しかった一人は「創価学会の会員」に過剰な反応を示した。タレントやスポーツ選手に対して、「創価」だといって徹底的に非難したり、その証拠のようなデマのような情報までも持ち出して拒否反応まで示した。彼をそこまで発奮させるものはなんなのであろうと、僕は頭を悩ませたものだ。僕にとって接する相手が在日であるということや、創価学会であることはあまり問題とならず、彼の持つ人間性との連関を思わない。けれど、そうした『偏見』や『差別』が価値がないどころかむしろ、害でしかないことを知らせてあげることはできなかった。彼らに対する敵対心はそれほど強いものだった。彼はよくネットを利用していたから「ガイジ」という言葉も頻繁に用いた。どれほど程度の差があったとしても、常軌を逸した言動に対しては即座に「ガイジ」(障がい児からくる言葉らしい)といって侮蔑していた。そうした言葉は同時に、発している自分自身をも傷つけ、貶めていることに彼は気づくわけもなかった。

社会人となって、「在日」といって主にネットで『偏見』というよりは侮辱されるているのをネットを好む同僚から聞き、その所以も説明された。「在日」にはさまざまな特権があって、その一つの表れが通名であるとのことだった。そこから、在日に多い名前などの情報も彼は語ってくれた。僕はそんなこと考えもしなかったので、そうした事実と社会常識に驚きを禁じ得なかった。僕に対しても「Hさんは在日ではないでしょうね?ひょっとして在日だったりして?」と冗談半分興味半分といったかんじで尋ねたこともあった。『在日』だから『創価』だからなんだというのだろう?それゆえに関わりたくないではなく、人間性、性格、人格で関わるか関わらないか決めたらよかろう。ましてや全く関係のない人に対してそうした判断基準を持ち込むのはくだらないにもほどがある。『偏見』や『差別』は社会常識となってしまっている。この社会は自分さえ信じることができず、信じる者も、良心も、物事を見抜く確かな目も持ち合わせていない未熟な人間ばかりということになる。そんなことをここ数年で知ったのである。何も知らなかった頃がよかったという気がしてくる。大人になるにつれて、みんなそれぞれに自分を保つために『偏見』と『差別』を携えるようになってしまった。「ブルーカラーしかできない、本当に頭の悪い人の働く場を奪ってはいけない、君はそんなところでくすぶっているような能力の持ち主ではない。絶対にホワイトカラーでなくてはいけないとはいわないが、君はもっと勉強して、資格でも取るなりして、とにかく今のようなつまらない身分はやめたまえよ」これは友人の言った言葉である。

こうした考えに対して、僕は一定の距離をとっているし、僕はそのようには考えない。基本的に僕は周囲やいわゆる常識、慣例などを気にしたり、それらと比較してみることはない。これはなんの価値もないものに価値を与えているいい例ではなかろうか。なぜみんながやっていることがよいことであることになるのだろうか。心の平和は心を乱すようなことをいっさいかえりみないことによって得られるように、『偏見』や『差別』をしてみたところでよくない感情がうまれてくるだけであろう。自分が何者であるのか、自分とはなんであるのかが大事なことであるが、他者が何者であるのかによってしか自分の存在の価値を認識できないのはさもしい人間であると言わざるを得ない。
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見事な折衷 『山の上ホテル』の和室


山の上ホテルの客室は是非とも紹介しておかなければならない。さまざまなタイプの客室が用意されているようだが、僕が選んだのはこの和室。なんとベッドが畳の上に堂々と配されている。けれどそこは歴史あるホテル、ベッドに備わる寝具類は部屋としっかり調和していて違和感はなかった。むしろクラシカルでありながら新鮮なモダンささえ感じられた。

room_ph_st_t_w_big_convert_20150827220007.jpg(HPより)

ウェルカムフード?には柿のムース(おそらく自家製)が用意されており、既製品の茶菓子である場合がほとんどなのでとても驚き、嬉しかった。さわやかな甘み、和と洋が絶妙にマッチした美味であった。館内とはうってかわって、家具、調度は重厚さはなく、やわらかでシンプルなたたずまい。あまり気遣ったり、背筋が伸びてしまうようだとリラックスできないので、くつろぐにはこのくらいの存在感がちょうどいい。

早めのチェックインだったため、まだ夕食まで十分に時間があった。そこで、黄昏の銀座の街に出向くことにした。
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家族が洗脳されるということ

妹はずっと仕事で悩んでいた。上司からの言葉の暴力、執拗な嫌がらせが4年間続いたということだった。今回ボーナスも減額された。次第に彼女は追い詰められ、ついには「死にたい」と思うまでになった。しかし、彼女には相談できる存在がいなかった。何度か母にはそういった危機的状況にあることをにおわせてみたこともあったが、元来人の話に、特に子どもの話に耳を傾けない性格だったので、形どおりの一般論で諭されるだけだった。「どんなところでもそういうことはあるからもう少しがんばってみたら?」。そう言われて彼女は「うん、もう少しがんばるよ。ありがとう」と答えることしかできなかった。「死にたい」ということが母をどれだけ心配させるかも想像できたので言いだすことも、相談することもできなかった。母は情緒不安定で普段でも二人でまともに会話することは困難であった。

