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みんなが忘れてしまっていること 親子の宿命 小説「自由への道」 32


本屋から出てきた親子が前方から歩いてきた。二十代であろう、まだ若く、しわひとつない、肌つやのいいお母さんで子どもを連れていなければ母親とは到底思えないほどであった。髪は巧みに後頭部に髪留めで束ねられていた。目鼻立ちが整っていたが、やや疲れも表れていた。ときどき子どもに目をやって、話しかけていた。子どもは手を引かれていたが、一方の手にはおしゃれな書体で店名がプリントされた小さめのビニル袋を提げていた。中身はゲームソフトであろうか、お絵かきセットであろうか、とにかく子どもはとてもうれしそうに母親の発する問いに答えながら、その袋を振っていた。眉の上で切りそろえられたまっすぐで瑞々しい髪。鼻は軟骨とは思えぬほど柔らかで、頬はもぎたての熟した桃のようだった。その眼はいたずらざかりの男の子のものだったから上井の注意を引いた。

俺にもあんな時期がたしかにあったのだ。悲しみなど一かけらも存在しなかった。常にそばには母がいて、俺は子どもだった。そうだ、誰もがみんな子どもだったのだ。それをみんな忘れてしまっている。純粋で、素直で、汚れぬ世界に生きていたんだ。できることならもう一度戻りたい、戻ってもう一度お母さんをこの身で感じたい。母のぬくもりを感じたその手で、かつて自分の手を引いてくれた母を棺に納めなければならないとはなんという悲しさだろう!だが、子であるからにはいずれそうしなければならないし、そうでなければ、それこそ悲しいことだ!〕

その子はすれ違う上井のことをそのつぶらな瞳でじっと見つめていた。彼は道を譲るように道脇へよけながら、こんにちはと挨拶し、そのちびっ子に手を振るような仕草までした。その母親はうれしそうにして、「こんにちは」は?と子どもを促した。その子は不器用に手を振っただけであったが、かわいらしかった。
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旅と日常


私は旅が好きである。人生にはおもしろくて楽しいことがたくさんある。それは人それぞれ違うのだけれど、誰でもきっと一つはそのような生きる楽しみ、喜びを持っていると思う。それが私はたまたま旅であるのだ。もちろん旅だけではない。読書や音楽、友との語らいも何にも代え難い大切で幸せを与えてくれるものだ。人生においてそれらのいずれかを放棄しなければならないと言われたら私にとってそれは絶望にひとしい。

旅とは日常を離れて生活することだと私は考えている。私はあらゆる所有物から解放される。自分が持っているものというのは自分を拘束するものでもあるということに気づく。旅に出れば私は日常から解放される。非日常を過ごす。そのとき手にしているもの、本、お金、音楽、着心地のいい衣類などが私の世界に必要なものだ。

私はそこで思う、両親は未だ定年を前に働いている。私はその恩恵を大いに受けている。金銭面でも生活面でも。そんな私がのんきに旅に出てよいものだろうか。彼らは働いていて、私は日常から解放されて生活している…。彼らは旅がしたいだろうか、見たところそれはあまり望んでいないようである。しかしそれは私の存在があるからだろうか。だが少なくとも彼らはのんきに旅行できるような状況に置かれていない、しかもそれは自らの選択によるものである。そして私は旅をするために仕事を選び、労働している。もちろん旅だけのためではないが、私の生活の中での優先度は高い。にもかかわらず、それが妨げられるのは釈然としない気持も少なからずある。結局私は両親を養うだけの成功を収めなければ気兼ねなく旅に出ることはできないのである。のんきに旅がでれる状況の中で成功するということがどれだけ難しいことであろうか。私はそれに挑まんとする者である。
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母の信仰が残したもの 現世の日常 小説「自由への道」 31


母はキリスト教信者であったか?それは息子の上井にも実のところわからなかった。母から直接教義を受けたこともなかったし、彼もなんとなくその習慣について口外することに抵抗を感じていたからだった。ただ母は祈りなさいと言った。「お母さんの病気がよくなりますように。」、「みんなが幸せに暮らせますように。」そういうことが祈るという意味であると彼は信じていた。それが習慣になると次第に形式が幅を利かせ、内容が閑却されるようになっていった。彼には毎日曜日の午前が退屈で、しまいには憂鬱になってしまった。けれども、他人のことを思うということ、世界という広い視野を持ち、そのなかにある社会、その平和という大きな思想が芽生えていたのであった。

