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夏旅 現代の象徴、時代の先端『六本木ヒルズ』


僕たちが求めてきたもの―重力に逆らうこと、天高く駆け上がること、夜の闇に輝く世界を築き上げること―。

自然の中に生きながら、自然の一部でありながら、それに逆らおうと日々あくせくする人類よ。

僕たちは満たされたか、達成感に包まれ勝利したか。

六本木ヒルズは現代を象徴し、また現在の到達点を表す言葉に等しい。

僕は技術や時代の最先端をそこに見た。

不気味に、かつ幻想的な光に包まれた丸みの強調された建物群。

ヒルズ族という言葉が生まれ、そこにオフィスを持つ企業は成功という屋号を掲げ、ゆるぎないステータスとなっている。

資本主義社会においてその求めるところを忠実に実現し、その恩恵をいかんなく発揮する様は一見華麗だ。

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僕は『六本木ヒルズ』が森ビルであるという認識だけを持っていて、近未来的高層オフィスビルのことなのだろうと考えていたので、その小型都市ともいうべき姿を目にしたときは驚愕した。

複合施設でありながら、統一感があって、『六本木ヒルズ』という固有名詞を冠せられることは当然、かつ適していると思った。

しかし、それぞれが強烈な個性と独立性を保持しているため、経済活動をする拍車の一部を自ら任ずる人間でなければ、そのあまりの規模の違いに足を止め認識を改める必要があろう。

日が落ちようとも動きを止める社会的動物、人間が透明なガラスや特殊な樹脂で覆われた空間内を上下し、巡回していた。

「われわれはどこへ向かうのか」

それを知る人間は少なく、その問いを発する者さえわずかである。

何も分らず、時代の波に飲まれ、流され、そのたどり着く先は身の破滅か、幸福の消費か。

僕は発展を否定するわけでも、経済成長を憂慮するわけでもない。

ただ、意志のない発展、求めぬ成長は決して人も環境も幸福に、豊かにしないと思う。

それでも、複合的に入り組んだ六本木ヒルズ内を巡ってみることは楽しかったし、そこで憩う人たちもまた愉快そうであった。

美術館があったり、庭園があったり、ショッピングテナントやレストランなど文化と生活の質の向上というビジョンをはっきりと感じ取ることができるようになっていた。

ニュースステーションの天気予報のコーナーで映し出されて、気になっていた『毛利庭園』は思いのほかこじんまりとしていて、趣や和風というものとややかけはなれていて、幾分物足りなかった。


遠くビルの隙間からライトアップされた東京タワーがのぞいた。

時代を過去に引きとめようとするかのように淡い光を帯びていた。

すべてのものは古くなり、省みられなくなっていく。

いくら現代が優れていても、また欠点を有していても、未来は勝り、克服していくだろう。



地下から東京メトロに通じる通路を行くと、お茶漬け専門店があったのでそこで夕食をとった。

僕は前にお茶漬け専門店を経営すれば、きっと成功するだろうと考え、その構想を膨らましていったことがあった。

時代が進むにつれて、専門性は問われていくし、それと同時にそうした特定の分野に精通したプロフェッショナルも要求されていく。

それに順ずれば、自ずと周囲からの依頼と信頼、必要を迫られるであろう。

そんなことを考えた時期もあった、しかし僕は実利的、実用的人間ではなかった。

自らを鍛え、育み、つくりあげることに専念しようと、考える、心の人であろうと、そう思ったのだ。
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夏目漱石の文学 交通網の発達と観光地の問題


『ぴん助やきしゃごが何を云ったって知らん顔をしておればいいじゃないか。

どうせ下らんのだから。

中学の生徒なんか構う価値があるものか。

なに妨害になる。

だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんのじゃないか。

僕はそう云う点になると西洋人より昔しの日本人の方が余程えらいと思う。

西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持っているよ。

第一積極的と云ったって際限がない話しだ。

いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境にいけるものじゃない。

向に檜があるだろう。

あれが目障りになるから取り払う。

とその向うの下宿屋が又邪魔になる。

下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。

どこまでいっても再現のない話しさ。

西洋人の遣り口はみんなこれさ。

ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。

人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法廷へ訴える、法廷で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。

心の落着は死ぬまで焦ったって片付く事があるものか。

寡人政治がいかんから、代議政体にする。

代議政体がいかんから、又何かにしたくなる。川が生意気だって橋をかける、山が気に喰わんと云って隧道を堀る。

交通が面倒だと云って鉄道を布く。

それで永久満足が出来るものじゃない。

去ればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事ができるものか。

西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。

日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。

西洋と大に違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下に発達しているのだ。

親子の関係が面白くないと云って欧洲人の様にこの関係を改良して落ち付きをとろうとするのではない。

親子の関係は在来のままで到底動かす事が出来んものとして、その関係の下に安心を求むる手段を講ずるにある。

夫婦君臣の間柄もその通り、武士町人の区別もその通り、自然その物を観るのもその通り。

―山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。

山を越さなくとも満足だと云う心持を養成するのだ。

それだから君見給え。

禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。

いくら自分がえらくても世の中は到底意の如くなるものではない、落日を回らす事も、加茂川を逆に流す事も出来ない。

只出来るものは自分の心だけだから、心さえ自由にする修行をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼の狸でも構わんでおられそうなものだ。

ぴん助なんか愚な事を云ったらこの馬鹿野郎と済ましておれば仔細なかろう。

何でも昔しの坊主は人に斬り付けられた時電光影裏に春風を斬るとか、何とか洒落れた事を云ったと云う話だぜ。

心の修行がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用が出来るのじゃないかしらん。

僕なんか、そんなむずかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤っている様だ。

現に君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出来ないじゃないか。

君の権力であの学校を閉鎖するか、または先方が警察に訴えるだけのわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たって勝てっこないよ。

もし積極的に出るとすれば金の問題になる。

多勢が無勢の問題になる。

換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云う事になる。

衆を恃む小供に恐れ入らなければならんと云う事になる。

君の様な貧乏人でしかもたった一人で積極的に喧嘩をしようと云うのが抑も君の不平の種さ。

どうだい分ったかい』   『吾輩は猫である』夏目漱石著より


大変長くなってしまった、もし最後まで読んでいただけたなら感謝したい。

夏目漱石の文学の真骨頂でもあり、その核となるべきものが含まれていると思った箇所だ。

何も考えずに読み下ってみても面白さがあり、普遍性があるから時代を選ばない、だから私たちも楽しめる。

しかし、格式高い至高の文学である。

当時の時代風潮、人々の暮らしぶり、そして心理作用。

深い洞察と描写力、テンポのよさと心地いい場面展開。

とりわけ、会話における人物のユーモアと人付きのよさで登場人物のすべてが性格豊かで愛着がわいてしまう。

さて、ここで書かれていることは西洋思想と東洋思想の相違であるわけだが、現代人、現代社会にも当てはまる事柄で考えてみる必要があり、読む人にとってはなるほどと感服せざるを得ないだろう。

どうしてだろう、僕自身も心の持ちようを重視し、その如何によって世界はどうとでもなるというような考えが優れていると思ってしまう。

すでに社会によって思想に後天的な影響を受けてしまっているのだろうか、それとも真理に近いのであろうか。


僕はよく旅をするのだが、そのときよく考えることで、高速道路の必要の程度というのがある。

たとえば、今建設中の伊豆縦貫道やまだつい最近完成した東海北陸道の白川郷ICなどは果たしていいのか悪いのか判断を下しにくい。

伊豆半島は温泉もあり、温暖な気候であるから人気の観光スポットである。

また文人墨客も古くより訪れている、風光明媚な地だ。

そうしたところに多くの人が足を運べるようにアクセスしやすく、交通網を発達させることは有益であるように思う。

しかし、風光明媚というのは歴史や自然のあるがままの意図しないところの風景などであるのであって、そこに手段としての建設物があればその価値というものは下がってしまうのが当然だ。