父は子どもとは距離を置いていた。しつけらしいしつけを妹は父から受けた覚えがなかった。叱られたこともなければ、アドバイスを受けたこともなかった。自己中心的で大人になりきれていない少年のような人、口を開けばとんちんかんなことばかり。彼女は相談する気にさえならなかった。兄である僕に対して、妹は立派過ぎると表現したが、冷酷非情で相談しに行ったところで、厳しくはねつけられると思った。僕は確かに原因を究明し、論理的に対処する方法を取るに違いなかったので、彼女が自分の気持ちや、感情を理解し、なぐさめ、励まし、肯定してくれると思わなかったのは当然のことであった。けれども、「死にたい」と思うほど追いこまれている人間に対しても冷然とするほど思いやりを欠いた人間ではないと思っているのだが、実際はそうは映っていなかった。僕は自分が何と言おうと、どう思っていようと他人から見れば冷酷非情な人間なのだ。

そこで彼女が最後の頼みにしたのが”霊能者”であった。この”霊能者”は以前、両親のそれぞれの母親が相次いで事故で亡くなり(1カ月で2度葬式をあげた)、間もなくして妹が交通事故に遭った。この一連の出来事に不吉を覚えた父がインターネットで調べて出てきたちょうど自宅の近くにいた”霊能者”でそのときお祓いをお願いしたのが彼女であった。全く信仰心のない父は神社や寺には興味がなく、そうしたいかにも怪しげな”霊能者”にお祓いをお願いするのも当然といえば当然であった。僕は第一に彼女の表情が好かなかった。卑しい顔をしていた。


僕のところに「今日仕事早く帰ってこれる?」というメールが届いた。


「背後に二人生霊が憑いていて、あなたの口をうまく使えないようにしているわね。」

妹は一度一人で相談に行き、再度両親を連れて相談に行くと、妹は”霊能者”にこのように言われた。

「除霊の必要があるから、除霊しましょう。まだ他に気になることがあったりしない?」”霊能者”は机から身を乗り出し目を見開いて妹に迫った。

「最近、亡くなったおばあちゃんのことが気になるんです。それも関係があるのでしょうか?」

合点がいったという表情をして、”霊能者”は言った。

「これは家族の問題でもあるみたいね。特におばあちゃんとお兄ちゃんがポイントになっているわ。あなたからいろいろと引き出して、今日の夜、お兄ちゃんも連れてもう一度私のところへ家族みんなでいらっしゃい」

この他にも母親のリアルな生い立ちや父の家系の複雑さなどを平気で抉り出し、露骨に否定的な発言を命令口調で”霊能者”は行った。情緒不安定な母は取乱し、きちがいのように泣きわめきだしたようだ。父は父で、我関せずといった具合でひょうひょうとしていた。”霊能者”は母をターゲットに定め、集中砲火を浴びせた。「あなたに問題があります」と様々な角度から切り込んでは非難し続けた。母は「すみません、すみません」と泣きながら額を畳にこすり付けるばかりだった。

こうしたやりとりがあったあと僕にこのメールが届いたのだ。

”霊能者”に会いにきてということだったから僕は断った。仕事帰りの9時に呼び出す方がどうかしている。僕はそんな風にも思った。そのとき僕は妹が「死にたい」と思うほど悩み、苦しんでいるとは知らなかった。一切聞かされていなかったのだ。聞いてみると、昼にも相談料として30分5000円か1時間5000円の料金設定で支払い、また夜にもそれが必要で、なおかつ除霊を一万円でしてもらうということだった。昼の料金は母に半分援助してもらったようだ。人のお金だと思うからこうした何も代償がなくても支払えるのだろうと思わないではいられなかった。

「わたしの問題だけど、わたしだけが原因じゃないみたいだから、時間もそのように9時からでお願いしたからとにかく付き合って」と妹。

「家族に問題があるにしても、I(妹)にも原因があるでしょう?だからIの問題点から解決するべきだよ。親子の問題はないの?俺が出てくる意味が分らない」と僕。

「とにかく除霊してもらって様子見たら?」と僕は仕方なくそれっぽいことを言って終わらせようとした。

「自分の問題だっていう意識が低すぎる」最後にこう付け加えた。僕が言いたかったのはこのことだったのだ。妹はなんでも何かのせいにする。何か問題にぶつかると何かのせいにし、何か行動するときはなにかに頼って自分で考え、行動するということはしない。今でも家族のせいにし、しまいには霊のせいにしている。そして”霊能者”はそれを後押しするかのように、家族に問題があるのと、生霊があなたをうまくいかないように邪魔していると言い、兄もそうした妬み嫉み、恨みによって破滅に向っているから救って上げなくてはいけないと妹の不安をあおるやり方をした。

「家族に問題があるからあたしだけ除霊しても二度手間になるっていわれた。兄の言い分もわからないわけじゃないけどとにかく一緒にきてほしいの」と妹は食い下がる。

「除霊してもらうためのお金はない」僕はお金を引き合いに出してみた。これは逆効果であった。

「お金はあたしが出す!兄に出してって言ってるわけじゃない。とにかくついてきて!!」

ここまでくると空恐ろしくなった。

「Iのお金は信用できない。いつも母に借りるから。お金は信用」とだけ返事した。

すると今度は父からメールが届いた。

「Iがあれだけお願いしてるんだから、一緒に行ってやってくれ。Iの仕事の問題に絡んで、墓を移すかどうかの問題もあって、お前が不可欠なんだよ」やはり父はとんちんかんなことを言った。

