小説「自由への道」 3


彼はその日、終日部屋に閉じこもっていた。正午過ぎに階下から母が「ご飯できたわよ」と呼んだときと、彼の父が仕事から帰ってきて夕食の準備が始められた頃合に自ら食卓へ来たのの2度きり部屋を出なかった。

彼は書物を多く読んだ。しかし、楽しいから読んでいたのではなかった。第一に毎食後の歯磨きのような、生活の身だしなみであった。それによって頭脳は栄養を与えられ、思考は浄化されるのであった。歯磨きとたとえたのは楽しみではなく、時にはめんどくささを覚えるが一種の気持ちよさがあるからだった。第二に適度な運動に近いものであった。学生時代までは人は誰しも少なからず、運動や体を動かすことをするものだが、自動車を手に入れ、仕事をし、仲間との時間が少なくなると、それに合わせて運動をする機会も減っていく。やがて贅肉が目立つようになり、中年となっていく。思想や思考についてもまた同等なことがいえると彼はそう考えていた。大人になると試験がなくなる。すると一切勉強というものから遠ざかる。想像力や記憶力といった脳機能が低下していく。彼にとって読書はそれを防ぐための鍛錬としての意味も持っていたのだった。

彼はこのように論理的に物事を捉え、考える性質を持っていた。母は一時期、心配になって「毎日楽しい?」としばしば聞いたものだった。母だけでなくさほど仲のいいわけではない友人からも「お前は本当にストイックだな」と言われることがあった。彼は彼なりの満足感を覚えていたことは事実であって、彼の感覚では楽しいことが喜びとなり、欲求を満たすということはなく、苦しみや我慢を含む努力によって得られる発見や成功が快楽であり、おもしろさであった。

本の読み方から、彼が道理を解する人間だということが認められた。人間として必要な性質の一つはこの道理をわきまえるということである。彼は物事のし始めに殊に注意を払った。闇雲に本を選ぶのではなく、始点を定め、脈絡をつけなければ了解しなかった。具体的な例を、彼自身で示してくれている。誰もが始めは初心者で精通するには一定の期間が必要で、彼も最初は良書にこだわりながらも何気なく読んでいた。
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小説「自由への道」2


一般的にいえば遅めの朝食を終えると、彼は2階の自室へと上がっていく。母がリビングにいたとしても2,3の言葉を交わして上がっていってしまうのであった。

彼が自室でどのように過ごしているのかということは、その部屋の様子を記せば、おおよその見当がつくであろう。

先にリビングといったことから分かるように、彼の家は西洋住宅であり、すべての部屋が洋室であった。扉を開けるとすぐにちょうど入室者と斜(はす)に向かい合うように勉強机が置かれている。その机上には読みかけの文庫本が乱雑に積み上げられ、本立てには旅行雑誌や旅館・温泉に関する本が並んでいた。室内には椅子が一脚だけしかなく、それは机に適応したものであったため、ソファーや肘掛け椅子の類はなかった。しかも、この椅子が元々机と一組になっていたものではない、オフィス用回転椅子であったから松本はとても苦にしていた。彼が机で読書をすることをあまり好まなかったのは、この椅子の座り心地が悪かったからであることは言わずとも推し量れることである。

その椅子から手の届く範囲、左手にレコードにも対応したオーディオデッキ、右手には縦長で木目の美しい本棚があった。白い壁紙とその木目調がよくマッチしていた。他に部屋に置かれていたのは箪笥、先ほどの半分程度の丈の本棚だけであった。引き窓とレバー式窓の二つから光が取り込まれ、クローゼットはその間に二箇所設けられていた。色調は淡白で北東にある部屋だったため、季節によっては家中でもっともに陰気さを感じる部屋でもあった。

今語ったところでは、彼の趣味を十分に理解するのには不足であろう。シンプルな性格か、几帳面であるということがうかがえるのと、テレビがないことから世事に無関心ということも分かる。しかし、彼は、あるいは彼の家は貧乏であったのかもしれない。彼の趣味はおそらく、読書と音楽なのだろうとの察しが読者にはついただろうから、その中身がどうなっているのか、書いておく義務があるだろう。

本棚にはたくさんの本が詰まっていて、前後二列に並べられていて、後ろに控える本はその背表紙を隠されているので分からなかったが、文庫サイズがほとんどである。目に飛び込んでくる題名をあげると、「戦争と平和」、「魔の山」、「こゝろ」、「レ・ミゼラブル」などで国は幅広く、年代に関して言えば、普通、古典として認識されている作品が多かった。

音楽も同様で、レコード盤があることから分かるように、彼はやはり古風な好みを持っていて、そのレコードはベートーヴェンやショパンでこちらもやはり古典であった。もちろん、ビートルズなどのポップなものやロック、ジャズなどもCDで聴くようであった。

詮索好きな読者は彼は一体どこで寝ていたんだ?と疑問を持つであろうから、それについても説明しておくと彼はフローリングの床に畳を模したマットを敷き、その上に布団を敷いて眠っていた、彼は日本の生活様式を好み、古風な感覚の持ち主であったのだ。
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挑戦 小説「自由への道」1


前記事で大げさにも旅日記を物語に仕立て、それを読み物、作品としてブログにアップしていくことを「挑戦」とした。

たとえそれが意味のないことだとしても、そうした行動は意味をもつだろうし、何かに「挑戦」したらその結果必ず何かを生む。

僕は続いて、こんなことを考えた、旅日記をこつこつと1日、1日書いていけたのならば、そうして小説みたようなものも書くことが出来るのではないか?

あくまで「挑戦」だ。

続けられぬかもしれないし、つまらぬ取るに足らないものになるかもしれない。

考えても、不安を持っても、心配しても仕方がないので、はじめてみよう。


 小説「自由への道」

無意識を意識できぬように、眠りもまた知覚することが難しい。目が覚めるその瞬間を捉えることは誰にもできぬのではないか。少なくとも松本にはそれができたためしがなかった。だが彼は自分の感覚というものを常に大事にし、それを鋭敏にしようとの努力も少なからずしていたから、その結果であろうか、目覚めた瞬間におおよその時刻が分るのだった。つまり、眠りに落ちた時刻を把握し、目が覚めたときの熟睡の度合を時間感覚に書き換えることができるのであった。

(おおよそ九時であろう)彼はそう思って、枕元においてある時計の代わりしている携帯電話を見た。果たして八時五十四分であった。彼は目覚まし時計を高校を卒業して以来使用していない。彼はそうしたわずかな制限であれ、「制限」をひどく嫌っていたからである。都市部の高校に通っていたので、自宅からサラリーマンなどと同じく朝の満員電車を乗り継いで行かなければならなかった。そのため早朝に起きなければならず、やむを得ず目覚まし時計を掛けていた。

彼はまず時刻を確認する。続いて近視がひどかったため、携帯電話とは逆の枕元、おおよそ仰向けに寝た場合の右耳のあたりに丁寧に置かれた眼鏡をつける。眼鏡がなければ生活ができないので、彼の人生においてもっとも重要なアイテムである。ようやく部屋内が判然とするので、そこでもう一度掛け時計に目をやって、時刻を確認する。これは意味はなく、クセに近い。

彼の部屋は二階で、リビングは一階にあった。吹き抜けの構造になっていたので部屋を少し出て階下の様子が少し分った。欄干から下を除くと五割の確率で母がテレビに向かってソファーに腰掛けているのが見えた。

普通、小説ではくり返しを避けて、人物であれば固有名詞を彼や彼女として主語に持ってくるが、母の場合は彼女といってはなんだかおかしい気がするので、母はということにしたい。

母は週に2,3日パートとして働き、土日は休日であったため、およそ彼が階下を覗き込むときには半分の割合でそこに母を見出すのであった。

在、不在に関わらず、食卓には朝食が準備されていた。すでに温かみは失われていたが、ご飯茶碗にかけられたラップにはお米からでた湯気の名残として水滴が目にはっきり見える大きさで付着していた。

それらは大概、昨晩の残り物と、父の弁当のおかずの余りであった。

その日、母は不在で彼は差し込む日の明るさの中で独り朝食を食べた。普段よりなんとなくだだくさに食べて、ゆっくりと片づけをした。けれども、感謝の念を失うほど無関心には食べなかった。