根源的心の支柱である母を失って、世界は色褪せ、無味乾燥なものとなってしまった。〔生きる意味があるだろうか。〕そんな疑問が彼の中に生まれ、肥大化していった。生きる意味というよりはこれから生きていくであろう人生の旅路が果てしなく長く、とてつもなく苦労を要するものに感じられ、終局までたどり着ける気がしなかった。人生は暗い野道を行くようなものである。父は行く先を照らす光で、母はその導き手である。不安と寂しさ。それを埋め合わせるものはもうこの世界にはないように思われた。

彼はやおら起き上がった。二駅分離れた隣町の本屋に散歩がてらいってみようという気になったのだ。〔眠気もまぎれるし、外の空気を吸えば多少気持も晴れるだろう。何かいい本にめぐり合えるかもしれない。〕

電車の高架をくぐり、一級河川に架かるだだっ広い橋を渡って、国道沿いをまっすぐ歩いた。しばらく歩くと背中からじんわり汗が染み出してきたのが感じられたが、歩をゆるめることなく、淡々と歩いた。隣町は少し栄えていたので、パチンコや医院、カラオケボックスなどが点在し、街らしい風景をつくりあげていた。だがそれらは、彼の生きる世界とは違うところで活動しているごとく、彼になんらの印象も与えなかった。彼にとっては物体でしかなく、景色をさえぎり、日陰をつくる障害物でしかなかった。

〔夏も直に終わって、また季節がめぐる。こうして社会と日常はともに進んでいくわけだ。それらは俺に一瞥もくれないし、ましてや没し去った人間なんてまるでいなかったように気にもとめないんだ。それなのに俺はこの世界の平和を願おうっていうのだろうか。俺にとってこの世界がなんだというのだ。俺がしゃかりきになったってなんにもなりゃしない。〕
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上井と母 小説「自由への道」 30 第二章

普段と何も変わらぬ朝だった。うららかな日和、暇な休日。上井は時間を持て余し、昼近くまで寝台の上でぐずぐずしていた。部屋は雑然とし、床には紙くずや脱ぎ捨てられたTシャツ、椅子の背もたれにはベルトが今にも落ちそうにひっかかっていた。部屋を抜ける風はよどみなく清らかだった。

〔またこうして徒に一日を過ごしてしまうのはもったいない。だが特にすることも、したいこともない。第一、金がない。遊ぶ相手もいない。〕

そうしているうちに眠気が襲ってきた。彼はうつらうつらしてきて、夢と現を交互に行き来しているように遠く部屋の森閑さを聴いていた。

彼は二年前に母を病気で亡くした。筆者は幸いにして未だ両親健在であり、友人の一人として失った経験を有せず、その残酷なる喪失を知らない。ゆえに軽々しくその喪失感、絶望、その他あらゆる悲観的感情と真情を描写することは控えることとする。ただ外見上、伝わるものを書き表すに止める。

豪傑で老獪だった彼の父も今では、寂しく見えた。己が生業に沈滞することでいくらかその寂寞をまぎらわしているがようであった。ときどき、いや頻繁に彼は母のことを思い出しては痛切な思慕の念を抱いた。毎日曜日には習慣によって母が意識の上に形をとるのであった。母は生来病身で、それは私生活にも支障をきたすほどであった。すなわちその子である上井にも多分に暗い影を落としていた。そのため自立した子ではあったが、どこか卑屈であった。彼の希望は常に母の状態によるという条件つきであり、それは妨げとしかなりえない働きであった。活発で多感な時期に彼はどれだけ抑制されねばならなかったであろう、母を恨んだことも少なくはなかった。いつでもそんな母をかばうように、自分を諌め、諭す父にも腹が立った。「お母さんをみんなで支えてあげなくちゃいかん。きっとよくなるから、そしたら今まで我慢してきた分、大いにみんなで人生の味を堪能しよう。」母にできることとては、家族の健康を願い、祈ること、それは休みながらでもできる唯一のことであった。できるかぎり母は心をこめて祈りを捧げた。自分の身辺のことで家族を煩わせることはしたくなかったので一日のほとんどはじっとして体を休ませ、欲することを頼むくらいならやめてしまった。日曜日には息子と一緒に教会に出向いたが、これはほんの例外であった。日本において宗教は語られることの少ない、いささか難しい方面であって、教会が街中にあることが風変わりであったし、そこに通うことは尋常ではなかった。もちろんそれは世間一般の通例であって、誰もそのことについて四の五の言う権利は持ち合わせていない。ただその視線が物を言うのだけはいかなる聖者といえども控えさせることができないことである。
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小休止 僕の身辺変化