行きやすい白川郷、アスファルトで固められ、囲まれた合掌造りはいかがだろうか。

これはむずかしい問題である…。
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夏旅 東京「六本木へ」


増上寺に向かって右側―方角でいえば東だろうか―の脇を抜けて坂を上がると東京タワーが頭上に屹立していた。

真下から見るとその高さは尋常でない高さで見上げても見上げきれぬほどであった。

濃淡さまざまな灰色のビル、そして世界との接点とも言うべき均等に並んだ四角窓に囲まれて、紅白のデザインが映えていた。

塔脚が思いのほか四方に伸びていて、これは倒れる気遣いはないと自信を持った。

幼いとき、遠く山上に、あるいは山中、道路脇に送電のための紅白に塗り分けられた鉄塔を見て、東京タワーに見立てたことがある人がいるかもしれない。

僕も分別がつくまでその違いの詳しいことがわからなかった。

ひとり、東京タワーに上って眼下に広がる都会の街並みを眺めるのも寂しい気がしたので、上らずに過ぎてしまった。

東京は、僕にとっては、意外にも坂の多い街でところによって陽の傾きが違って見える。

六本木のほうへ坂をいくと、沈みかけた夕日が再び位置を戻してまだ衰えぬ光線で虹彩に刺激を与えた。

次第に雑居ビルが増えてきて、様相が変わる。

オフィス街から繁華街へ、体が少し縮こまる感じがした。

六本木クラブ襲撃事件の現場とよく似たビルが道路向こうに見えたときには治安の悪さというものを感じずにはいられなかった。

日本にいて治安の悪さなどを感じることは世間知らずといわなければならないのかもしれないが、田舎から都会に出てきた者にとって、外国人や狭くて薄暗い汚い路地は潜在的イメージと結びついて少し怖さを覚えても仕方がないかもしれない。

やがて、テレビでも時々抜かれる六本木交差点に行き着いた。

独特のロゴデザインで記された「ROPPONGI」が妖艶で幻惑的に見えたのは僕だけだったろうか…

西の空には六本木ヒルズとして知られる森ビルがそびえていた。
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夏旅 東京『増上寺』


駅舎を雨が強くたたきつけ、構内の一箇所では雨漏りがしていた。

駅員が数人寄り合って処理に当たり、うごめく群集のなかで規則的に活動していた。

その晩のニュースで、都内の各所でゲリラ豪雨による冠水や電車の遅延が起こったことを知ったのだが、深く納得しないわけにはいかなかった。

都会ではビルが乱立しているため、視野がさえぎられ、遠方はおろか、ほんのわずかな頭上の空中しか視線を透過させることができない。

それゆえに雷鳴が響き渡っても、その原因となる稲妻は確認することができない。

ただ、反響しながら空気を震わせて、建物内にいる我々を驚かすばかりだ。

そうした恐怖に変わるべき現象も都市になれない僕にとっては好奇の対象であった。

明けない夜はない、降り止まぬ雨はないというように、雨雲を残しながらも、雨は次第に小降りになっていった。

僕が東京に来て一番に訪れてみたいと思ったところは、世間の期待するような東京の名所ではなかった。

一番の人気スポット、スカイツリーでもなければ、東京のシンボル東京タワーでもない。

『増上寺』である。

『増上寺』といっても多くの人にはあまりなじみのないお寺かもしれないが、最近ではきゃりーぱみゅぱみゅが出演する某携帯電話会社のCMで使われたことで知名度を上げたようだ。

僕は無論、そのCMの影響で『増上寺』に興味を持ったわけではない。

以前にも書いたように思うが、世界遺産を巡る旅を始めて、あるとき『日光の社寺』を訪れた。

もちろんその中には『日光東照宮』が含まれており、自ずとその歴史を深く知ることとなった。

もっとも、それ以前にM氏から徳川家康公の遺言の内容を聞き知っていたので、『日光東照宮』で祀り、『久能山東照宮』で遺体を葬り、『岡崎大樹寺』に位牌を納め、『増上寺』にて葬式をあげたとの認識はあった。

それゆえに、このたび『増上寺』を訪ねてみたいと思ったし、それが達成されれば遺言内にある家康公にまつわる寺院のすべてに一応の接触を果たしたことになるのであった。

家康公には、僕が思うに徳と美意識があった。

だから彼の推奨したことや訓戒には耳を傾けるべきだと考えているし、その片鱗を残しているであろう場所には積極的に足を運ぼうと思うわけである。

「浜松町駅」から大通りに沿って、地図上でその示すところを目指していると増上寺よりもさきに東京タワーが見えてきた。

東京タワーに向かって大通りの左側歩道を歩くとその姿を確認できるが、右側だと見えない、そんな位置関係であった。

その道路の行き着くところに大門と呼ばれる、古びた門が当時は夢にも思わぬ車道をまたいで控えめにビルの合間にたたずんでいた。

その道路突き当たりに三門が控え、いよいよ増上寺である。

いくら東京の交通網が発達していようとも、市民は増上寺を通り抜けることは許されぬ、道路も人も迂回しなくてはならない。

三門をくぐる、ひょっこり兜のような屋根を戴く大殿が口をあけている。

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どこにあろうと主役になるべき東京タワーが僕には増上寺を引き立てる名脇役にしか映らなかった。

それほど僕は畏敬の念をもってこの風景を見ていたはずだし、所詮は鉄骨の電波塔であることも解釈していたのだろう。

古今の競演は思いのほか難しい。

歴史遺産を保全することと文化を興隆発展させることは相矛盾するからだ。

東京タワーが文化の象徴である時代は終わったが、それでも現代社会の名残にふさわしい建造物であり、こうして由緒正しき寺院と介している姿は価値があろう。

どうか今後とも文化の共存を許す社会を期待してやまない。
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僕はただ、幸せに、楽しく人生を、自由に旅したいのです


原始時代の人間は、単純な裸の生活を送っていたおかげで、少なくともまだ自然のなかで暮らせるという利益を得ていた。

食べ物と睡眠によって元気を回復すると、彼はまた次の旅路へと思いをめぐらせた。

彼は、いわばこの世の仮住まいで暮らしながら、谷間を縫って進んだり、平原をよこぎったり、山頂に登ったりしていたのである。

ところがどうだろう!

人間は自分がつくった道具の道具になりさがってしまった。

腹が減ると、めいめい勝手に木の実を摘んで食べていた人間は、いまや農夫となった。

木の下に立って雨露をしのいでいた人間は、家を管理している。

われわれは、いまではもう野宿をすることもなく、地上に定住して天を忘れている。

われわれがキリスト教を採用したのも、それが天ではなく、地の耕し方としてすぐれていたからにすぎない。

ひとはみな、この世のためには家族の館を、あの世のためには家族の墓を建てている。

最高の芸術作品とは、こうした状態から自己を解放しようとする人間の戦いの表現なのであるが、われわれの芸術は、単にこうした低い状態を居心地よく思わせ、あの、より高い状態を忘れさせる作用を及ぼしているにすぎない。

じつのところ、この村には、美術品がもちこまれても置く場所がない。

われわれの生活も、家や通りも、それを据えるにふさわしい台座を提供してくれそうにないのである。

一枚の絵をかけておく釘もなければ、英雄や聖人の胸像をのせておく棚もないのだ。   『森の生活』ソロー著より


僕は昔、こんなことを考えたことがある。

「どうして人間は路傍に生える雑草を食べて、元気を保つことができないのだろう。

もしそうであれば、飢え餓える人は少なくともいなくなるはずで、それによって犯罪や争いが幾分抑えることができるのに」と。

食べ物の滋養や脂肪分、たんぱく質にしても、これらが必要なのはエネルギーを蓄えるためであるわけだが、そのエネルギーは労働に用いられるものであって、そもそも、その労働は贅沢のために編み出された一種の策略である。

誰もがみな重労働をしなければならないという発想は、贅沢がしたい一部分の人間によって企てられた陰謀のようなものだ。

よく考えてみなければならない、社会とわが生活に必要なものはなんであるのか?