彼は食が細かったので、その朝食を昼食と2回に分けて食べることもあったし、朝昼兼用で11時過ぎくらいに食べたりもした。彼は食べることに関する倹約が大きな成果を生むことを経験でよく知っていた。
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夏旅 挑戦・思い出


夏旅最後の日。

一週間に及んだ旅はこうして書き起こしてみると内容に富んでいたように思えるし、長かったようでも、短かったようでもある。

草津温泉から名古屋に戻るまで最短でも10時間を超える今までにない長時間の電車移動。

途中休憩をいれながら、晩までには自宅に着きたいと早朝に出発。

昼ごろに横浜駅にて定番の「崎陽軒」中華食堂でリーズナブルなランチセットをいただいた。

旅の締めくくりに名店のシュウマイは深い感動を呼んだ。

この旅で名所を数多く見物したが、おなじく和・洋・中、さまざまなその土地の名品も食すことができたのも大きな収穫であった。

おみやげに「ねんりんや」のバームクーヘンを買ったりとずいぶん名菓にも通じるようになったものだ。


熱海では海水浴を楽しんで肌が赤茶けた若者が塩の香りを車内に持ち込み、伊豆、蒲郡で花火大会があったようで、電車が近づくにつれ浴衣を着て、装い華やかな女性たちがまわりに目立つようになったのは興があった。

松尾芭蕉の「奥の細道」になぞらえながら進んだ夏旅であったのに、最上川から以降、特に出羽三山をたずねることができなかったのはひどく残念であった。次回に持越しである。

わずかな貯金をいくらか切り崩しながら推し進めた一人旅。

明日からはまた普段の生活に戻り、消費した分、倹約と勤労の日々を過ごしていかなければならない。

心は大いに満たされた。今は欲するところとてない。

しばらくは平安な日常を暮らしていくだろう。

記憶の薄れぬうちに、そして途絶えることなく書き終えたいという気持ちがあったので、当ブログのスタイルを強引に変えて1テーマのみで進めてしまった。

旅日記にあまり興味がない方にとっては、もしごらんになってくださっていたならば退屈であったかもしれない。

けれど、これは一つの挑戦でもあった。

文章を書く練習にもなるであろうし、なによりいい思い出として、作品に近しい形で残すことを願ったのであった。

お付き合いいただき、ありがとうございました。  <完>
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夏旅 難しき女性との関係


僕の携帯電話は一日のほとんどは黙っている。

メールも電話もあまりしないし、インターネットはほとんどしないので、未だガラケーで今後も替える予定はない。

そんな携帯電話がブーブーと反応したから少なからず驚いた。

それは同じ高校の女の子でしばらく連絡をとっていなかった子だった。

「ひさしぶり 元気?」

特別な好意を持たぬ女の子から届くメールはたいがい用あってのことだとわかっているので、その次に来る本題に多少の期待を持って返信した。

「元気だよ。 Aも元気?」我ながらそつがない返信でなんらの感情も有していない、あくまで主体を相手に置かんがためである。

「Hくん、いま彼女いる?」

案の定、率直に本題に突入した。彼女の僕に対する淡白さも恐るべしである。

この種の問に対して、僕らは―まぁ男性一般としておこう、―彼女や恋人の有無に関係なく「彼女いない」ということにしておく。

チャンスを自らつぶす必要はないのである。

恋愛に合理性を求めるのは野暮で野蛮だが、恋愛の至上目的が愛を深めることではなく、最良のパートナーを見出すということであるならばいたしかたがないことだろう。

いないと伝えると、最近友達が失恋して傷心してるから誰かいい人紹介したくてその候補として白羽の矢が立ったのだ。

その相手がどういう人だかその時点では皆目見当がつかなかったので、当然期待もあったが―だが、あまり期待し過ぎないほうがいい―僕としては無論Aからのお誘いの方が好ましかった。

それは、今回はおくびにも出してはならないし、次の機会にゆずる方が懸命だと、冷静になれた。

最重要項目である容姿について(最低なことを、いとも簡単に!)かわいいのか聞くと、女性というものは正直でその答えは

「同じサークルの友達でおもしろい子だよ」ときた。

《かわいくないのかい!》とひとり突っ込む。

まぁ、彼女には彼女なりの自尊心もあるから、そこを掘り下げるのはやめておいて、百聞一見にしかず、写真を送ってくれるように頼む―いやはや、便利な時代である―。

「じゃあ、友達にもHくんの写真見せたいから送って!」と予想通りの答え。

まったく、したたかというか、損をしてたまるか、憂き目にはあわぬとの強い決意である。

交換条件を出されては、僕も提案した側であってみれば遠慮するわけにはいかないので要求に従った。

完全に当初望んだことではあるが、相手のペースに持ってかれている。

ここで自撮りを―忘れてはいけない、ここは旅先の旅館である―するのは気が引けるし、だいたい自分の紹介のために自分で自分の写真を撮るなんて恥辱だ。

データファイルにあった適当なものを「こんなかんじだったよね、俺?」とよくわからないコメントとともに送ると、「うん、こんなかんじだった。はい、隣の子ね」とAからも友達の写真が送られてきた。

ちゃっかり、自分もなんだかかわいく写っている写真で、ぜんぜん傷心の子よりもAの方がかわいいのでもうなんだかめちゃくちゃである。

「Aの方がかわいいね、うん。写真が悪いよ。もうちょっとかわいい子ならいけるけど、ちょっと厳しいわ、ごめん」

この上ない恐ろしく最低な断り方である。それは自分でも十分に理解している、しかし、はっきりと言わなければここまで進んでしまった以上、その子を彼女とする意志のあることと同義となってしまう。

「Hくん、なかなか言うんだね…わかった、ありがとう!」

といささか驚きと焦りの様子であったので、結局僕自身の株を暴落させて事なきを得たわけである。

うーん、女性との関係というものは難しい。
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夏旅 草津温泉


湯畑のぐるりに旅館、ホテル、飲食店、おみやげ屋が並び、その中でも特に気を引いたのは新築でつやのある外装の「したつづみ亭」であった。

群馬の銘柄牛「上州牛」が手軽かつカジュアルに味わえそうであったので少し迷ったが入店した。

まわりには温泉饅頭もあったし、昔ながらの定食屋もあったので甲乙つけがたかったが。

「上州牛御膳」というスタンダードな献立を注文。

重箱にやや薄めに切った上州牛とL字に表面積をとるように各種天ぷらが詰めてあり、てんつゆとステーキだれがかかっていて見た目にも濃厚であった。

そして御膳なので味噌汁、サラダ、小鉢も一緒になっていて、それぞれ奇をてらわない安定した味だった。

上州牛のステーキはというと、僕は元来牛肉がさほど好きではないので、食べるときはある程度の決心と、慎重を期するのであるが、このときはその肉片が薄めにスライスされており、脂身が少な目だったので安心していたが、それでも最後の方にはややくどい印象を持ちそうになるくらいであった。

全国の銘柄牛も少しずつ制覇していきたいという気持ちも芽生えたのもここに加えておく。

やはりどの牛肉にも特徴と独特の味わいがある。

そして、それらは意外に奥が深いようである。

上州牛はやわらかく、淡白な味わいであるがしっかりとした風味がある。


この日の宿は、湯畑から徒歩2分くらいのところにある『田島屋旅館』

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こちらの写真は温泉饅頭に定評のある「田島屋」でこの裏地に面して「田島屋旅館」がある。

おそらく同一経営だろうと思うが、アットホームを超えて、田舎の祖母の家といった雰囲気で個人的には落ち着いて過ごしやすい旅館であった。

素泊まり5250円で草津温泉の源泉風呂を持っているので十分である。

露天風呂もないちいさな3人ほどしか入れない内湯であったが、湯畑から直接引かれた源泉かけ流しで栓をひねると太いパイプから源泉が贅沢に惜しみなく注がれる。

草津温泉はくせになるほど良質だというのが実感である。

温度が高かったが、入りやすい湯というか、何度もつかりたくなる泉質だった。


旅館の和室で最後の夜をのんびり過ごしていると、僕の携帯電話に一通のメールが届いた。
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夏旅 最後の地 草津温泉


行きに利用した路線を再び使うのはなんとなく退屈を覚える。

というのも、僕は振り返らない性格というか前向きな考えをするクセがあるからである。

加えて、好奇心がおそらく世間一般の人よりも強いのもその原因かもしれない。

この日に向かった『草津温泉』は日本三名泉にも数えられる日本を代表する温泉。

思い出されるのは、幼い時に父が子どもたちを喜ばせようと色のついた入浴剤を入れてくれたことだ。

その入浴剤の中に「旅の宿」というのがあって、パッケージが温泉地の版画絵になっており、「草津温泉」を水に溶かすと鮮やかな黄色だったことを今でも覚えているほど印象がある。

