絶妙に最大値を超えない逸品 『天冨良 天周』

京都といったら「清水寺」や「金閣寺」、「嵐山」、「太秦」といったところが、修学旅行生も多く訪れる、人気スポットとなっている。中部圏に住んでいる僕自身も小学校の修学旅行は京都であったし、それ以来近いということがもっともその理由であるが、何度か訪れる機会があった。そのとき、清水寺は必ず全員が参拝することとなっており、自分たちで見学先を決めるグループ行動では金閣寺を選択した。知識は―土地柄も大いに影響しているであろうが、他県の人たちに比べて得ることができるのかもしれない。京都へ足を運ぶことは、その知識を実体験へと脳内で書き換えるという行動に等しい。僕はこれまでずっと、京都を訪れるたびに、脳内地図の京都エリアに少しずつ実際の風景を色塗りしてきた。東山から始まり、嵐山、京都駅周辺、貴船鞍馬、伏見と少しずつ鮮明になっていった。

こうした観光地ばかりに気をとられている僕は「京都 祇園」を気にもかけなかった。祇園祭が有名ではあるが、僕は今のところ興味がないので祭りめぐりや、あえて祭りに参加せんがために、旅をしたことはほとんどない。しかし今回、由緒正しき有名寺院をただ周る観光を主眼とした旅はやめ、町歩きとでもいうような旅を敢行してみることにした。そうした、京都という町を感じるのならば、祇園というところはなかなかおもしろそうだ、というのが僕の考えであった。

祇園は八坂神社を起点とするように四条通りの南北、鴨川、白川沿いのあたりのことと思うが、やはり雰囲気は異なっていた。四条通の両側は商店街となっていて、おみやげやや飲食店も並んではいるが、清水寺や嵐山のそれらとは違って、京都の現在の暮らしが息づいている。

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この商店街の中に『天冨良 天周』という天ぷら屋さんがある。昼食にと足を運んでみるとすでに行列ができていて、店外にまで続いていた。

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入店すると気分が損なわれない程度に香ばしさを含んだ油っぽい空気に全身が満たされた。カウンター席に、テーブル席が一つ。ほぼお店の中央で二人の料理人の手によって次々にアナゴなどの具材が揚げられていく。

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穴子天丼 1100円を注文。ミックス天丼やかきあげ天丼もあったが、もっとも安価で、メニュー構成からも穴子天丼に期待ができそうだったので迷うことはなかった。三本入りで、僕にとってボリュームは申し分なし。やや多い気さえした。ただ、味覚と食欲が飽和と充足に達しやすいので、間食できるかという不安はあった。

タレは甘めで深いところに醤油の辛みがある。衣によくタレがしみこみ、油のうまみが先ほどの辛みをつつみ、まろやかな甘みとなり、味わいに厚みが出ていた。山椒との相性がよく、味に変化をもたせることもできるので完食することができた。

やや古さを感じないでもない外観、人気店ゆえの待ち時間、店内の油を含む天ぷら屋特有の香り、値段、ボリューム、味のくどさ、これらすべてが絶妙に最大値を超えず―過剰と満足は紙一重―、満足の中で店を後にすることができた。
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人間にとって重要なのは「おもしろいかどうか」である 自分にとってのおもしろさとは


前回の記事の日付を見ると、3週間以上前であった。これほど更新を空けたことはあまりなかったので、精力的に書いてきていたなぁと妙な感情が起こった。師走ということもあって、仕事が忙しかったというのと、不安定な気候が続いたので体調を崩してしまい、いまだ本調子でないのだが、記事を新たに物することができなかった。健全な精神に健全な思想が宿るというが、体調が優れないと頭を働かせる体力も、気力も奪われ、どのみち、記事にするほどの何ものも頭に浮かばなかったのもまた事実である。なぜ、それほど体調不良が続いたのか?たしかに、ありがたいことに労働者の権利として、週に二日休みを頂いているので、体を休ませることは十分可能だ。ところが、体が丈夫な人はいざ知らず、僕は丈夫な方ではないので、一度体調を崩してしまうと、一日ではとてもじゃないが持ち直せない。二日あってどうだろうかというところだ。つまり、しっかり二日間を休養にあてることができたら、体調を整えることができたかもしれない。だが、就職する以前ほど時間の余裕がないために、やりたいことややらなければならないこと、友人からの誘いや予定などが―そう、状況が大きく変わったのは僕自身だけなので、当然こういった事態になるのだ―あふれていて、休日を二日も失うことは大打撃だったのだ。それゆえ、無理無理なスケジュールとなり未だ完全な回復に至っていないのである。

余暇の過ごし方、楽しみとして、最近、様々なものが注目を浴びている。登山やショッピングなどはその代表だろうか。僕も金銭的な余裕ができた分、そうしたものも以前より一層楽しめる状況にあるのだから、少しずつ開拓していきたいと思っている。今まではある意味で、お金のかからない楽しみを主にしていたのだが、お金のかかる楽しみも好む好まないは別として許されるようになったわけだ。とはいえ、やはりお金をかけず楽しめることはよいことで、ここを追求する手をゆるめるつもりはない。そして、そのお金のかからない楽しみの一つがこのブログ。書くのもそうだが、見るのも楽しい。僕自身、いくつかお気に入りのブログがあって、ときどきのぞく。すると新たな記事が上がっている。作者の好みが自分の好みと近いから、どんな記事も楽しむことができる。逆に、ブログはその作者の解説書みたいなもので、その人の人となりや趣向というものをその人が話すよりも詳しく明らかにしてくれる。政治に関して熱く述べている作者もいれば、冷静に分析している作者もいる。芸術をただただ詩的な文体によって讃美し、綴る作者や、社会の在り方を問い、それに対する主張を簡潔に書いている作者だって存在する。現実世界では見えない、強く、賢い、豊かで人格に深みのある大人たちが数多くいることに気づかされる。それぞれがそれぞれの好むところを思索し、探求している。政治とは、社会とは、芸術とは、善とは……。僕もまた、このブログに人間の在り方を問い、その度に思い至った思想を綴ってきた。最近考えていたことは、人間にとって重要なことは、「おもしろいかどうか」であるということ。僕が文学、読書に強くひかれたのも、ひとえに「吾輩は猫である」
がおもしろかったからである。「カラマーゾフの兄弟」がおもしろかったからである。僕の言う、「おもしろい」とは、精神が揺さぶられるということを指す。いつだって、いつもの違う世界をのぞいてみることはおもしろい。それは普段の日常に慣れ、精神的緩慢に陥ってしまっているさなかに、もたらされる衝撃である。ブログを書くのなら、おもしろくなくてはならない。人生もやはりおもしろくなければならない。仕事もまたおもしろくなければならない。ではおもしろさとはどのようにつくりだし、またつくるのであろうか?僕にとってのおもしろさとは?これもやはり、読書という疑似体験や、活動することによって得られる実体験によって、得られる感覚からのみ引き出されうるものに違いない。

まず、自分にとってのおもしろさ、何に自分はおもしろさを感じるのか、この研究を進めていきたいと思う。

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ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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