当ブログは前記事までなんとか体裁は保っていると自ら信じる「自由への道」という、批判を恐れず言えば、連載小説をしばらく上げていたのであるが、なんとか第一章という区切りを迎えることができた。ご覧頂いた方、たいへん感謝しています。小休止という意味と次回から小説ばかりを連続して上げるのではなく、雑話や随想を織り交ぜて書いていきたいというような気持が起ったのでその区切りと言う意味で最近僕に起った変化を少し書いてみたい。

少しまえに、初心に帰るということで「吾輩は猫である」を読み直して、それからもう一度今までの読書遍歴を振り返りながら、しっかりと順序だてて読書をしていき、もういちど思想と文学を考え直してみようと企てたことを書いた。

「吾輩は猫である」に続いて読んだのが「論語」であったが、僕の友人の一人にプロスポーツ選手を目指している男がいて、ただ自分だけ書物を読んでいてもなにも生まないと常々考えていたから、この機会にとその彼にスポーツをするうえでも役立ちそうな概念や言葉を紹介しようと思い、彼にメールマガジンのようなものを送ることにした。

それを彼はとても喜んでくれ、一緒に遊んだりしているときなんかにその言葉を彼が差し挟んだりして二人で笑ったりする。

それを続けているうちに、他の友人から、おそらくその彼からそのメルマガの存在を聞いたのだろう、自分もそれを読みたいという要望が告げられたので、彼には思案した結果、「学問のすすめ」を、もう一人の彼女には子育ての真っ最中ということだったので「エミール」の抜粋と解説をあわせたメルマガを送ることにして今に至っている。

当然そうしたメルマガを発行するに当って、自分でもしっかりと精読し、理解しなければならないので、僕自身にとっても有益であるし、読み手を意識して文章を書くことで訓練にもなり、とても喜ばしい進展となった。

そのいくらからをこのブログでも紹介できたら無駄なことではないだろうと思っているのでひょっとしたらあるとき急に変わった体裁の記事が現われるかもしれない。

「論語」から「自省録」にいき、現在は「武士道」にそちらの方の連載も続けている。

そういう次第で自分のための読書の量は大幅に減ってしまっているが、書く機会が増えたので自分ではそれほど憂慮していない。
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書物の分類、読者を選ばない名作「星の王子さま」 小説「自由への道」 29

余談だが、書物は三つに分類することができると筆者は考えている。「文学」、「学術書」、「大衆向け娯楽本」の三つである。それぞれの定義づけは、特に「文学」とは何かということについては専門家にその任を譲りたいのだが、私なりの定義は「書かれたその時代の社会を反映し、人類やこの世界の普遍性を明らかにし、もしくは明らかにせんとし、人間精神の向上を促し、共感と感動を起こし、文字という唯一の手段によって芸術性をもっている作品」と仮にもしておきたい。「学術書」は「自然科学と社会、哲学・思想について論ぜられた書物」である。最後に「大衆向け娯楽本」はそれらに入らない、「遊びや娯楽要素のみからなるさまざまなジャンルの本」である。つまり「友情」は「文学」、「学問のすすめ」は「学術書」というように区別できる。

将来公務員に、できれば教員になりたいといった後輩と国立大に通い、そのまま進学して大学院、助教授とキャリアを積んでいこうと考えていた同級生に「学問のすすめ」を推薦した。現代のように教育機関が整備され、世界における国際情勢の主流である資本主義に乗り遅れることなく、先進国としてその地位を築けているのは福沢諭吉の思想なくしてはありえなかったと松本は考えていたので是非彼らには読んでみてほしいという気持があったのだ。

前に挙げた理由によってこれらを女性に勧めることは憚られた。

「「星の王子さま」はどうですか。それほど長くないですし、話もまったく複雑ではありません〔子ども向けにも出版されているものですから〕。展開も早く、社会風刺と読者への作者からの尊いメッセージもこめられています。将来、子どもたちに読んで聴かせたらきっと子どもたちにもいいだろうと思います。とにかくすてきな話です。」彼は人差し指を立て、それをやや傾けながら言った。

「聞いたことあるわ、「星の王子さま」。難しそうじゃなくていいわね。なんだか論文めいていたり、回りくどいのはあんまり好きじゃないから―。きっと読んでみるわね。」

藤井さんが勤務を終え、その一時間後に松本も職場を後にした。幾層にも重なる入道雲から強い日差しの一片がこぼれていた。太陽が南中を過ぎてもなお厳しい暑さは続いていたが、風は秋を含み始めていた。

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女性の文学的好みの傾向 松本の推薦図書 小説「自由への道」 28