そうした何気ない小さい頃の日常が将来に大きな影響を及ぼすのであろうか、温泉好きになってしまった。

今では、その「旅の宿」シリーズの大部分の温泉地で湯に浸かるという経験を有している。


「小山駅」で『両毛線』という変わった名前の路線に乗り換えた。

街中を走るかと思いきや、途中水田地帯をずっと進んでいったのには少なからず愉しさを感じた。

この旅でいくつか電車からの風景で心に残ったものがあったが、振り返るとこの両毛線から見える水田地帯、奥羽本線から見える蔵王連邦、東海道本線から見える弁天島から鎌倉まで断続的に望める太平洋。

そしてまた意外だったのが、「草津温泉」が「有馬温泉」同様、いやそれ以上に交通の便が不便な山腹に存在することだ。

僕は全国区の温泉街なのだからきっとアクセスがしやすく、「JR草津温泉駅」があると思っていたのだが、そうではなく「長野原草津口」というところまでしか在来線ではいけず、そこからバスで30分ほど走ると「草津温泉」が広がっているのだ。

その過程は水田地帯から次第に山麓、峡谷と展開し、読書をやめて徐々に変わり行く窓外の景色に見入っていた。


バス停車場から坂を下れば草津温泉のシンボル『湯畑』があり、そこは温泉街の中央で寂れてしまう温泉地が多い中活気があり、大小、形態さまざまな旅館、ホテルが立ち並んでいて未だ健在であった。

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湯を白濁させる成分の一つ硫黄の匂いが一帯に漂い、温泉の直接的体感の一歩に興奮を抑えることができなかった。

湯畑内に並ぶ7本の木製の樋は高温の草津温泉を冷ます役割をし、その湯は各旅館に送られるようだ。

奥には大きな樋が滝のように豊富な湯を落としており、日本屈指の温泉湧出量を見せつけている。

湯畑と同等に有名なのは『草津の湯もみ』であるが、こちらのほうは見学せずにすましてしまった。

また、立ち寄り湯や共同浴場も多く、異なる源泉、種々の湯船を楽しめることも大きな魅力であるのだが、こちらもまたの機会に譲ってしまった。
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夏旅 利点と弱点は表裏一体


想像以上に赤湯温泉が気持ちよく、赤湯からみそラーメンの待ち時間があったので予定していた列車には間に合わなかった。

18切符も残すところ1枚となり、当初予定したよりもずいぶん距離を残してしまった。

最終日は温泉地に泊まって疲れを癒して帰ってきたいと考えていたので以前からずっと行きたかった『草津温泉』を最後の旅する地とした。

残りの1枚で『草津温泉』から愛知県まで帰ることとし、明日は区間分の切符を買う。

そのためこの日のうちに行けるところまで行っておいて交通費を節約する必要がある。

夕暮れが迫り、物理的に『草津温泉』まで鈍行で行くのは不可能であったのだ。

新幹線を利用することも考えたが、本来のスタイルを崩さずに半ば諦めの態で電車を乗り進んだ。

東北の繁華街というイメージがある郡山でビジネスホテルをとり、明日に備えた。

途中大雨で足止めをくらい、なんとかたどり着いたといった状態で、時刻は0時にさしかかろうとしていた。

駅前のアーケード街では客引きややくざな数人の若者が目立ち、治安に不安を覚えるような街であった。


翌日、変わらぬ朝を迎え、身支度を済ませる。

と、持参してきた携帯用洗濯洗剤がリュックの中で何らかの圧する力が加わり、袋が破損し、洗面用具が洗剤まみれになってしまっていた。

最初そのことに気づいたときにはそれほど重大な過失とは考えなかったのであるが、さて、水で洗い流してみると、水をはじいて、ぬるぬるが取れず、妙なにおいまでする。

厄介なことになったぞ!と内心で叫ぶ。

手で触ったものすべてがぬるぬるになって収集がつかない事態。

しかし、これはおもしろい教訓である。

あらゆるものには利点、効用というものがあるが、それと同時に弱点、副作用がある。

そして往々、それらが表裏一体で存在しているのだ。

利点がまた弱点であるというわけだ。

洗剤にしても、汚れを落とすことは出来るわけだが、つまり自分自身を洗い流すには難しさがある。

結局僕はその解決策を見出せぬまま、出発しなければならなかった。

だが、事態は深刻であった。

僕は視力が悪いのでコンタクトレンズを常用しているのだが、装着するときに軽く洗浄する。

だから、もののなりゆきからコンタクトレンズにも洗剤がついてしまう。

深慮せずに装着すると、視界がくもって不自由極まりなかった。

おそらく界面活性剤がコンタクトレンズに浸透すべき水分を奪ってしまい、ひたすら表面が乾いた状態であったのだろう。

数時間経つと涙と瞬きの働きによって不自由は解消されたが、人間の快適さにおける視界に頼る割合の大きさを改めて感じさせられた。
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夏旅 龍上海 赤湯からみそラーメン 足し算を極めた逸品


さくらんぼを実家に送り、「赤湯からみそラーメン」を教えてくれ、旅のきっかけを与えてくれたMにはセブンイレブンで東北限定「赤湯からみそラーメン」のカップ麺を2つ、着替えや本を入れたわずかに余裕のあるバッグに詰め込んで買って帰ることにした。

Mはよく山形にいた時分に食していたそうで、その味が懐かしいと言っていた。

また、その完成度の高さはカップ麺の域を超えているのだそうだ。

赤湯温泉街から遠くない路地に赤湯からみそラーメンで知られる『龍上海』はのれんを出している。

最近店舗を改装したようで建物全体に清潔感があり、その上シンプルでカジュアルさのある店構えで初来店の客でも気兼ねなくのれんをくぐることができる。

店内は窓と反対の壁側にカウンター席、中央に円卓が2,3台、テーブルが窓際に3つほどが並べられ、すべて天板は朱色、椅子は唐風の透かし彫りを施されていた。

そして入り口から見て最奥に厨房がある。

人気店などでは先に食券を購入するスタイルが多いのだが、『龍上海』では席に着くと女性店員が注文を聞きにきてくれる。

水はセルフサービスであった。

ラーメンをつくる店主自ら注文を取りにきてもいたので親しみやすいラーメン屋だなと思った。

僕がちょうど入店したとき、まだ夕食には早い時間で平日ということもあり、店内は思いのほか空いていて、先客が数名ラーメンをすすっているという状態であった。

そのため、着席してしばらくは、存在を気づかれることもなく、初めてなので勝手がわからないままおどおどしてしまった。

メニューはしょうゆベースの「赤湯ラーメン」と『赤湯からみそラーメン』の2種で並々ならぬこだわりが伝わってくる。

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最大の特徴は中央に載せられた「赤味噌」。

味噌、にんにく、唐辛子、しょうがといった滋味に富んだ食材を混ぜ合わせた至高の調味料となっている。

好みに合わせてスープに溶かしながら食べるのだからおいしくないはずがない。

続いてスープ。

最上層一面が濃厚な脂で満たされている。

だが、くどさとクセのない旨味成分としての脂なので食べていて気にならない。

そして透いて見えるスープはみそベースなのだが、とんこつ系スープが混ぜられているのであろうか、やや白味を帯びていた。

麺をスープから引き上げると極端なその二層のスープとうまく絡んでつやつやしい、少しもちっとしたちぢれ麺だ。

ねぎ、チャーシュー、メンマが入っていてラーメンにしては具だくさんなので食べ応えも十分にある。

さて、その味だが、普通、おいしいラーメンというのは味の層が単純でいかに雑味を除いて素材の旨味をスープに仕立て上げるかにかかっている。

しかし、この『赤湯からみそラーメン』は味の層が整然と何層も重なっていて躍動的である。

にんにく、しょうが、みそはもちろんのこと、バランスの取れた複雑にからみあうダシの味が舌に伝わり、観測不能であるが、とにかく美味。

それぞれに個性が強い味が連続で感じられるのに一体感があって、絶妙ですごい。

すばらしいものというのはえてして、引き算をうまく取り入れて作られるものなのだが、このラーメンは極限まで足し算をしていって、絶妙な均衡を見出した稀有な作品といえるかもしれない。

