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啓蒙という労働の確立のために


「そりゃむろんだ。私の島にはなに一つ心を刺激してくれるものがない。外の世界からはまるっきり離れてしまっている―考えてもみたまえ、タヒチへ来るだけでも、四日かかるんだからね―だが、私たちは幸福だよ。ものを計画して、それを成就するということは、君、決して誰にでも許されることではないんだからな。私たちの生活は、単純で、そして天真爛漫だ。野心に悩むこともない。私たちの誇りといえば、それはただ自分のした仕事を考えること、それだけだ。悪意も起らなければ、羨望もない。ああ、君、世間ではよく労働の祝福ということを言うねえ。意味のない言葉だよ、だが、ただ私にとっては、それはもっとも切実な意味をもっている。私は幸福な人間だよ」

「でも、そうした生活をつづけ、そうした成功を得るについては、さぞお二人とも強い意志と毅然たる性格とがなければなりますまいねえ?」

「そりゃそうだろう。だが、そのほかにもう一つ、それがなければ絶対に何もできないというものが一つある」

「それはまた、何ですかねえ?」

「信仰だ、神への信仰だよ。これがなかったら、私たちの一生はだめだったろうと思うね」   『月と六ペンス』より(一部改)


僕たちのほとんどは労働することを慣習によって義務付けられていると認識している。生きるためとか豊かな暮らしのためというのではなく、盲目的にそういうもんだろうくらいにしか考えていない。そして一部のセンスのある商人であったり職人が労働は他者への献身であると突き止め、やりがいや成功を手にしている。それは結構だし労働者としてあるべき理想の姿かもしれない。けれども、ここで言っているように労働の原理を考えてみると自分の生活には何が必要であるか?まずそれを満たすことが労働であり、それが成就されてから、では他者のために。ということになり、精神的な幸福感を得られるのだろう。こうしてみると僕らがやっている労働がいかに高尚な目的のためで、その実、独りよがりな身勝手な行動に落着してしまっているかがわかる。自分の食い物を育て、寝床を準備したことのない人間に地球という自然で生きるということの意味などわからないだろう。ましてや、労働の喜びや生命の活動も実感できぬに違いない。

僕は自己嫌悪に陥る。なぜなら生きるための労働をしようとしていないからだ。一見すると芸術家はごろつきと同一に思えてくる。しかし分析してみると、テレビで活躍している有名人や映画俳優たちは一体何をしている?汗水流して働いているか?たしかに一流と呼ばれる人たちは相当な努力をしているだろうが、テレビではしゃいでいるタレントというような職種が生きるための労働だとはなんとも納得がいかないが、労働の原理で言えば、そうやって人々を楽しませたりするのもれっきとした労働なのである。ゆえに、芸術家や思想家、哲学者も立派な労働者といえそうだ。彼らは確かに人々を楽しませもしなければ、笑わせもしない、だが楽しい、おもしろいことだけが意味のあることだろうか?労働や賃金と結びつくことだろうか?そう思うこと自体が現在の社会のゆがんだ部分によるのだ。精神を向上させうるもの、人間や社会を考えさせうるもの、そうしたものを生み出すことも誇るべき労働であるはずだ。勉強のための勉強、先生の(給料の)ための授業には本当にうんざりしてきた。

きっと僕が求める労働の形と生活のあり方は間違っていないと思うのだ。そこには真理とよりよい生活、幸福のためというキーワードが必ず含まれている。これからも強い意志と毅然たる態度、そして神への信仰を失わずにわが道を進んでいけば道は開かれると信じている。
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増税前に 素晴らしい装置、腕時計 憧れの「ハミルトン」


来たる増税に向け、大きな買い物をしたという人は多いだろう。たかが3パーセントされど3パーセント、大きな商品であれば、その差はどんどん大きくなる。必要なものあるいは欲しかったものを買うにはいい機会であり、自ずと購買意欲も高まる。家や車など100万円を超えてくるとその差は明瞭で、実際に駆け込み需要が特にあるようだ。なんでも、今自動車を買うと、陸送が追いつかず納車が遅れる場合もあるということだ。

おまけ程度に僕が提唱したいのは、風袋では増税前となんら変化をもたらさないように努力をするということだ。すなわち消費を3パーセント節する努力をするということである。シャワーの時間やティッシュの使用量などに置き換えてみれば3パーセントはほとんど問題にならない差であることがわかる。その積み重ねは非常に大きいと僕は考えている。是非みなさんも3パーセントの節約に努めてみたらいかがだろうか。

さて、僕も年来欲しいものがあった。腕時計だ。

携帯電話が普及し、今ではスマートフォン中心の携帯端末であるが、これらには必ず時計機能が付属しているので時計を持っている人は少なくなり、時計をはめる必要もなくなったといえばなくなった。既に近年、時計の役割は時間を知るためよりもファッション、みだしなみということであったが、最近ではほぼほぼファッションとみだしなみのためにつけるといってよいだろう。僕もそうした意味で時計が欲しかった。手元というものは顔の次に人目につくといっていいかもしれない。身振り手振り、手際というように手の働きは人間にとって大きなものであり、その能力は計り知れない。ゆえに綺麗で品のある手でいることは、人として必要不可欠であると僕は考えている。

いい時計は高い。それは当り前のことであり、僕がいい時計を買う財力がないこともまた事実であった。時計に限らずあらゆるファッションアイテムにはそれぞれの歴史と伝統、そしてそれらから派生し、それらを継承するブランドがある。それを文明に生きる僕たちは多少知っていなければならない。それらは人間の進化と文化の発展と深くかかわりを持っているのだ。

時計は男性にとって特に象徴的なファッションアイテムであり、時にはステータスをも表わす。僕も時計には人並みかそれ以上の関心を持っている。(若者なりにだが…)いつかロレックスかフランク・ミュラーの時計を持ってみたいという夢をがある、そんな程度だ。

あまりお金がなくても、せめて時計メーカーの時計が持ちたい!そんな夢を叶えてくれるブランドが「ハミルトン」であった。僕が知っているリーズナブルな時計でいうと、「オロビアンコ」は3万円ほどで自動巻きというのが魅力だったが、なんとなくデザインが若い感じがし、大学生というイメージが拭いきれないのと、5万円くらいは出したいという見栄にも近い欲望があったのでやめにして、「ツェッペリン」はとても魅力的ではあったがデザインが質実すぎて上品さとデザイン性に幾分不満があったので次回以降に再び検討しようということになった。他に時計メーカーではない、アニエス・ベーやポール・スミスなども候補にはあがったが、デザイン性の高さと高級なブランドイメージ、そしてアメリカ発祥という歴史に強く心を引かれたので「ハミルトン」に決定したのだ。やや高級な時計というイメージがあったので手にしたときは大変な喜びであった。

こちらのモデル、「ジャズマスターシンライン プチセコンド (TiC TAC国内限定モデル)」を購入。

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画像ではわかりにくいのだが、時計盤が光りの加減によって褐色を帯びた黒色光沢になったり、銀色っぽくしたりして非常に上品で飾らない美しさが若者でもやりすぎた感じにならない。革ベルトとの色合いもよく調和しているし、数字による時刻表示がチープな印象を与えがちなのだが、同系色による色の混合と反射光によって動きを与えられ、それがデザインと結びついていた。全体的にとても気にいった。素敵な腕時計をして、人と会えば気持ちは優雅になり、どこかへ出かけ、ふと時刻を確認すると人工美に出会うという素晴らしい装置となった。
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知行合一 「何を読むべきか」から「何をなすべきか」へ