〔女性の好みとなると、あまり理屈っぽいのは受けないだろうから、俺の尊敬する夏目漱石をはじめとする近代文学は避けたほうがよさそうだ。社会のあり方やエゴイズムということを彼女らは考えるだろうか。その必要はないのではあるまいか。無難な恋愛小説なら悪くはないが、やはりどこか堅苦しいものが多い気がする。外国の文学でいうとキリスト教や社会思想が入ってくるものも敬遠されがちだろう。なぜなら、彼女らは概念的な幸福や理想社会などということはほとんど思いもつかないであろうし、教義や真理といったものには無頓着だからだ。彼女らはドラマを好み、美談や泥沼、刺激と爽快感に満足するのだろう。風刺に面白さ以上のことを見ないであろう。見えぬ愛と人情に感動を覚えるであろう。優れた詩情によって描かれる情景や描写からよりいっそう美しいものを引き出し、それを想像のうちに見るであろう。たしかにこれは一般論ですべての女性に当てはまるとも、当てはめようとも思わない。だが、藤井さんは子どもを持つ女性であるからして、より女性的であるだろうし、家庭の人となった女性はわが子、わが家庭が第一になるのは当然である。なぜ、社会や政治、人生を考えることがあろう、むしろ子どもの将来や自らの人生の開けた展望についての不安と望みに注目するはずだ。加えて現実的であるということも女性の性質として忘れてはならないもののように思われる。ロマンやあこがれについてあまり聞いたことがない。むしろファンタジーや喜劇と悲劇を望むのかもしれない。そうなるとどんな書物がいいだろう…。子どもがいるからやがては彼らにも話し、薦められるようなものだとなおいいな。そうなってくるとやっぱり名作ということになりそうだ。〕

彼がこうして気心の知れた人から本の紹介を請われたのは今回が初めてではなかった。何度か彼は友人、知人に自分の読んだことのある本の中からその人物に有益であろう本を選び出して薦めたことがあった。彼はほとんど古典しか読まなかったから、薦める本はどれも古典であったが、相手もそれを予期していたので閉口されることはなかった。どちらかというと世間で言われるところの名作、傑作を読んでみたいが、なかなかその踏ん切りと気構えを出来兼ねて彼からその後押しをしてもらおうとしているようでもあった。誰しも一般的に良いとされているものを経験したり使用してみたいものである。そのように聞いてくる人は大概読書家ではないから、長編を読むだけの根気と技量―読書にはある程度技量を要する。話の筋のないものもあれば、ひとつの大筋といくらかの文学的要素(社会批判や作者の哲学的思想など)から成り立つものもある。そうしたスタイルを理解しながら、自分なりの観を持たなければならない―を持ち合わせているか、その有無は不明である。よって、短編か中編を薦めるのが彼の中での定石となっていた。同世代の男子たちにはまず最初に余程イレギュラーがなければ武者小路実篤著「友情」を薦めていた。青春時代の男子が誰しも味わう、友情と愛情との葛藤を描いたその作品は少なからず彼らを励まし、感動させると思ったからである。あるいは福沢諭吉著「学問のすすめ」をその名の通り薦めることもあった。
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夏のゴルフ練習場、藤井さんの好み(本) 小説「自由への道」 27


正午になると本田は仕事を上がった。雑務を済ませて戻ってきた松本が本田の変わりに受付業務についた。室内はエアコンがよく効いていて、外の作業から戻ってきた彼には極上の快適さであった。

激しく耳に響いていた蝉の鳴き声は窓越しにかすかに聞こえた。肌を焼くような日差しは窓外の緑をきらめかせることに働きを転じた。飛び交う白球、芝に埋もれる小球。森林と境目をつくるように並べられた鉄柱にフェンスが張られ、打球が当るごとに小さな波をつくってはまたおだやかに風になびくのだった。やや傾斜のある地形を利用して、放たれた小さな白球は側溝をつたってたえず回収されていた。一球単価十円のゴルフボールが放物線を描いて宙を飛ぶ。地にめり込むもの、フェンスに囲われた領域外に飛んで森へ消えるもの、首尾よく回収されふたたびどこかの打席でティーに乗せられるもの。その運動の中でゴルフの練習を楽しんでいる人たちの労働の対価が費やされる。人間が物好きにも汗を流しながら回転運動をする。ボールは機械によって規則正しく各打席へと運ばれる。それが一日中繰り返されることでこの商売は成り立っている。不思議なものである。人間は楽しく疲れたい。できる限り派手に時間つぶしをしたい。そんな欲望がどこかにあるのかもしれない。