それゆえに、まだまだこうした系統のラーメンは進化の可能性が残されているだろう。
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夏旅 赤湯温泉 かぐわしい弱い硫黄臭 『佐藤錦』と『紅秀峰』

赤湯駅からまっすぐに伸びる県道を進んでいき、観光センターを左に折れるとその突き当たりに『丹波館』がひっそりとたたずんでいた。

hrDnTS.jpg(HPより)

赤湯温泉にあるほとんどの旅館で源泉かけ流しで温泉を堪能できるということだったので、建物の雰囲気と、パンフレットにある謳い文句から風呂に対する自信が窺える宿を選別した結果、この『丹波館』に決定したのである。

改装されて間もないので、内装・外装及び浴室も綺麗で申し分なかった。

フロント脇の待合室から見える中庭の池には鯉が泳ぎ、雑然とはしているが、植え込みにも幾分の風情が感じられ、温泉旅館特有の他の部屋の軒下が見える感じや老舗旅館らしい3階建てのたたずまいをそのまま残していた。

日替わりで露天風呂つきと内湯のみの浴室となっていたが、残念ながらその日は内湯のみの浴室でそこにこじんまりとした湯船が切られていた。

ヒノキで縁取られた湯船で、浴槽、浴室ともに黒色の石タイルで張られていて、色調が落ち着きを引き出した。

湯につかるとほんの少しだけ丸みを感じるような湯質で、かぐわしい弱い硫黄臭がした。

湯口には温泉成分の沈着がみられ、良泉であることを主張しているようであった。

しばし、安息の時―。

香りというものは意識しなくとも鼻腔を刺激し、脳に信号として送られるため強い印象を人間に残す。

よい香りは気分を高揚させ、心を解放する。


ロビーには湯上りの飲料水が準備されていて一服できるようになっていたのは良心的であった。


これもMが教えてくれたことであるが、山形には全国区の知名度を誇る『佐藤錦』と『紅秀峰』という良種のさくらんぼがある。

『佐藤錦』は果肉がやわらかくて口中がほどよい酸味と豊かな甘みで満たされる。

粒が大きく、色艶もすばらしいのでさくらんぼの王様的存在ではなかろうか?

『紅秀峰』は果肉に張りがあって食感につぶれた感じがあまりないので食べ応えがある。

甘みが強く、色味の濃い姿は美しい。

Mは実家から初夏に送られてきた『佐藤錦』と続く『紅秀峰』を僕にも恵んでくれた。

今まで食べたことのないほど大きい上質のもので一口食べて感動してしまった。

『佐藤錦』の収穫が終わった後に『紅秀峰』の収穫が始まるという順番でその旬は思いのほか短い。

そうした感動をぜひ家族にも味わってもらいたいと思った僕は、赤湯温泉の近くにあった「青果店」でさくらんぼがまだ残っているかたずねてみたところまだラスト一つが残っているとのことだったのでそれをクール便で実家に送ることにした。

安いものではないのだが、最後の一つということもあって、店主が値引きしてくれ、クール便代金も負けてくれたので大変助かった。

土地の人にそのように優しくしてもらえることがどれほど旅人にとってありがたいことであろうか。
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夏旅 Mのふるさと山形 赤湯温泉とラーメン 


山形県出身のMはよくこんなことを言う。

「あーぁ、ラーメン食いに山形帰ろうかな」

「山形のラーメンはそんなにおいしいの?」と僕。

「愛知のラーメンとはレベルが違うっす。イクっす」

Mは山形のラーメンについて力説を開始する。

知らなかったのだが、山形県はラーメン消費量日本一なのだ。

今夏、「冷やしラーメン」が雑誌などをにぎわせていたが、その発祥は山形であった。

僕は旅に出発する前、彼に山形の山寺に行から、その帰りにそのうまいラーメン食べてきたいんだけどと教えてもらった名店の一つが「龍上海」の『赤湯からみそラーメン』であった。

他に「かなや」や「一茶庵分店」というところなどもおすすめだそうだったが、「赤湯」と聞いて上杉家の別荘であった『赤湯温泉 御殿守』を即座に思い出し、これは一石二鳥だということで「龍上海」にいってみることにした。

qDHt3i.jpg(御殿守 HPより)


さて、いよいよ奥羽本線に乗り込んで「赤湯駅」までしばらくの間客席にゆられる。

駅に到着し、時刻表を確認する。

本数が少ないので時間のロスを防ぐために、何時までに戻ってこようとおおよその見当をつけるためだ。

観光案内所で温泉街の案内を受けながら、「龍上海」についても聞くと、やはり有名店なだけあってそうしたお客さんも多いのであろう、丁寧に説明をしてくれた。

まだ昼食をとって2時間にもならないくらいであったから、ひとまず温泉に入りに行くことにした。

渡されたパンフレットには何軒かの温泉宿が載っていて、それぞれの特徴が記された分りやすいものであり、好感触をもった。

だが、残念ながら目的としていた「御殿守」は立ち寄り入浴が4時までで時間的余裕がなかったため断念せざるをえなかった。

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夏旅 平田牧場の三元豚とんかつ


旅も折り返し地点を過ぎ、「山形駅」から「福島駅」へJR奥羽本線で向かうのだが、主要路線であるにもかかわらず本数が極めて少ない。

通勤時間を除いておよそ一時間に一本。

主要都市間を結ぶ路線を利用すれば乗り継ぎよく電車旅ができるという前提で旅程を計画したため、ここに来て大きく狂いが生じてしまった。

後に、この代償を払わなければならなくなった顛末も書くことになると思う。

一時間ほど待ち時間があり、折りよく昼食時であったので、駅構内にある『平田牧場』というとんかつ店には入った。

三元豚という銘柄豚のとんかつと共に白ゴマの入ったすり鉢がでてきた。

厚めの豚肉が一口大に短冊の形に切られ、その内の中央にある一枚が断面を天に向けて盛り付けられていた。

黄金色の見た目にもサクサクとした衣をまとっていて食欲をそそった。

塩、味噌、ソース、お好みですりゴマで味付けをして食す。

僕は愛知県民であるから、とんかつといえば味噌カツ、すなわち味噌で食べるのが至上だと思っていたが、それを覆したのがこの三元豚とんかつに塩という組み合わせだ。

味噌カツは言ってみれば、邪道の部類に入るものでとんかつを味わうというよりも赤味噌を、そのマッチングを楽しむという向きが強い。

だが、この塩で食べてみると、豚肉のもつ芳醇な風味、そして塩によって引き出される幾分あっさりした脂と豚肉の甘みが際立っておいしい。

もちろん、味噌、ソースにもこだわりが感じられ、それぞれに上品な味わいがありおいしかったが、塩が絶品であった。

加えて、定食のごはん、味噌汁も質が高く、キャベツはおかわり自由で3回くらいいただいてしまった。

キャベツ専用のドレッシングも用意されており、定番のとんかつソースをかけても美味であった。


自分の中の常識や最高という基準、思考、思想、そして感覚が覆されるのはいつでも楽しく、刺激的で、言い換えれば成長であって、こうした体験をいくつも重ねていくことが大事なんじゃないかと思う。

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夏旅 立石寺


宮城県松島町の『瑞巌寺』、岩手県平泉町の『中尊寺』・『毛越寺』、山形県山形市の『立石寺(山寺)』で四寺回廊という松尾芭蕉の足取りに倣った巡礼コースが存在する。

それぞれの場所で俳聖・松尾芭蕉は優れた名句を読んでおり、それらはよく知られるところである。

そのような名作、傑作というのはその作者の能力、感性によるところが多いのはもちろんであるが、その起因、起源ともいうべき経験、事象、景観というのも並々でないに違いない、ぜひとも見聞きし、体感するために身を投ずるべきである。

四寺のうち、残すところ『山寺』のみであった。

前に記述したように、他の三寺で各々に趣の異なる感動を覚えたので、大いに期待しながら「山寺駅」に到着した。

といっても、前日のJR線運休のため、代行バスでの行程であった。

時間的ロスも感じなかったし、青春18切符も通常路線と変わらず利用できたのでJRのサービスの質に改めて敬服した。

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写真で捉えるのには無理があるほどの山上、岩頭にお堂が見えた。