そのためには何をしなければならないのか。

それは環境を破壊することでも、娯楽品をつくることでもない。

住みよい環境をつくろうとしないのは、一体どういうわけか?

なぜ自分の家とも言うべき地球を汚して平気なのか?

もっと自由に旅するように、みんな生きていかなければ。

縛られ、強制され、苦しむのは人間の本来の姿ではない。

時代は変わり、宗教も改められる必要に迫られている。

つまり、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教などのあらゆる宗教は概念と認識の問題であって、根本裡に異なる性質を含んでいるわけではない。

その本質なるエッセンスをおのおのの人間が慎重に見極め、抽出しなければならないし、それによる大いなる宗教観―この世界の捉え方を悟らなければならない。

善は不変であり、美は至高のものである。

共存、共栄、これは生命の存在意義に違いないだろう。

なぜ、この世界にしても生活にしても、どうしてこんなに複雑になってしまって、日々面倒な手続きや社会的ルーティーンをこなさなければならなくなってしまったのであろうか。

芸術を生む準備を自分はできているか?

そして、芸術を受け取る準備はできているか?

芸術は必ず、世界を光へ導き、光で包むであろう。

芸術は永遠だ、加えて、限りなく高貴だ。

芸術に親しめ、もっと。

生活を愛せ、もっと。

僕が定職についていないことに対して、毎日労働に勤しむある若い女性が「人生なめくさっとるなぁ!」と何度も罵倒した。

僕は言いたい、「僕は、限りなく人生を愛し、大切にしようと奮闘しているのです。

あなたはそうして貴重な自分の若さを賃金のために費やして、安心と未来の安寧を得ようとしているわけですが、未来の自分は過去の自分に感謝するとお思いでしょうか?

僕はきっと未来の自分がどんな保障や保険によって安定した境遇であったところで、過去の自分に疑問を投げかけるでしょう。

若いときにしかできないことを、もっとやってもよかった、今の僕は君のために、我慢することだってできるんだ。

若さは何にも変えることができないのだから、たくさん感動して、学んでほしかったとも僕は言うかもしれない」

僕はただ、幸せに、楽しく人生を、自由に旅したいのです。

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人命と自然を守らずして、何を守ろうというのか?


こんなことを書いても何も変わらぬ。

―そんなことわかっている。

だが、あまりに腹が立つ、甘んじて受け入れるべき性質のものではない、また看過していずれ解決に向かう問題でもないのだ。

東日本大震災によって起こった福島第一原発の事故。

その当初から放射線漏れが起こり、何度となく健康への被害などの警告と注意の呼びかけなどがなされてきた。

2年以上が経った現在でも、驚くべきことにその収束は見通しがつかず、冷却のための汚染水は増え続けているのだ。

その中で昨日、過去最大の汚染水漏れが発覚した。

今回は汚染水タンクから漏れ出す事故であったが、配水管など今までにも多く類似の汚染水漏れが報道され、そのたびに東京電力は対策と処理に当たったようだが、常に後手後手であり、その実態と真偽は疑わしさが大きく残っている。

僕は初めから政府や報道、ましてや一企業の発表など信頼していない。

その問題の深刻さが大きければ大きいほど隠蔽され、真実から遠ざかるというパラドックスが引き起こされるのだ。

どれほど放射性物質が飛散し、それがどの程度人体に影響を与えるものであるのか、また汚染水がどれほど漏れ出し、それが地中および海洋へ流れ出ていることによってどれほど影響があるのか、そういったことは未曾有の出来事であるゆえに判断もできないに違いないが、とにかく大いなる財産である地球を甚大に損なっていることは確かである。

なぜみんなもっと腹を立てない?怒り、間違いだという空気がつくりだせない?

不可解だ。たくさんの人が傷つき、不便な思いをし、苦労しているというのに。

原発は止まらない。経済活動を止められないから?

それほどGDPや国防力が必要なのか。人命を、自然を守らずして、何を守ろうというのか。

こんなことは果てしなく無駄な思想だ。なぜだかわからないが、自然を破壊し、人を傷つけるように大半の人間はプログラムされているようだ。

それは歴史を見なくとも、現在を見れば誰にだって明確に分かる。

かつてのような福島県からの日本海沿岸の風景、そこから得られる豊富な海の幸、農作物が得られないことがなにより悔しい。

人体には影響がない放射線量?

違うではないか、そうした計測を必要としている状況がすでに豊かさを損ねているというのだ。

海洋は広いから汚染水が流れ出たとしても薄まって、人体に影響はない?

無責任ではないか。なんで人間中心なのだ?

なんでもっと謙虚になれないのだろう。

地球というお家に済ませてもらっている間借り人に過ぎない僕たちであるのに、我が物顔でふるまっているのだろう。

人生はたかが100年にも満たないから、放射線で人体に影響があろうが、原発が動いていようが、すべては関係がなくなるのだろう。

すべては過ぎ去り、忘れ去られる。

汚染水タンクの置き場がどんどん広がり、汚染水は日本近海に漏れ出し、放射線が農作物にふりかかる。

そんな日本がいやならば、いずれ出て行けばいいではないか。

極論はそうだ。自分に関係がなければ、声を大にして訴えることもする必要がないし、労力を尽くすこともばかばかしいと思うだろう。

ただ、悔しさと寂しさはどうしようも僕の心から拭い去ることは、永久にできないだろう。
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夏旅 東京の入り口、品川駅


僕が青春18切符の旅を好むのにはちゃんといくらか理由がある。

そして、その理由の一つは18切符が5枚つづりであることに由来する。

1枚で1日中、在来線に乗り放題なので、日帰り旅行で使うのならば5日分だが、旅先に泊まる旅をするとなると、往復で2枚消費するので最後の1枚だけ余ってしまうか、片道切符となってしまうわけだ。

そこで僕は5日間以上旅を続けることで、1回で5枚つづりを不足なく利用する。

また、1枚2300円に相当するので、運賃がその金額と大差がないとあまり意味がないことになる。

もちろん、途中下車が可能であるから、通常の切符よりも便利で旅向けには違いないのだが、なるべく長い区間乗ったほうがお得である。

しかし、特急などには乗ることができないので、その場合、長時間乗車を余儀なくされる。

すると旅程としては、観光する時間が減ってしまうので、余分な滞在時間、日数を要し、はてお得なのかどうなのか微妙なところになってしまいかねない。

こうした条件を鑑みながら、旅を計画するところにおもしろさと難しさがあってすきなのだ。


午前中を横浜で過ごした僕は、続いて東京へ向かうことにした。

この日は、横浜と東京を見物することにしていたので、前述の2300円に及ばない運賃で移動できることから、18切符は使用しなかった。

このことは同時に旅程が少なくとも6日間になることを意味した。

しばらくして、電車は品川駅に到着した。

空は明るさを閉じ込めるような雲に覆われていて、今にも一雨来そうな様子であった。

他の人にとってはどうかはわからないが、僕にとっては品川駅こそ東京の入り口という感じがする。

そしてこのときが僕にとってはじめての東京旅であったのだ。

それまでに少なからず東京に足を運んだことはあった。

修学旅行では浅草などへもいったし、隅田川を船で下ったりもした。

家族で東京ディズニーランドへ行くときにも品川駅は通ったはずであるし、高校の仲間と東京大学の下見に行ったことも懐かしい。

おなじく、横浜国立大学、東京医科歯科大学、東京農工大学なども見て周り、受験に向けて士気を高めるいい機会ともなった。

しかしながら、旅として、つまり旅情を欲し、学びと精神の向上を目していったわけではないので、このときの気持ちとは大きく違うものであった。

そういう意味で、初めての旅であったのだ。

僕は年齢などを考慮すれば、それなりに日本全国、多くのところを旅した。

だが、博多、大阪、あるいは横浜、特に東京というように、都会の街はあまり観光することをしなかった。

旅情とはやや離れた部分が多くあるようだし、時代の残像というものをそのままにしていることも少なく、どこか感性に会わないものを感じていたのだ。

しかし、今回思い切って都会の街に踏み切ってみた。

かつては江戸時代を支えた街であり、いたるところに歴史を残しているようで、「ブラタモリ」のように見かたと歩きかたをわきまえれば、旅情と風情に触れること、多大であることを知った。