「本を読みなさい」、「本を読むことで心を育つ」ということを周りの大人たちによく言われた。「勉強ができても、運動ができても本をまともに読んでいない、読めない人は凄い人ではない」というのだ。それは先生や親によく言われたように記憶している。教育やしつけとして読書を薦めることは常套手段というようなものかもしれない。とにかくそのように言われるほど僕は読書を好まない少年であった。子どもにとって遊ぶことの方が楽しく、おもしろいのは当り前のことであるし、部屋でじっとしていることなど思うだけでもうんざりしてしまうのだ。しかし、「読書を好まない、まともに本を読んだことがない」ということは長年僕のコンプレックスでもあった。ものを知っている友人や読書家とわかる知り合いに対しては引け目を感じずにはいられなかった。僕よりも優れている人間であると。

幸運にも一冊の書物との出会いが僕を読書の道へいざなってくれ、以来文学青年と揶揄されるほどに読書に親しむようになったが、いつの頃からか読書が生活の中心、人生至上の目的となってしまっていた。多読に多くの時間を費やしてきた。読まなかった期間のほうがまだまだ長いに違いないが、それでも自分を律し、戒め、時間と集中力がゆるす限り読書に挑んだ。それは僕にとっては楽しみではなく、修行に近いようなものだった。当然辛くはないのだが。信仰に近いものだったのかも知れない、あるいは読書さえしていれば人生に意味を与えてくれるような気がしていたのかもしれない。とにかく特別な価値があるように思い込んでしまっていたのだ。

「論語読みの論語知らず」という言葉は小学生の頃には耳にしたことくらいはあったろうと思うが、それは教養を求める人誰もが陥るであろう外道であるが、僕もまんまとそれにはまってしまっていたようだ。「知行合一」、陽明学のひとつの命題であるが、多読と文学的、あるいは科学的知識の先に何を実践として行なうのか。これが大きな問題なのである。これは、今までは「何を読むべきか」ということが最大の関心事であったが、ある程度その命題に答えを提出できるような実績を積んで後に得られた命題である。詳細に語ることは場にそぐわないし、大きな労力も必要であるから省くとして、文学をやるしかないのかなという気がしている。やりたいというよりも、論理的に考えれば、その道以外にないように思えるのである。妥協やあきらめ、無理な思考転回を講じればいくらでも道はありそうなものの、不安や苦労が前方に明らかに見えてはいるが、仲間であったり得られつつある実感と自信を基に細かな方向修正をほどこしながら日々を過ごしていきたい。

今の課題は「恋愛小説」とはなにか、作品中で女性を登場させるにあたり、どのような言葉を話させるのか、女性の言動はどのような思考を基にしているのか、そうしたことを解明し、作品として実のあるものをつくれるようにすることだ。そのために僕が手に取ったのは本棚にあった「シェリ」コレット著である。
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高級食材に頼らずともおいしい料理 「よろづや」の夕食


特価プランは食事処での食事が常なので夕食、朝食共に会場は違っていたが食事処でいただいた。お客がまだらだったのは、平日ということもあったろうが、こうしたハイクラスに分類されるような老舗旅館では部屋食を頼むお客が多いからであろう。そのため食事処といえど騒がしいということもなく、配膳のために行き来する給仕さんさえ気にならなければ十分おいしく楽しい食事をすることができる。

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旅館の夕食らしく、食前酒に始まり、お造り、焼き物、蒸し物、水菓子という献立で、食前酒は自家製の濃厚で芳醇な果実の香りが口いっぱいに広がるできばえであったし、お造りは長野県らしく、川魚の信州サーモン、コイ、ヒメマス(記憶が定かでないがおそらく)の三種で川魚特有の臭みもなく、新鮮でよく身が締まっておりわさびの豊かな辛味によく合うほんのりとした甘みを含んでいてどれもおいしかった。川魚でいえば、ワカサギの南蛮漬けもあり、こちらもちょうどいい甘さとすっぱさが衣にしみこんでいた。最初に運ばれてきた膳に続いて、鮎が笹に乗せて焼かれている四角い七輪がテーブルに置かれたときにはあまりの豪華さに驚きと喜びを禁じえなかった。

上杉謙信が遠征にやってきたときに土地の住民が献上したことにその名が由来する謙信寿司と呼ばれる長野県北信地方の郷土料理、笹寿司はカゴにおさめられ、丁寧につくられており、懐かしい味がした。

盛りだくさんな料理の数々に僕はすっかり満腹になってしまい、食べるのに必死で特に印象に残っているものはこうしてその内容と見栄えを書き記すことができたが、それ以外のものは残念ながらおいしかったということしか言うことができない。材料費というものはたしかに、高級食材を使っているわけでもなく、素朴な土地の食材が多いことにより低コストを実現できているのかも知れないが、そのように考え合わせてみてもすばらしい食事であった。
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見えてきた人生の様式 「純粋理性批判」と「月と六ペンス」を手がかりに


「純粋理性批判」(イマヌエル・カント著)と「月と六ペンス」(サマセット・モーム著)を平行して読み進めたことで非常に大きな問いが僕に投げかけられた。人生における決定的な契機が与えられたといっても言い過ぎではないように思っている。

「純粋理性批判」が何を書いていたか、その意味するところは再読したときに丁寧に記すとして、簡単にそれがもたらしたところのものは僕自身の科学的興味の強さの自覚である。文学や芸術、社会的思想というものに関心と行動を向けようと意欲を持ったときに、それまで興味があり歩もうとしていた科学の道は諦め、断念したつもりであった。僕はもう科学には未練がないし、科学は優れた思想の元で役だつのであって、それがしっかりと育っていなければ科学は人類にとって危険な武器となると考え、思想に力をいれるべきだと考えた。そして僕は科学から遠ざかったのだった。

趣味的な好奇心から「相対性理論」や「量子論」、「標準理論」などの物理学、「ポアンカレ予想」や「オイラーの公式」などの数学についての読み物があれば手にとって読むことはあった。けれど、実際に自分の手を動かして取り組むということはすべきでないことはわかっていた。安直に手出しすべき種類のものではない、人生を賭けるにふさわしい、まさに学問の世界だからだ。

そうしたぼんやりとした危険領域にはっきりと規制線を張ってくれたのがカントだ。可能的経験を超えるものは不可知であるとして、なんらの認識も得ることができないということを証明してくれたのだ。自分に与えられた能力と時間、環境を批判することで、自らを制限するということは思いのほか重要なことである。

宇宙の誕生や宇宙の外側というような、未だ不可知ではある概念もひとつひとつ持ち上がる理論的矛盾を解消させていくことで思弁的に証明はできる。哲学は万能であるということを改めて今回の読書体験によって感じさせられた。

「月と六ペンス」に関しては、やはり芸術家と芸術の性質、現実の文明生活に対する懐疑的姿勢を学んだといえると思う。ブログに取り上げた箇所も多くあった。特に生活環境というものについて人間の本来の機能と自然との関わりあいというものを考える必要があるということに気づいた。やはり僕たちは自然の中で生きるべきなのである。というのも、自然のものを呼吸し、消化し、吸収すれば生きられないからだ。僕らは残念ながら火を食べることも、電気を飲むこともできないのである。そこから仕事というものを考えてみれば、もう少しこの問題に楽に取り組めそうな気がしている。お金というところから仕事を考えるよりも、原始生活におけるところの仕事の意味するところ、すなわち環境の中で生きるための生業―そしてこの環境は自らの手で大体は与えることができる自由殿あるもの―として考えるのだ。

