『江ノ電』に乗って 


鎌倉を旅して一番印象深かったのは『江ノ電』だった。

鎌倉駅に飛び込んできた姿は昭和を出発して現代に到着したのかと思われるほどレトロで、それがなんともいえぬ風情を醸していて僕もすぐにとりこになってしまった。

つや消しの抹茶色をまとった簡素なデザイン。走るというより転がるというようなまったりとした動き。

トトロの猫バスのように家屋が「江ノ電」を避けているように軒先すれすれを行く。まさに住宅地を縫って走る。

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玄関が線路に接していて、来客は線路をまたいで訪問しなければいけないなんて信じられなかった。

かと思うと、海岸に引き寄せられるようにして視界が開ける。

感動はこれ以上でもなければ、これ以下でもないということなのか、言葉が思うように出てこない。

全体にノスタルジーが漂っていたから、それが僕を忘我の境地へいざなって具体的な心象を残さなかったのかも知れないし、その魅力を感ずるには感性が欠乏していたのかも知れない。いや、単に実力不足なのだろう。

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喫茶店 小説「自由への道」 38


五分ほど車を走らせると、分離帯のある県道に面して、近頃店舗を拡大し、地方まで進出しているカフェがあった。前庭があり、その中央から白亜の階段が玄関へ数段設けられていた。外壁は赤茶の板張りで柱や欄干などに漆喰が使われていてレトロな外観、明り取りの窓が高い位置にまでつくられていたので、館内は広く明るい雰囲気に満ちていた。全体は洋館といえばわかりやすいだろう、屋根裏にあたる部分に大きな梁と天窓、複雑に組み合わされた骨組みがあって普段あまり見慣れない構造であった。カウンターの向うでは忙しくスタッフがコーヒー豆を挽いたり、軽食のサンドイッチをつくったりと動き回っていた。

「俺、タバコ吸うから喫煙席でもいいか?」と上井が松本に許可を求めた。

「ああ、問題ない。」松本は親指を立てて合図した。

ちなみに喫茶店は喫煙席の方がいいくらいである。禁煙席は女性客が多く、殊の外騒然としているのだ。おしゃべりを禁じる権利もなければそのつもりもないのだが、ゆっくり、ぼんやりとしたい客にとっては甚だ辟易する状況である。第一、男性はおしゃべりを好まないし、ほとんどの場合がその相手もいない。人と連れ立って来ても、込み入った話か食事をしながらの談笑、あるいは仕事の話、友人同士の軽い雑談といったくらいで、二人が適当な空席に納まったときにも、奥で新聞を広げている白髪まじりの中年男性が一人と明らかに会社の上司と部下とわかるスーツ姿の男性が二人いたきりで、彼らは打ち合わせをしているようだった。さっぱりとした頭髪、それと綺麗にひげがそってあり、明るい色のネクタイをしめ、これから取引先にでも出向くのであろう、若い方はやや緊張しているようであった。

席に着くが早いか、上井はタバコをうまそうに吹かし、片目をつぶりかけながら、煙たそうな顔をして灰皿を手元へつまんで引き寄せた。

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『世界一の朝食』 七里ガ浜『bills』のパンケーキ


オーストラリア、シドニーにある海外セレブ御用達の、『世界一の朝食』とも評される「bills」という有名レストランの日本1号店が七里ガ浜の好立地にあるということで、その「世界一の朝食」を食すべく「ホテル ニューカマクラ」をあとにした。

調べると予約不可でかつ開店と同時に行列ができるほどの人気店であることがわかったので、開店時間より少し早めにいったところ、平日ということもあり待たされることなくすぐに席へ案内された。とはいえ、人気のある海を一望できるテラス席は満席でそのために待っているお客も何組かいたようだった。

優雅な気分、それに不可欠な緩やかな時間を演出する空間がつくりだされていて、上品でありながら堅苦しさをほぐすチェアーとテーブル、そこに用意される軽やかでフレッシュな素材の旨味を感じられる料理は僕にとって新しい感覚であった。

定番というパンケーキにレモネードを合わせてさわやかな朝を自ら表現。

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やわらかさを損わないような絶妙な焼加減がされ、バターとシロップがゆっくりと染み込むよう均等な密度が保たれているパンケーキは食感も最高だった。

付け合せのバナナは栄養価が高く、香りが豊かなレモネードでさっぱりとできたので、カロリーバランスはさすがに推奨できないものの、朝食として悪くなかった。

朝食には欠かせないスクランブルエッグなどもメニューにあったので、そちらも絶品に違いない。

優雅さは私たちがあこがれるものである。しかし悠々と一日一日を過ごすことが私たちに許されているのかということは未だわからない。
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松本と上井の関係 小説「自由への道」 37