品川駅構内の充実していること、田舎から都会にやってきた一青年には大きな驚きであった。

改札を通らず、切符を手にしたまま、食事はできる、買い物はできる、立ち読みはできるといった具合である。

まさに路線のオアシスで、降り出した大雨と雷に足止めを食らった僕はなんらの苦を感じることもなく、雨雲が過ぎるのを待つことができたのだった。
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僕の書くものは「健康的」で、それはこの上ない幸せによるのだ


文学とはなにかということは何度も考えてきたことだし、明白な答えが与えられるような命題ではないように思うから、これからも考えていくことだろうと思う。

歴史的に見れば、聖書の挿話から着想を得たもの、あるいはその他、宗教的なものであったり、浪漫主義といわれる、理想的人間像や、世界を描き出すもの、そこから啓蒙主義にいたって、人類の発展と高邁な思想を掲げる。

社会風刺などの、社会への警鐘と批判を含んだ社会的なもの、たんに人間性、現実に迫る自然主義。

自分自身が、そうした文学作品を読み、また少なからず日々の出来事や考えたことを文字に表しているのであってみれば、自ずとそうした主義の好みにも関心を抱かざるを得ない。

そして、便宜的な分類は自分なりにしてみるのだが、やはり断定的に自分の主義、主張はいまだ定まっていないことを認めなければいけないし、それが悪いことだとも考えていない。

だけれども、自分が何かを書いている上で、自分が思想の根底にどういったものをもっているかということを把握しておくことは重要である。

汝自身を知れとはよく言われることだ。

それで、今日もぼんやりと自分は何を求め、どういったものを少なからず表現しているのだろうと考えていたのだが、ふと、

「ああ、僕は文学的でないかもしれないし、芸術を求めているのではないかもしれない。

満足もしていないかもしれないし、快感も得ていないようだ。

にもかかわらず、なぜ書きたいのか、そして書くのか。

そしてその書いたものは一体なんであるのか」

唯一こんな答えを与えることができるのではないかと思う。

僕の書いているものは「健康的だ」

健全とはいわない。

むしろ不健全だ。

なぜならば、僕の書くものに若さと情熱、傲慢と無鉄砲、自惚れ、欲情が欠けているように思うからだ。

しかし、健康的だ。

肉体と精神を解放し、向上と保全に気を配り、有効利用、正しい使用に努力している姿がみえなくもないだろう。

そこには死の影も絶望も、不幸も不健康も姿をみせない。

それは類まれな恵まれた境遇といわなければならない。

僕がよく思うこと、それはこの上なく恵まれ、元気で健康に過ごせているという幸せだ。
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夏旅8 赤レンガ倉庫にて


夏旅の記録がすっかり頓挫してしまっていたのだが、夏は何かとイベントが多いし、気持ちも高揚しがちということである程度やむをえないところである。

合間を見つけて記述していこうと思うのだけれども、それまでに立て続けに特筆すべき出来事にであったり、気の利いた思想的筋道を発見したりして気がまぎれてしまうことも多かった。

山下公園から埠頭に沿って赤レンガ倉庫までぐるっとめぐったことを書いたはずなので、そこからまたはじめようと思う。

港町は時代とともに姿を変え、栄枯がはっきりしており、とどまるところがない。

往年を偲ばせる建築物が残されていたりすることによって、時代を感じないでもないが、横浜はセンスを伴って発展してきているように思う。

赤レンガ倉庫は前述のとおり、趣向の異なる2棟からなる。

2号館の1階、表側の店舗は飲食店として使われていて、日を取り込む工夫をされたテラス席で多くの人々が昼下がりのひと時を楽しんでいた。

ガラス張りの囲いの丈夫には通行人に向けたミストが噴射され、わずかながら涼まで提供していた。

商業施設に似つかわしくない出で立ちであったが、横浜らしいしゃれたおみやげがないかと僕もそれなりの目的をもってやってきたのだった。

革製品やバスアメニティーを販売するお店など種々さまざまあったが、そっくり意に適うものを見つけ出すことはできなかった。

おみやげを探し歩いて疲れたので、いやでも気を引かれたテラスで昼食を取ろうと、店先に張られた広告の冷製パスタが食べたくなって、カジュアルなレストランに入店した。

お1人様のお客はおらず、1人バックパッカーでご来店は僕のみであった。

はじめは少し気恥ずかしい感じもしたが、休憩と快適さにすっかり場になじんでしまった。

オーガニック食材を売りにしたレストランであるようで、フレッシュな野菜をふんだんにつかったサラダ、パスタは彩りも鮮やかで、味覚のみならず視覚も楽しませてくれた。

ほのかに野菜それぞれのもつ香りもただようほどに新鮮であるよう思えた。

空いた向かいの席にリュックを置き、一人で食事していると、隣の4人がけテーブルに3人が連れ立って入ってきた。

その一人が席に着くやいなや、

「スミマセン、シャシン、イイデスカ?」と僕にふりむいた。

かたことに話すその人はアジア人のようであった―ニホン人には見えなかった。

「OK、OK」

僕は戸惑いながらすぐさま、笑顔をつくり、要望に答え、予備も合わせて2枚撮影した。

2人の夫婦と添乗員の役割を果たす、知人か友人の年齢は60くらいの男性であったが、彼らが僕に礼を言ったあと
の男性がこう話しかけてきた。

「旅ですか?いいですね」

「ええ」とにっこりする僕。

「あなたがたも旅行中ですか?午前中はどちらへ?」

「ラーメン博物館へ行っていました。

実は私、横浜は初めてで、これからどうしようかと思ってるところです」

「天気もいいですし、散策すれば素敵な時間が過ごせるでしょうね」

2人の夫婦がその男性に席に着くと案内のお礼に渡したお土産の一部を僕に一つ分けてくれた。

「シャシン、アリガトウ。タイワンノデス」

と僕に台湾をかたどったしおりをくれた。

男性とその夫婦は英語でやりとりをしていて、時々僕にも彼を通じて話しかけてくれた。

「台湾いったことがありますか」

「一度いったことがありますが、小さい時分だったのでよく覚えていません」とつたない英語で話すと理解してくれたようで、うれしかった。

中国語が話せるかきかれたが、I can't と答えなければならないのはなんとも忍びなかった。

旅先でのこうした出会いは本当の人間同士の関係、利害関係なしの純粋な交わりという感じがして好きだ。

互いに何も知らないが、一定の敬意と親しみをもって接するので、それはすばらしいのだ。

僕は思い出したように、時分のリュックから文庫本を一冊取り出すと、

「僕は読書が好きです、ほらこうして本を持ち歩くほどです。

なので、あなたからのしおりのおみやげは僕にとって、とてもうれしい贈り物です」

との意味を伝えた。

今、そのしおりは物語の続きを僕に教えてくれている。
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人生の歩み


僕の歩む先にはっきりと2つの交わることのない道が見えた。

結婚し、やがて家族を持ち、愛と育みのなかで生きることと自然を愛し、自然と文明のなかで暮らし、風流と芸術に親しみながら旅の中で生きることの2つの道。

僕は後者に魅力を感じているわけだが、道が存在している以上、否定できぬものがあるのだ。

僕は人を愛することのできぬ人間ではない。

家族を、恋人を愛さぬわけではない。

しかし、至高性への憧れを、どうしても捨てきれないでいるのだ。

そして旅に身をおくことの心地よさも決して忘れることができないのだ。

けれども時間は容赦しない。

僕も年をとり、失うものが多くなる。

女性にはある意味で一定の期限がある。

彼女は人知れず悩んでいた。

私には時間がないの。

男である僕には時間の猶予があるように思えたが、それは存在意義の弱さからくることでなんのなぐさめにもなっていなかった。

思い出を回想し、その日々がやがて戻らぬ輝きをもつことを暗に自覚したのだった。
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キャンプ 『つぐ高原グリーンパーク』にて


