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夏旅 横浜1


旅の途中で入る温泉は至福のときではあるが、流した汗も甲斐なく、またTシャツを濡らす。

来た道を再び戻らなければならないのは、なんとも物悲しく、つまらないものだが、先を急がなければならない旅であるから、一息つく暇もない。

熱海の次は湯河原で温泉地が続き、続いて小田原とどこに下りようか迷うものだ。

以前は湯河原に下車して、夕暮れ時に温泉に入った。

あのときは帰路にあったため、のんびりとでき、特産湯河原みかんを餡にねりこんだ最中をおみやげとして買った。

小田原はかまぼこで有名であるし、小田原城を一度見てみたい。

海のほうではなく山へと目を向ければ、箱根温泉もあるはずだ。

JR東海道本線の一番の目玉である海岸沿いを走る熱海-小田原間はさえぎるものとて何もなく、一面が海である。

ときどき、トンネルで遮断されてしまうが、また突如として現れる。

乗客はそんなことには頓着なく、海側と山側、どちらの区別なく座席が埋まっているのは不思議な感じがした。

僕ならぜったいに山側に座って、海を眺めたいところなのだが。

青春18切符の旅の鉄則は主要な駅を利用することである。

ダイヤが充実していて、乗り換えをスムーズにできるうえ、おみやげや観光情報など大いに役立つ。

横浜についたときにはすっかり空は黄昏ていた。
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夏旅 熱海3


右に大きく曲がる道路に接するように巨大な温泉施設『大江戸温泉』が見えた。

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こうした大きくて目立ち、洗練された感のある施設は観光客や地元民でない人にとっては安心感があり、安定したサービスを約束してくれるものだ。

しかし、僕はあくまで旅情と少なからず土地に根付いたものを求めるのでこうしたところは敬遠するようにしている。

旅にエンターテイメント性はいらないのだ。

左に折れると熱海サンビーチへ続く街道となり、右手に折れると坂が続き、その先に目当ての日帰り温泉施設『大湯 日航亭』が看板で案内されていた。

ビーチまではまだ距離がありそうであったし、なにという目的もなかったのでそのまま温泉の方へ歩を進めた。

見晴らしを求め、高台に立てられた大型ホテルの脇道を上がるとかつては名をとどろかせたという『大湯間欠泉』が凹地にそのままの姿で残されていた。

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背後に迫るホテルの外壁がなんとも興ざめであったのは言うまでもなく、熱海温泉の特徴である高温と勢いよく噴出すその温泉によって岩盤が持ち上げられ、変形を来たしたのであろうか、奇形を呈していた。

そのなりたちについての説明がきもなかったので、よくわからなかったが物理的エネルギーをもって温泉が吹き出ていたことは確認できた。

向かって右手奥には温泉神社があり、温泉地一帯を見守るように高台の上にまた階段でもってたどり着くという立てられかたであった。

温泉は人々を癒し、その土地に恵みをもたらし続けているものなので、感謝と畏敬の念を持って参拝をする必要がある。

そこの下方に『大湯 日航亭』があった。

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かつては奥に見える家屋で旅館を営んでいたようだが、現在はこの日帰り入浴のみの営業のようだ。