彼ら二人は中学時代の同級生であった。同じ野球部に所属していたものの、当時は親しい仲というのではなかった。部活動で接点を持っていたのみでクラスも同じになったことはなかった。わかりやすくタイプで分けてみれば、松本はクラスの中心的存在で活発な生徒ということができた。運動と勉強のどちらにおいても標準以上の力を有していたので、ひょっとしたら彼をうらやましがっていた生徒もいたかもしれない。それと同じく、彼を快く思わなかった生徒とも少なからずいたに違いない。実際に彼は、自分で気づかずに人を傷つけることもあったし、見下しているともとれる発言が少なくなかった。学校生活のあらゆることが自尊心をくすぐり、自ずと利己的になった。スクールカーストでいえば、間違いなく特権階級というような、最上位に数人の男女を含めた友人たちと君臨していた。中学生に意図的に優しさを持ち、思いやりや全体主義を優先することはほとんど不可能である。自分自身を客観視して、自ら理性的にコントロールすることすら難しいのだ。彼がどういった中学生であったとしても、彼を責めることはできないだろう。意図的に悪事を働こうというわけではなく、むしろ彼自身がいちばん善良でありたいと望んでいたのである。しかし、彼の置かれた環境と状態はいとも簡単にそれを妨げてしまった。一方の上井は目立つ生徒ではなく、中学校では落ち着いた学校生活を送っていた。しかしながら中学生くらいで目立つ、目立たないというのはつるんでいる友達によるところが大きく、また学内において一人の時間を過ごすような生徒は決して目立つ生徒とは言われないのである。運動能力や学力、ましてや人格などによって評価されるのではなく、社交性と明るさによって学校での存在感の評価は判断されるのだ。したがって、上井が目立たないといっても地味なでもなければ、陰鬱な生徒でもなかった。彼はただ中学生にして個性と、自分の世界と、内なる自分を既に自覚していたのであった。陽キャラと呼ばれるクラス内の明るく活発な者をどちらかというと避けていた。それは自分の世界を大切にしたかったのと、彼らを自分より幼稚で劣った者だと感じていたからだった。〔彼らには自分というものがないんだ。だからつるんでいないと不安になってしまうから、それを隠しているに過ぎない。〕彼は運動神経がいいという評判を得たこともなかったし、周りからテストの点数を気にされるほどの秀才でもなかったが、知識と洞察力には一目を置かれていた。特に彼が落書きでノートや黒板に絵を書くときなどはその出来栄えに誰もが感激した。「お前の頭の中は不思議な世界が広がっているに違いない。」とあるとき松本は上井にいったことがある。

こんな次第だから、今こうして松本と上井が同じ車に乗って喫茶店に向かっているということは二人にとって不思議なことではあった。もし松本が一緒にお茶でもしようと言い出さなければおそらく軽く挨拶を交わしただけで二人は別れただろう。だが彼は一目見て上井になにか深いところの寂しさのようなものを感じ取り、やさしさも込めて誘ったのであった。上井の性格から言えば、あのように松本と気さくに話すということはまれで、そこに彼は初め違和感を認めたかもしれない。
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生野菜 下ごしらえと取り合わせのバランス 鎌倉の旅


素泊まりでリーズナブルに歴史的価値の高い建造物を利用できることが「ホテル ニューカマクラ」の最大の特徴であり、その差額で夕食を少し鎌倉らしくおしゃれでリッチにしたいというのが僕の望みであった。

夕暮れ、あたりは幾分ひっそりとして、人影が随分減った。ぶらぶらと鎌倉駅東口から続く「小町通り」を散策しながら腹ごしらえをするにふさわしい、小洒落たレストランを探すことにした。鎌倉最大の名所といってもいい「鶴岡八幡宮」の参道にあたる「若宮大路」から一本入った「小町通り」は参道よりも商店、飲食店が充実しており、にぎわっていた。「若宮大路」はすでに紹介した「一の鳥居」からまっすぐ続いており、駅前から参道を挟んで両方向一車線の道路、その外側に歩道があり、店舗が並んでいる。観光地のお店は大概午後八時くらいには閉まってしまうが、鎌倉も例に洩れずディナーをメインとするようなレストラン以外は閉まっているか後片付けを始めていた。

鎌倉といえば「シラス丼」という情報を入手していたけれども、リッチな夕食とまではいえないから明日に持ち越しにして―結局食べ損ねてしまったのが悔やまれる―たくさんある鎌倉色を全面に出している飲食店の中から特にいいね!なフレンチ、イタリアンのお店をピックアップして、値段と雰囲気を慮った結果、「Rans kamakura(ランズ カマクラ)」という自然派で大人なイタリアンレストランへ。