「Iのためにならないから行かない」「墓の問題はわかった。でも今日じゃなくてもいいでしょう。仕事中だから行かない理由をIに説明したから聞いて」と僕は返答した。

「問題は一度で済ませたいから、今日行っておきたいんだよ」

利己的でがめついこの言葉に僕はうんざりした。父の吝嗇精神を掻き立てて家族で”霊能者”に会うという奇妙でいかがわしい状況に陥らないようにしようと僕は思った。

「すごい費用も要りそうだし」

「永代供養にしても、お金のかかるのは仕方のないこと。Iも母も”霊能者”に支払ったのは無駄なお金とは思ってないから、全く問題ない。一度で済めば、余分なお金はかからないし、それが一番いいんじゃない?とにかく頼むよ」

こう言いながら父は永代供養のお金など出さないし、自分で頼んでおきながら”霊能者”のお祓いなどの代金をすべて母に払わせている。僕はこの言草が我慢ならなかった。

「お墓の問題は僕と父が当事者だから全額払える?僕はそんな余裕ないから払ってくれるならいくんだけど、母たちにこれ以上は払わせたくないの」僕は不甲斐なかったが、こうした卑怯な手を使わざるを得なかった。父がもっとも厭うのは自分のためにならないことにお金を払うことだったのだ。僕はたたみかけた。

「一度になんてやめとこうよ」「除霊もみんなするみたいだよ」

「父が払うし、父が頼むのならいいんだよね?家も墓も、先々はB(僕)が中心人物。Iも拠り所であることはかわらない。

「それならいい。ありがとう」このありがとうはお金を支払ってくれることに対してではなく、父なりの僕たちを思う気持ちに感謝したのだ。しかし父はこうした思ってもいないきれいごとをいう癖がある。

「家として除霊をする予定はない。ただIは生霊を払ってもらうみたい。おばあさんとBとの関係がポイントのようで、だから今日一緒に行ってほしいんだ」

案の定、お金のかかる除霊などはしないときた。Iが生霊を払うことにも無関与なのである。僕は断じて”霊能者”にお金を支払わないこと、母にも同様に一銭も支払わせないことを約束させて一緒に行くことを承諾した。もはやだれも僕の言うことには耳を傾けなかった。

夜9時に”霊能者”の自宅に到着した。一家族が来客する異様な光景だ。”霊能者”嬉しそうに歓迎の色を見せた。この人は神か悪魔か、そんな風に楽しむべきだろうか?救世主か詐欺師か。嘘を見破り、真実をとらえ、真理を見いだす。それが僕の日々の目的である。僕はただ、来るだけでいい、話を聞くだけでいいということだったので気構えることもなかった。やはり道中も父が見当はずれなことを僕に話していた。

「住所と全員の名前を紙に書いておいてください」と言い残し部屋の奥に”霊能者”は消えた。

彼女が戻ってくると早々、僕にしか目は向いていない。予想していた通りだ。僕に言いたいことがあって呼び出したのだ。僕以外はすでに洗脳されていてなんの反論もしないのだが、僕には敵意を見せてひどい口調でそれは始められた。

「あなたはそのままではいけませんよ。家族はみんな心配している。家族の気持ちさえあなたはわかっていない」と対峙した僕を責めた。僕は仕方がないと思って黙って聞くことにした。

「あなた仕事は?」「長く続きそうなのそれで?以前となにも変わっていないね」

段々と僕は苛立ち、憤りを感じていった。しかし、家族の誰一人としてそうした”霊能者”のやり口に異論をはさまなかった。

「僕はIの仕事に関することで伺ったのです。僕の話はいいですから、Iの問題が解決する事柄から始めませんか」僕はできるだけ謙虚に言った。

「すべてがつながっています。あなたの問題を解決しなければ、Iさんの問題は解決しません。Iさんの除霊もこれからします」

僕はやれやれという顔をした。話が違うじゃないかと両親に問いかけてもなんの返事もない。

「聞いていた話と違うので、僕は席を外します。僕と関わりのないところから始めてくだされば結構です、親子の問題もきっとあるでしょう」僕はそういって立ち上がった。

するとものすごい形相をした母が僕の前に立ちはだかった。顔は異常なほど紅潮していた。身体は直立、口を真一文字にしてここは通さないと言わんばかりの体制。そして一言。

「私の子なら座りなさい!」と絶叫。夜分に人様の家での絶叫。「やめてよ、そんなこと」と軽くあしらえば、「人様を前にして、部屋を出るなんて失礼にもほどがある!」と語気を荒げる。

常軌を逸していたのは母だけではなかった。その場にいる全員がもはや常人とは思えなかった。誰も止めに入らずただ平然としている。僕は恐ろしくなった。母は涙さえ流していたかもしれない。僕は無理やり襖を開け、外に出た。母は僕の足にしがみつき、「出てはだめ!出てはだめ!」と繰り返し叫んだ。それでも誰も何も言わない。僕はもう終わったと思った。洗脳は現実に存在するのだと。僕は罪人で、”霊能者”とその味方が正義の人であった。僕は諦めて静かに座布団に腰を落ち着けた。

「私はこんな無礼で思いやりのない子を育てた覚えはありません」と母は”霊能者”に訴えていた。かと思うと子どものように泣きじゃくり、自分の父親の言葉を叫びながら、お父さんのところに行きたい、お父さんのところに行きたいと叫んでいた。「Bは私に全然優しくない」これも母が繰り返した言葉であった。