仲のいい男女4人でのキャンプはこの夏のよい思い出となった。

今年でもう3年目になり、すっかり恒例行事だ。

場所は去年と同じ『つぐ高原グリーンパーク』で、愛知県北設楽郡設楽町にあり、長野県に程近かった。

キャンプは好みの分かれる遊び、気分転換であるが、僕は好きである。

とはいえ、誘われなければなかなか自分から計画して、準備を整えるところまでしないのでそれほど好きとはいえないのかもしれない。

だから計画をして、準備を整えてくれた彼らにはとても感謝している。

野外で一晩過ごしてみると学ぶことも多くて、かつさまざまである。

たとえば食材や日用品を買いに行くわけだが、さて生活をするのに必要なものというのが、なかなか判然としない。

あまり、余分なものを買っても予算を圧迫するし、一方で極端な不便を感じてしまっては、本末転倒、醍醐味を味わわないという事態に陥りかねない。

また自宅でならあまった食材は冷蔵庫などで保存することも可能だが、野外ではそうはいかない。

食べきれる適量を前もって判断しなければならず、これは意外に普段考えないことなので難しい。

そして、みんなで買ってくるのですべてが人数分、それぞれに割り当てられているわけではないので、平等を意識しなければならないし、気配りをしなければBBQひとつろくにできないのだ。

キャンプで自己中心的な行動はNGだ、みんなで力をあわせ、助け合って、円滑にすばらしい時間を過ごそうとの努力をしなければならない。

自分が空腹であれば、相手も空腹であるだろうし、自分が疲れていれば、相手も疲れているので自然と自分の無責任さや協調性が露呈する。

D君がぶどうをみんなに買ってきてくれたことが、とくに僕を驚かし、喜ばせた。

巨峰で、いいぶどうだった。

僕はひとつ、大きな教訓を得たのだ。

『お金の重要な役割のひとつは人を喜ばすことである』

たしかに、お金だけではなく、言葉や行動で人を喜ばせることも可能だ。

しかし、お金でも人を喜ばすことができるというのは、ゆるぎない事実なのだ。

僕はそのことを痛感し、自分は言葉や行動で人を喜ばせたり、楽しませる人間でありたいと思っていたが、まだ見ぬ違った概念も存在することを知った。


高原で見る星空は美しく、普段の何倍も澄んだ空には数え切れない星がきらめき、ときどき流れ星がすーっと流れた。

あの時見上げた星空が、今でも心にきらめいている…

たしかに僕はすばらしい夏を過ごしたのだ。

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近未来建築『豊田スタジアム』 スポーツの発展と生活の向上


豊田市駅から矢作川の方へ車を走らせると巨大な橋が見えてくる。

「豊田大橋」だ。

それほど川幅が広くは感じられないが、とてつもなく立派な橋が架かっていて、その渡る先には未来都市が開けているようである。

実際に、河川敷を利用した広い敷地があり、そこに近未来的建造物といえる『豊田スタジアム』がある。

800px-Toyota_Stadium,_Mori-cho_Toyota_2012(wikiより)

建築物に限らず、身近なあらゆるものがデザイン性を求められている昨今だが、とりわけ一定以上の強度を要するものについては流線型をいかに取り入れ、デザインするかということが要求され、技術や能力の高さの指標となっている。

『豊田スタジアム』もまた全体像が把握できぬほどの大きさであるため、おおよその外観からの判断であるが、輪郭という言葉を用いていいのであれば、その輪郭を流線で与えられている。

自然界に存在するような美しい形である。

人によっては大空を背負って、しばらく甲羅を干しているウミガメを思い浮かべるかもしれないし、地上に降り立った宇宙船が碇のごときものを下ろした瞬間を思うかもしれない。

ただ、僕は外観をその目で見ようと足を運んだのではない、スタジアムの本来の姿であるサッカーの試合を見に来たのである。

800px-Toyota_sta_0313_2.jpg

空を縫う光の帯に照らされたスタジアムは熱気でふくらみ、結界とでもいおうか、ある種異様な世界を作り出していた。

そこに一秒でも早くたどり着きたいと、足取りは自然にペースアップした。


応援したチームは敗戦した。

サッカーというスポーツは制限時間が決められたゲームであるがゆえの、物理的不可能によって敗戦がワンテンポ早く決定する。

つまり、残り5分で3点というような状況がありうるので、その時点で敗戦が決まるのだ。

僕のなんともいえぬ、ぶつけようのないイライラがどんどん募っていった。

負けることは火を見るより明らかであるのに、数分間を応援し続けなければならないという苦痛、屈辱。

安くない入場料を払い、蒸し暑い夏の暑さの中で選手の姿を懸命に追い、応援をした。

そして、得られたものは敗戦のみなのだ。

それ以外に、もちろんあらゆることを得ることもできるだろう、しかしそれには努力が必要だ。

だが、一体それがなんだというのだ、それならば試合など見なくてもいいではないか、熱気も応援もいらないではないか。

考えてみると、スポーツ選手というのは、自分の好きなスポーツをやって生活している。

これは、一見すると矛盾というか、不自然である。

そう、彼らを生活させているのはサポーター、ファンなのだ。

サポーターやファンはでは、何を求めているのだろうか?

何に、自分の労働、あるいは時間など、自分の所有物の代償であるお金を支払っているのだろう?

それは当然のことながら好きな選手やチームのすばらしい、美しい、感動できるようなプレーである。

僕たちには思いもよらない、不可能で、卓越したプレーである。

では、そうしたプレーは具体的になんであるか?

それは点を防いだプレーや点を生み出したプレーである。

こうやって考えていくと、失点につながるプレーは悪いプレーといわなければならないし、点を奪い損ねたプレーもやはりダメなプレーであろう。

そう考えてくると、勝たなければサポーターやファンを喜ばすことにならないし、彼らが求め、望んでいるのは応援するチームが勝ち、そのために応援する選手が活躍することである。

そうしたチームは自ずとサポーターやファンを獲得し、彼らの生活を支える手が増えることになる。

するとチームが潤うから、補強やサポーターやファンのためのサービスを行うことができる、その結果またサポーターやファンがつく…。

といった具合に、好循環が生まれてくるのである。

スポーツは勝ってなんぼであり、とにかく勝たなければならない。

そのことをスポーツ関係の方々に強く意識してもらいたいと、心の底から思った。

そして、将来、僕自身少なからず、スポーツの発展と生活の向上というテーマを掲げて、何かに取り組みたいとそんなことを考えた。
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『風立ちぬ』 生きねば、柔軟性と多元性をもつ作品

子どもたち、そして学生たちが夏休みを過ごす時期になると、映画会社がこぞって年齢層を問わぬ、かつ娯楽性に富む作品を公開する。

その中でもジブリや大手製作会社の映画は公開前から話題を呼び、注目が高い。

彼らにとってこの夏商戦は威信がかかっているといってもいいほどで、連日映画館には人が集うようだ。

連日、猛暑が続き、屋外はもちろん、屋内にいても熱中症の危険があると新聞、テレビで報道されているが、休み中の涼の取り方のひとつとして映画館という選択がされているというのも一つの理由かもしれない。