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インテリアのほとんどが木材であるが、その質感はいささか切り出したままの状態に近く、もう少し柔らか味があってもよさそうだった。照明が効果的に使われており、ディナーにふさわしいムードがつくりあげられ、料理、食器は厳選されたであろう質の高いものであろうことが席に着く者に確かめられた。

前菜には季節野菜のバーニャカウダーが提供され、珍しい色のピーマンやオクラ、歯ごたえのいいかぼちゃの一種など新鮮で貴重な生野菜を食べられたのはとてもよかった。

前菜のみならず、メインに至るまでこれぞとばかりに新鮮野菜が使われていたのは喜ばしいことであるに違いないのであるが、その料理のバランスが絶妙といえるレベルではなかった。生野菜でも特に葉のものになるとエグみや苦味が強く、下ごしらえや取り合わせを間違えると台無しにしてしまうものだなと改めて感じさせられる経験にもなった。是非、素材の味を生かしながら調理を工夫してほしいという率直な感想を生意気にも持った次第である。

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日本車とドイツ車の特徴 小説「自由への道」 36


それは中古車であったが、フォルクスワーゲン(ドイツ車)で一人前に松本は外車に乗っていた。そのことは少なからず上井をまたしても驚かした。

実際、車体の輪郭を描くラインが日本車とドイツ車ではまるで違っている。日本車はメリハリのない単調な流線型で落ち着いた雰囲気を醸し、ドイツ車のそれはメリハリがあり存在感があった。セダンはかつて高級車のスタンダードな型であり、今でもそれは変わらないのだが、格好のよさよりもそのイメージが先走ってしまい、おじさんくさいという偏見を生んでしまった。たしかに荷物はたくさん乗らず、場所をとるので合理性や利便性、エコが重宝される時代に合っていなかった。しかもセダンは直線的であったが、主流は流線型と言う曲線であった。いつからかスピードは直線ではなく曲線が表現するようになったのだ。内装に関して言えば圧倒的に日本車が快適であろう。上品で乗り心地を重視したシートとハンドリングが採用されているからだ。だがフォルクス・ワーゲンの魅力はその憎いまでの質実剛健さであった。インテリアはシンプルで必要以上にシステマティックに頼らず、マニュアル動作が主立っていた。走りの喜びというコンセプトの基、スポーティーに仕上げられ、コックピットを思わせる運転席などは特に完成度が高く感じられる。エンジンも同様に、繊細でなめらかな日本車、パワフルで軽快に回転するドイツ車。このようにそれぞれに特徴があって、ドイツ車が松本の気に入ったのである。

上井は驚いたが、決して高価なものではなく、松本が入念に磨き、丁寧に扱っているが故にその上質さを保っていたのであった。彼は自動車が常人よりは好きであったのと、所有物はその主人を表すと考えていたから、多少気にかけていて、それは自分を質の良い人間に仕立てようとの努力の一面でもあった。自分の置かれている立場より少し上の物を所持し、身に付けることで自ずとそれに似合うような人間になれるというわけであった。
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穏やかな時の流れる「ホテル ニューカマクラ」


「ホテル ニューカマクラ」は外観に劣らず、その内装も瀟洒で素晴らしい。

映画「おと・な・り」の撮影場所になり、当時文壇の花形であった芥川龍之介と歌人であった岡本太郎の母である岡本かの子とが運命的な出会いをしたところでもあるという、文芸好きにはたまらない魅力を持つ数少ないホテルであろう。

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洋館らしく階段がまっすぐ玄関に向かってバランスよく造られ、空間を引き締め、来客を異空間へいざなう赤じゅうたん。シャンデリアは洋館にはなくてはならないもの。やわらかな光が過ごしやすさを演出してくれるようだった。

積年の摩擦と見えない自然の力によって床板や踏段は表面に光沢とくすみを併せ持っていたが、それゆえに格調と品位を感じるものであった。

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宿泊したのはこちらの「さくら」というかわいらしいお部屋。素泊まりのみのホテルであるが、和洋、趣向さまざまな部屋が用意され、旅のイメージと気分に合わせた部屋を予約すれば、旅をいっそう引き立ててくれること間違いなしだ。価格によって部屋のランクが分けられているので、余裕があればぜひ、上質の部屋にすることをおすすめしたい。館内も落ち着いていて逗留するのにももってこいだと思う。