暮らす環境、知的好奇心の充足、芸術活動および社会的運動、これらを成り立たせるためのエネルギー源を獲得するための仕事。こうした様式が見えてきたことは大きな収穫となった。
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珍しいヒノキのジャグジー 「よろづや」東雲風呂


豪華で和モダンなロビーを始め、館内は古さを感じさせず、清掃と手入れが行き届いているという印象だった。部屋も改装されたのであろう、外観から推し量るよりも清潔でさっぱりとしていて近年に建てられた旅館客室といった感じであった。部屋は底値プランという非常にリーズナブルなものを選んだ兼ね合いからもっとも小さい10畳のものであったが、洗面所とトイレがちょうどいい空間につくられていてとてもよかった。また利用したい。

到着すると早速、旅の疲れと緊張の解放を望んで風呂へ向かった。途中廊下に、歴史ある「よろづや」ならでは、同館の歴史の紹介とそれにまつわる物品の展示があった。

風呂は男女入れ替え制になっており、夜まで重要文化財の「桃山風呂」が女湯となっていたため、男湯は東雲(しののめ)風呂だった。

spa_4_01.jpg(HPより)

内湯はかなり熱めで泉質を感じることが難しく、身体を温めて早々にこちらの露天風呂に出た。雪舞う中入る露天は寒さも疲れも忘れさせてくれるほどに僕を現実から離してしまった。ヒノキのジャグジーは温泉ではめずらしいので一浴の価値はある。けれども、理想と現実はやはり違うもので、外気が寒く、ほっこりとした幸福感に充たされるには無理があった。
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人生の意味と目的 自由と愛

だが、果してエイブラハムは一生を台なしにしてしまったろうか?本当に自分のしたいことをするということ、自分自身に満足し、自分でもいちばん幸福だと思う生活をおくること、それが果して一生を台なしにすることだろうか?それとも一万ポンドの年収と美人の細君とを持ち、一流の外科医になること、それが成功なのだろうか?思うにそれは、彼が果して人生の意味をなんと考えるか、あるいはまた社会といい、個人というものの要求をどう考えるか、それらによって決るのではあるまいか?   『月と六ペンス』より


僕はいったい何がしたいのだろう?ブログを書きながら常に僕は自問自答し続けた。意識下で欲望があるのを感じていながら、その対象と内容とが不透明なのだ。人間万事心の持ちようと思っているが、人生の意味、生きる目的が大事であって、それがなければいくら強靭な精神力や自制心があろうともふさぎの虫になってしまうばかりで、一向生活の活力など見いだせまい。なるほど社会や時代はそうした迷える子羊に陥らないように生き方を示してくれる。何も考えず、悩まず、人生を見つめずに与えられた価値観を自分のものとして生きていけば何の問題もないはずだ。心の平安は宗教によっても保たれるであろう。しかし、僕は老獪になりすぎたのだろう。僕だけに限らず現代人は老獪になりすぎた。あらゆる甘い味を知り、僕は自由という蜃気楼を追いかけているのかもしれない。そして愛。自由は勝ち取るもので、愛は与えた末に、もたらされるもの。双方とも不確定なものだから、求める意義はあるだろう。しかしそれには僕はあまりに弱い存在だ。
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老舗の品格 湯田中温泉『よろづや』

長時間のドライブ、そして窓外に深々と降り積もる雪。この日は寒波が襲来していて、一層冷えていた。チェックイン時刻までまだ30分くらいあったものの、随分気もすり減っていたし、如何せん路面状態が悪く下手に動き回るのも危険を伴いそうだったので、「よろづや」の玄関先に車を停車して、さてどうしようか。と考えていると女将さんが声を掛けてくださった。

「ご宿泊のお客様でございますか?」と丁重な挨拶。

はい。といって名前を伝える僕。するとチェックイン前の時刻―予約しておいた予定時刻ではなく、チェックイン可能時刻―にもかかわらず快く館内へ案内してくださった。

E03328_01.jpg(JRサイトより)

京都 福寿園のお茶「伊右衛門」と言いたくなる濃抹茶色の暖簾が掛かる玄関は実に渋く、白字で「創業寛政年間」、「萬屋 傳藏」とあり、中央にはよろづやのよろづやのシンボルマークが記されていた。なんとも老舗の風格を感じられる門構えであった。しかし簡素な千鳥破風となっている玄関屋根や同型の部屋が均一に表向きで並んでいるところを見ると不安を覚えずにはいられなかった。というのも、老舗に欠かせない重厚さを感じられなかったのだ。

ただし、その点「よろづや」は気が利いていて、価格帯によってファミリー向け「アネックス湯楽庵」と高級感満載の離れ「有形文化財 松籟荘」も敷地内に備えていて、お客さんのニーズにもばっちり答えているのだ。

そしてこの暖簾をくぐって観音開きの手動ドアと自動ドアとを抜けてロビーへ入るといかにも驚いた。

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広々としていて、柔らかな光りが落ち着いた雰囲気をかもし出していて、高い天井を見上げると格子状になっていてしかも、折上げになっている技巧を凝らしたものとなっている。老舗らしく一面が絨毯で木造であるのに、モダンさを兼ね備えていて古びた感じが全くしない秀逸なものであった。

当然のことながら先客のいないロビーに通され、お茶とお菓子の用意をされたときにはただただ安堵した。もちろん心づかいがありがたく、二階ロビーの数々の調度品あるいは装飾品はどれも品がよく素晴らしかった。とくにロビーだけでなく館内のあちこちで見かけた花形に折られた和紙の笠から淡い光りの洩れるランプはいいようのないくらいのものであった。
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無経験は恐ろしい


予想していた通り、信州中野ICからチェーン規制になっていた。道路に雪は全く残っていなかったし、雪が舞うということもなかったのでハラハラしながら旅の当日を待った身としてはすっかり拍子抜けで、ノーマルタイヤでも全然来れたなーとそのときは思った。ただ、志賀高原の方角に目をやると厚い雪雲がかかっており、山腹から次第に雪が多くなっているのがわかり、麓の町もすっかり雪化粧しているのが確認できた。それでもイメージでは湯田中温泉はそれほど山には近くないと思っていたのでさほど不安に思わなかった。

インターチェンジを降りて10分と経たないうちに周りの様子は一変した。それまで路上に全くといっていいほど雪は残っていなかったのに、突然アイスバーンが行く手に現われたのだ。雪まで舞い始め、すっかり銀世界の入り口といった様相でハンドルに力が入った。

行き交う車は平然と、緩やかなスピードで思い思いに道を進めていたがそうした市街の凍結した道路を走る経験のない僕は恐る恐る、秩序を乱さないように慎重に走り、停止するときはポンピングブレーキで追突だけはぜったいにいけないと最新の注意を払った。停止線や車線は雪に埋もれて見えず、不安が募った。

ある交差点で「さあ発進」とアクセルをゆっくり踏むとかすかな抵抗とともに車輪が空回りして前進することができなくなった。「しまった!氷の凹みにタイヤがはまったんだ!」と焦りに全身をとらわれ、いやな汗が出てきてしまった。