僕もここ何年か毎年1本以上は映画館に足を運んで新作映画を鑑賞していて、恒例行事となりつつある―去年はコクリコ坂、その前はアリエッティとここジブリ映画をみている。

今年も一風変わった趣向のCMが気になっていた「風立ちぬ」を見に行った。

表題の「風立ちぬ」、キャッチコピーの「生きねば」というところからも作品に対する意気込みと内容の充実が伺え、僕の期待も大きく膨らんでいた。


感想や想起したこと、感動の度合いなどが見る人によって 著しく異なる作品ではないかと思う。

主人公二郎が美しい飛行機を作りたいという自分の夢に向かって奮闘する姿を軸に菜穂子との恋物語、そしてファンタジックな夢世界での旅客機を実現してみせた、尊敬する人物カプローニとのやりとりが描かれる。

二郎の夢である美しい飛行機を作る夢が、それを追う過程で関東大震災や戦争といった政治や天災という不可抗力要素によって妨げられるが、それを乗り越え、また結果として「最後はズタズタだった」というように、彼の努力はゼロ戦となって結晶するが、特攻隊のために使用され一機も帰ってこないという悲劇に終わる。

それでも、菜穂子は「生きて」と夢世界の中で二郎を励ます(菜穂子は結核によって死んでしまう)。

同じ場面で尊敬するカプローニから「この10年、全力を尽くしたかね」というような問いを投げかけられる。

これも重要だ。

『地道で長いひたむきな努力』と『いかなる逆境、どうにもならぬ苦境に陥ったとしても生きる根源的なエネルギーに立ち返って、人生の歩を進めること』

こうしたメッセージを強く受けた。

こうした文学色があり、啓蒙的でかつ恋物語も絶妙に混ぜられている。

しかしその物語は順風満帆とは行かず、山を登って絶頂を見て、滑落するといった展開を見せる。

出会いはいかにも運命的で、菜穂子の気の聞いたフランス語での問いかけは一瞬にして二人の世界を作り上げ、観客をそこに引き込んだに違いない。

それから二人が関係を深いものにしていく過程はあまりにできすぎているので、構築された美しい話として受け取ればいいだろう。

一緒に上司の家に泊まる際に、結婚していなければ許せないといわれ、即断で結婚をし、その式を上司宅で行う場面はやや滑稽ではあったが、時代の風潮を描き、またその旧弊の如何を考えてみるきっかけを与えていた。

結核を煩い、高知療養所で療養をしていた菜穂子が美しい姿を見せようと二郎のもとをたずね、しばらくして戻っていってしまう―もう来るところまできてしまった―場面は涙を誘わずにはおかなかった。

というのも、避暑地、軽井沢で出会ったカストルプ氏(魔の山の主人公ハンス・カストルプからきているのだろう)がその地のことを「魔の山」と表したように、まさしく高地で療養している菜穂子はヨーアヒムをはじめとする結核患者を思い起こさせる。

「ニホン、ハレツスル、ワスレル」、「コクサイレンメイダッタイ、ワスレル」といった言葉が印象的だ。

『魔の山』は僕の好きな文学作品の中でも特別すきなものなので、その数々の場面も脳裏に浮かんできて、いっそう感動と悲哀を感じたのだ。

そして最後の場面、空にたくさんのゼロ戦が描かれ、「(二郎が人生をかけて追った夢の一つの実現としての形である)機体は戻ってこなかった」というところで僕は作品とは関係ないとしても『きけ、わだつみのこえ』の中に記されるたくさんの特攻隊として戦場に突撃した若者たちの言葉を思い出さないではいられなかった。

彼らはあまりに勇敢だった。

情熱の結晶であるゼロ戦を駆る者として恥じぬ者たちであった。

しかし、その用途が大いなる間違いであったのだ。

この世界に生きる僕たちにとって、周囲の環境、自分の置かれた立場、状況というものは常に考えなければならないし、それは大きな力を持って僕たちに働きかける。

しかしその中でも、僕たちは強く生きなければならないし、情熱を注ぐべき自分の存在意義ともいえる世界への働きかけの道具を鍛えていかなければならないだろう。

最後に、テーマソングである『ひこうき雲』も作詞・作曲松任谷由美で秀逸で、いい映画にはいい音楽といえる楽曲だ。

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夏旅 横浜7


港の見える丘公園が丘状に合わせ、その『港の見える』というコンセプトを基につくられている高台から海洋を望む公園であるのに対して、山下公園は西洋庭園風の対称性を持つ長方形の臨海公園で、その規模も大きく、横浜のシンボルのひとつであるように思う。

氷川丸という客船が係留されていて、海岸沿いの舗道にはベンチがいくつも設けられている。

それぞれがそれぞれ、思い思いの時間をすごす公園は僕の好きな場所のひとつだ。

噴水、それに放射状に花壇が設けられていて、風が吹くたび草花を揺らす。


道路をはさんで、連続する鉄格子が美しい、シンプルで控えめなたたずまいのマリンタワーが空を押し上げていた。

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街中にあるこうしたタワーの土台部分はほとんどが商業施設を兼ねていて、このマリンタワーもその例に漏れないが、とりわけその形状は優れていて、バランスもいい。

ガラス張りで開放感があり、また光を多く取り込み、その構造上、重たくなりがちな屋内もいい雰囲気だった。

独立している土台部の一体感もある。


中華街は以前堪能したので、次の機会とすることにして、再び赤レンガ倉庫に行ってみた。

向かい合わせに二つの赤レンガ倉庫が並び、3つのフロアに分かれた商業施設となっている2号館、ホールやギャラリーなど文化用施設の1号館となっている。

まず2号館に入った。

内装も鉄製の階段、鉄柱、赤煉瓦からなる造りで、独特のひんやり感と湿度を感じた。

店舗同士や通路との境界がはっきりしていないような、圧迫感もあったが、同時に充実しているようでもあった。

どの店舗もおしゃれで女子が好みそうなものばかりであったので、バックパックを背負った僕は似つかわしくなく、こっけいであっただろう。

レストランに雑貨、アパレルなどどの店舗も魅力に富んでいた。
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夏旅 横浜6 都会ならではの有名人との邂逅


港の見える丘公園から現代文学館に煉瓦造りの橋脚の上部をなだらかなアーチで渡された橋が架かっている。

その橋へと続く道の平べったい階段のところに、小・中・高までの学生はもう夏休みに入っている頃であったが、セーラー服と学生服を着た男女が集まっていた。

最初、学校のレクリエーションかなにかで文学館に来ているのかなくらいに考えていた。

だが、少し違和感を感じないではなかった、というのはそのおおよその一人一人の表情、姿を見てみるとどの女の子も透明感のある整った美少女ばかりで、男の子のほうに目を向けても、端正な顔立ちで、さわやかさをもっていた。

普通、どんな偏差値の高い学校でも、有名な私学であっても、クラスの美少女はクラスに一人、もしくは数人といったところであるし、男子にいたってはハンサムであるのは学年に一人というくらいのものであろう。

だが、彼ら、彼女らは違っていた。

だから、僕は記憶に強く残っていて、こうして書いているのだ。

またそこには異様な空気感があったので、避けるように、足早にそこを過ぎた。

すると、大人たちが並々ならぬ緊張感と忙しさで立ち回っていて、橋の上に目をやるとカメラマンとレフ版を従えた女性が撮影に望んでいた。

気が付かなかったのだが、僕のちょうど前方のほうに「映画の撮影中」という注意書きがあり、文学館来場者に迂回を求めていた。

「ローカルな映画でもとっているんだな」僕は率直にそう思い、遠回りをして文学館の前までやってきたが、そこに張り出されていた案内に目を通して、やはりそこで楽しめないだろうとの思いから断念したのだった。

引き返して、もう一度、今度はその演者を確認してみると、テレビやCMにひっぱりだこの剛力彩芽、演技力の高さと個性が光る中尾明慶、清純派女優岡本怜の3人でとてもおどろいた。