建物全体のつくりや今なお残されている往時の風情はもちろんのこと、特に感激したのは、そうした文化的遺産を守りながら、人々の憩いに一役買い、未だ現役で営業し、そんな中で洗面やトイレ、バスルームが綺麗で機能もしっかりとしたものが設えられていたことである。

私たち男性陣には注意が及ばない、ところどころの装飾や配置にもきっと女性たちならば、上品さとかわいらしさを見いだすであろう。

鎌倉駅前でありながら、まったく違った雰囲気につつまれた、穏やかな時の流れる「ホテル ニューカマクラ」はこれからも人々を癒し、鎌倉の象徴的存在であり続けるだろう。
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怠けそうな自分へ 『レ・ミゼラブル』より


『おい、お前は怠惰なために一番苦しい生活にはいっている。お前は何にもしないのだと自分で言っている。けれども少しは働くように心掛けるがいい。お前は恐ろしい一つの機械を見たことがあるかね。輪転機というやつだ。用心しなければいけない。陰険な猛烈な機械だ。もし着物の裾でもつかまれようものなら、身体まですっかり巻き込まれてしまう。この機械というのは他でもない、怠けるということだ。まだいよいよとならないうちに踏み止まって、逃れだすがいい。そうでないともう万事だめだ。じきにその歯車の中に引き込まれてしまう。一度引き込まれたらもう出る望みはない。そこではただ疲れるばかりで、休むこともできない。一歩も仮借しない労役の鉄の手からつかまれるだけだ。お前は今、自分の手で生活しようと思っていない、仕事をし義務を果そうと思っていない。普通の人のように暮らしてゆくことを嫌がっている。だが別の道を歩くこともできるだろう。労働は天の法則だ。嫌だといってそれを拒む者には、刑罰としてそれが落ちかかってくる。お前は労働者になることを好かないというが、それでは奴隷となるばかりだ。労働は、一方でお前を許しても、他方でお前をとらえる。お前は労働の友達になることを好まないで、かえってその奴隷になろうとしている。ああお前は、人間らしい正直な骨折りを嫌って、罪人の額の汗を得ようとしている。他の人たちが歌をうたう時に、お前は息を切らすようになるんだ。下の方から遠くに、他の人たちが仕事をするのを見上げるようになるんだ。そしてその人たちは、お前の目には休んでるように見えてくるだろう。地を耕してる者や刈り入れをしてる者や、水夫や鍛冶屋なども、天国の幸福な人々のように栄光に包まれてるとお前には思えてくるだろう。鍛冶屋の仕事場もどんなにか光り輝くだろう。鋤をとり穂を束ねることもどんなにか幸福に見えるだろう。風のまにまに自由の帆を操る小舟もどんなにか楽しく見えるだろう。ところが怠惰なお前は、鶴嘴を使い、鎖を引きずり、車を引き、歩かなければならない。身体を縛ってる鎖を引きずって、地獄の中で荷物を引く獣と同じになるばかりだ。何にもしないことをお前は目的だとしていた。それなのに、ただの一週間も、ただの一日も、ただの一時間も、苦しい思いをしないではいられなくなる。何一つ持ち上げるにも苦痛を感ずるだろう。一刻の休みもなく絶えず筋肉はみりみりいうだろう。他の者には鳥の羽ぐらいなものも、お前には岩のように思えるだろう。ごくわけもないことも、大事業のようになるだろう。怠惰といい楽しみというものは、何という絶壁だろう。何にもしないということは、痛むべき方針だ。わかるだろうね。社会の財産をあてにして怠けて暮らすこと、何の役にも立たない生活を送ること、言い換えれば有害な生活をすること、それは人をまっ逆様に悲惨のどん底に投げ込んでしまう。社会の居寄食者(いそうろう)になろうとする者こそ不幸だ、ついには有害な寄生虫になってしまう。ああ、お前は働くことを好まない、うまい酒を飲みうまいものを食い楽に寝ていたいという考えきりもっていない。だがそれでは結局、水を飲むようになり、黒パンをかじるようになり、手足は鎖につながれて夜通しその冷たさを身に感じながら、板の上にじかに寝るようになるだろう。ああかわいそうにお前は誤った道をとっている。何にもしないということが、お前を悪い方へ導いたのだ。私を信じて、怠けようなどという困難な仕事を始めなさんな。悪者になるのは、容易なことではない。正直な人間になる方がよほど楽だ。さあ行って、私の言ったことをよく考えてみなさい。』   ユーゴー著「レ・ミゼラブル 第四部」より