「松本君、本をよく読むって言ってたわよね。私最近本でも読んでみようかしらなんて思うんだけど、どんなのがいいかわからなくて、そうだ松本君に聞いてみようって思ったのよ。なにかおすすめの本なんかあるかしら?」藤井さんは髪の美しい女性である。肩まであるその髪はまっすぐでつやがあり、茶色く染められていて殊に美しく見えた。その髪を指先にからませながら言った。

「普段はあまり本を読まれないですか?」と松本は積極に出た。

「そうね、特に最近は読まなくなったわ。それでもたまに読んで夢中になるってことがあるのよ。私、読み出すと続きが気になって最後まで読まないと気がすまなくなっちゃうから、あんまり長いのはNG。だから、展開にメリハリがあるのじゃないとダメね。途中で飽きちゃうの。教訓めいていたり、世の中や社会に対して批判的なものだとつい引き込まれちゃうからいいわ。一日で読み終えちゃうか、一冊読み終わるのに数ヶ月かどっちかなのよ。多少長くても夢中になれれば苦にならずに何時間でもかけて読み終えれちゃうし、どんなに短くても入り込めなかったら延々かかっちゃうわ。それでも勧められたものはがんばって読むけれどね。」と藤井さんはほほえんでいる。

「では、短編、中編というところですね―。うーん、何がいいでしょうかね……。」と右斜め上の方を遠くを見るような目で見みながら、松本は考察と比較を脳内で繰り返した。
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藤井さんの暮らしぶり 小説「自由への道」 26


藤井さんは三時ごろに仕事をあがり、そのまま保育園に通う一人息子を迎えに行く。帰りの車の中でその日にあったことなどを聞くと、息子は「今日はだれだれちゃんと遊んだよ。」とか「先生に折り紙でアンパンマンをつくってあげたー。」と言ったりした。後部座席で疲れて眠っていることもあった。帰宅してまず、洗濯物を取り込んで、子どもとコミュニケーションの一環として小さなお手伝いを頼む。夏なので窓を開けてもらったり、洗濯物をたたんでもらったり。夕食をつくり始めるまでの少しの時間は子どもと遊ぶ大切な時間で、おもちゃ遊びやカード遊びなどをして過ごした。家は市営住宅で決して広くはなかったし、一面フローリングとはいかなかった。玄関はせまく、収納スペースに限りがあった。けれど、窓は大きく、和室も一隅に設けられていて、将来の子ども部屋も用意できる間取りであった。何不自由ない生活ではあったが、余裕があるわけではなく、不測の暗い影が家族を襲った場合にもちこたえるだけの財力も後ろ盾もなかったので、共働きをしなければならなかった。しかし、藤井さんはフルタイムで働いていたわけではなかったので、どれほど家計の助けになるかという点では事実頼もしいものではなかった。彼女は高卒後、子どもができるまでずっと一労働者として働いてきて、働かずに暮らす日常というものになじみがなかった。子どもができたことはその感覚に変容を来たすことなく、そのすべてが育児に割り当てられるわけでもなかったのだが、それは彼女自身が育児を一手に引き受けてこなすだけの自信を持たなかったことも要因であった。子どもは少なからず寂しい思いをしなければならなかった。日ごろ我慢している分、両親が休みの日にはいろいろなところに連れて行ってもらうことができた。それは彼にとって大きな楽しみで、幸せな時間だった。好みが形成される年齢にはもう少し時間があったため、どのようなことにも興味を持ち、接する物事すべてが刺激的でおもしろかった。だが、ひとついえることは彼にとって平凡でのんびりとゆったり過ごす日というのはほとんどなかったということである。
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勝負師、本田 小説「自由への道」25


「ときに本田君は最近試合とか行ってるのかしら?」

「そうですね、今月末に研修会があるので、試合ではないんですが、それに向けて練習ですね。スイングが固まってないんでいいスコア出そうにないですが。」本田はいつになく弱気である。

「ゴルフで食べていこうっていうんだから、大変だしすごいわよね。実力だけの世界で誰も助けてくれないし、普通のスポーツ選手と違って勝てば多額の賞金、負ければゼロっていうシビアな世界みたいね。最近では若い選手がどんどん出てきてるみたいだし、いっそう厳しい世界になったわね。」

「完全に実力の世界ですね。年齢も実績も何も関係ありません。一打に億がかかってたりしますからね。グリーンには金が落ちてるんだ!なんてみんな意気込むんです。でもその分熱くなるんですよ。これはスポーツの特権で他では味わえない感情です。僕は負けず嫌いなんでなおさらしびれますよ、ほんとに。」