ついさっきまでなんでもない撮影現場、迷惑でしかない映画の撮影が一瞬にして得がたい光景との邂逅となったのであった。

人間の先入観や早合点は常によい結果を生まないのではないか。

地デジ放送が開始され、テレビに映る映像は格段に鮮明になり、僕たちはよりいっそう現実味を帯びた遠い世界を見ることができるようになったが、その反作用として僕にはその3人がそれほどのオーラをまとっているように思えなかったし、キラキラ輝いても見えなかった。

テレビでみたまんまといって差し支えないだろうという感じだ。

ただ、加えるなら岡本怜より剛力彩芽のほうがオーラというか、目をひくものを持っていた。

僕は完全にこの場の状況を理解した。

さっきの生徒たちはエキストラで、主要人物が演技をとり終わるのを待っていたのだった。

クラスがもしあんなにも美男、美女で構成されていたら、違和感ありまくりで勉強に集中できないだろうから、やはり自然界に基づくバランスは保たなければならないに違いない。

どちらかといえば田舎に住む僕にとって、こうした撮影現場やテレビでお茶の間をにぎわす芸能人に出くわすということは著しく少ないので、幸運だとはしゃぎ、都会はすごいなとの思いをいっそう強くした。
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夢を夢で終わらせない

いつの日からか僕は夢を語ることをやめた。

夢と一緒に生きてきたといってもいいくらい、いつも夢を持っていた子どもだったし、いまでもそうした生き生きした、気持ちのよい気分を忘れずに大人になったつもりだ。

小さいときは、触れて感動したものにすぐ夢をくっつけて、大人たちの前で、空港からかっこよく飛び立つ飛行機をみたあとでは「ぼく、パイロットになる!」といってはほめられたものだった。

「素敵な夢ね」、「いい夢だ」、「がんばればきっとなれるよ」

大人たちはみんなそういって僕を喜ばせた。

小学生高学年になると、盛んに将来の夢を学校や地域の人たちとの会話の中でも聞かれたものだった。

スポーツ選手や医者、社長や先生など、現実味がある夢がほとんどだったが、みんなかわいい夢を持っていた。

僕もそうした子どもと何も変わることなく、夢を持っていて、自信をもって披露した。

そのための努力を未熟ながらも自分に課して取り組んでいた。

夢に素直で誠実であったことは今でも誇らしい。

中学生になると、勉強が市民権を持って、僕らの遊びと自由の権力を奪っていった。

強く大きく、僕らの前に立ちはだかったのは成績と順位だった。

でも、まだまだ部活が幅を利かせていたから、それをがんばってさえいれば、批判も苦言もあびることはなかったので、僕らは必然的に部活をがんばり、勉強にも精を出すのであった。

思春期で、自我との葛藤、他者との関係に心悩まし、常に問題を抱えていて、夢を語る機会も、夢について聞かれることはなくなった。

それにとってかわって、進路が夢ではなく、現実的将来として考えなければならぬものとなった。

それを持っていなければ優れていると思われず、与えられたものを無理に、自分の将来に当てはめて僕らは安心していたのだった。

もし夢があるとしたら、一部の能力の優れた人間がその運動能力や学力を用いて、スポーツ選手や官僚や公務員、政治家、学者といったかもしれないが、僕の周りにはほとんどいなかったように記憶している。

夢を語ることさえ恥ずかしく、かっこ悪いというのが僕たちの常識であった。

高校生になり、突然夢が小さくしぼんだ。

部活動の全国大会出場か有名国公立進学のどちらかがほとんどの夢ある生徒の願うところであった。

両親や先生はことさらに将来を不安視して、安定と地位を求めることを第一と考えて疑わなかったし、僕らも知らず知らずのうちにそうした思考回路を形成させられ、勤勉こそが唯一無二の正義であった。

自分の夢は、夢破れた周りの大人の夢なのではないだろうか、計画的につくられた夢なのではないかと疑った。

もうすでに、自分自身で生きるということが難しくなってしまっていて、にもかかわらずそれを当たり前だと思い込むようになっていた、恐ろしいことだ。

そうしてなんとか見つけた夢は、ことごとく否定され、罵倒され、非難された。

それよりも苦しいのは悲しまれることだった。

はじめ僕には悲しむ理由がわからなかった。

それは独りよがりの夢ではなく、希望と善と自由にみちた夢だったから。

どこまでいっても100パーセントにならぬ可能性をむやみに求め自由や希望を奪うのならば人生はなんと味気ないことだろう。

今僕は夢については語らない。

心の中に静かにしまっておいて、あたためて夢を夢でなくすることに徹したいと思う。

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日本文学を避ける理由


前回の記事で中原中也の作品に触れる機会を持たなかったことを書いたのだが、他にも年代の前後が文学について明るくないので不体裁かもしれないけれど、あげるならば、泉鏡花、坂口安吾、永井荷風など、一般的にいう、近代文学について、僕はどこか避けるような傾向がある。

ただ、それは理由のないことではない。

いつからか、文学は文学自体が独立してその存在意義、根本原理のために進歩するようになった。

その結果として、自然主義を主流とする文学が形成され、娯楽的大衆小説との境界がなくなり、テーマが多様化し、真理を求める手段としての文学が薄れてしまったように思う。

僕は日本文学よりも、世界の文学、とくにドイツ、ロシア、フランスを好んで読むのだが、それはやはり政治的、歴史的背景―それには宗教もかかわりがある―が必然的に呼び起こした文学という雰囲気を持っているものが多いし、芸術としての権威をもっているようにも思えるのだ。

神を問うという大きな根源的テーマを持っているキリスト教国では、芸術、ひいては文学がおのずから生まれてくるのは当然のことであろう。

しかしながら、逆に言えば、根源的テーマを持たぬ―仏教は根源的というよりも処世術、死生観、人生観に組するところが多い―日本でのみ発達しうる文学もありうるはずである。

物語ることにこだわらず、問いかけ、論じること、そうした形をもつ文学も必要である。

考えてみれば、教養小説なんていう概念は日本文学にはありえないように思う、たとえば「三四郎」が教養小説だとしても、現実味を帯びすぎていて、ある意味実学的効果しか生まないようである。

面白い物語でもなく、現代を反映させた物語でもなく、真理に富んだ、生きるヒントを与えるような小説、日本文学のありようとは一体なんであるか、もっと考えていきたい。
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夏旅 横浜5


公園が点在し、市民の憩いの地という観を呈する元町でも、とりわけその立地とネーミングから興味引かれたのは『港の見える丘公園』だった。

記念館と文学館を擁し、敷地は広く、手入れも行き届いている印象を受けた。

「港の見える」というくらいだから港を望める中ほどの開けた方へ進んでいくと、港からの風に向かって翼を伸ばすとんびのように優雅で幾何学を思わせるオブジェが屋根の役割を果たしている展望台があった。

単なる屋根といってしまえば、そうかもしれないが、それにしては美しく、景観にマッチしていて気に入った。

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屋根はすりガラスのようになっていて、日差しを幾分かはしのいでくれるものの、夏の炎天下ではやや不十分であった。

それでも、視覚的涼感を持っているし、そこから見えるベイブリッジやコンテナ船と積み下ろし場などの景色はすばらしく、猛暑とはいえ一時の憩いを与えてくれた。

奥のほうには昨日に見た摩天楼が、白く様変わりしているのが見えた。

現代文学館では「中原中也」の企画展が催されていたが、僕はいまだ彼の著作に触れる機会も強い関心も持ったことがなかったので、そのことを悔やみながら今回は見合わすことにした。

ここに唯一、僕が知っている彼の詩を書き留めておきたい。

『 冬の夜に 私の心が悲しんでゐる 悲しんでゐる、わけもなく…… 心は錆びて、紫色をしてゐる。

丈夫な扉の向ふに、 古い日は放心してゐる。

丘の上では 棉の実が罅裂(はじ)ける。

此処(ここ)では薪が燻(くすぶ)つてゐる、 その煙は、自分自らを 知つてでもゐるやうにのぼる。

誘はれるでもなく 覓(もと)めるでもなく、 私の心が燻る…… 』   『冷たい夜』中原中也作

なんだ、知っているではないか―いや、これにはわけがある。

ザ・ハイロウズの『青春』という楽曲が僕は好きなのだが、そのyoutubeの動画の中でこの一節が使われていて、その情景、情感に共鳴するところがあり、それをきっかけに全文を知ることとなったのだ。