僕は間違っていないだろうか。思想より、芸術より、進歩より自分の手で生活することではないのか。一度自分ひとりで生活してみることをしなければその本当の意味がわからないのではないだろうか。僕は甘えていないか。幻想を抱いていないか。そもそも、世の中は少しずつ変わりうるのだろうか。労苦は少しずつやわらぐのではないのか。文明とは労苦の軽減の意ではなかったか。僕や社会や両親、身寄りのものの財産を当てにして生きてはいないと百パーセント言い切れるだろうか。心を養う前に、身体を養わなければならないのだから、所詮文学や芸術といったものは役には立たないもので、それらを愛し、それらを究めんとすることは何の役にも立たない生活を送ることにはならないだろうか。だとしたら役に立たない芸術性というものは考えられぬというのか。役に立つものだけが芸術といわなければならないのか。たしかに広い意味でいえば芸術は人を豊かにする、すなわち役立つものであるという前提に成り立っているものだ。では、僕のやっていることは人を豊かにしうるものか。もう一度よく考えて、改めるのでなければ、ここに登場しているモンパルナスとなにもかわらないということになる。
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邂逅 小説「自由への道」 35


青年期には青年期の欲する文学がある。壮年期には壮年期の欲する文学があるのだろうか。それは私にはわからないが、きっとあるのだろう。しかしながら、両者の大きな違いは青年期には読むべき文学というものが存在してしかるべきだということである。しかもその初めとも言うべき時期―自己同一性を獲得するための葛藤と苦悩、社会と個人、親と子どもといった枠組みの中での独立した個性を創るための期間―にはこれからの人生を自らの足で立って歩んでいくだけの力と行く手を照らす光が必要である。その力を与えうる文学こそ青年に必要な文学である。上井は文学を欲した。一方松本は、読むべき文学を吟味した。

〔「ライ麦畑でつかまえて」って聞いたことがある。なんでも青春小説の代表格とかなんとか。なんとなく現実逃避的な夢幻的なニュアンスをそのネーミングから感じるけれど、どうだろう。〕

手にとって解説を見てみると、「社会」と「批判」という二つの熟語が目に映じた。彼は人差し指を器用に使って本が詰まった本棚からその一冊を抜き取った。先ほどの男性の後ろを通って上井はレジへと向かおうとした。

「後ろすみません―。えっ、ていうか松本じゃん!」と上井は驚駭な表情をして、思わず声まで上げてしまった。

その男性は吃驚して振り返りざま、「おお!上井じゃんか、めちゃめちゃ久しぶりだな。元気だったか?全く気がつかなかった。」と松本も旧友との邂逅に喜びに満ちた顔であった。

「ああ、元気、元気。松本も元気そうだな。いやー、本当に偶然も偶然だなあ!」

「随分、会ってなかったな。なーんか身長がやけに伸びてないか?俺も変わったかも知らんが、すっかり大人に変わっちまったな。」と松本は解顔した。

「松本はあまり変わってないようだぜ。ちょっと表情が思慮深くなったってところかね。」と上井は冗談半分に笑った。

「そうかもしれないな?ははは。その本、今から買うのかい?おや、その青と白の装丁は「ライ麦畑」だね。なるほど。」と松本はドヤ顔をしてみせる。なるほどと言ったのは本の好みからわずかながら上井の性質というものが彼なりに受け取れ、分析できたからである。

「そうそう。よくわかったね。つまり松本も本を読むわけだ。しかも、なかなか精通しているといえる…ね?」

「まあ、近頃それなりに読むようになったんだよ、俺も。せっかくだし、ちょっとそこらでお茶でもしないか。積もる話もあるだろう?何で来た?車?それとも電車か?」

「これが、歩いてきたんだ。ははっ!悪くない、つまりいいってことだ。早速行こう、これだけ買ってくるから出て待っててくれ。松本は車か?」と上井は慌てるように足早にレジの方へと姿を消した。松本は自動ドアを出て屋外と店内を隔てる踊り場のようなところで上井を待った。流行の歌が上階から漏れて聴こえてきたが、彼にはその曲名もアーティストも見当つかなかった。

「俺、車で来たから俺ので行こう。」
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若者と湘南 ノスタルジックな「ホテル ニューカマクラ」

高速を下りるとひたすら鎌倉の方角がわからない。大体有数の観光地ならば、高速道路から程ないところにあるから案内板を頼りに車を走らせ、二十分もすれば着くのだが、鎌倉はそうはいかなかった。平塚、茅ヶ崎、藤沢と辿ってようやく鎌倉という表示を得られた。どの地名にも聞き覚えがあり、その知名度はさすが都会と思わせる。