僕は殊、母に対しては思いやりをもって接していたつもりだった。手伝いをしたり、お弁当などに対してもおいしかったなどささいなでもコミュニケーションを大事にしようと考えていた。しかし、それも”霊能者”から言わせれば母の求めている優しさではなく、あなたの傲慢ということだった。

再度、「僕の問題は、母に対する接し方と家族が僕に対して、たとえば妹が相談をできないといったように、何も本音で言えないという状況をつくっている僕の身の振り方なのですね」と僕の問題はここで終わらせて、妹の仕事のことや、お墓のこと、できることならこの狂った会合自体を終わらせようとまとめた。すると、”霊能者”はすかさず「ほら、ご覧になりましたか?あなたの息子さんはこうやって人の意見は顧みず、自己完結させる人間なのです。これでは人から嫌われるでしょう。お母さんもこうした息子さんの性格を危惧されているのではないですか?」

「そうです。それに、妹がこんなに悩んでいるのに、二つ返事で来てあげられないなんて、ホントに冷たい人間だと思いました。理屈ばかりこねて、父は理論武装をしているとよく非難しますがその通りです。わたしはこの子たちが幸せになってくれればそれでいい!なのにどうして!」と母は精神病と疑われても仕方がない状態になっていた。

こうして話は続けられた。時間制の相談料金はかさんでいく。それが”霊能者”の狙いでもあるのだろう。けっして数十分では終わらない。何度も繰り返し同じ話をする。しかし、誰もそれに気が付かず、みんなBは意地をはって見苦しいというような目をしていた。

”霊能者”も阿呆である。もうお話は結構ですといえば、「私は頼まれたのですよ?」といい、僕が当事者であるにもかかわらず、みんなの意見を尊重していない自分勝手なイタイ人間と誇らしげに、見破ったとばかりに宣言するのである。さすが”霊能者”よくぞBの欠点を、私たちが日ごろつきたくてもつけない弱みをついてくれた!と家族ぐるみでほくそえんでいるのである。洗脳でなくてなんであろう?

「あなたも阿呆ですね」というのはやめておいたが、途中からはどうにでもなれという気ではいはいとただただ”霊能者”の見当はずれの予想、予言をありがたがるふりをした。無駄な時間。”霊能者”も予定していた時間に到達したのであろう、主要な問題であったはずの、妹の仕事と墓の問題を簡単に片づけた。

「では、除霊をはじめます。御嬢さん、ここに向こうを向いて座って」そう言ってから、指先に力を込めるようにして腰や背中、肩に触れるか触れないかのところで「ホー、ホー、ホーッ!」と念をおくった。これを3度行ない、続いて頭の周囲を掌でこねまわすようにこれも「ホー」とか「オー」とか奇声をあげながら施した。最後に「エイッ!!」と腰に両手の人差し指を突き刺し、除霊は終った。一万円。妹はさっき話しているときに感じていた首の痛みがなくなったとその実感を語り、”霊能者”もそうしたことはよく他の方もおっしゃりますね。と型通りの答え方をした。「みんながそうしている」というのは営業の決まり文句だ。大衆心理というやつか。愚かしい。僕の家族も間違いなく馬鹿であり、やっぱり僕も馬鹿なのだろうと思う。父はずっとだまりこくり、ときどき何かを振られてもろくすっぽ答えることができていなかった。

”霊能者”はときどき時間を気にし、ぶしつけにも計算機まで取り出していた。おもむろに余白に料金を書き記した。18000円。「30分サービスしておきました」という殺し文句ももれなくついた。

「いやー、友達価格があるんですね」と父はのんきなことを言っていた。

家に帰ると、何もなかったかのようにその話題が誰の口からも出なかった。僕をあんなふうに半ば強引に、半ばだまして連れ出しておいて何のフォローもなかった。妹になぜそれほど俺を会いたがらせたのかと問いただしてみると、「そういわれるとよくわからない。けれど、会わせなくちゃいけない!と思ったのと、あったら兄がよくなると思った」という答えだった。

「Iの良い状態というのは”霊能者”の思う良い状態と同一かもしれない。だけど、俺の思ういい状態とは、金を儲け、いい会社に入り、派手に暮らすことではないんだ。それを理解しろ」

「それと、自分に問題があるという意識を持て」

僕はこの件で、家族に対する信用が著しく減じてしまった。家族の信頼関係は壊されてしまった。

次はいつ、誰が”霊能者”のところへ足を運ぶのであろうか。”霊能者”はしっかりと次もまた訪問せざるを得ないような宿題を家族に残していった。
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善は幸福であり、幸福は理想の実現であり、理想の実現は… 『善の研究』