冷静になって、ローギアにいれてからもう一度発進すると苦もなく脱出に成功することができた。四駆であるし、一応雪用タイヤを履いているのだから、しっかりとした運転をしていればそれほど危機的状況に置かれることはないというわけだ。

それでも恐怖を完全に拭い去ることはできず、いつ滑るかしれないという状態で、案内の道はどんどん山へ向かっていくし、雪深くなっていくから気が気ではなく、どうか無事着きますように!と願うばかりだった。

無経験というものは恐ろしいものだ。不安の度合いというものを調整することができないのだ。一度渡ったことのある吊橋は平気で再び渡ることができるが、一度も渡ったことない吊橋は必要以上に注意を払ってしまうものだ。

登山口に程近いと思われる「湯田中温泉街」に到着すると、今回の宿り『よろずや』は温泉街でも上部、奥の方にあり、裏小路の先にその建物が見えた。
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誰もが現状に満足できない


「ちょうど僕がね、甲板洗いをやってるときだった。誰だか突然、ほうら、あれだと言ったやつがある。ふと顔を上げてみると、この島影さ。僕は即座に思ったねえ、これだ、ここだ、僕が一生探(たず)ね歩いていた場所は、とね。そのうちに近づいてみると、なんだか僕にははじめての場所だという気がどうしてもしない。僕はね、今でもこの島を歩いていると、故郷のような親しさを感じてくることがある。そうだ、たしかに僕は前にもこの島にいたことがあると、そう言いたくなるのだ」   『月と六ペンス』より


これは主人公チャールズ・ストリックランドが言ったとされる言葉である。

冷酷非道、孤高のエゴイストとして描かれる彼のこの場面での活き活きとした感情は読者に崇高な情感を引き起こさないではおかないだろう。

純粋で素直な感性によって認識することのできる、魂と世界との呼応がここには描かれているのだ。

人間の中には、ちゃんとはじめから決められた故郷以外の場所に生れてくるものがあると、そんなふうに僕は考えている。なにかの拍子に、まるで別の環境の中へ送り出されることになったのだが、彼らはたえず、まだ知らぬ故郷に対してノスタルジアを感じている。生れた土地ではかえって旅人であり、幼い日から見慣れた青葉の小道も、かつては嬉々として戯れた雑踏の町並みも、彼らにとっては旅の宿りにすぎないのだ。肉親の間においてすら、一生冷たい他人の心をもって終始するかもしれないし、また彼らが実際知っている唯一のものであるはずの風物に対してすら、ついに親しみを感ぜずじまいで終わってしまうという場合もある。よく人々がなにか忘れがたい永遠なものを求めて、遠い、はるかな旅に出ることがあるが、おそらくこの孤独の不安がさせる業なのであろう。それとも心の奥深く根差す隔世遺伝とでもいうべきものが、旅人の足を駆り立てて、遠いはるかな歴史の薄明時代の中に、彼らの祖先たちの捨てて行った国々を、ふたたび憧れ求めさせるのであろうか?ときには漠然と感じていた神秘の故郷をうまく探ね当てることがある。それこそは求めていた憧れの故郷なのだ。そしてむろんまだ見たこともない風物の中、また見も知らぬ人々の中に、まるで生れた日以来、そこに住みつづけていたかのような心安さをさえおぼえる。そして、そこにはじめて休息を見出すのだ。   『月と六ペンス』より


モームはこんなふうにストリックランドの抱いた感情を説明してくれる。モームの優れた心理分析とその描写、そしてストーリーテラーとしての力量が遺憾なく発揮されている。

心が肉体に対して少なからず不服であるのは仕方のないことではあると思うし、誰しも注意深く自分の感覚を調査してみればおそらくそうした事実を見出すことと思う。

続いてもっと大雑把な感覚を調べてみると、やはり窮屈さや違和を感じていることを発見する。すなわち肉体が衣服であったり、家具、住宅などにそのような不満をおぼえるのである。

もっと拡げてその身を置いている環境、つまり生活や暮らしを省みるとやはり不足を感じていることに気づく。人それぞれ度合いはあれど、こうした自分自身についての不満がある。それに対して人は愚痴をこぼしたり、仕方がないとあきらめたり、もっともらしい理由をつけて納得をしてみたり、哲学や文学に助けを求めたり、没頭に忘れたり、旅に出たりするのである。

僕自身が典型的なこうした、不満不服に充たされた人間なのである。現在に幸福を見いだそうとしながら、現状に満足できないのだ。自分の満足のいくような土地を探し、自分の満足のいくような暮らしを見つけ、自分の満足するような仕事をすること。そして、自分の満足するような人生の意義を見出すこと。漠然とそうしたもののために毎日があるように感じている。好奇心とは、自分の理想を発見するために僕たちに備わっている機能なのだと思う。たくさんのことを知れば、それだけ僕たちは選択の幅を得ることができるわけだ。すぐにそれが見つかる人もいれば、なかなか見つからない人もいるだろう。しかし、探し続けなければいつまでたっても自分の満足な人生にはたどり着けないに違いない。
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信州サーモン ほのかな味わい 姨捨SAにて


姨捨SAの善光寺平を一望できる立地もさることながら、ガラス越しにその景色が広がるレストランに一押しメニューがあるので紹介したい。

サービスエリアの食事はレストランといえどおいしいとはいえないというのが常識であった。それも当然で、出来合いとまではいかないまでも、高速道路上ということもあって、冷凍ものを使わざるをえないであろうし、新鮮な食材を提供するということは物理的に難しく、また消費者のニーズも早く、安くという方向に偏っているため、おいしく、見た目にも鮮やかな、手の込んだ料理というわけにはいかない。ところが、前述したように地元食材を使ったメニューや工夫された一風変わったアイデア料理というようなものが提供されるレストランをサービスエリア内で目にすることが増えた。この姨捨SAにも、そういった食欲をそそられるメニューがあった。

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こちらの「信濃の華丼」だ。

まずネーミングから工夫とこだわりが感じられ、コンセプトもお客目線に立っていることが伝わってくるので素晴らしいと思った。

鮮やかな朱色の長野のブランド魚、信州サーモンと上品に盛られた長野市松代産の長いもが使われたどんぶりに、こちらも地元食材を使った野沢菜の天ぷら―こちらは初めてだったが、さくっとした食感に味の染みた野沢菜の程よい弾力が絶妙で塩をすこしつけると一層うまみが増す―、なめこの味噌汁、お漬物という丼膳であった。

なめこもひょっとしたら信州産のものか?味噌は信州味噌?という期待と疑問を抱いかないではいられなかった。

お漬物は定番の野沢菜漬けに小きゅうりのから味噌漬け、焼生姜という善光寺みやげとしても売られていて、SA内のおみやげ店にも販売されていたものの三種でどれも特徴的な味でありながらおいしい味付けであった。

このようにSAでの食事にも地元の食物が多く使われるほど気候、土壌に恵まれた長野県には豊富な食材がある。とりわけ、今回食した信州サーモンには僕は強く興味を引かれた。なぜなら、これは長野県水産試験場が開発した人間の手によってつくられた養殖品種であり、僕たちが食べるのに適した、もっと言えば食べるためにだけつくられたスペシャルフードというわけだからだ。

開発の過程や特性、技術に関しては触れず、ここではその味わいについて少し書きたいと思う。

信州サーモンという名称からサーモンの味を想像してしまうが、サーモンほど肉厚で柔らかとはいかないが、この魚は淡水魚であるから、川魚として食べるとまったく筋っぽくなく、うまみに直結するような弾性を感じられる。川魚特有の臭みもなければ、クセもない、思いのほかあっさりした味であった。ほのかに風味があるのでおいしいという印象を持ちやすいと思う。僕はとても気にいった。