季節は夏、相模湾に白い砂浜。「湘南」の確かな定義は知らないが、おそらくここが湘南なのであろうと、道路を行き来するサーファーやビキニの若い女の子らを見て思う。限定的に街を歩くビキニの女の子を見るのは気が引けるし、しかも見たところでよほどの美形でなければ興奮を覚えないから、むしろ興ざめする自分を見出すばかりである。しかし全体として街を若い男女がつやつやした肌をあらわにしてさわやかに行きかう姿はやはり気持がいいものであった。茅ヶ崎といえば今ではサザン・オールスターズが代名詞となっているけれども、僕はあまりサザンを聴かないのでそういった興味と関心はなかった。

由比ガ浜を左に折れると大きな鶴岡八幡宮の一の鳥居が事も無げに道路を堂々またいでいる。

鎌倉駅前は大変に混雑していて、宿泊予定であった「ホテル ニューカマクラ」へは少し迂回していかなければならず、その上、一方通行と狭く入り組んだ道路に苦戦し、ようやくたどり着いた次第であった。

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ちょうどJR鎌倉駅の裏側に向かうように位置し、前方が駐車場になっている。

こちらは旧館で、隣には新館が建つ。外壁や洋館造りの雰囲気は似ているが、旧館は古き味わいある上げ下げ窓になっているのが最大の特徴かもしれない。内装ももちろん旧館の方がノスタルジックであろう。

建物自体は素晴らしい、素敵とのことばに値する、今となってはなかなか見られない―当時も珍しかったかも知れないが―美しい建造物で一見の価値ありである。ただ僕がまず最初に感じたのは、土地柄仕方のないことであるが、敷地のほとんどが駐車場となっていて、混雑していたことと、受付事務所?の立て付けのあまりにチープに過ぎることである。停まっている車が多すぎて、室外において外観や雰囲気を楽しむということが損われる環境であった。しかも、前栽ともいうべき桜?や棕櫚があまりに、無造作に植わっていて最適な構図を造るための妨げとなるほどであった。

だが、確かにそうした難点はほとんど意味を持たない。なぜなら、玄関の構え、均整の取れた引き上げ窓、建物全体を引き締め、街との一体感をも生み出す屋根に冠せられている「Hotel New KAMAKURA」の看板の高いデザイン性など際立った多くの美点がそれらを凌いで余りあるからである。
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上井の風貌 本屋にて 小説「自由への道」 34


〔今日は本を買って帰ろう。〕彼はそう自分に宣言して階下へ下りていった。一階にロビーとでも言い得るスペースが設けられ、海に浮かぶ孤島のように独立して平台がランダムに置かれ、話題の書籍がジャンル別に平積みにされていた。放射状に本棚が配され、奥には扇の弧をなすが如く湾曲した立てかけるタイプの本棚が頭上いっぱいに収まっていて、要に当るエントランスからの一望でその全貌が分かり、広く見せていた。彼はその奥の本棚の前方にある雑誌コーナーでまず男性ファッション誌を手に取った。普通大学生が読むような雑誌に特集される、定番タイプに「遊び」という安い変化を加えるコーディネートには興味が無かったから―むしろ幼くてスマートに見えなかったので敬遠さえしていた―、少し上の年齢層向けの雑誌を好んで読むことにしていた。彼はまだ大学二年生であった。けれどもその外貌はそうとは見えない様だった。身長が日本人の平均を大きく上回るほどあり、口ひげのみならず、頬ひげまで伸ばしていた。それほど十分にひげを蓄えられる大学生二年生はあまり見かけられない。頭髪はポマードで固められ、サイドはなでつけられ、トップは少し巻き上げるようにしてボリュームがあり、全体に柔らかなパーマがかけられていた。懐疑的で空想に満ちた目、鼻は高く、大きくてやや下を向いていて、日本人のものとは思えないほどだった。口は小さく、多くを語らぬ、黙然と過ごすことが多いことを示していた。体格はひょろっとしていて、華奢といってよかった。とくにそれを強調したのは、彼が愛用して履いていた「ヌーディージーンズ」という高価なジーンズであった。彼は好んでスキニータイプを履いたので足先がつづまっていて体型そのままのシルエットを描き出していた。ブランドイニシャルのエヌをモチーフにしたバックステッチがトレードマークで色落ちがすばらしく、彼はこの点が特に気にいっていて、複数持っていたが、その中でもっとも高価なものは三万円くらいしたものだった。

雑誌の特集ページを彼は読んでいた。ちょうどジーンズ特集であった。〔「クロ」っていう国産ジーンズブランドがあるのか、今度ジーンズショップに見にいってみるか―。流行だなんだって、結局毎年、大体似通った定番アイテムで色使いと小物なんかのさし色が違うだけだよな、流行よりも新たな潮流みたいなものには敏感になっておきたいが…。〕