世のいわゆる道徳家なる者は多くこの活動的方面を見逃している。義務とか法則とかいって、徒らに自己の要求を抑圧し活動を束縛するのを以て善の本性と心得ている。勿論不完全なる我々はとかく活動の真意義を解せず岐路に陥る場合が多いのであるから、かかる傾向を生じたのも無理ならぬことであるが、一層大なる要求を攀援すべき者があってこそ、小なる要求を抑制する必要が起るのである、徒らに要求を抑制するのはかえって善の本性に悖ったものである。善には命令的威厳の性質をも具えておらねばならぬが、これよりも自然的好楽というのが一層必要なる性質である。いわゆる道徳の義務とか法則とかいうのは、義務或は法則其者に価値があるのではなく、かえって大なる要求に基づいて起るのである。この点より見て善と幸福とは相衝突せぬばかりでなく、かえってアリストテレースのいったように善は幸福であるということができる。我々が自己の要求を充すまたは理想を実現するということは、いつでも幸福である。善の裏面には必ず幸福の感情を伴うの要がある。ただ快楽説のいうように意志は快楽の感情を目的とする者で、快楽が即ち善であるとはいわれない。快楽と幸福とは似て非なる者である。幸福は満足に由りて得ることができ、満足は理想的要求の実現に起るのである。孔子が「疎食を飯ひ、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす、楽も亦其の中に在り」といわれたように、我々は場合に由りては苦痛の中にいてもなお幸福を保つことができるのである。真正の幸福はかえって厳粛なる理想の実現に由りて得らるべき者である。世人は往々自己の理想の実現または要求の満足などいえば利己主義または我儘主義と同一視している。しかし最も深き自己の内面的要求の声は我々に取りて大なる威力を有し、人性において之より厳なるものはないのである。   『善の研究』


僕は日本文学をあまり評価していない。日本を所詮アジアの極東の小国だとみているし、日本での作家像というのが、僕のイメージに過ぎないかもしれないが、少し前は日本語の巧みな使い手、近年では尋常でない感覚と風変わりな性格の持ち主といった具合で孤高さや厳粛さとは縁遠い存在になりつつある。そうした日本人作家の中にあって、西田幾多郎、その『善の研究』(文学ではなく哲学だが)は最も価値ある作品の一つといっていいだろう。言葉の使い方、文章構成、その徹底した力強い思想、これらは一級品である。

善とは幸福であり、幸福は理想の実現によって得られる満足によってもたらされるというのは大層な言葉でなく、当然と言えば当然で、改めて言明することでないのかもしれない。けれどもこのように、これでしかないと断定できるという研究手法と過程が素晴らしい。文学はぼんやりとしたものを成る丈はっきりとさせ、形のないものを形にする働きを持つ。誰もが感じる切なさを詩にしたり、誰もが感じる世の不条理を小説として描くのだ。僕の考えの中では、善とは幸福であり、幸福とは理想の実現であり、理想とは善をなす、という三項目が循環してしまう。だから、善とは何か、幸福とは何か、あるいは理想とは何か、といった具合にどれか一つに限定して研究しなければならないことになる。しかし、結局『善の研究』に落ち着くのだろうと思う。僕の人生の最大のテーマである『善く生きること』にしたって、つまるところ、『善く』すなわち善をなして生きることを意味しているのだ。一体、西田幾多郎は『善の研究』でもって『善』をなんと結論付けるのであろうか?
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今の自分を救うことができるのは過去の自分だ 抜粋をつくる効用 


不幸な青年があと一歩で精神的に破滅しようとしているのを救ってやるために、聖職者はまず青年に自尊心と自分自身にたいする尊敬の念をめざめさせようとした。自分の才能を有益にもちいるならもっと幸福な未来がひらけてくることを教えてやった。他人の美しい行為の物語によって青年の心に気高い熱意をよみがえらせた。そういう美しい行為をした人々を讃美させ、自分も同じようなことをしたいという望みを起こさせた。無為な放浪生活を知らずしらずのうちにやめさせるために、いろいろな書物を選んでその抜粋をつくらせた。そして、その抜粋が必要であるようなふりをして、感謝という高貴な感情を青年の心にはぐくんでいった。かれはそれらの書物によって青年を間接的に教育した。自分はよいことはなにもできない無用な人間だとは考えさせないために、そして、自分の目に軽蔑すべき者と映るようなことはもうさせないために、自分自身にたいする評価を回復させた。   『エミール』


僕は精神的に破滅しようとしていた自分を自分自身で救ったのだった。多くの愚かな人たちが経験する漫然とした死の願望に僕も魅了されていたものだ。「自殺を考えた」という告白ほど恥ずかしいものはないと僕は感覚的に感じるのだが、こうしたことを口にする自意識過剰の自分美化物語がときどき主にテレビを通して聞こえてくる。悲劇はみんなの関心を集めるらしい。そして「死」は特別な感情を抱かせるらしい。番組の主旨とそぐわぬこうした大袈裟な感動物語に僕は嫌悪を感じる。もっと真実を伝えてほしい。そしてそのままの事実によって引き出される感情と教訓を伝えていくべきだろう。

僕を救ったもの、それは自分を信じていたことだった。どうしても打ち勝ちがたい運命、終わることのない責苦。僕が最後まで負けなかったのは「心」だった。「心」は挫けなかった。希望を失っても、そのとき出来る全力を尽くした。姿を変える苛酷のたびに、全力を尽くし、挫けず負けなかった過去の自分が叫ぶのだ。「それでも僕は負けなかった!」

僕にあった才能、それは他人の美しい行為の物語によって心に気高い熱意が沸いてくることを知っていて、本当の読書の仕方を心得ていたこと、言葉の持つ偉大なる力を知り、それゆえに高尚な書物の抜粋をつくり―この抜粋をつくることも才能を要する、なにより多く読まなければならないので大きな労力を要する―考察してみることがどれほど大きな意味を持つかということを知っていたことだ。

このブログは単なる一人の人間の日常を描いたものではなく、人間を描いている。読めば人間を知ることになる。美しい行為の物語の一節、抜粋、気高い思想の一片も記してある。僕は名著に対抗してみたいのだ。
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今なお褪せないモダンさの文人が愛したホテル 『山の上ホテル』