ぜひ、長野県を訪れた際にはご賞味あれ。
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「僕たちはどう生きるか」

世間にはいわば慈悲深い神様の命令で、明らかに一生独身生活を規定されている人間というものがいる。それを彼らは、依怙地からか、それとも自分ではどうにもならない周囲の事情からか、とにかく真正面からこの命令に反逆してみせるのだ。だが、およそ世の中に、妻帯の独身男というものほど哀れなものはない。   『月と六ペンス』より


今から7年ほど前に「結婚できない男」というテレビドラマが放送されていて、普段それらを見ない僕であったが、そのタイトルが実に自分と関係が深いという気がして毎週欠かさず見ていた。阿部寛演じる結婚できない男の暮らしぶりに思わずうなずいてしまうところが多々あったのを今でもおぼえている。たとえばクラシック音楽鑑賞が趣味で指揮の身振りをするシーンがあるのだが、それはほとんど僕自身に当てはまって、わざわざレコードプレイヤーでベートーヴェンの交響曲をかけ、自らのイメージで指揮し、歓喜に至る。これは僕の楽しみの一つである。

結婚できない男というのはモームのいうように性格的に分類できるものだと思う。特徴の一つは上に挙げた例にも表れている「自分だけの世界を持っている」ということである。これは誰にも―家族、友人、たとえ恋人にすら邪魔されたくない確乎たるものだ。僕は一日の大部分を自分だけの世界で過ごしたい。読書をしたり、音楽を聴いたり、散歩をしたり…。けれども弱く哀れな人間であるからずっと一人ぼっちでは寂しくなる。すると話し相手の一人や二人欲しくなる。一人で食事をするのも悪くはないが、気の置けない人との食事はやはり楽しいものだし、人肌が恋しくなる季節だってある。孤独が好きというわけではなく、要するに自分勝手な気分屋なのだ。独身には許されても、妻帯者には許されないのはまさに、この自分勝手な気分屋、僕の概念でいえば放浪気質だ。

しかも厄介なことに、僕は今もこれからも金銭的な余裕を持たないであろう。すると必然と家庭を持ち、家族を養うということは不可能とはいわないまでも難しくなる。結婚は動物的な役割に基づく社会契約であるから、理性的自然世界探求というようなものを人生を通してやっていきたいと考えている人間にそもそもその資格はなかろう。僕に結婚を求めることをばかばかしいことだと誰もが思うに違いない。

ところで、今の社会にとって結婚とはなんであるかということは考えてみる必要のあることだろう。女性の進出、新銀の低下、寿命の伸長など僕たちを取り巻く環境は日々変化していて、しかもその進化は自然に反して文明化、社会化が進んでいる。しかし社会の制度や構造がいくら進歩したところで僕たちの肉体―肉体的な成長というものがあれば、それは今のところ、社会や文明の成長に比べると遅れているといえる―には時間的な制限がある。つまり、人生をマネジメントする上で、結婚できる、できないという分類の前に、結婚するか、しないかということを人生の早期の段階で決断しなければならないというわけだ。それも従来の社会的な進路―教育、職業訓練、就職は結婚を既に前提とし、物質的国力強化のための枠組みであったが―結婚から派生する子どもはその要因でもあった―、バランスが崩れた今、そしてその前提や目的に欠陥と疑問が見いだされるようになったがゆえのことだ。

僕たちに必要なこと―、まさにそれは「僕たちはどう生きるか」ということなのだ。
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古くからの暮らし向き 善光寺平

狭い国土に縦横に張り巡らされている高速道路。その数と距離は今も増え続けていて、僕の地域だと東海北陸道という随分、高山や北陸に抜けるのに便利な高速道路は割に近年開通し、新東名高速道路は今後距離が伸ばされるようであるが、三年ほど前に開通している。伊豆縦貫道であったり、あるいは山陽と山陰を結ぶ高速道路は今後徐々にできていくことであろう。知らないだけで全国に着々と計画が進んでいる高速道路がいくつもあることは想像に難くない。これらは単に利便性を追求しているのではなく、たとえば新東名高速道路が地震や津波などの災害時あるいは緊急時の代替路、避難路・輸送路としての役割をも持ち合わせているように安全や安心のためであったり、あるいはサービスエリアが地域色やショップや食事面での充実によって新たな付加価値を持たせているなどといった具合でさまざまに発達している。

今例に挙げたサービスエリアであるが、従来のサービスエリアはそれ自体が目的となることは考えられないというほどにサービスが充実していない。食事はおいしくないし、ショップもありきたりのおみやげと軽食や飲料が調達できるというくらいものもなのだ。長時間の運転に疲れ、やむなく休憩に立ち寄るに過ぎない場所だから無論それでいいのだし、当然そうなるに決っている。しかし、サービスエリアは変貌したのだ。サービスエリア限定のメニューや商品が並び、地元食材を使った、あるいは地元の有名店がフードコートやレストランで料理を提供する。コンビ二も隣接されていたりして生活や旅に必要な一通りのものが手に入れられる。結果、人々でサービスエリアは賑わい、目的ともなり、退屈な旅の途中に楽しみとやすらぎを与えるまでになっている。

この湯田中温泉への旅の途中に立ち寄った『姨捨(おばすて)サービスエリア』がことさら素晴らしかったので紹介したい。

サービスエリアとしては小規模でレストランが一つ、小さなフードコートとその隣におみやげの売店スペースがあるだけだ。ところがその建物横に手入れされた広場があって、鉄柵の向うに筆舌につくし難い景色が広がっていたのだ。

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島崎藤村に詠われた千曲川が緩やかに折れ曲がって音も立てずに流れ行く。雲は軽く日差しはくすんだ。古くから善光寺平と呼ばれる長野盆地が澄んだ空気で鮮明に姿を見せる。人は山ではなく平地に住むから自然、人が集まる。街ができる。隣り合う千曲市と長野市は県内でも指折りの都市なので盆地は山にかこまれた要塞のようである。他と競うことなく善光寺を中心として古くから伝わる暮らし向きが感じられる素敵な風景。
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社会も科学も文明も未熟

東日本大震災で不幸にもその尊い命を失ってしまった方々にご冥福をお祈りいたします。そして少しでも早くその遺族の方々、被災された多くの人たちの心の傷が癒え、奪われた日々の平穏な生活が元の通りに近づくことを願っています。

遅々として進まぬ復興とは三年前から言われ続けている言葉である。そしてそれはマスコミによってテレビを通して伝えられる、被災者ではなく、直接の支援者でもない、復興の現状に触れる機会を持たない人々にとっては実感のない空虚な言葉である。マスコミが取り上げる問題点や現況について僕たちは感想だったり、意見を持つに過ぎず、それは直感的かつ皮相的なもので今ひとつ信念の欠けるものとなるだろう。それは実際にボランティアや寄付金の激減という形で如実に表れていると思う。

この復興という言葉は実におもたい。前提として大変な労力と時間を要するということを含んでいるのだ。一人の人間の力では到底及ばない、多くの人の協力、そしてそれをエネルギーに直結させるシステムがなければ実現できない苛酷な道のりである。つまり復興は社会の根本原理に則って進められるべきものであり、社会構造はそれを迅速かつ確実に成功させるようなものではなければならないということがいえる。進まぬ復興とは現状の日本社会の根本原理と構造がいまだ未熟であるということを示しているのである。