入浴料金1,000円というのは温泉地では普通といわなければならないが、上質な設備と温泉に対する姿勢というものがしっかりしていないと満足のいくものにはならない。

概観は少し現在の熱海温泉を象徴するような寂れた感をぬぐえない。

オブジェが目を引くのだが、名を刻んだ看板や照明が活気を見せてくれなければやや意気沮喪してしまう。

下町の銭湯に来たわけではないのだ、大いなる期待をしているのだ、こちらは。

たしかに、温泉はその泉質がよければ、それに頼ってしまったり、泉質がよくなくても、戦略で人気を博したりと難しいところはある。

とはいえ、問題は浴場であり、そこが万端とあればなんの文句もない。

温泉と雑念なく対峙できる環境がつくられていればいいのである。

実際どうだったのかというと、大浴場と内湯と半露天がつながっている二つの風呂場があり、それをつなぐように行き来のできるサウナがつくられていた。

泉質は高温ということもあってよく温まり、汗を濃縮したような塩辛さがあった。

デトックス効果というようなものが大いにあるような印象は受けたが、この点はっきりはしない。

特徴ある温泉であることは確かである。

ただ、その湯船の湯口の切り方や前栽のしつらえ方は銭湯の域を出ておらず物足りなさを感じざるをえなかった。

海水浴場と温泉地としてのアイデンティティをそれぞれ出していく必要があるように思った。

湯から上がり、なかなか汗が引かなかったので、しばらく涼んだ。

そしてTシャツを新しいのに変え、また旅へ出発した。

今、Tシャツを変えたといったが、この旅で自分らしくない最大のミスを犯してしまった、なんと下着類を忘れてしまったのだった。

パンツ一枚、下着用シャツは0枚で1週間すごさなければならなかったのだ。
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夏旅 熱海2


旅に出たくなるきっかけは人によってさまざまだ。

どんなきっかけでも、どんな理由でもいい、遠い地を自分の足で歩き、その目で見ることでなにか得るものがきっとある。

思い返してみると、僕自身もそのときどきにそれなりの目的、主旨といったものをもって旅に出ていた。

夏目漱石ゆかりの地をたどる旅、世界遺産をめぐる旅、日本三景を制覇する旅などだ。

震災から二年あまりが経ち、まだ復興は遅々として進まないなか、被災者でない僕たちはどこか冷めていて、被災地との温度差が大きいのではないかと思うことが多い。

参議院選挙でもそうだったが、原発問題や領土問題などがあまりに空虚な議論で終わってしまい、予想通りの自民圧勝では誰もが絶望せざるを得ないだろう。

そんなふうな社会の中で生きていて、僕は東北を訪れて、それによって少しばかりの力になりたいという望みと松尾芭蕉の奥の細道の世界を少し味わいたいという気持ちを満たそうと思うようになった。

準備には余念なく、仕事は1週間休みをもらい、旅に適したTシャツを準備した。

僕は若者らしく、それなりにファッションにもこだわりを持っているので、さっぱりしたポロシャツなどは旅に似合わないし、チェックシャツなども興ざめだということで旅人らしいラフなTシャツがほしかったのだ。

電車旅なので、本も忘れずに2、3冊かばんに忍ばせた。

景色はすばらしいし、地名を冠せられた駅名が次々とやってくるのは無視してはおれない。

読書に熱中するなんてことは難しい話であるが、旅のお供としては欠かせない。

それと音楽プレーヤー。

『平泉』と『山寺』は松尾芭蕉が有名な句を読んだことで知られているし、『平泉』にいたっては世界遺産にも登録されている名勝だ。

この旅ではそうした地を巡る。
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夏旅 熱海1


久しぶりにここに旅の足取りを記すことができることに大きな喜びを感じる。

『夏旅』には心躍る、なにか輝きと愉しさがある。

厳しい日差しが照りつけ、額の汗を拭ってもきりがない。

木陰や列車の中に入れば、つかの間の涼に幸福すら感じるものだ。

時々ふく風は疲れを忘れさせてくれる。

夕暮れ時に遭遇する夕立も普段は洗濯物を台無しにする厄介者だが、旅先とあればそれも一興だ。


旅の始まりはいささかじれったい。

まだ見ぬ地はいつだってなじみのある景色の向こうにあるのだから。

どんなに見慣れた景色だとしても、内陸に住む人間にとって、視界が開け、海が見えれば少年のときと変わらず胸が高鳴る。

弁天島あたりから海が見え、しばらくすると『熱海』が見えてくる。

長時間の移動に疲れもあったので、温泉に入ろうと下車。

都会に住んでいない僕にとって『熱海』の地というだけでもう東京が近いという気になる。

海から隔たること数キロだろうか、海岸からの丘陵の中腹に「熱海駅」は建っている。

改札をくぐると温泉街の例にもれず、駅前はロータリーになっていて、旅館、ホテルの送迎バスや巡回バスが旅行客を乗せて走っていた。

ちょうど拡大工事中だったのであろうか、色味の濃い、新しいアスファルトと古いアスファルトのつなぎ目が散在していて、規制のためのパネルやスタンドがごたごたした雰囲気を際立たせていた。