急峻さもさることながら、そこに夥しく鬱蒼と生い茂る木々は下界と天界とを二分するに等しい景観であった。

修行なくして安寧なし―。

参拝する者は心して東北屈指の古刹に臨まなければならないならない。

1000段を超える石段は一念一歩するごとに煩悩と雑念を消す効験があるという。

途中、途中に諸堂が建立されており、見所に事欠かない。

岩壁と樹木と一体化せる土石、これらが入り乱れ、洞穴、隆起は数え切れず、かつて人はそこに霊験と信仰心を見出したのであろう。

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岩に巌を重ねたる上に立つ五大堂からの眺望は山形県のみならず古来日本の風景といったら言い過ぎだろうか。

汗の流れる首筋に山峡抜ける涼風が気持ちよく、一層際立つ静けさが心を洗う。

自然の表す姿、そこに順応し、従いながら謙遜の気持ちをもって生活を営んできた私たちの先祖。

自然に逆らって暮らすことのできぬことを改めて痛感させられた現代の人たち。


芭蕉の『立石寺』の編は秀逸であるのでここに示しておく。

『山形領に立石寺と云ふ山寺あり。

慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地也。

一見すべきよし、人々のすゝむるに依りて、尾花沢よりとつて返し、其の間七里ばかり也。

日いまだ暮れず。

梺の坊に宿かり置きて、山上の堂にのぼる。

岩に巌を重ねて山とし、松柏年旧り土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉ぢて物の音きこえず。

岸をめぐり岩を這ひて仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。

 閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲』  松尾芭蕉

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夏旅 エゴと社会と、愛の意味


被災地の現在をこの目で確かめてみたいという気持ちが起こり路線図を見てみると、被害の大きかった三陸海岸の地域では未だ運休区間が多く、比較的被害の少なかった「気仙沼駅」のみが営業している状態であった。

そのほかにも福島第一原発事故による避難区域に含まれる区間などにも運休があったが、BRT(バス高速輸送システム)により交通の確保がされているところが多かった。

旅程の兼合いによって被災地を知見することを断念せざるを得なかった。

結局僕は旅の充実を優先したのであって、震災が残したもの、被災地の今を知ることを軽視したのである。

もし、僕が自分の人生を振り返ったときにいくらか後悔することがあるとするなら、震災直後のボランティアに参加しなかったこと、被災と復興を感じ、理解することができなかったことは必ず含まれてくるだろう。

せめてもの罪滅ぼしとして、三陸海鮮弁当を購入し、仙台駅に着いてから待合室で食べた。

あわび、うに、いくら、蟹のほぐし身の入った贅沢な駅弁でいい旅の思い出ともなった。


その日仙台駅から山形駅をつなぐJR仙山線が落雷による機器の故障で運転見合わせになっており、臨時の高速バスで次の目的地である『山寺』のある山形県へ行くより仕方がなかった。

少し時間があったので仙台駅の駅舎から表へ出てみると、入り口のところに浮浪者というのか、ホームレスというのか分らないが、眠るとも座るともいえず隅に陣取る人がいた。

レ・ミゼラブルのジャン・ヴァルジャンが最初に登場する時のいでたちとでもいえばわかりやすいかもしれないが、全身がうっすら黒ずんでいて、着ているものは服にはちがいないが、ずいぶん汚れてしわしわになっていた。

しかし、彼の目は他人を射るような鋭いもので、馬鹿にするなとでも威嚇しているようでもあった。

僕は彼を横目に見ながら、自分がどういう態度をとり、どういう気持ちを持てばいいのかわからなかった。

夕食が食べれるくらいの金銭を与えたらどうだろうか?と浅薄なことを考えたりもした。

もし牛タン定食を食べたとしたら、この上ない感動を得るだろうと思ったが、すぐにそれはかえって罪ではないだろうか?と考えた。

幸福を知ることは、それが続く手段を持っていないとすれば苦しみを倍加する材料にしかならない―。

中国の故事で、「人に魚を与えればすぐに食べてしまうが、釣り方を教えればその人は一生食べていける」というのがあるようだが、慈悲というものはこういうものでなければならない。

また、そうした施しとでもいう行いは同時に哀れみという言葉でもって代えられる危険もある。

太宰治が『人に善を成す時は謝りながらしなければいけない』とのポール・ヴァレリーの言葉を引いたことも思い出さざるを得なかった。

最後に、尾崎豊の『愛の消えた街』にもその僕たちが考えるべきエゴと社会と、愛の意味が歌われている。

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夏旅 高館 国破れて山河在り


「中尊寺」から平泉駅の最短路をやや遠回りして義経最期の地「高館」にも足を伸ばした。

僕が自分の周囲で調査したところによると『平泉』は奥州藤原氏が栄華を極めた地というよりも源義経の最期の地としての方が知名度があるようである。

しかし、僕は源義経どころか鎌倉幕府を開いた源頼朝についてすら多くを知らないので、義経最期の地だからではなく松尾芭蕉が来訪して、

『夏草や 兵共が 夢の跡』 

の句を読んだということから行ってみたいと思ったのである。

僕はただ、緩やかに絶え間なく流れる北上川とみちのくの原風景ともいうべき景色をその高台から見たいだけだったのに拝観料が必要だったのは残念に思った。

『国破れて山河あり、城春にして草青みたり』と芭蕉翁は涙を落としたそうであるが、流れているのかどうかもわからぬほど穏やかな北上川と緑なす田畑と山が僕の心をしばらくうつろにしてしまった。

この「国破れて山河あり」は唐の詩人、詩聖杜甫の『春望』になぞらえられている。

芸術や学問、スポーツあらゆる分野においてこうした姿勢は学ぶべきであろうと思う。

国破れて山河在り 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙を濺ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす 烽火三月に連なり 家書萬金に抵る 白頭掻かけば更に短く 渾べて簪に勝えざらんと欲す  『春望』 杜甫

かつての栄華も繁栄も栄枯必衰、人々の、一個人の奮闘、逸楽または苦難はいつか終わりを告げ、形も残さない。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす 驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し 猛き人もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ  『平家物語』冒頭

僕たちは本当に学んでいるだろうか?

ただ自己満足に陥る愚かな鑑賞者で終わっていないだろうか?

自然は常に教えるだろう、そして歴史は訴えるだろう、目を開き、耳を傾けよ。





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夏旅 最遠の地 『中尊寺 金色堂』


『五月雨の 降りのこしてや 光堂』 松尾芭蕉

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折りよく雨が降り出して、中尊寺全体が幽玄な空気に包まれていた。