政府の対応、政策の不十分、東京電力の後手後手の事故処理、ボランティアや寄付金の偏りや不適切な活用、経過に伴うそれらの不足、従来の自治体単位の地震・津波対策の不備(ハザードマップの質や防波堤などのインフラ)、住民の平生からの危機管理、あるいは意識の低下というように、細かく見ればまだいくらでもあげられるであろうこれら進まない復興の要因がある。だが、僕はあえて、三年経ったこともあって、感情的ではなく、幾分冷静にかつ論理的に考えてみた。そしてもっと根本的なところに一つ原因を見いだした。

日本国民は誰もが自国が地震大国であることを十分承知しているし、これまでに三陸沖のみならず、関東、近畿、東海の都市や海岸地域を襲った大きな地震が幾度となく起ってきたことをも把握している。歴史や経験上、地震が起こりやすい場所や周期は―地震の性質上確実にとは言えないが、推測することができる。今回の東日本大震災も、三陸沿岸地域ではいつ地震が来てもおかしくないと長らく言われていたのだそうだ。来る、来るといわれてなかなか来ず、突然来るのが地震であり、地震、雷、火事、親父といわれる恐れるべきものの由縁でもあるだろう。また、資料によると100年くらい前の明治期にも規模の違いこそあれ大きな被害をもたらした津波が到来したようである。そうした経験から被災地域には住民に対しての注意を喚起する石碑もあるようだ。

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大津浪記念碑
 高き住居(すまい)は児孫(こまご)の和楽(わらく)、想へ(おもえ)惨禍(さんか)の大津浪(おおつなみ)、此処(ここ)より下に 家を建てるな。
 明治二十九年にも、昭和八年にも津波は此処まで来て部落は全滅し、生存者、僅かに 前に二人後ろに四人のみ 幾歳(いくとせ) 経る(へる)とも要心あれ。


たとえ元の通りに復興できたとしても、間違いなく津波はやってくる―ひょっとしたらそうした直感のようなものが働いて復興が進まないのではないかとも思える。人智など自然の前には無力だ。どれほど巨大で高い技術によってつくられた防波堤でもひとたまりもないことを今回知ったはずである。社会も科学も文明も未熟なのだ。三陸沖は海産物の資源に恵まれているから人々はそこに住む、あるいは便利さや土着ということで住むのかも知れないが、やめるべきではなかろうか。ふるさとを失うことは悲痛なものであるに違いないが100年に一度ということは全く意味を持たない。その時代に生きる人々にとっては現実、いつか現実になってしまう世代がいるのである。多くの人が経験した悲しみ、費やした労力をまた文字通り流してしまうのか。もしかしたら、何度も津波を経験していくうちに、三陸地帯は徐々に地球の働きによって失われていくということも考えられなくはないし、感情をさしはさむべきところではないのではなかろうか。三陸地帯に限られたことではない、関東大震災をかつて経験した東京、なぜ都市計画と科学技術によって被害は抑えられると考え、平気で住んでいるのだろう。確かに最小限度に防げるかもしれない。起ってみなければわからない。でも僕はそうしたギャンブルに人生を賭けるのは間違っているのではないかと思う。
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性による自己嫌悪


ストリックランドにとっては、性欲は彼の生活のほんの一部分にしかすぎなかった。少しも重要なものでないばかりか、むしろ荷厄介でさえあった。彼の魂の目的は、もっと他にあった。なるほど彼は、激しい欲情の持主であった。そして時としては、欲情が彼の肉体を領して、肉欲の狂歓に我を忘れることもある。だが、それにもかかわらず、彼の自制力を麻痺させてしまうそうした本能に対して、彼は激しく憎悪した。あるいはさらに彼の放恣に欠くことのできない相手の女をすら、むしろ強く憎んでいたように思う。一度自制力が返ってみると、現にいま欲情を充たしたその女の姿に対してさえ、激しい身慄(みぶる)いを経験した。そのときは、すでに彼の心は静かに天上に遊んでいるのであり、相手の女に対して感じる彼の嫌悪感は、いわば色美しい蝶が、花のあたりを舞いながら、彼自身が勝利感をもって脱け出してきたばかりの醜悪な蛹(さなぎ)の殻に対して、激しい嫌悪を感じるのと同じである。僕は思うに、芸術とは結局性的本能の一つの現われであり、人々の胸の中に、佳人の艶姿が呼びさます感動も、月夜のナポリ湾によって起されるそれも、はたまたあるいはティツィアーノの『埋葬』によって起される感動も、結局は同じ感動にすぎぬ。考えようによっては、ストリックランドが正常な性の解放を憎んだのは、それが芸術的創造衝動の満足と比較して、あまりにも動物的であるというのが理由だったかもしれない。残忍で、利己的で、動物的で、肉欲的な一人の人間を描きながら、いまさら彼を偉大な理想家だなどというのは、実際僕自身にさえ異様に響く。だが、事実はいかんともすることができないのだ。   『月と六ペンス』より


性欲―特に情欲―がなかったら僕はどれだけの人生を有効に使えるのだろうかと思わないではいられない。それは人間の三大欲求に数えられるほど強いものであり、生涯にわたって、ほかの二つ―睡眠欲と食欲―とともに増減はあるものの蓄積と解消、あるいは欠乏と充足を繰返す。しかし、この性欲に限っては抑制することによって解消されるという性質がある。つまり我慢することで欲望に対する充足ではなく、解消という処理を行なうことができる。そういう側面があるからこそ自制力を麻痺させられ、肉欲の狂歓に我を忘れての解放と充足にいたると、自制力が戻って強い嫌悪感―時間の浪費とそのエネルギーを他に向かわせるべきではなかったかという後悔、打算的な利己主義の疑い―を抱く。だから僕は性欲の対象としてよりも、いわば造形美の対象とでもいうような、自然の造りだす有機体として女性を求めたい。その曲線やしなやかさ、質感ややわらかさなど、それらは美しさと心地よさの象徴なのだ。

こう考えてみれば、なるほど芸術とは結局性的本能の一つの現われという解釈は得心がいく。そして僕はこれに好奇心と自制心、悟性と理性による世界の究明という欲求を加えたい。簡単に言えば、芸術と科学への探求である。これは特に男性にやはり特有なものだといわなければならない。女性は、理性、悟性、感性と人間の認識を分割するならば、そういう意味での感性を磨く、あるいは正確に用いることに関心があるといえる。色彩や味、雰囲気、感じ、言葉というものから行動の動機、あるいは欲望を得るのだろう。いずれにしても理性と悟性の発達した動物というべき男性、感性の発達した動物というべき女性という風に区別ができそうだ―差別ではなく、あくまで区別だ。そしてこの区別によって男性が時として持つ、性による自己嫌悪も説明できるように思う。
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願ったり叶ったりの温泉地 「湯田中温泉」


日増しに春の訪れを感じる昨今であるが、時候はずれの僕の回想に少しお付き合いいただけたらありがたい。

今年の冬は寒かったとは日本国民のほとんどが思うところであろう、それほどに各地の大雪の報がテレビから伝えられていた。普段あまり雪の降らない僕が住んでいる地域も何度か雪化粧をした。雪が降れば子どもが喜ぶというのはいつの時代も同じらしく、僕も幼少の頃は胸弾ませた記憶があるが、雪の楽しみは子どもだけのものではない。僕たち若い世代の学生や若輩社会人の多くもウインタースポーツ、スノーボードやスキーのシーズン到来の喜びとともに友人らとの休みの調整と用具の準備やメンテナンスに余念がない。僕自身も年に1、2度それらを楽しむが、窓外で雪がちらついているのを見ると温泉の雪見風呂にたまらなく入りたくなる。僕にとっては寒い中入る温泉が冬の最高の楽しみなのである。