ロータリーを右手に回ると商店街のアーケードの入り口がある。

海鮮料理を食べられるところやおみやげ屋が軒をつらね、熱海というと寂れてしまったというイメージであったが、思いのほかにぎわいがあった。

海岸にむかって幹線道路が走り、それにそって僕も歩いた。

歩道の脇には自噴する名称を関せられた温泉があり、旅人の目を引くばかりでなく、温泉街の証でもあった。

ちょうど立ち並ぶ建物で海岸が見えない丘上にいたわけだが、その隙間から遠く海が見えるのは楽しい。

まだまだ旅を続けなければならなかったので、ここでは日帰り入浴にしようと浴場を探すと、温泉街でもひときわ高い位置にある『大湯 日航亭』が利用できるということだったので帽子を深くかぶって日差しを避けながら向かった。

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低賃金労働

だが、こまかく見れば、物乞いの暮らしと、世間的に体裁のいい生活を送っている無数の人びとのそれとのあいだには、何ら「本質的な」相違などありはしない。

物乞いは働かないと言っても、では、「働く」とはどういうことなのか?

土工はつるはしを振るって働く。

会計士は計算をして働く。

物乞いは晴雨にかかわらず戸外に立ち、静脈瘤や気管支炎になりながら働いているのだ。

これだってれっきとした商売である。

むろん、さっぱり役には立たない―だが、それなら、体裁のいい商売の中にも、役に立たないものはいくらでもあるのだ。

それに、社会的存在として物乞いを他の何十という社会的存在と比較してみるなら、物乞いはじつに対照的である。

特許薬の販売業者とくらべれば正直だし、日曜新聞の社主とくらべれば人格高潔であり、月賦販売の勧誘員にくらべれば愛想がいい―要するに、物乞いは寄生虫ではあっても、およそ無害な寄生虫なのだ。

社会から得るものは、ようやく自分が生きていく費用だけであって、しかも、そのためにはさんざん苦労しているのだから、倫理的観念に照らしても物乞いは正しいということになる。

彼らを別の階級あつかいする根拠や、現代人が彼らを軽蔑できる権利があろうとは、わたしには考えられない。


すると、では物乞いはなぜ軽蔑されるのか、という問題が生ずる―彼らは、どこでも軽蔑されているのだから。

理由はただ、彼らには世間体のいい生活を送れるだけの稼ぎがないからにすぎない、とわたしは思う。

仕事が有益か無益か、生産的か寄生虫的かということなど、実際には誰も問題にしていないのである。

大事なのはもっぱら、儲かるということだけなのだ。

現在、エネルギーとか能率、社会的便宜などが論じられるとき問題になるのは、ただ一つ「金を儲けよ、それも合法的に、そして莫大に」ということだけではないか。

完全に金が道徳基準になってしまったのだ。

物乞いは、この基準によって失格し、この基準によって軽蔑されるのである。

物乞いという行為によって一週間に十ポンドでも儲けようものなら、物乞いはたちまちにしてれっきとした職業になるだろう。

現実的に見れば、物乞いも他の商売人とおなじく、手近な方法で生活費を得ている商売人にすぎないのだ。

むしろ、物乞いは、ほとんど現代人ほど名誉を売ったりしていない。

単に、金持ちになれない商売を選ぶという過ちを犯しただけなのである。   『パリ・ロンドン放浪記』ジョージ・オーウェル著



はじめに断っておかなくてはいけないことはここでは物乞いと言われているものが現代で言うところの生活保護受給者、無職、ニートのみならず、派遣社員やフリーター、そのほか将来的見通しの立たない職業、あるいは社会的立場の弱い、もしくはそれが認められていない職業従事者にあてはめることができるのではないか、ということだ。

もしかすると、少し過激で、見当違いの想定なのかもしれないが、僕はそう考える。

というのも、時代は少なからず進歩している―僕はいかなる時代になろうとも、時を経ることで人類は着実に進歩すると信じているし、そうでなければ、意味がないという結論を出さざるを得ず、それこそ絶望してしまう―から、そうした文字通りの物乞いは、現代日本では見られることがなくなり、自然それよりも上位に存在していた、そうした立場の人びとがその地位に繰り下げられたと考えるのだ。