坂を上りきるとドアマンの姿が見えた。あちらでは僕たちの姿を認めるや否や歓迎のしるしとといわんばかりに挨拶をするとすぐに駐車の指示へ移り、もう一人従業員も出てきて立体駐車場の操作を始めた。この一連の動作が迅速で気持ち良かった。それから館内に案内されたが、彼らからは親しみやすさがにじみ出ているような気がした。とても落ち着いた雰囲気のロビー。今までいったホテルの中でもっとも静かだったかもしれない。客層が少し高めで、そのときは早めの時間だったこともあって、奥の休憩室のようなところに老夫婦がいらしたのと、2、3人が正面玄関ではないレストランに通じる入り口から出入りしたのみであったこともその要因であるだが、もっとも大きな役割を果たしたのはロビーにしかれた真紅の絨毯だったに違いない。足音などの雑音は見事に吸収され、開放的ではない、クラシカルな造りになっているので反響もさほどしないのであろう、とにかく居心地のいい空間であった。フロント後方には国会議事堂にでもありそうな高貴なエレベーターがあり、フロント脇には勉強室兼談話室があって、こちら気品あふれるたたずまいであった。
tanbo5_im01.jpg(これは五階のものだが)
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いずれも近づき難いような気高さはなく、モダンさをそなえた親しみやすい懐かしさを思い起こさせる感じがあった。

僕が今回この『山の上ホテル』を宿所に選んだのは立地もそうだが、数多くの文人に愛されているというふれこみで、特に三島由紀夫が残した「東京の真中にかういふ静かな宿があるとは思はなかった。設備も清潔を極め、サービスもまだ少し素人っぽい処が実にいい。ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに。」という言葉にひどくひきつけられたからだった。しかも併設している天ぷらの名店として名高い『天ぷらと和食 山の上』がつくる朝食が頂けるのだ。朝食は和食に限る、という主義の僕にとっては本当にうれしいサービスである。なぜ文人たちがよく利用したのか、これには理由があるようだ。なんでも出版社が近くにあって、執筆のための滞在、あるいは執筆促進のための”缶詰”にされることがよくあったというのだ。作家という仕事に並々ならぬ関心がある僕にとって、こうしたエピソードは一層旅情をかきたてた。
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美しき巨塔 『東京医科歯科大学」と『山の上ホテル』


医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地のうみそだて給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり。   『養生訓』 貝原益軒著より


大学に行くなら医学部。僕はそう決めていた。高校までの学問と呼ぶにはあまりに幼稚な学びにおいて偏差値がその優劣を定めていた。僕はただその優劣に従って、優れているとされているものを選び取っていった。文系より理系が優れているとされていたし、大学の学科では医学部がもっとも高い偏差値を要求していた。医者になろうという何か大きな動機があったわけではなく、大学に意味を見いだすためと、受験に対する意欲を掻き立てるためには医学部である必要があった。学問は大学でなくてもできる、それが当時の僕の持論であったが、医学だけは大学のような特別な機関でのみ可能な実践的な知識が必要であるはずでぜひ大学に行く必要があると思った。実際のところ、大学は研究機関として素晴らしい体制をもっているし、たとえば物理学では加速器などは個人で準備するのは不可能であるから、医学に限らず大学の必要性は十分ある。

「東京医科歯科大学」は僕にとって妙な魅力に富んでいた。医科大学は主に私立が多く、その授業料がとてつもなく高額で一般家庭にとっては負担となるくらいで、この授業料がネックとなって医学部志望をあきらめるということもよく聞かれる―私立大学はそのかわり偏差値が国公立の医学部よりも劣る場合が多いのだが。暗記や論理力における能力では国公立医学部出身の医者の方が優れていると僕は考えているが、当然医療現場での能力とはまったく異なる。医学は研究と現場での違いの差が大きい学問であるにちがいない。「東京医科歯科大学」は国公立大学でありながら純粋な医科大学であるので他の国公立大学とは一味違った雰囲気がある。それはその受験問題にもよく表れていた。受験生のとき、僕の意識の片隅に崩れることなくその巨塔は居座り続けた。

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Nの志望校であった横浜国立大学に向う列車から、その巨塔は姿を見せた。受験校というものは過酷な強敵といった具合で眼前に立ちはだかり、こちらは身が引き締まるものだが、「東京医科歯科大学」を前に僕は恍惚としないではいられなかった。知の頂点、医学の要塞、荘厳と洗練の極を体現したその校舎とは呼べぬほど建造物(大学病院も擁しているからだが)は美しくもあった。

それはちょうど「御茶ノ水駅」に停車した時だったと思う。そして今回宿泊した『山の上ホテル』はこの「御茶ノ水駅」から明治大学に向って、その脇の坂を上がった丘の上にあった。

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時空が歪み、時の流れが滞るそんな空間にやってきたような錯覚に陥ってしまう外観。その内観はもっと僕を魅了した。
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作者自身を語る 放浪癖の持ち主


書物をさらに読んで思考力が高まると、この茫漠とした得体の知れない習癖の正体が前よりも分かるようになった。そうなると、余計にそのような傾向は確固たるものとなった。私はこの国のいろんな場所を訪れた。私が単に美しい風景に接することが好きだというだけであったならば、わざわざ外国まで出かけていって、その願いを叶えようとは思わなかったろう。というのも、私の故国アメリカほど豊かな自然の魅力に満ちた大地は他にはないからである。(中略)