とはいっても、どこでも雪見風呂ができるわけではないので、それなりの下調べが必要だ。温泉地は数多くあれど、たまにしか雪の降らない平野部の温泉に行くよりかは冬は雪に覆われる雪国か雪山へでも行ったほうが雪に遭遇できる確率が高い。けれども雪国出身ではない僕にとって雪道の運転は心もとないし―スタッドレスタイヤではなくオールシーズンタイヤを装着した車だったのであまり苛酷な路面状況では危険が伴ったのでガチの、いわゆる豪雪地帯は避けることにした。いける範囲内にある雪山や雪国というと、福井、金沢といった北陸と長野と岐阜の山間の温泉であった。宿の価格、温泉の質、そして今までの入湯歴などから厳選すると、大体しぼりこまれた。

ちょうど去年、スノーボードをしにはるばる志賀高原まで行く途中、案内板に記された「湯田中温泉」の白字が僕の興味を引いた。周りは銀世界、行く手には志賀高原を擁する山々が真っ白く浮かんでいてまさに雪国であった。温泉地として有名としてその地名は聞き知っていたし、「湯」の文字のある温泉地は歴史と信頼の証しであると僕は考えているのでなおさらだったかもしれない。当時、「帰りに温泉で一泊してのんびり帰って来たい」と切に思ったが、その実現に今回踏み切ることにした。

最寄の信州中野ICから30分ほどのアクセスで雪道に対する不安も軽減されたし、チェーン規制もほとんどがその先から始まるようだったので、雪国への入り口というような願ったり叶ったりの温泉地というわけだった。
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男にとって女のいない世界は絶望的なものだろう


小説などというものは、結局、絵空事にすぎぬ。というのは、通常男の生活にとって、恋愛ということは、要するにさまざまな一日の仕事の中の、ただ一つのエピソードにしかすぎないのだ。それを小説がさも重大に誇張するのは、いわば虚偽である重大性を与えているにすぎない。その男の生活にとって、恋愛が最も重大な事件だなどという、そんな男はめったにいるものでない。いれば、たいていくだらない人間に決っている。恋愛こそ至上の関心であるといわれる女ですら、そうした男を軽蔑するのだ。なるほど、彼女たちはいい気持になり、興味をそそられるということはあるかもしれぬ。だが、それにしてもなお、そうした男が、なにかつまらない人間だという不安な感情は免れない。男というものは、現に恋愛中である短い時間においてさえ、なお他に心を紛らす仕事をしているのだ。生計を立てている商売のことも気にかかろうし、スポーツに熱中することもあれば、芸術に興味を感じることもある。多くの場合、彼らは各方面にわたってさまざまの活動をつづけている、そしてある一つの興味に、しばらく他のいっさいを忘れることができる。現にいま興味の中心となっている事柄に、すべての関心を集中するということ、それが男にはできるのだ。そしてそんな場合、互いに興味が侵し合うことは、もっとも彼らを退屈させる。恋人としての男女の差異は、女が四六時中恋愛ばかりしていられるのに反して、男はただ時にしかそれができないということだ。   『月と六ペンス』より


古今を問わず、小説や映画、舞台に至るまでそのほとんどにラブストーリーが挿入されていることに大半の鑑賞者は気づくだろうと思う。ある友人はいみじくもラブストーリーを描かなければ物語とはいえないといった。僕の好むところの古典でいえば、アンナ・カレーニナや若きウェルテルの悩み、オネーギンなど数えればきりがないほどラブストーリーがメインの作品が多くある。これらに登場する恋する男たちは―大概恋する女がひどく感情的でそちらの描写に主眼がおかれるが―生活に余裕がある、日々何をして生きているのかわからない、脱社会的な人間である。ヴロンスキーやウェルテル、オネーギンなどは本当に最たるものだろう。貴族社会だからこそありえた―僕らにはそう思える、社交界へ出入りしてそこで起こる恋愛沙汰など取るに足らない、人々の暮らしのある特殊な一部分にすぎない。男というものはいつの時代も変わらないのだろう、若い時代はそうした恋愛のために働くことをはじめとして、日常の時間を費やしているのだ。金を稼げば、女に直接にも、女の気にいるようなファッションや知識を得るために間接的にもつかっている。女の場合を考えてみると、対象は男ではない。己の感情が対象である。おしゃれをしたり、おいしいものを食べたりするために働いたり、時間を費やしている。それは本能的には異性に対してのものに違いないのだろうが、それは彼女らは意図していない。こうしたちがいを僕自身は感じている。

男にとって女のいない世界は絶望的なものだろう、彼らは―僕らといったほうが適切か―対象がないことには意欲がわかない、しかし女が男のいない世界に生きていたとしてそれほどの絶望は感じないだろう、楽しみや刺激は減じるにせよ、咲く花や青い海は美しく、気持ちを解放してくれるだろう、だが僕たちにとって花を贈る女、一緒に海を眺める女がいないのだとしたら、美しい花や海がどんな意味を持ちえるだろうか…。

絵を描くか、詩でも書かなければ到底やりきれないにちがいない。
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芸術の偉大さを身をもって感じられる  印象派を超えて―点描の画家たち 


「印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで」と題されたクレラー=ミュラー美術館のコレクションを中心とした企画展が東京、広島に続き、開催地最後となる名古屋で始まっている。印象派という言葉にめっぽう弱く、ゴッホを愛してやまない僕としては当然強く興味を引かれるものだったので今日、電車ではるばる出向いた。

インターネット上に画面印刷により有効となる割引券(100円引き)と点描にちなんで水玉模様のものを身につけての来場で100円割引というサービスがあって―おそらくどちらかひとつのみ有効だが、特に後者の方はおもしろみがあっていい。僕は偶然、お気に入りのドット柄のフレッドペリーのジャージ上衣を着ており、予期せぬ割引に喜びもひとしおだった。

入場とともに飛び込んできた、こちらのフィンセント・ファン・ゴッホの作品、「レストランの内部」はゴッホらしい質感のある筆致の客席のしつらえと分割主義的傾向を示す空間を限る壁面の点描が独創的な世界をつくりだし、またそれらがメリハリとなっておもしろさを付与していて、優れた作品であった。

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印象についての上記に分割主義の語を用いたが、僕自身、館内の解説にて初めて知った概念だ。おそらく新印象派と同等に考えていいように思うが、印象派にその萌芽を見いだせる、絵具をキャンバスに塗るのではなく、リズミカルに叩くというような描法によって画面が細かく分割されているところからこういわれる。印象派はこのような描法によるある意味の曖昧さによって移り変わる自然の風景、光の動きをとらえることに成功した。続く新印象派は光や自然をとらえることよりも色と色彩効果を追求し、色彩的な美しさを表現しようとした。ただし、分割主義は印象派、新印象派だけでなく、抽象画の一部をもその定義の内に持つ。この抽象画の一部を担うのが、この企画展でも強調されているモンドリアンである。