わずかばかりの金しか稼げぬ僕は悪だろうか。

仕事にあくせくする毎日から逃れて生きることは間違っているのだろうか。

僕は怠けているのだろうか、不真面目で、つまらない人間なのだろうか。

少なくとも、周りは僕を認めないし、その事実に時に渋面をつくり、たいていは気まずそうな顔つきをしている。

それ以降は何か悪いことをしたとでもいうようにわざとらしく、そのことに触れなくなる。

たしかに僕はつまらない仕事をしている。

技術と人格を磨き、その上に成り立つような仕事ができたとしたらどれほどすばらしいだろう。

そこにはおのずと自由と平穏の入る余地が生まれてくるであろう。

しかし、現代はそれほど生易しくはない。

ただただ単調で並みの能力を発揮しさえすればよい仕事にありつくだけでも大変なのだ。
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僕の好きな水晶浜


僕は毎年夏に福井県、若狭湾の水晶浜に海水浴へ行く。

のんびりいっても3時間弱で着くし、アクセスも良い。

日本海に面した湾内なので波も低く、透明度の高い海だ。


米原JCTから北陸道へわたって福井県中ほどの敦賀ICで下りる。

米原といえば、東海道本線の乗換駅として度々利用する米原駅もあるので、なんとなくなじみがあるし、旅気分にさせてくれるところである。

雪に慣れていない僕にとって冬の北陸道というのは一抹の不安を心に感じる道路であるが、夏であればさわやかな山岳地を抜ける気持ちのいい高速道だ。

やや路面が古くなっているところもあり、いい具合の寂れ加減なところがあり好きである。

木之本ICを通ると、冬場はだいたいここでチェーン規制が始まるので、冬を思い出さずにはいられない。

敦賀ICを下りて、敦賀市街方面へ向かい、気比の松原を縫うように走る。

敦賀気比高校が甲子園の常連校であるし、名勝としても知られる松原である。

突き当たりにあるファミリーマートが目印で、そこを右折し、敦賀湾に面し、それを右手にみながらやや傾斜のある上りの道を行って、再び平地に戻ったら峠方向に向かう道がある。