念願叶って「奥の細道」最遠の地『中尊寺 金色堂』まで無事たどり着くことができた。

ようやくと思うと少し疲れを感じた。

徒歩による松尾芭蕉とは比べ物にならないが、電車旅とはいえ駅からは歩くことが多く、積算距離は平穏な暮らしをしていては経験できないほどにはなっていただろう。

奥に見える覆堂の中にガラスケースに納められて保存されていた。

『金色堂』と聞くと京都の『金閣』に似寄ったものを想像してしまうが、それを軽く凌ぐほど豪華絢爛、荘厳華麗。

堂の内外に金箔が押され、柱、仏壇、仏像すべてに繊細、出色の装飾が施されている。

ただ金ピカに輝く御堂ではなく、いぶし銀のたたずまいも兼ねていて、至高の芸術性がある。

仏壇に多数並ぶ仏像はやや距離があって判然としなかったが、満載されていて奇観であった。

仏壇に納められた3つの棺にはそれぞれ親子四代の遺体が安置されているそうだが、そうした不可知でやや不気味さにみちているのも私たちをひきつけるのではないだろうか。

戦火、災害、あらゆる危難を潜り抜け、現代までその姿をとどめていることにその地を訪れたものは大なる感動と驚嘆を禁じえないに違いない。

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『論語』 学び、友愛、そして邁進


『学びて時(つね)に之を習う。亦説(悦)ばしからずや。

朋 遠方自(よ)り来たる有り。亦楽しからずや。

人 知らずして慍(いか)らず。亦君子ならずや。


たとい不遇なときであっても学ぶことを続け、いつでもそれが活用できるように常に復習する。

そのようにして自分の身についているのは、なんと愉快ではないか。

突然、友人が遠い遠いところから私を忘れないで訪ねてきてくれる。

懐かしくて心が温かくなるではないか。

世間に私の能力を見る目がないとしても、耐えて怒らない。

それが教養人というものだ』   『論語』より



『論語』の巻頭、学而 第一に記された言葉である。

知ることは学ぶことではなく、考えることもまた学ぶことではない。

知ったこと、考えたことを状況を好転させる、打開させるために利用できたとき、はじめて学んだと言えるのである。

読書をするだけではだめだ、ただ練習をするだけではだめだ。

人は誰でも、不遇のとき、つまりうまくいかないとき、思い通りにならないとき、腐りそうになる、卑屈になる。

あきらめてしまいそうになる、妥協してしまいそうになる、望みを自ら断ち切ってしまいそうになる。

そういうときにこそ、きっと成長できるのだと思う。

成長するために、そうした挫折、逆境が大きな存在から与えられているのだと思う。

学び続ける姿勢、それを行動に結びつける意識、自制。

食べたら消化しなければならない。

そのためにはよく噛まなければいけないし、適度に体を動かさなければいけない。

よく反芻し、真摯に少しずつ実践する。


家族のない人生は、やはり寂しい気がする。

そして、朋友のいない生活は味気ないと思う。

友を計るのは金銭でも言葉でもなく、彼らの行動である。

遠いところをわざわざ足を運んで来てくれる、そこにはあるのは思慕の気持ちである。

慕ってくれる人がいるということは自分を強くする、そして自らの人間性の隠れた美点を示してくれるものである。

自分を愛するが如く、友を愛せよ。

これは誰にでもできそうな一層望みある教訓である。


この広い世界において、たくさんの人がそれぞれにすばらしい天稟を持ち合わせている。

しかし、それらが誰の目にも際立って見える場合というのは思いのほか少ないようである。

文明は全体ではなく、個性を強くする方向に進んでいくようであるから、徐々にそうした才能が多く社会に貢献を果たすことを期待するわけだが、たといそれが叶わなくとも怒らず、むしろ意に介さずその天才にしたがって自己形成に邁進するべきであろう。
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夏旅 丘陵上の『中尊寺』


「金鶏山」の外周に沿って『中尊寺』へと徒歩でゆく。

世界遺産に登録されてからというもの、日本屈指の観光地となり、それに伴い交通の便もよくなっているため、平泉を徒歩で観光する人は少ないようであった。

世界遺産の対象となっている区域一帯を回るには到底徒歩では及びもつかないが、『中尊寺』と他、個人の好みに合わせて周辺にある名所を訪れてみるだけでも十分世界遺産たる所以とそのかつての歴史、文化を知ることが出来る。

『中尊寺』入り口には弁慶の墓があり、奥州藤原氏、平氏と源氏の争い、そして源氏の勝利、鎌倉幕府誕生という時代の幕開けを想起させた。

実際に自分の足で行って見なければわからないことがたくさんある。

『中尊寺』といえば、ほとんどの人が『金色堂』を思い浮かべるに違いない。

ところが『中尊寺』の本堂に関しては何の知識も有していないだろう。

そして、この『中尊寺』の諸堂が丘陵上にあることは知る由もない。

僕自身も参道が山道となっているのには少なからず驚いた。

山登りさながらの斜面である。

途中に「地蔵堂」、「薬師堂」、「弁財天堂」などがそれぞれの形式で建てられているが、特に「本堂」と「金色堂」について書きたい。

tyusonji_01.jpg(平泉町HPより)

苔むした山門をくぐると、こじんまりとした境内の中央に老松が悠然と空中に枝を伸ばしていた。

日本でも有数の寺院でありながら、本堂の規模は控えめであったのは意外であったが、それ以上に境内に我が物然と樹木が生育しているのは異観であった。

案内所が設けられていて、そこで「中尊寺」限定の『衡年茶』を試飲させてもらった。

多数の薬草が利いた、風味豊かな深みのあるお茶であった。

一息ついて、八百年前から延々と受け継がれてきた文化、生活というものが今なお変わらぬ苦しさと繁栄をもって続いているのは人類のいわば根源的エネルギーによるものであるのか知らんという気持ちになった。

試飲というのは名ばかりで、一休みしておいでという気配りが嬉しかった。

杉木立に覆われた参道を行くごとに身が清まり、心が静まる心地がし、その先幽遠の地なる山奥に『金色堂』が見えた。
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『吾輩は猫である』につづいて、『論語』と『レ・ミゼラブル』


初心に帰り、また改めてまじめに、真摯に文学に取り組んでみようという思いから『吾輩は猫である』を読んだ事は前に書いた。

自分の理解力の進歩を感じれたことは大きな収穫であったし、課題として語彙力のなさも痛感した。

同時に、漱石の作品には難しい言葉が、中には漢詩由来のものまで、たくさんあって大いに勉強になった。

日本文学の文語調、それに近しいもの、また言葉が入念に選ばれた作品を今後継続的に読んでいくことで読書、執筆両面における向上を図らなければならない。

事細かな描写にこだわりすぎることは決していいことではなく、会話を重視させる場合には特にその加減は慎重にやる必要がある。

小説はあくまで、おもしろさを含んでいなければ、小説である意味がない。

確かに、考えてみれば、おもしろくないのであれば、いわんとすることを論文にでもまとめてしまえば、それで事は足りるのだ。

もし、大衆にもそうした高遠なる精神のようなものを披露したいというのであれば、ぜひおもしろくわかりやすく書かなければならないというのは道理といわなければならない。

大きな事件、主題と言うものがその小説に準備されていなくても、だんだんに場面場面を連続していけば一連の物語となりうる。

勇気と気概をもって、自分の持ち合わせている知識と見解を表現するという仕事に躊躇してはいけない。

学ぶべきことが多かった『吾輩は猫である』には感謝である。

続いて僕が取り掛かろうと思う作品は、『レ・ミゼラブル』と『論語』である。

二つの物語を平行して読むことに対して僕自身も少なからず賛否を持っているのだが、芸術と学術の区別によって、あるいは、『吾猫』からの流れを汲んでの『論語』、文学史上の傑作で映画によってきっかけを与えられた『レ・ミゼラブル』。

『吾猫』からどういった流れかといえば、単純に『論語』内の語句が引用されており、他にも『史記』などからも多く引用があったが所有本の中に『論語』があったためである。

加えて、『レ・ミゼラブル』の作者であるユーゴーも『吾猫』内で言及されていたので、それなりに意味を見出せるので読むことにする。
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夏旅 平泉『毛越寺』 唯一無二の浄土庭園


朝食はスターバックスでサンドイッチとコーヒー。

旅のお供は「ロビンソン・クルーソー」、ここで一息、朝のひと時を読書をしながら過ごした。

「ロビンソン・クルーソー」は経済学、宗教、倫理といった方面において大きな評価を得ているようだが、普通に読み物として楽しめる波乱と刺激に富んだ物語である。

だが一方で、実話を基にしている物語なだけあって、リアリティーに溢れる反面、退屈と冗長が気になるところも多々あった。


仙台から岩手県『平泉』へと向かうわけだが、地図上を見てみると、思っていたよりも『平泉』近いことが分った。

広大な岩手県(北海道に次ぐ2番目に大きな都道府県)の南部、宮城県との県境に程近い町であったのだ。

塩竈を過ぎ、松島海岸も過ぎた。

震災の被害はほとんど受けていないように見受けられたが、実際はどうであったのだろうか、僕には知る術がなかった。

車窓から、トンネルと大地の起伏の隙から望めた『松島』は美しき奇観を変わらず保っていた。

島国日本の持つ特有の地形が姿を変えないことを切に願う。

「一ノ関」から『平泉』へと向かう列車に乗り換えるとすでに座席が混み合っていた。

「世界遺産」というブランドはそれだけ人々に与える影響というのが大きいのだ。

日本各地にある名所、景勝地が今後たくさん世界的評価を受けることを期待する。

観光事業は国家を元気付ける一つの大きな要素となりうると僕は信じているからだ。

平泉駅につくと、観光客は思い思いに歩を進めた。

バスを利用する人が多かったが、僕はのんびりと歩きでまわることにした。

駅構内にある観光案内所で聞いてみると4時間ほどで主要な平泉の名所は巡れるということだったので、それに従った。

駅からまっすぐ行けば『毛越寺(もうつうじ)』がある。

僕が強く心を引かれたのは、本堂でも開山堂でもなく、「浄土庭園」だった。

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僕は今までこんな庭園を見たことがなかったから、とにかく衝撃的だった。