放射状に配された本棚群の外側数列からなる文庫本コーナーにやってくると、その大きな本棚の端っこにある「岩波文庫」がまとめて納められている箇所の前で熱心に、手に取った本の表紙の解説と本文冒頭部を読んでいる同年代の男がいた。こざっぱりとした身なりをして、カラーデニムに白シャツを合わせ、そのシャツは肘の下のところで雑にたくし上げられていた。両側が本棚になっている通路を半ば進んで、「岩波文庫」側ではない本棚で上井も自分の今の環境、心情に適う、あるいは自分の気持を前向きなものにしてくれる本を物色し始めた。上井とその男とは背中を向け合う形で彼の背後近くであった。
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足柄SAから厚木IC トンネルにS字、変化に富む高速道路 鎌倉の旅


僕が今まで自動車で行った最遠の地は箱根にある堂ヶ島温泉であった。ちょうど、箱根駅伝中継で映される「富士屋ホテル」のすぐそばである。高速道路でいえば、そのとき下りた御殿場ICである。

鎌倉は箱根よりも遠いので、もちろんこの記録は更新されることになるわけだが、調べてみると厚木ICで下り、そこからしばらく下道が続くのだった。

ひょっとしたら住まいが関東圏ではなく、旅をあまりされない方は鎌倉の位置をあまりご存じないかもしれない。僕も東京と名古屋を結ぶ東海道本線上に鎌倉駅はないし、同様に東名高速道路上にもその名はない。横浜はわかっても鎌倉はよくわからないというのが割りと一般的ではなかろうかと個人的には考えている。

御殿場ICの次のサービスエリアで休憩しようと考えていたので何の気なしに寄ってみると「足柄SA」という大きなサービスエリアで驚いた。

おみやげの充実はもちろん、食事面でも店舗が豊富でおいしそうなところばかりであった。近頃のサービスエリアは従来とは違って本当に立ち寄る人々に満足を与えるものとなっている。トイレは綺麗、食べ物はおいしい、そして人が多く、活気がある。

特に僕の興味を引いた鯛めしになっている「わっぱめし」を購入し、富士山の見えるドッグランに接する広場でいただいた。

八月下旬、疲れはひとまず車中に残して蒸されたわっぱめしの温かみと独特のやわらかみを掌(たなごころ)に感じながら旅に浸る。まさに旅は五感でするものだから、風景やたべものなどの刺激がなければ、旅の醍醐味とは言い難い。

車に戻り、ハンドルを握ると先ほどまでの自分とはまるで違っている。精力がみなぎり、どこまででもいけそうな錯覚に陥る。箱根の山々を縫って走るからトンネルにS字カーブと東名高速随一の変化を見せるのが走っていておもしろい。つり橋のようなものもあった。その区間を越えて、蔦の絡んだ防音壁が続く広い直線道路の半ばに厚木ICが案内板をいくつか過ぎたあとに現われた。右手には静岡県から神奈川県に入ったことを告げる静岡名菓である「こっこ」というひよこをかたどったミルククリーム入りの蒸しケーキの看板が見え、いよいよ神奈川県だなという思いに包まれたことが思い出される。

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学力と環境の因果関係 学芸と商売における大衆性 小説「自由への道」33


驚くべきことだが、彼の住む町には本屋が一軒もなかった。古本屋、町の小さな本屋の類もなかった。町内に二つの公立高校があったが、そのどちらも偏差値は低いランクであった。学力の基本は自主学習である。その方法は読書、問題集の演習、参考書を用いた教科書の追及などがあげられると思うが、それらを本屋なくしてどのように実行すればいいであろうか。付け加えれば、図書館とて離れた市街地にあり、内容の充実も芳しくなかった。勉強のできる環境が整っていないにもかかわらず、学力が培われるということはありえないのだ。しかし事情はいささか複雑である。今となっては既に学力の低い生徒が必然的に集まってくるので、たとえこの町に優れた大きく本格的な書店をオープンさせたところで学術書や学習参考書、古典などの好尚かつ高邁な精神を育む書は誰の手にも取られずかび臭くなってしまうだけであろう。すぐにアミューズメントや生活用品を扱う店舗に建て替えられてしまうのが落ちであろう。結局のところ店は儲けなければ立ち行かない。そうした書物は商品であろうか?否。作品であると言いたい。売ることが目的の書物は前にあげた娯楽本だ。だから自然そうした雑誌や流行やメディアを活かし、活かされたものが多く陳列するのを私たちは目にするのだ。書物のみならず、漫画、ゲーム、映画のDⅤD、音楽CDなどがフロアは分けられているものの、一緒くたにされて売られ、レンタルまでされている。この隣町にある本屋もこうした大型複合書店であった。