とはいうものの、やはりヨーロッパ諸国は物語や詩から想起される魅力的な情景を満喫できる所である。たとえば、芸術の傑作、洗練され高い教養を極めた社会の優美さ、あるいは古来より伝わる地方の珍しい民俗風習などは、その典型であろう。私の故国の未来は前途洋々として若さと希望に溢れているが、ヨーロッパはすでに成熟期に達し、長きにわたって蓄積された財宝に満ち溢れているのだ。まさに、その廃墟は過ぎ来し方の長い歴史を物語っており、崩れ落ちてゆく石の一つ一つが、それぞれの年代記といっても差し支えない。私は歴史に彩られた名所旧跡を訪ねて、その辺りを逍遥し、いわば先人たちの足跡を辿り、寂れた古城に憩い、崩れかかった尖塔を眺めながら瞑想に耽りたかった。つまり、日常凡俗の現実の世界から逃れて、幻想の過去の世界にこの身を浸したいと思ったのである。

これとはべつに、私には世界の偉人たちと出会ってみたいという強い欲求があった。   アーヴィング著 『スケッチ・ブック』より


いつの時代もやはりこうした人間はいるものなのだろうか。世界に一定数存在すると思われる世界を深く知りたいという冒険家、旅人、夢想家、放浪者…彼らの中で殊に知性と感性に長けた者たちが書やメッセージ、絵画や音楽を後世に貴重な遺産として残してきたのだろう。僕もまた、このような放浪者の一人であり、この道の巨匠ともいうべき先人たちの残した作品に触れないではいられない。そして僕自身も読書や旅、瞑想を通してこの世界の一員であるという強烈な実感を得たいのである。旅への熱情は、読書によってもたらされたのだった。同時に、読書は世界の偉人たちに接することのできる貴重な手段(特に故人)であり、読書がその偉人たちの精神に近づくことを可能にし、旅は彼らの痕跡をたどり、その姿を浮かび上がらせることを可能にする。『レ・ミゼラブル』、『魔の山』、『イタリア紀行』、『アンナ・カレーニナ』、『高慢と偏見』、『ドン・キホーテ』、『緋文字』…、たとえこれらを読んでいたとしても、その大地さえ踏みしめたことがなければなんともやりきれない!僕が達成できたのは、まだ国内のいろんなところを一般以上には訪れ、一般以上に文学史上の傑作を味わい、夏目漱石に限っては満足のいくくらいにそのゆかりの地や小説の舞台を巡ったというところまでだ。文学だけでなく、これに史実が加わるのだから世界の奥深さ、壮大さは筆舌に尽くしがたい。僕はずっと、生きているあいだこの世界の現実と過去の歴史の間で揺蕩っていたい。しかし、今の僕の境遇はそれを許さない。Tは僕に、「もっと低俗になるべきだ。お前が低俗だと思っているものを一度受け入れてみるんだ。それがきっとお前を救ってくれるだろう。今のお前は何かから逃げている。それだけではない、既に多くのものを失い、刻一刻と損失を重ねているんだ。そこに気づいた方がいい」と忠告した。世界を知るためには、迎合やむなしというのか。たしかに蟄居と夢想で満足できる僕ではないのだ。
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常識を疑え 不自然さを感知せよ


想像力が肉や脂肪と調和しない理由を問うのはむだなことであろう。私は調和しないと確信している。人間が肉食動物であることは、ひとつの恥辱にほかならないのではあるまいか?なるほど、人間はたいていの場合、ほかの動物を食べることによって生きることができ、また、現にそうやって生きている。しかし、これがみじめな生き方であることは、ウサギを罠にかけたり、子ヒツジを屠殺したりする者が、だれでも思い知ることだろう。したがって、将来、人間にもっと罪のない健康的な食物だけを食べるようにと教える者があらわれれば、彼はまさに人類の恩人とみなされることになるだろう。私自身の食習慣はともかくとして、人類は進歩するにつれ、動物の肉を食べるのをやめる運命にあると、私は信じて疑わない。ちょうど野蛮な種族が文明人と接触するようになってから、たがいの肉を食べあう習慣をやめたように。   『森の生活』より