「熱中するものがあるっていいわね。若いってだけでどうにでもなるものよ。がんばったらがんばった分だけきっと得るものも大きいわ。早く次のステージに進めるといいわね。」藤井さんは陽気に励まし、笑みがこぼれた。本田はまんざらでもなかったが、彼なりの自負もあったため、短くありがとうございますと答えたのみだった。会話は接客の合間に交わされ、それらをあわせたらざっとこのようになるのだった。
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親や大人たちが教えてあげられないこと 小説「自由への道」24

「そういえば、ディズニーランド行くって言ってましたよね、どうでした?」と受付に入った本田が藤井さんに声を掛けた。藤井さんは三十路の角を曲がって、肌のハリ、声のツヤに衰えの出始める年齢であった。既に恥じらいも、気品もどこかに忘れてしまったため、陽気な人であり、磊落そのものであった。彼女と一緒にいることは気持ちいいことであった。

「すごいよかったわよ。私もディズニーシーは行ったことあったのだけど、ランドは初めてですっかりディズニーワールドのとりこになっちゃったわ。子どものほうが大変で、その日は一日中興奮しっぱなしで、帰ってきた次の日の保育園でも昼寝の時間なのに、保母さんに話したくて話したくてぜんぜん眠らなかったくらいらしいのよ。」と子どもの様子を愛しみを込めて話す姿はいかにも母親らしかった。

「本当にあそこは別世界ですもんね。僕も小さいときに連れて行ってもらったんですけど、そのときの写真を見るととても楽しそうで、その中にはドナルドの帽子を買ってもらったのがうれしくて、写真に撮ってもらっているのもありました。何度行ってもいいですよね、またいきたいなと思わせる魅力があります。」と本田は幼少期の記憶を引っ張り出そうとした。

「やっぱり親なら子どもに一度はディズニーランドに連れてってあげたいと思うものなのね。ディズニーやジブリの映画や絵本は子どもらしい好みに適しているように思うわ。アニメや絵本って親や大人たちじゃ教えてあげられない、もっと大切なことを教えてくれているように感じるし、子どもたちも頭では理解できなくても、無垢な心で感じ取っているように思えるの。彼らには善や正義が自然と判断できるのよ。私たちは目で物を見ようとしすぎて、心の目で見るってことがだんだんできなくなってしまうのね。」藤井さんは目を細めた。彼女は教育ということは深く考えてみようとしなかったが、子どもの心を育てる、将来立派な大人になってほしいという気持だけはもっていた。母親に、子どもを育てるのに細かい理屈や、複雑な理論は無用なのだ。彼らに寄り添って、彼らと同じ目線と感情を忘れずに、共に成長していく、一方的に教える、教えられるという関係ではなく、お互いに教えられることがあるんだと彼らに接すれば、彼らも親自身も悪い人間とはならないであろう。私たちは良心という神秘を授けられているのだから。
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小説「自由への道」 23


〔社長は会社を運営する、社員はその担い手であり、研修生はやがてプロゴルファーとなって所属しているゴルフ場の名を広める、いわば未来の広告塔で、バイトは彼らを支える小間使いのようなものだ。だから俺はトイレ掃除やボールの洗浄をやらなければいけない。これが俺に与えられた仕事なのだ。しかし、一緒に仕事をしているのだからバイトでない人もやっていいようなものだが…いや、彼らには彼らにしかできない事務や宣伝という特化した仕事がある。ゆえにそちらが優先される道理だ。みんなが嫌がる仕事をすすんでやることは尊いと思うが、それとは違う。やって当然であるし、それをさぼるのならば、それは罪とならないだろうか。〕

松本はなるたけその仕事に勤しんだ。だがむなしさを感じないではなかった。洗っても磨いても綺麗にならない便器、洗浄してもどんどん汚れ、傷んでいくボール。現状維持どころか、その悪化や劣化のスピードを遅らせるような仕事は成果がみえず苦しいものである。しかも手を抜こうが、一生懸命やろうが時給は変わらなかった。彼はどこにやる気と成果を見出せばいいのかわからなかった。それでも時々お客さんに声を掛けられることがあった。「ごくろうさん。」、「えらいねー。」、「ありがとう。」そうした言葉が出るときにはとりわけ喜びであった。だが世の中というのは、善いことよりも悪いことのほうがたくさんあるようにできている。いい客よりも厄介な客のほうが多いわけである。綺麗に設備を使ってくれる人よりも雑に使う人のほうがどれだけ多いことか。ごみを拾う人よりも捨てる人のほうが圧倒的に多い。だが考えてみると、そうした無教育で無作法な人たちがいるおかげで仕事のある人が社会には数多くいるというのが現実である。その証拠に町中にある公共物で清潔美化されているものはほとんど存在しない。松本はトイレを汚す人、タバコの吸殻をそこいらにポイ捨てしていく人たちに憤りを感じたが、その反面、自分がそうして汚された職場を清潔にすることを仕事としていたために、感謝もしなければならないような気がして釈然としなかった。
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小説「自由への道」 22