敷地内に掲げられた幟は風にはためき、そこには「木曜日CD・DVDレンタル百円」という文字が躍っていた。それに釣られて、上井も自動ドアを入るとすぐに階段を上って二階のレンタルショップに行った。足取りは軽やかであった。彼は自宅でよく洋画を鑑賞したので、真っ先に洋画コーナーへ足を向けた。

〔つい先月映画館で見たアクション映画がもうレンタルされていて、それが百円だなんて…信じられないな。見る俺たちにとってはありがたいことだけれど、百円で借りられちゃあ百人に貸し出したところで一万円にしかならないじゃないか。それも少なくとも、二、三日は返ってこないわけだから、そうとうのんびりした商売というか、まったくどういう仕組みで利益を上げれるのか検討もつかないな。ハリウッド映画なんて製作費何十億ってのがざらなのに、そうして多くの人が技術と努力でもって作りあげたものを百円で鑑賞できちゃうってすごいよな。〕

洋画、邦画に加えて近年「韓流」というジャンルまで現われ、フロアの大部分に所狭しと旧作・新作、貸出中の帯のつけられたものなどDVD独特のケースが陳列棚に背ラベルのみ店内へ向けて並べられていた。アクション、コメディー、SFといったようにその分類は多岐に渡っていて、計算しつくされた空間の妙によって客を分散させていた。向かい合わせになるようにCDレンタルコーナーがあり、公開中のヒット映画内で使われる音楽CDで関連性がもたせてあり、客足は自然とそちらにも向かう構造であった。

上井はお気に入りの「フォレストガンプ」を見つけると借りようかという気持を起したが、また近く返却しに来るのが億劫に思われたので背の部分を棚から少し引き出したところで手を止めて、また元に戻してしまった。彼はさまざまな種類、多くの作品を鑑賞するよりも、気に入ったものを何度も繰り返し味わうという傾向の持ち主だった。「フォレストガンプ」も地上波放送を合わせれば少なくとも五回は見ていた。何度見ても彼には新鮮で新たな発見がそこには見出されたのだ。
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漱石と古都鎌倉 渚のあるおしゃれな町

田舎者にとっての東京、それはあこがれである前に巨大な怪物。いい印象もあれば悪い印象もあるのだが、悪い印象の方が大きいものだ。

なんか危い、怖くて物騒、物価は高くてハイテク、上品な品物ばかり。人は多くて交通機関は混雑、昼夜の別なく、眠らない街。

金、女、犯罪が東京と結びつく。六本木、銀座、歌舞伎町。

悪は善より目立つのだろうか、悪は人の会話に上るのだろうか。

東京下町、町人文化、江戸文化。

首都東京、世界経済における一大市場。

僕たちはそれを当たり前だとして、目にもとめない。

僕は東京に負けた身だ。ばかやろう、東京。

いつかその東京を手中に、すなわち僕の生きる世界の地図に収めたいから箱根を超えて、いよいよ関東圏鎌倉へ。

箱根は富士の麓だから、関東という感じを僕は受けないけれど、鎌倉というと関東、もう東京だと思う。大きな隔たりだ。

僕にとって鎌倉とはどういうものだろう。

1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府と中学生のときに覚えたものだが、この年号は近年の研究によって誤りが指摘されたようだ。日本において鎌倉幕府は新たな時代の幕開けでもあったろう。ここから武家社会が始まった。すなわち封建制度の伝統が。

明治維新まで続くこの封建制度は未だ、我々の社会風習に名残がある。このことはいま僕が読みすすめている「武士道」に詳しいのでまたまとめてみようと思う。

古都鎌倉は京都に親しんでいる私たちにとっては京都を想起することで大体の要望を知ることができるのではなかろうか。或いは奈良でもよかろうが。

しかし僕にとってはそれ以上の意味があった。鎌倉と漱石―。

「吾輩は猫である」にも「こゝろ」にも「彼岸過迄」にも鎌倉に関する描写がある。「円覚寺」には実際に漱石が参禅までしたというから、鎌倉は僕にとって非常に興味深いところなのだ。

現代に目を移すと鎌倉は、鎌倉・江ノ島というくくりで美しい渚をもつおしゃれな町として若い女性を中心に人気のある観光スポットになっているようだ。

歴史と流行が混ざり合う鎌倉はどのような姿を見せてくれるだろうか。
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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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