僕はこうした一つひとつの常識をできるかぎり疑ってみるつもりだ。そのためにこうした書物を読むことは欠かせない。ここでは食べ物についての常識が打ち崩される。僕のお気に入りの映画の一つ『IN TO THE WILD』―この冒頭にもソローの言葉が登場するが―のアラスカで生き物を狩って食べるシーンは真実を伝えているように思う。生き物をたとえ捕まえるなり殺すなりして獲得できたとしても、それを食べるのは物理的にまず非常に難しい。うまく屠らなければならないし、すぐに傷んだり、ハエが集ったりして鮮度を保つこともできない。それゆえとにかく焼くということになるのだが、それも簡単ではない。そして生きるためだとはいえ、その光景は全然気持ちのよいものではなく、むしろ陰惨だ。間違っている気さえするだろう。僕たち自身の生活レベルで考えてみても、犬や猫は決して食べることはないのに、どうして豚や牛は殺して食べられるのだろう?確かに、鳥や牛、豚を食べなくてはならないという決まりはないわけで別に食べなくてもいいわけだ。しかも、動物性の油というのはかなり厄介なもので、食べ終わった後の食器や使用後の調理器具は厄介で見た目もよくない。理想を言えば、やはり私たちは肉食をやめなければならないということになるはずだ。僕もそのための努力を少しずつしていきたいと思う。もともと、僕自身は肉をあまり好まないのだが、ウインナーやミンチなどの加工肉がどうしても平常心で食べることができないのだ。そしてたまにテレビなどで間接的に見る牛が皮をはがれた状態でつるされているのをみると形が牛であることがわかるだけに余計に惨いと思わないではいられない。鶏などは羽をはぎ、卵を奪い、人間の勝手で尊厳も何もあったものでない。もし僕たちがケーキやフライドチキンを知らなかったら、こんな罪を犯さなくても済むはずである。絶対にケーキを食べなくては生きられないというわけではないのだ。僕たちが次第に忘れてしまっていく、そうした不自然さを感じる感覚を取り戻し、その感覚を鋭敏にしなければならない。食べ物だけではない。私たちにとって、それは本当に必要か?それがなければ生きていけないだろうか?と一人ひとりが自問自答し、この世界から不自然なもの、環境や自然を破壊する契機となるものを取り除いていくべきだ。人類はずっと前からそうした岐路に立たされている。
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現在は人類の最高地点ではない 社会の要求があって子どもが生まれる


今日の社会の状態を見ると、ふたたびある社会改革が起こって、現在働いている人々が支配階級になるであろう、と期待して誤りないように思われる。これは丁度、かつて十九世紀の初めの社会革命で、勤勉な市民がなまけ者の貴族や僧侶をしのいで上に立ったのと同じである。

しかしこの市民たちも、彼等の先行者と同じように、ただ利札を切って、つまり他人の労働で暮らそうとするなまけ者になってしまえば、結局滅びるよりほかはないであろう。

未来は働く人のものであり、社会の主人はいかなる時代にも常に勤労である。   『幸福論』 ヒルティ著より


現在に生きる人々は、自分たちは人類史上もっとも進んでいてもっとも完成された社会に暮らしていると思い込んでしまう。私たちはこれ以上の社会や世界を望むことはできない、なぜならば今までの長い人類の歴史が積み上げてきて完成したものが現在であると錯覚するからである。私たちは現在にしか生きることができないためにこうした錯覚に陥る。無理のないことだ。しかし、これは間違っている。私たちは現在を客観的に見て、長い人類の歴史の中で、またこれからも続いていく人類史のある一点に過ぎない、発展途上であると自覚しなければならない。ましてや、私たちなど、人類の歴史と言えばそのまま殺し合い、戦争の歴史といえるにちがいない―生物である以上、弱肉強食、すべての生命は生存競争の歴史である。国内での内紛、民族間の殺し合いや国家間の戦争、大小さまざまだがとにかく人間は殺しあってきたし、少なからず今も世界の多くの地で殺しあっている。この殺し合いの歴史の中で、例えば日本での現在は小休止とも呼べる時代だ。1、2世代前に長い戦争の歴史がひと段落つき、殺し合いによる命の危険にさらされることなく生きることができているのが私たちといえるだろう。平和というにはあまりに危なげなく心もとない状態であるが、とにかく人類史上もっとも安定している時期の一つといって差し支えないはずだ。しかし、私たちはこれで満足だろうか?戦争経験者が多く存命しているほどこの歴史は浅く、未熟なのだ。私たちはもっとももっと平和に向って力強く突き進まなくてはならない。平和のための手綱を決してゆるめてはならない。殺し合いの時代に逆戻りすることなど大いにあり得ることだ。もう一度言う、私たちはたまたま殺し合いの歴史の中の小休止に生きているにすぎないのかもしれない。人類はまだまだこれから生きていく。私たちはその殺し合いをしてきた時代の一部分を生きている。遠い未来が、殺し合いのない真の平和を勝ち得た時代だとしたら、私たちの時代はおそろしく野蛮な時代ということになる。こんなことを言ったら、笑われるかもしれない。すでに今現在が人類が積み上げてきた叡智の結集、集大成であると。確かに僕もそう思いたい。私たちこそが最も優れているのだ!と。けれども残念ながら、私たちはまだひどく未熟だ。何十年前には同じ人間であるにもかかわらず国家間で殺し合いをしていたし何百年前となれば国民間で殺し合いをしていたのだ。彼らとわたしたちは大きく異なるだろうか?

あわせて、少子化についてだが、子どもは今までの歴史上、社会に必要とされて生まれてきた。血を残すための跡取りとして、戦争の戦闘員として、経済発展のための働き手として。だから日本は人口が増えていった。子どもが多く生まれた。けれど、現代は幸いなことに?社会が人手を要求しなくなった。つまり社会が子どもの受け皿にはならなくなった。その途端、人々は子どもを産まなくなった。社会が子どもを要求しなければ、子どもは増えない。少子化は社会が子どもを要求していないことの証拠である。少子化問題を解決するには、当然のことながら社会構造を改めなければならない。社会が子どもの受け皿、あるいは子どもを保護するシステムがなくてはならない。もちろんそれが戦争や経済成長のための駒のようであってはならない。では社会が子どもを受け止め、保護することは可能なのだろうか?子どものための国債はあってもいいような気がする。子どもは未来を担う力に必ずなるのだから、投資になるはずだ。しっかりとした子どもを育て、りっぱな大人の育成を社会全体で考えることが必要ではなかろうか。
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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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