「スイング理論もいいが、思ったような球が打てるかどうかの方が重要だと思う。ゴルフはどれだけ思いどおりに球をあやつれるかを競うスポーツで、決して美しいスイングを競う競技でもどれだけ遠くへ球を飛ばせるかに挑む競技でもない。そこには勝利への哲学がある。理想的なスイングができれば、もちろん球は思ったとおりに飛んでいくだろう。一方、ボールが思ったとおりに飛んだら、それはよいスイングと言えるのである。逆に、どれだけ美しいスイングをしていても、方向と距離がぴったり合わなければ、それは結果、悪いスイングといわざるをえない。本田のやっていることはスポーツ選手が求めることではなく、芸術家が求めるところのものだ。つまり形式美に執着しすぎている。今のままでゴルフを続けるのならば、結果は芳しくないだろう、芸術をやるか、経営者でもやったほうが安泰だろう。人好きのする性格と容貌をしているから案外うまくいきそうだな。」

たしかに本田は第一にスタイルがよかった。手足が長く、ウエストラインが引き締まり、ゴルフによって培われた良質のやわらかな筋肉にまとわれたその肉体は美しくもあった。人一倍眼窩が大きいかと想われるほど見開かれた目には特徴があった。鼻は高かったが、やや外鼻孔へ広がりがもたせてあり、口が大きいので話したり声を出すときには迫力があった。そんな彼に松本は言った。「ゴルフうまくなって、ツアーで活躍するようになったら、スポンサーがたくさんつくだろうよ。」と。

また、彼は仕事に対して不真面目であった。だが本人の感覚では研修生は練習に重点を置き、普段の仕事は最低限指示されたことをこなしさえすればよかった。彼はそれまでにひたすらゴルフに打ち込んでいたので働くことや接客、もてなしということには無関心であった。その分を松本やその他のバイトがカバーしなければならなかった。無論、正社員は事務や主要業務、いわゆる雑務や汚れ仕事ではないことに従事していた。

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小説「自由への道」 21


「たしかに、右ひざに向かってクラブを下ろしてくればスイングプレーンを外れようがないようだ。」ともっともらしい相槌を打った。「サッカーにも言えることだろうね、シュートの精度はトラップしたボールの位置に大きく左右される、つまりボールをシュートの打ちやすい場所に納めることができれば、自ずといいシュートが打てるわけだ。」松本は合点し、こう加えた。

彼がこのような解釈をつけたのは、本田が大のサッカー好きであったからである。「ゴルフは仕事としてやっているから楽しいとかそういう感覚ではない。好きなスポーツはサッカー。」と彼は自ら言った。東北地方出身であったが、埼玉県に本拠地を置く浦和レッズの熱烈なファンであった。その熱狂ぶりは浦和にあるホームスタジアムまで車で一年に何度か試合を見に行くほどであった。ユニフォームはホーム仕様とアウェイ仕様を別々に複数枚もっていたし、チームフラッグも部屋に飾られていた。Jリーグの試合は地上波であまり放送されないため、サッカー専門チャンネルを契約して浦和戦を欠かさずライブで観戦し、何か用で見ることができない場合は、録画してみていた。ちなみに、いいゲームだった場合はライブと録画の二度みることもしばしばあった。

自分の好きなことを仕事にすると辛いということは世間でよく言われることで、料理人は普段家では料理を作らないというし、お笑い芸人もプライベートではシャイでクールという人のほうが圧倒的に多いとテレビで聞かれることである。本田もゴルフ自体にはあまり興味を感じないようであった。ゴルフは地味なイメージのあるスポーツで華やかさに欠け、熱いものもあまりないと考えていた。では彼はどうしてゴルフを始め、プロを目指し、それで食べていこうという気になったのであろうか。それはよくあるように親の、特に父の影響であった。彼の父はツアープロとして一時期活躍した名うてのゴルファーであった。厳しいプロの世界では残念ながら長く現役を続けることはできず、早くに引退して家庭人として生きることとなった。地方で自営業を営み、それは順調であったため、自然、家庭は豊かであった。息子にゴルフを勧め、手ほどきをするとみるみる上達し、熟練の彼の目にも才能の片鱗を認めさせるほどであった。子どもは親に与えられた視界の中で生きることしかできない。彼にとって生活の中心はゴルフとなり、それは生活の術へと様相を変えていった。彼の気質を捉えたこと、それは自己マネジメントとスイング形成の妙であった。それはゴルフの奥深さであり、難しさでもあった。自己マネジメントには哲学が必要で、スイング形成には物理学と先人たちによって培われてきた基本と理想とがあった。彼を見ているといいスコアを出すことよりも理想のスイングを完成させることに注意を向けているように見受けられた。
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小説「自由への道」 20