そこにはまだ建設されて時間を経ていないことが外見からも分かる馬背峠トンネルと名の刻まれた、コンクリートが風化していないトンネルがひっそりと口をあけている。

夏の海水浴、および釣りのために設けられたトンネルであろう、僕たちはその恩恵を大いに受けている。

暗いトンネルを抜けると、夏の日差しが一段と強く、厳しく感じられ、周囲を夏の風になびく青々とした緑の木々、草が囲んでいる。

前方に続く一本道はすぐにT字路になって、砂浜が見えてくる。

駐車場500円、すぐに着替えて、無料で利用できる電動空気入れで即座に浮き輪が適度なやわらかさをもって膨らむ。

こうした手際にも大変なれたものだ。

海の家の前方の砂浜にはパラソルや簡易テントが多く並んでいるから、そこから少し離れたところにパラソルを差した。

流行の歌から、ブルーハーツ、夏の定番曲が絶えず、その海の家から波の音とともに伝わってくる。

砂浜はじりじりと熱を持ち、寄せては返す小波がわずかに涼を演出する。

細身の鮮やかな色や流行の形をしたビキニの女の子が多いが、健康的な肉付きの女の子も少なからずいた。

思いのほかカップルで来る若者よりも、グループや同性同士が多かったのは意外だった。

遠浅の海だから海底が多少透いて見える。

空は青く、高い。

雲が流れて、時々ウミネコが砂浜に影を落とす。

湾を取り囲むように砂浜が続き、左手には海上にとびだした岩山、右手には美浜原発がせり出した向こう岸にみえる。

そうした夏の風景を海に迫る小高く連なる山が支えているような景観が好きだ。

しばし海の真ん中に浮かび、人生を考えてみた。

関連性はわからないし、ないのかもしれないが、なんとなく村上春樹が浮かんでくるのだ。

つまり、若いということと、自由ということ、独立、不安定な、中途半端な状態。


『僕はつまり自由なのだ。

楽しみと自由は同等で、その権利が僕にはある。

しかし、人は贅沢を慰めとして、苦しみを前提として考えてしまっていはしないだろうか。

僕らはみな海に浮かぶ、一存在なのだ。

楽しみは一見、無為に見えるその一瞬に存在しているのだ』

彼女の肌はまだ若かったから、水をはじいていたし、丁寧に日焼け止めを塗っても腕や首筋は日に焼けて赤く染まっていた。

海中で重力から逃れられた乳房は自然と美しい形を保っていて、白く輝き、水滴をいくつかとどまらせるほどやわらかさも持っていた。

彼女はおにぎりや塩分の含まれた清涼飲料水を僕の好みに合わせて用意してきてくれていた。

パラソルが落とす影の中にある、それらを入れたクーラーボックスと敷物を目印にして、沖に流されては戻るをくり返していた。

僕は潜りたくなって、潜った。

若くて、弾力のある筋肉を感じたくて、クロールで足のつかないところまでいってみた。

彼女は頻りにふたりの写真と、時々刻々に変わりゆく海を撮っていた。

陸に上がると僕はすぐにお気に入りのレイバンのウェイファーラーをかけて、自分の視線の行方が自分だけのものになる安心感を得て、ビーチを見回して、ときには女の子のお尻を追っかけたりもした。

僕もいつまでも若くはないし、彼女らもまた同様に年を取り、その麗しさも輝きも褪せていくだろう。

その埋め合わせを僕らはなにによって果たしていくのだろう。

太陽は夏になれば、いつでも厳しく照りつける、今も、これからも。
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期待せず、自然に謙虚で慎みある行動を


僕は人から見れば取るに足らない、つまらない仕事をしている。

成長の見込みもなければ、進歩ということとは無縁の仕事だ。

特別な能力もいらなければ、力が必要でもない。

強いて言うならば、根気や仕事に取り組む姿勢がその仕事に要求されることだ。

仕事であるから、お客様が当然いらっしゃるが、ほとんどの方から省みられることはない。

だけれど、たまに「ご苦労さん」や「えらいね」という言葉をかけてくださる人がいて、とてもうれしく思う。

『自分が思ってほしいように人は見てくれないが、ぜんぜんみていないわけではない。

どうせ自分のがんばりなど誰の目にも触れないし、誰も評価してくれないと思っているとふとしたときに、少なからずみている人がいる。

そして、見ている人はしっかりと見ているということに気がつくのだ。

僕はそうした人の目に付かぬ努力を、そうしたことを期待せず、自然にできるようになりたいと思う。

それは、美徳というものだろうし、大きな喜びともなるだろう。

真の信仰などもそういうようなものかもしれない。

期待するのではなく、自然に謙虚でつつしみと愛のある行動がすばらしいのだ。
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すれ違い


明美は人生の大一番といえる試験に臨むにあたって緊張を隠せないようであった。

体調の不良と気持ちの落ち着かなさに対する苛立ちを僕にぶつけるのだった。

「実力以上の点数も実力以下の点数も取ることはできない。

だから何も緊張することも、気張る必要もないから大丈夫」

彼は緊張を解くため、いや緊張をすることが意味をもたないことを悟らせようと、そうした言葉をかけたのであったが、彼女の気持ちに沿うものではなかった。

「あなたはこういうときにやさしくない」

彼女はこんなふうにつぶやいた。

僕も彼女が忠告や励ましを必要としているのではなく、ただ慰めを与えてほしい、あるいは同情をかけてほしいのだということを理解していた。

しかし、そうしたことに偽りのやさしさを用いることを僕はよしとしなかった。

こうしたときにこそ、よい結果を生み出すような、ときには厳しく、いいづらい言葉をかけることこそが真のやさしさのように感じていたからだった。

しかし、彼女はそれほど老成しているわけでもなく、思慮深くもなかった。

本当に結果を求めているのではなく、いってみれば人生の流れというようなものに乗せられて、たまたま行き着いた、人生の岐路というべきものであった。

二人のすれ違いはこうした価値観のズレから生じていくのであった。
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夏到来、旅への思い