企画展に戻って、印象派を超えてとあるように、内容は印象派からゴッホなどのポスト印象派、スーラなどの新印象派、そして最後にその帰結としてモンドリアンで締めくくられる。簡単に総括してしまえば解説も充実しており、絵画の予備知識が乏しくても芸術の辿った流れがわかりやすくなっていて、十分楽しめるものとなっていたのはすばらしかった。

分割主義の根幹ともいえる点描といえばジョルジュ・スーラというのが定番なのかもしれないが、僕が引き込まれた作品は、写真ではその魅力は十分に伝わらないが、ヤン・トーロップの作品、「海」。パステルカラーの細かな点描は分割主義の補色などの理論的効果ではなく、鑑賞者の感情に影響するようにとの狙いがあるそうで、なるほど僕自身もそのやわらかでやさしい色調と描かれる次々にとどまることのない穏やかな波に一時の平安を感じることができた。

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そうだ、分割主義の始まりは印象派であったから、その作品についても少し紹介したい。印象派の有名どころは日本でも人気のあるクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールだが、僕は彼らに加えてカミーユ・ピサロが好きだが、今回の企画展にも気に入る作品が展示されていた。

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なんでもない農村の風景であるが、絵画にしかできない美しさと感じのみを抽出し、現実のものよりも一層美を表出できるという強みを最大限発揮していてあたかもその場にいて、その風景を見ているようなそんな錯覚に陥ってしまう。ピサロはこの風景を見て、風を感じていたのかな。なんて思うと感動的ですらあった。

他にもテオ・ファン・レイセルベルヘの「満潮のペール=キリディ」は分割主義の真骨頂ともいうべき補色を用いた陰影が巧みに取り入れられ、ゴッホの「太陽と雲のある囲われた麦畑」という素描は短い直線を整列や変形させて風景を描写し、光をその濃淡で描くというとても高度な技術が駆使されていてひときわ異彩を放っていた。

最後のピート・モンドリアンのいくつかの作品は抽象画に移っていく変遷を示す意味では有意義であったが、作品自体としては傑作と呼ばれるようなものではなかったように思う。過渡的な状態であることが否定できない仕上がりといった感じだったのだ。

それにしても、かなりのボリュームがあって一通りするだけでも結構くたびれてしまうほどだった。しかし大いに結構なことではあるまいか、芸術の偉大さを身をもって感じられるのだから。
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神々しさとみすぼらしさの矛盾 箱根神社


峠を越えて、眼前に広がる芦ノ湖、その湖畔にたたずむと対岸に厳島神社の鳥居のように岸近い湖上に鳥居が立っていて、それは鬱蒼と茂る木々を控えていて神社のあるらしい、厳かな雰囲気でこの湖を臨む者の注意を否が応でも引くものであった。

岸沿いを行くと樹齢百年は超えているであろう巨木、古木が周りをさえぎっている物々しい傾斜の付いた参道が鳥居の口を開けていた。参道を進むと途中、十字路になっており石段が直行している。左に折れ、石段を下れば先ほど見えた湖上の鳥居近くへ―平和の鳥居といった―出ることができる。逆にずっと石段を上がっていけば箱根神社の本殿のある境内に出るわけである。

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この「平和の鳥居」の由来は―鳥居自身は日本の独立(講和条約締結)を記念して建立されたものであるが、御鎮座1200年と東京オリンピック開催を奉祝記念し、「平和」の扁額が掲げられたことによるということだ。ちなみに、紹介によるとこの扁額の揮毫は吉田茂元首相の真筆ということだが残念ながらそれをしっかりと確かめることは湖上の鳥居の性質上難しかった。

参拝のため石段を上がろうと行く手を見上げると数多の踏段が視界を蔽ってしまった。参拝を躊躇しかねないボリュームであったが、一歩一歩神殿という高みへ努力するという意味で僕は気持ちを込めて上っていった。

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山腹にひっそり隠れるように、秘奥の神殿ともいうべき社があった。幅も高さも大きいとはいえないスケールでありながら、精巧で均整の取れた緻密な造りで神聖よりもアカデミックを僕は感じてしまった。色合いなどの経年変化がなんとなくみすぼらしい感じがしたのは僕だけであったろうか、深い感動を覚えるまでには至らず、箱根神社全体にある多くの小さな社、霊験あらたかという境内内に湧く龍神水、多くの古木の中でもとりわけ古くより知られる霊木や神木があったがそれらの神々しさがどこか薄れてしまったように思えた。それぞれのものを別個で考えてみれば霊力、神通力のすさまじきものなのであるに違いないのだが、うーん感性はどうにもならぬ、ただただ残念であった。
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僕も彼らを知らず、彼らもまた僕を知らず、淋しくそれぞれの道を歩む

われわれは、この世界にあって、みんな一人ぽっちなのだ。黄銅の塔内深く閉じこめられ、、ただわずかに記号(しるし)によってのみ互いの心を伝えうるにすぎない。しかもそれら記号もまた、なんら共通の価値を持つものでなく、したがって、その意味もおよそ曖昧、不安定をきわめている。笑止千万にもわれわれは、それぞれの秘宝をなんとか他人に伝えたいと願う。だがかんじんの相手には、それを受け容れるだけの力がない。かくして人々は肩を並べながらも、心はまるで離れ離れに、われわれも彼らを知らず、彼らもまたわれわれを知らず、淋しくそれぞれの道を歩むのだ。たとえていえば、美しいこと、神秘なこと、それこそ限りなくさまざまの語りたいものを持ちながら、ほとんど言葉も通じない異郷の人たちの間に移り住み、やむなく陳腐な会話入門書の対話を繰返しているよりほかない人間、それがわれわれの姿なのだ。頭の中は思想で煮えたぎっている、そのくせ口に出して言えることは、園丁の叔母さんの傘が家の中にあります程度の、くだらない会話にすぎないのだ。   『月と六ペンス』より


去年、僕の生活の一部に変化―それは主に人間関係の変化―があって、随分僕自身の接し方であったり、相手に対する心の持ちように影響と変容をもたらした。というのも、彼らは快活でおしゃべりで、仲間意識が強く、元来口数が少なく、社交性の乏しい僕は無理に彼らに合わせる必要があったのだ。僕はうまく立ち振る舞っているつもりだった。しかし、僕が興味のある事柄についての会話は始められることがなかったし、意図していることが伝わらずに、互いに微妙な空気を感じるということも少なくなかった。そうしたことが続く中で、僕はふと、自分自身のなにかを損ってしまっているのではないかという思いに至った。彼らと関係することは確かに楽しかった。けれどもおもしろいというのではなかった。好奇心、あるいは知識欲、探究心を充たしてくれるということがなかったのだ。僕は遊びから学びを得るのは賛成だが、遊びから慰めを得るのは反対なのだ。そして僕はこう結論した、「虚勢(武器)よさらば」と。

どんなに着飾っても、演じても、偽っても、どこかでひずみであったり、ほころびであったりが隠し切れぬほどの大きさになってそれらを脱ぎ去らなければならないときが来る。だから僕は潔く、元の自分に戻ることにして―まったく同じというわけにはいかないだろうし、それこそが意味なのだろう―新たな気持ちで生活を始めるつもりである。

こうしたわけで、このモームのことばが僕によく響いた。みんな一人ぽっちで人々は肩を並べながらも、心はまるで離れ離れに、僕も彼らを知らず、彼らもまた僕をらず、淋しくそれぞれの道を歩むのだ。
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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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