本田は控え室の隅に立てられた自分のキャディバッグから七番アイアンを引き抜き、スイング時のスタンスをとって脇を締め、コックのタイミングをくり返し確かめ始めた。

〔このタイミングでコック完了して、そのままトップまでもっていく。腰を切りながら右ひざのところに納めて、さばく。こういうことなんだな、きっと。〕

「松本さん、大事なのは納めてさばくことですよ。」本田がモーションを止めて得心が行ったという表情をした。

なるほど、彼がいわんとしたことは、人間の動作すなわち骨格と筋肉によって得られる方向や力の限定的作用に対して、適切に対象物を配さなければならないということであった。言い換えればこれは礼儀作法であり、基本動作、理に適う運動であった。たとえば食物を食べるという動作について言えば、人間の食べるための特性は口という器官でしか「食べる」を達成できないということである。食物はここではご飯としよう、茶碗に盛られたご飯があり、そのご飯を口まで持っていかなければ「食べる」を完了できない。ここで「納める」はどういうことかというと箸でご飯をつかみ、しっかりと口もとまでもっていくことであり、「さばく」とは口を開いて、その中へご飯を入れることである。読者はなにを当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれないが、世の中のすべての物事はそのようにして首尾よく扱うことができるのだ。対応するためには備えと、構えが必要である。物語を書く上でもおおよそのあらすじを描く、そしてそれを文字に表す。納めて、さばく。それだけである。加えて、「さばく」ことは人間の行動原理に基づく動きを指すので、いかに「納める」かが問題なのだ。

タイムカードを定刻の五分前に押した松本を本田は控え室に引き止めた。
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小説「自由への道」 19


アルバイトは学生のためにあるというのが日本では一般的である。学生は朝から夕方くらいまでを学校で過ごすため、通常夕方や夜の時間帯で働く。世の中は学生中心でまわって入るわけではないから、当たり前に朝や昼にも人出が必要である。そこを埋めるのはパートと呼ばれる長時間でかつある程度時日を固定された労働形態で、主婦やフリーターなどがその役を任じる。松本は分類するとすれば、フリーターとなるに相違なかったが、彼自身としては自分をそのようにみなすことにいくらか抵抗があった。それは単に体裁を意識するが故に起る感情であって、見栄のために働き生きようというのかと自ら諌めた。前に言ったとおり、五時間以上の労働は原則回避させてもらうことを直々に談判した。人手不足や、やむを得ぬ事情の場合はもちろんその限りでないから、頼みにしていただいて結構だということもあわせて伝えた。

彼が正午をまたぐようなシフトで入ると、基本早朝から正午までの勤務となっている研修生と仕事をすることになった。パートさんと一緒になるときには雑務をパートさんがいないときは受付業務をやる役回りであった。

「おつかれさまです。」と入ってきて挨拶をしたのは松本である。すでに受付にはパートの藤井さんが立っていて、控え室では研修生の本田が仕事中にもかかわらず、控え室に一台ある、事務用に準備されたパソコンでyoutubeに上げられた世界のトップに君臨するタイガー・ウッズや抜群のショット精度を誇るチャール・シュワルツェル、若手ナンバーワンの呼び声高いローリー・マキロイなどのスイング動画を自らのスイング理論の参考に分析していた。それらの動画は、スローモーションはもちろん他に解析つきのものまであった。ゴルフに限らず、世界のトップアスリートのプレーやフォームを誰もが手軽にネットやタブレット端末で視聴でき、それはより人々に感動と驚きを与えている。同時に彼らを目標とするアスリートにとってはよい参考ともなるのだ。

このゴルフ場には本田と松田、二人の研修生が所属していた。本田はエリート、松田は超エリートというふうに簡単に区別することができた。日本トッププロを数多く輩出した名門大学出身の先輩と後輩で、松田が学年二つ上の先輩であった。(ちょうどその間の学年が松本である。)知名度が全国区である裏づけとして、本田は東北出身、松田は九州出身であった。どちらもスポーツ選手らしく上背は一八〇センチを超えていて、本田はややほっそりしていて、松田はがっしりとした体型をしていた。どちらもエリートといった所以はジュニアの頃からそれぞれの地方では名の知られた選手で、松田に至っては全国大会優勝経験があった。
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Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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