池が夥しく広い。

そして、平面的な池であるから重々しさが見ている景色に伝わってこないので妙だ。

向うに平たい山並みが見えて、それに続く木々が手前からすでにすこぶる大きいので一体感がある。

平安時代の庭園様式を今に伝える貴重な庭園だそうだが、なるほど、土地の使い方に余裕があるし、京都の庭園のように技巧的で計算的ではない。

風流で、侘びさびをいかんなく発揮して、どこからみてもすばらしい。

築山、遣水、石組と立石。

本堂にもいえることだが、平安様式というと低重心で広がりを持った形でありながら、重厚感がなく軽やかという印象であるが、やはりこの庭園もその例に漏れていない。

この大泉が池を取り囲んでいた数々の伽藍はことごとく消失してしまっていたが、それがなお一層ものの哀れ、無常観をひきたてていて、わびしいが、いとおかしである。
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道しるべと足跡


描きたいものを描く―、それが私以外の人にとって面白ければ、それ以上のことはない。

小説が頓挫している、旅行記が停滞している、これらは好ましい状況ではないが、しかしいかんともしがたい。

やはり、自然発生的な意志として、そうしたものを継続し、書き進める意欲がわいてこなければなす術はない。


将来に不安があって、いま自分がやっていることに疑問を感じている。

あのときと同じだ。

高校を卒業し、明日も見えぬ境遇にいた。

未来は不透明で自信を失っていた。

半ば現実逃避であったし、まだ消えぬ負けん気と情熱が僕をそうさせたのかもしれない。

人は本当に悩んだとき、苦しいときに「本を味わう」ということをするのではないだろうか、「本を求める」のではないだろうか。

そうした心境に言葉はしみこんでくるのだ。深く深く、響くのだ。

私は生来、偉人が好きであった。

だから、このとき、日本の偉人、夏目漱石「吾輩は猫である」を手に取るのは必然であったかもしれない。

私が漱石を偉人と見做したことも私自身の価値基準と根本思想によるのであって、ここのところを解剖することは難しい。

だが、いずれにしても私は夏目漱石に救いを求めたのであった。

読書に関して、初心者といってもよい私にとって、その小説は難解で、読み勧めるのに骨が折れた。

けれども、その中にもおもしろさと喜び、愉しみがあった。

分らなくとも、十分に理解できなくとも、読み進め、読み終えることに意味があることを知った。

達成感、意志統制、熟考・読解。

それは新鮮さに満ち溢れ、若気に刺激的であった。

あれから数年が経って、以前に増して苦境に立っているように思えた。

社会から取り残され、やるべきことも知らず、只日々、思い悩み、考えつめる。

答えは出ない、ないのかもしれない、それは分らない。

再び「吾輩は猫である」を手にとって、読んでみた。

スポーツなんかでは、スランプや苦境に陥ったら、「初心に帰れ」というが、私にとっての初心は「吾猫」だった。

ここから、もう一度まじめに、真剣に文学と向き合って、読書の展開と、自分なりの文学との関わり合いを考えていきたいと思う。

このブログがその道しるべと足跡になるかもしれない。
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夏旅 仙台、牛タン


仙台の名物が「牛タン」になった由来やその歴史はよく分らないのだが、せっかくだから牛タンを食べようということになる。

以前仙台を訪れたときは、牛タンといえば、焼肉はもちろんのこと、タンシチューの存在を知っていたので疑いもなくタンシチューを出してくれるお店に入って、食した。

これはもちろんおいしかった。

なによりそのやわらかさには驚いたものだった。

数年後再び仙台の地を踏むことになるわけだが、それまでの経験もあって、主要駅構内にはその土地の名店のあることが多いということを学んでいたので、牛タンのお店を探してみた。

僕の興味を引いたのは「伊達の牛たん」というお店だった。

レストランの雰囲気は上品でありながら、メニューの価格帯が広く、リーズナブルな定食が特に魅力だった。

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塩と味噌、それぞれに味付けされた牛タンが食べやすいようにカットされている。

なかなかの肉厚があり、贅沢さがある。

無論、噛み切れないような肉質ではなく、ほどよく切り込みも入っているので食べやすい。

塩はあぶらにたいしてあっさりとしていて、肉の質感と旨味を引き立ててくれる豊かな味わいがあった。

味噌は麹味噌なのだろうか、甘みがあって、クセはない。

弾力が増し、コクがあって濃厚である。

ご飯がすすむので、きっと茶碗いっぱいでは物足りないだろう。

汁物、テールスープが基本に忠実なシンプルなスープという気がした。

深みはないが、体に優しくしみこんでくるような、そんな感じだ。


各地を転々とする旅をしていると、どうしても食事がおろそかになってしまう。

食べてもたくさん歩けばお腹もすいて、またしばらくしたら食べなければならない。

その繰り返しをしているうちに、財布はどんどん軽くなる。

しかし、まだ旅は続く…

すると、高級なお肉や魚介類というのにはなかなかありつけず、いわゆるB級グルメの類を選択せざるを得なくなってしまう。

ラーメンやカレー、ギョウザなどだ。

しかし、ときどきはこうしてその土地ならではの肉や魚介類を食べると、幸せな気分になれるし、なにより旅の力になるのだ。
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夏旅 白河の関越え、移動日


電車は「白河」を他の駅と同等に惜しむことなく過ぎた。

「『白河の関』越えだなぁ」と感慨深く思ったわけだが、加えて昔は日本国がいくつもの国に分かれていたことを示す一つの遺構であり、現代の空港のゲートや高速道路の料金所のようなものだったのだろうと考えをめぐらした。

電車を乗っていると当然いくつもの駅を通り、その駅にはそれぞれ異なる名称がつけられている。

その名称というのはたいていはその地名、もしくは名所の名である。

人間の脳のメカニズムは不思議なもので、名前がついているものには自然と愛着が湧いてくる。

この「白河」にしても駅を過ぎるだけでは何の変哲もない景色を目にするだけなのだが、「白河の関」を連想して楽しい気持ちになるのである。


郡山駅で下車。

思っていた以上に立派な駅舎で駅構内も広く、栄えている街だなという印象を持った。

地元から遠く離れた地域に関する知識というものはえてして乏しいものだ。

だが、実際に行ってみると分ることも多く、実感として何かしらが残る。

実際にその地に足を運ぶということが大きな意味を持つのだ。


カフェにでも入って休憩をと思ったが、スターバックスでは芸がないし、といってそれに類するカフェならば、スターバックスでことは足りる…

結局、適したお店を探しているうちに時間が経ってしまったのでやむなく乗車して先を急いだ。

東北本線をひたすら北上。

仙台駅に到着した頃は夜の帳が下りていた。

東北一の都市で交通も生活の便もいいので、宿泊はここに決めた。

都市であるからビジネスホテルは多い。

しかし、その分料金が高めだが、仕方がないので早々に予約。


移動距離の長い旅だったので、こうして振り返りながら書いていると移動のことが多くなって退屈な文章になっているような気がして、自分で読んでも辟易するようだ。

これではいけない。

だが旅は、観光だけがおもしろさではないのも事実。

それを引き出し、おもしろさを表現しなければ、こんなもの書かぬがよい。

まだまだこの旅にはいくつか書くに値する体験があったので、若し読まれる方がいたら、ぜひお付き合い願いたい。

移動中、とくに電車内の出来事は飛ばしてもらってかまわない。



移動が長ければ、もちろん疲れる、おなかが減る。

1日、たいした出費もなかったから、夕食はリッチにおいしいものが食べたくなる。

仙台といえば、牛タンだ。ということで構内で牛タン専門店を探すと何店か候補にあがった。
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夏旅 白河へ


宇都宮駅から再び電車で北上を続けた。

乗車後1時間ほどであろうか、車内で放送がかかった。

「この車両は矢坂駅にて車両の切り離しを行います。黒磯・白河方面へお越しの方は前方6号車から10号車にお乗りください」

というような文句が2回くり返された。

関東圏を越えて東北地方へ入ったんだなという気がした。

つまり人口が少なく、利用者も減るので必要な数の車両だけ残して運転するのだ。

自動に開閉していたドアも合図の後にボタンを押すことによる手動ドアへと切り替わる。

これも乗り降りする人が極めて少なくなるからである。

隣に座っていたお年を召したおばあさんが「すみませんが、」と僕に声を掛けた。

「車両の切り離しがあるようですが、この車両に座ったままでよろしいでしょうか?」

なるほど、今放送がかかったが、ややこもったように聞こえたのでお年寄りには聞き取りにくかっただろう、といって僕もこの車両が何号車で、移動する必要があるのかないのか分っていなかった。