『妻が死んでみると、周囲の世界が味気なく見えた。

初めてブラジルに上陸したときと同じく、心の中では自分が異邦人のように思われてきた。

そしてまた、あの島の場合と同じく、使用人たちがかしずいてくれているのを除けば、全く独りぽっちであった。

何をしたらよいのか、何をしてはいけないのか、さっぱり分からなかった。

まわりを見まわすと、世間の人々は忙しそうであった。

ある連中は、パンのために営々と働いているかと思うと、他の連中は、下品な不節制やくだらない放蕩に金を浪費していた。

どちらも哀れであった。

達成しようとする目的が常に彼らの手からすり抜けて逃げていっていたからである。

放埓な人間は、毎日悪徳に飽きるほどふけり、その結果獲得するものは悲しみと後悔の種にすぎなかった。

労働に従っている人間は、働くのに必要な体力を保つためにひたすらパンをえようと毎日苦闘し、そのためその体力を消耗していた。

つまり、日々に悲しみの生活をくり返しており、ただ働くために生き、ただ生きるために働いていた。

これでは、日々の糧が苦しい労働生活の唯一の目的であり、苦しい労働生活が日々の糧をかせぐ唯一の動機である、といわれても仕方がなかった』   『ロビンソン・クルーソーのその後の冒険』より


梅雨が明け、厳しい日差しが照りつけ、屋内であっても外の熱気が伝わってくる、そんな季節になった。

空が押し広げられて、私たちの気持ちも同様に開放的になる。

旅に出たいという強く抑えがたい気持ちが僕を捉え、その充実のために、準備や旅程のことで頭がいっぱいになる。

そんな気持ちに拍車をかけたのは『ロビンソン・クルーソー』であった。

日本の夏は暑い。

しかし、そこに生きる人々―汗を流しながら営業してまわるスーツ姿のサラリーマン、夏休みを全力で満喫している学生、野球場で声援の中、ボールを追いかける少年たち―はすがすがしく、気持ちがよい。

クーラーの効いた部屋で、涼みながら読書するのも一興であるが、やはり戸外に出て、じんわりと湧き出る汗を感じるのも悪くない。

そして、みんなが夏を楽しめるよう一働きするのもまた気持ちのいいものだ。


スポーツの夢、学問の希望が順を追って奪われたとき、周囲の世界が味気なく見えた。

残りの人生に何を求め、何をしなければいけないのか、全く分からなかった。

いわばそれまでの人生から得られたもの、それを生かすべき舞台を失われたも同然であったのだ。

情熱を傾けるべき何物もないのであれば、なんと人生は甲斐のないものだろうというのが僕の本心であった。

生きること、そのものに美徳と意味を見出すには、僕はあまりに傲慢であった。

人はできることならば働きたくはないという。

楽に、ただ遊んで暮らせたならどれほどすばらしいだろうと目を輝かせる。

だけれども、僕はそうした思いから、現状に失望したのではなかった。

また、単純なる労働に疑問を感じたのではなかった。

簡単に言えば、収支の問題に近いものであった。

生きることを前提にすることは、受動的すぎると考えては罪であろうか。

生きることの動機こそ、真の、人生を有意義にするものではないのだろうか。


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文学とは何か 『舞姫』森鴎外著より 


森鴎外著『舞姫』は文学のあるべき姿、そも文学とは何かという問いに対して一定の見方や解答を与えてくれる重要な書物であります。

原作は文語体で書かれていますが、書店はもちろん、web上でも口語訳されたものもあり、どちらにせよ同種の実感を得られることをここに記しておきます。

この文語体で書かれていることは、率直に文体によって与える印象の多様性を示していますし、文にはリズムや美しさが宿ることを如実にあらわしています。

物語を書くにあたって、大いに参考にすべき点です。

だけれども、文語体でも口語体でも同種の実感を得られると書いたように、このことはそれほど大きな力を持つとは僕は考えてはいません。

それは文学の芸術性よりも、普遍性、真理性、あくまで読者に与える情感を重視しなければならないと僕が考えるからであります。

こうした文学に対する根本的な考えというものが主義、主張ということになりましょうが、これは争うことではなく、自分自身の好むところに誠実であればいいのではないかと考えています。

では、『舞姫』から得られる重要な教訓、および知識というのはいかなるものでしょうか。

まず、人称によって与えられる印象の違いをあげたいと思います。

僕が中学生だったときは、中学校に入って初めて英語の授業が始まるという時代でした。

今もそうでしょうか?それとも小学校の内から英語の授業があるのでしょうか?