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夏旅 横浜4


書き加えておかなければならないことは、僕がこのホテルで最大のミスとも言える下着の替えを持ってきていないことに気づいたことである。

きれいに洗われた下着を身につけて、柔らかな布団にくるまって眠りにつくことこそ人間生活のもっとも称えるべき幸福であるかもしれない。

それが自らの過失から奪われてしまったことは、遺憾の極みであった。

二日連続で同じパンツを履き、肌身に直接寝巻きを着なければならなかったのだ。

横浜の観光スポットといえば中華街、元町といったところが知名度も高く人気があるだろう。

観光のためにつくられたのであろう『みなとみらい線』にしゃれた駅名の『馬車道駅』から乗り、文字通り『元町・中華街駅』で下車した。

地下深くに線路が敷かれ、エスカレータをまるで戦闘用シャルターへ逃げるようにぐんぐん降りていくと、せわしく電車が走っていた。

反対に、到着駅では何度も折り返し折り返ししながらエスカレーターを上がってようやく地上へとたどり着く。

小さな公園を抜け、坂を上がりきったところに『外国人墓地』がある。

幕末の黒船来航、続いて開国、そして横浜開港…。

日本は文明開化、欧米化が進み、そこには多くの外国人の尽力、貢献があった。

そうした人々の歴史的軌跡を留め、今に伝えている。

だが僕が訪れた大きな理由は別にある。

幼少期に、母と兄弟で食事前などの時間のあるときによくカルタ遊びをした。

そのカルタの一つに『横浜開港記念カルタ』があり、『外人墓地』や、次に行った『港の見える丘公園』などが読まれていて、とても親しみがあったのだった。

淡く、かわいらしい水彩絵調で描かれていて、当時の僕はやさしい時間が流れているところなんだと思いをはせたものだった。

両親が僕が誕生する前に横浜旅行に行き、その際のビデオに母がこの外人墓地の脇の道路を歩いている姿が写っていたのを僕は見たことがあったので、「かつて若き日の母も訪れたところか―」と思うと感慨深いものがあった。

歴史は世代間でくり返され、それが大きな流れとなって時代もまたくり返されるのだ…。
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夏旅 横浜3


放浪の旅であろうが、遍歴の旅であろうがこの自分自身という大きな荷物は手放すことができず、持ち運ばなければならない。

そして、その具体的な意味としては、この荷物を大切に丁寧に扱わなければならないのである。

日は沈み、月が街を照らしている。

一日歩き続けた体は疲労を拵え、脳は眠気を催すことで反応する。

自然の寝床というものは人間には与えられていない。

放浪者らしくできれば野宿をしたいところだが、それは理想であって、現実としてキャッシュカードや長財布を持っている身で、その上物騒な娑婆ときては安全を確保しなければならない。

趣より風情より、大事にしなければならないものがあるのだ。

現代においては、そのほとんどが名ばかりであることが多い。

放浪者といいながら常識人、天才といいながら斜に構える偏屈者。

所持金がいくらあろうとも、宿泊には1泊素泊まり3,000円というのが僕の中で相場となっている。

ただ眠るだけなのに、自給にしておおよそ3時間の働き分を献上しなければならないことは一見苦しいようであるが、安心と安全、その結果の安楽も得られるならば相応と考えなければならない。

なるべく狭小で、僕にとって用がない筆記台や鏡台のない部屋であるならば、十分その金額が実現されている。

忘れてならないのは、一日の汗とにおいを流す風呂がついていることだ。

大浴場ならば申し分ないが、ほとんどはユニットバスだ―仕方がない。

僕が進める旅の中で難しいことの一つはこの宿選びで、前にいったようになるべく主要駅をベースに行動するため、宿もその付近で探すことになるのだが、今いる『横浜』のような都会となると少しやっかいで高級な高層ホテルかカプセルホテルより選択肢がほとんどないのだ。

リーズナブルなビジネスホテルというのが見つからず、印象としては2~3割高になっている。

つまり、3,000円でカプセルホテルというわけだ。

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ちなみにこのカプセルホテル、外国にはないものだそうで、外国人観光客がそのものめずらしさから泊まるというケースがあるようである。

考え方によっては監房よりももっと侘しい環境である。

一室に100にも及ぶ穴倉が二段向かい合わせになって並んでいるのである。

そして、なんの秩序もなく男どもが穴にもぐったり、出てきたり、うろうろしたりしているのである。

しかも、彼らは若々しくなければ、生き生きもしていない。

淡々と漫然と日課の一部をこなすのみである。

だが、だからこそ簡素化された空間の中で最大限の利便性が図られていて思いのほか心地がよいので僕も好きである。

運良く朝食付きのプランが安くおさえられたので―そこは通常のビジネスホテルと併設されているカプセルホテルで朝食はそのホテルの最上階、見晴らしのいいラウンジでとることができるというものであった―二日目の朝は充実したものであった。

普段の旅では朝食バイキングは避けるのだが、こうした体が資本の旅のときはバイキングでビタミンやたんぱく質を十分に補充する方が適しているのだ(それに安い)。

都会の朝は早く、多くのサラリーマンがみな同一方向に足早に歩を進めているのを、のんきに朝食を食べながら眺めているのはあまりに常軌を逸した状況でおかしかった。

そうした人々が電車によって四散し、乱立するビルの部屋部屋におさまっていくと考えると、経済と社会をそこに見るように思うのだ。
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夏旅 横浜2


横浜駅にはそごう、高島屋、ルミネ、マルイ、そして地下街ポルタと充実した商業施設が隣接していて、ショッピングや食事に事欠かない。

旅の途上にあってショッピングは求めるところではなく、そのほとんどの店舗は僕の関心を引かないわけで、もっぱら、食事とおみやげに適当な地元有名店の菓子、つまみ類に注目していた。

港が近いとあれば、寿司が食べたくなるもので、ちょうど地下街ポルタの一隅、地上口に続く出口そばにあったマグロ卸問屋直営店の寿司屋でマグロ食べ比べという1,000円の盛り合わせと好物のヒラメをいただいた。

その盛り合わせには、大トロ、中トロ、漬けマグロ、本マグロ赤身、キハダマグロ赤身というラインナップで―後半は自信がないが、どれも甲乙つけがたい、そんな感想をもった。

それから、京浜東北線(この響きがとても都会的だ)で桜木町駅まで行き、汽車道を渡って赤レンガ倉庫まで散策。

周囲を高層ビルが立ち並び、夜でも一定の照度を保っている。

汽車道は赤レンガ倉庫を含むおそらく埋立地にこちらから向こう側に架かる橋も一部に含んでいて、その左側には小高い丘があって、埠頭になっていた。

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そこに『日本丸』という帆船がつけられていた。

高くそびえ、光を放つ近未来建築群のなかにこれほど大きな帆船が停泊しているのは勇壮に見えた。

わずかに潮のにおいを含む風がなまぬるくほほをなでた。

ベイブリッジの方角に二棟の赤レンガ倉庫がぼんやりと浮かび上がってくる。

おそらく夜の赤レンガ倉庫はひときわ美しい。

群青に朱を混ぜた茶色が味わい深く、当時の建築技術を余すところなく発揮された名建築を今に伝えている。

夏場はビアガーデンとして開放されているところもあり、ムーディーな雰囲気をかもしていた。

旅風情の僕はすぐさま立ち去ることにした。雰囲気を壊してはいけない。

夜の街で、それも発展の一途をたどる街をほっつき歩くことほど気持ちのいいものはないかもしれない。

そんなことを思った。
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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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