ある程度僕はそうした場合を経験していたので、「矢坂駅」に近づいたら調べようと考えていたのだった。

しかし、こうして聞かれた以上は呑気にしてはいられないので、「えっと、そうですね、確認してみます」

と車両の連結部にあたる部分の上方を確かめてみると、9号車であった。

「このまま乗っていれば大丈夫ですよ」と僕が言ったら、おばあさんは目じりのしわを一層ふかくしてうれしそうな表情をして「ありがとうございます」とお辞儀をした。

「学生さんですか?」

「いいえ、一人で旅をしているんです。東北を回ろうと思いまして」

「そうですか、お気をつけてください」

「どちらへ行かれるのですか?」と僕が今度は尋ねてみた。出来るだけ丁寧に聞こえやすく。

「那須塩原まで行きます」との答えだったが、それ以上掘り下げるのはやめておいた。

小型のキャリーバッグを持っていたので旅行かとも思ったが、もしかすると親戚の家を訪ねるのかもしれない。

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夏旅 宇都宮へ

『ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨みを重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若し生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、其の日漸草加と云ふ宿にたどり着きにけり。

痩骨の肩にかゝれる物、先づくるしむ。

只身すがらにと出立ち侍るを、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨てがたくて、路次の煩ひとなれるこそわりなけれ』  『奥の細道(草加)』より


今年、あの未曾有の大災害東日本大震災から2年経った平成25年に奥羽地方への長旅を軽率にも決心し―震災以後は行こうという気を起さなかった。ボランティアでもなんでもいいから力になることをできればよかったのだが、非情にも僕はなにもできなかった。このときになってテレビや街の広告などで東北を旅することが誰にでも出来る復興支援だということを知り、理解したので旅ならば僕自身の負担にもならずにできると思った―、遠い異郷の旅空の下で少なくない苦労と不便にさらされ、そのための忍耐を要することは決まりきったことなのだが、これまで噂には聞いているけれども、まだ実際には見たことのない土地を見て、無事帰れたらこれ以上の喜びはないと、少しの不安と大きな期待、喜びを抱いて旅立った。

朝早くにホテルを後にして、混み合った通勤電車に揺られながら、一路東北へ向かった。

Tシャツ1枚の僕の肩にかかっている荷物に、何よりも最初に苦労した。

僕はただ体一つで旅をしようと、旅支度をととのえたのであるが、薄手の上着1枚はいかなる天候の変化にも応じれるように、また折り畳み傘・移動中の電車内で読むための文庫本といったもの、これらが道中の苦労の種となったのは、どうにもいたしかたのないことである。

途中、宇都宮駅で休憩と共に昼食をとった。

駅ホームから階段を上がって改札に出ると、18切符を使用している僕は改札機ではなく、窓口を通らなければならないのでそちらへ歩を進めた。

前に2人並んでいたので、その後に並ぶと「日光線はどちらか分りますか?」と突然前にならんだ女性に振り向きざま尋ねられた。

こうして各地を電車を乗り継ぎながら旅する僕は知らず知らずのうちに路線名や駅構内の大体の構造などを把握してしまって、まるで駅員のように苦もなく「日光線はあちらで、向うに抜けていくとホームがありますよ」とその方角を指差しながら答えた。

たしかにそちらに視線を転じると「日光線」という案内板が見えたので、彼女は安心してそちらへ急いでいった。

知らない土地では右も左も分らないのが当然であるし、気安く声を掛けるのも憚られるものなので、このように頼みにされて声を掛けられるというのは喜ぶべきことであろう。

人に親切にすること、それがもし自分のあらかじめ持っている力や能力によって与えられることならば、これ以上うれしいことはなかろう。

宇都宮といえば、最近では『宇都宮ギョウザ』が全国で知られるようになっているが、浜松ギョウザにその人気を脅かされているそうである。

駅構内で見つけた『みんみん』というお店でギョウザをいただいた。

お昼どきを少し過ぎたくらいであったが、2,3人店外で待っていた。

JR宇都宮駅と融合されているホテル アール・メッツのロビーと同フロアの一角に店舗がある。

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主要なメニューがギョウザとご飯のセットのみであるのにはとても驚いた。

それほどギョウザに自信を持っているということであろうし、本来ラーメンなどのサイドメニューとしての役割でセンターを飾ることはないギョウザがこうして中心に据えられることは悲願の達成といっていいかもしれない。

あっさりとしていて、ニラやネギなどクセは抑えられつつ、野菜の食感は損なっていない。

肉も程よく肉汁をまとって豊かなうまみを野菜本来の旨味に重ねあわされている。

中華料理の域を超えた逸品であった。

ギョウザ専門店であるという特性は話題を呼ぶに値するだろうし、その名に劣らぬ品質は感心したが、ギョウザ一本で今後も厳しい外食産業を勝ち続けていくのは果たして可能だろうか。
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夏旅 『東京スカイツリー』アジア人らしい設計と日本人の色使い

この日は18切符を使わない観光、見物の1日であった。

横浜からの移動と、東京都内の観光に電車を使うには使ったのだが、通常運賃で利用した。

明日は重要目的地である『平泉』へ到達するためにできるかぎり近づいておきたい―東京から平泉まで行くとなると半日ほどかかってしまうので、その日に見物することは難しかった―ので移動日とすることにした。

青春18切符での旅を充実したものにするための一つの手段として移動日と観光日を分けるということがある。

単純に2300円で1日乗り放題ならばたくさん乗ったほうが得でだからだ。

もっとも遠くまでの旅の場合に限るし、この切符のもう一つの特徴は途中下車できることなのだから、その利点を使ってさまざまな場所に降り立って、そこらを散策するというのも大いに結構だ。

先に言った、移動と観光を分ける方法は、宿泊がもれなくついてくることになるので、そのバランスがどうかについて考える必要もある。

さて、明日が移動日と決まったからには、この日のうちに明日の移動距離を少しでも縮めるために宿泊する場所を考えなければならなかった。

調査、検討の結果、「南千住」がその条件に適していた。

僕はこの旅を松尾芭蕉の『奥の細道』の影響の下、それに幾分なぞらえるかたちで始めた。

そして偶然にもこの「千住」という地は『奥の細道』(旅立ち)の中にこのようにでてくる。

『千じゆと云ふ所にて船をあがれば、先途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。

 「行春や 鳥啼き 魚の目は泪」』

船でなくして電車を下りた。

先途三千里はおおよそどのくらいなのであろう。

その程は分らないが、僕にとってもそれは文明の力を借りるとしても遠い道のりであった。

見送るものとてなかったが、「南千住」駅から歩道橋で線路を越えようとすると闇とかすむ雲に覆われて『東京スカイツリー』が立っているというよりも浮かんで見えた。

周囲との遠近感を失うほどに立体的で巨大に見えた。

深夜の街灯に羽虫が寄り集まるように僕もその光の方へ吸い寄せられていった。

しかし、歩けども歩けども一向に近づく様相を呈さなかった。

考えてみれば、これは予期せぬ逢着であったので浅草の方まで歩いてきて、とある公園で『スカイツリー』を見上げて帰ってしまった。

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「どこの世界にきてしまったのかなぁ、よくもまあこんな不釣合いなものをたてたものだ」

大都会に立つならまだしも、当然かもしれないが、少し離れたところであるためひとつ轟然とそびえているのは興ざめであった。

アジア人らしい設計と日本人に似つかわしい繊細な色使いで構成されているため建造物としての価値は高いと感じた。

もっとシャープに、あるいは独創性をもってもよかったが、あえて均整と素朴さに徹したようである。

こうした高さを競うような建物は後につくるものが次々に最高を更新していくのであまり意味がないようであるが、技術力やデザイン性で計る意味はありそうである。

何にしても、洗練されたデザインには違いないだろう。

 
泊まったビジネスホテルは4畳ほどの一室でベッドと小机、テレビが棚に収められているのみであった。

しかし、眠るだけであるから、それで十分である。

浴場はあったし、ランドリーもあったため、貴重な一枚の下着を入念に洗濯した。

洗濯が仕上がるまで眠ることができなかったことと、下着を着けずに眠ることが苦痛であったが、自業自得である。
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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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