そのあたりに僕は疎いのでわかりませんが、とにかく僕らの時代はそうでした。

そこで、一人称、二人称、三人称というのに初めて触れて、人物というものの視点を区別するという概念を発見したように記憶しています。

『舞姫』は一人称で語られているのですが、やはり一人称は力を持ちます。

明らかな事実を意味しているように捉えられますし、何より一個の人間の考え方、感情がリアルに描き出されている感じを与えるからです。

つまり、主義・主張に重きをおきたい作品の場合は一人称で書くのがよいというような結論が引き出せるわけです。

これは単純な話でありまして、技巧や効果といったものによる力を取り入れた考えではありません。

すべては簡単なところからはじめなければならないので、その必要もないでしょう。

さて、『舞姫』を読んでいると、ドイツ国の風景描写が―ウンテルデンリンデンが頭に残りましたが―ある、おそらく作者からみて特筆すべき、対象にフォーカスされて描かれているのがわかります。

物語は絵や映画のようにすべてを描ききることは不可能ですし、その必要もありません。

そこにまた、難しさと無限性があります。

描きたいところまでを描けばいいですし―しかし必要な描写というもの自然、できてきてしまいます―、それによってその作品が求めるものというのがはっきりしてきます。

そして主人公を含めた登場人物が基本的に複数でてきます。

そこでおきることというのは(起こすことといったほうがいいかもしれません)恋愛、友情、愛の錯綜などでありまして、そこから得られるものとして、とくに嫉妬や葛藤が描かれるわけです。

なんとも単純ではないでしょうか?

『舞姫』も文学史上もっとも名高い作品のひとつでありましょうが、主人公の友情と恋愛に基づく愛情、そして社会的名声―社会上の立場とでもいいましょうか、そうしたものの間で葛藤する姿を描いているに過ぎないわけでして、つまり重要なことというのは、設定とそこから導き出される複雑な思考過程と、その結果としての行動、そしてその行動の末の結末の如何ということになるわけです。

ここまで考えが及びますと、自ずとある程度定まった型というものが確かに存在していて、それらのひとつひとつが順列のような複雑さでもって、無限のストーリーを生み出すということが明らかになります。

そうした学ぶところの多い『舞姫』、最後に僕がたくさんある価値の高い文学作品の中でとくに『舞姫』についてこんな考えを導き出し、持ち出したというのは、この作品が見事に「短編」で描かれているからであります。

これは思いのほか強い意味を持ちます。

長ければいいわけではない、しかし、長編と短編には明らかな役割の違いがある。

だが文学性という意味を考える意味では、最初に言った、文語体と口語体が同類であるがごとく、長編と短編は同類の主義・主張を僕たちに示すといえると思います。

決して、豊太郎がひどい男だとかそういうことではないのです。
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ブログから実際的書物、物語へのシフト


最近、ブログの更新が以前ほど頻繁ではなくなってしまっていた。

物理的な事情としては、八月の終わりに予定している旅の行程とそのときの宿を決めようというやむにやまれぬ欲求に襲われ、それがまだ先が長いのにもかかわらず、それゆえにかもしれないが、思いのほか難渋してしまった。

それに加えて、FIFAコンフェデレーションズカップがブラジルで開催されており、その連日の夜中の試合のための僕自身のコンディションを保つためになかなか余裕をもつことができなかったのだ。

その間、夏のための資金を稼がなければならなかったことも付け加えなければならない。

あと、心理的な事情としては、ブログではなく、実際的な書物、物語といったものを書きたい、書いていきたいという気持ちが強くなり、そちらに力の重点がシフトしつつあるということがある。

一般よりたくさん読書し、考えることが好き、そういうことを好む人間としては、誰もが自分の感情や心情、思想、芸術観というものを文字にあらわしてみたいという気持ちに駆られることは当然だと思うが、僕もやはりそのように思って、このブログを書いていたわけだが、それというのも、文章を書く訓練や少なからず、ありがたくも読み手いらっしゃって、その反応が受け取れるということで有益に思い始めたわけだ。

今まではどちらかというと、こつこつと書くことよりも、人目に触れさせたいという気持ちのほうが強かったが、少しずつ、じっくりと言葉をつむいでいくということに意味と愉しさを感じるようになってきた。

ひとつの物語や思想体系などを論じることはたやすいことではないが、じっくりと時間と労力をかけて成し遂げることをしていかなければならない。

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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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