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慈善ということを考えるのにはまだ未熟

だいぶ長くなるが、僕にとってかなり重要なことだと思えたので、ここに書きとめておく。

『―個人的な慈善をそしるのは、―といいだした。

―つまり人間の自然性をそしり、個人的自由を侮蔑することになる。

しかし、組織だった「社会的慈善」と、個人の自由に関する問題は、二つの異なれる、とはいえ、たがいに相反撥することのない問題なんだ。

個人としての善行は、いつまでも存在を絶たないだろう。

なぜなら、それは人性の要求なんだから。

一つの個性が他の個性に直接の感化を与えようとする、いきた要求なのだからね。

モスウワにひとりのおじいさんがいた。

「将軍」といわれているが、ほんとうはドイツふうの名前を持った四等文官なのさ。

この人は一生涯、監獄や犯罪人のあいだをかけずりまわっていた。

どんなシベリア行きの囚徒の組でも、この「おじいさんの将軍」が、雀が丘へ自分らを訪問に来るってことを、あらかじめちゃんと承知していたものだ。

この人はこういう仕事をきわめてまじめに、敬虔な態度でやったそうだ。

まず囚徒の列前に現れて、しずしずとそのそばを通って行く。

囚徒らが四方から取り巻くと、おじいさんはひとりひとりの前にとまって、その欲するところを聞いてやる。

しかsも、訓示めいたことはけっしてだれにもいわず、みなの者に「いい子だ」てなことをいってやるんだそうだ。

そして、金を恵んでやったり、日常の必需品―靴下代用布だの、巻き脚絆だの、麻布だのを送ってやったり、ときとすると聖書を持って行って、字の読めるもののあいだに分けてやることもある。

それで、字の読める連中はみちみち自分で読むし、また読めない連中は読めるものから聞かしてもらうだろう、と信じきって疑わないのさ。

囚人が自分から話しだせば、とっくり聞いてやったが、自分から囚人の罪を問いただすようなことはめったにしなかった。

この人の前へ出ると、あらゆる囚徒は対等で応対して、すこしも上下の差別がないんだ。

こっちから兄弟かなんぞのように話しかけるものだから、囚徒のほうでもしまいには、自然おとうさんのように思われてくるのさ。

もし囚徒の中に赤ん坊を抱いた女でもいると、おじいさんはそばへやって来て子供をあやし、子供が笑いだすまで指をぱちぱち鳴らすんだそうだ。

永年のあいだ死ぬまぎわまで、こういうふうにやりつづけたので、しまいにはロシヤぜんたい、シベリアぜんたい―つまり囚人仲間ぜんたいが、この人のことを知るほどになった。

シベリアへ行ったことのあるひとりの男が、自分で見たといってぼくに話して聞かせたが、はらわたまで悪党根性のしみこんだ囚徒が、ときどきこの「将軍」を思い出すことがあるそうだ。

そのくせ「将軍」は流刑隊を訪ねて行っても、ひとりあたま二十コペイカ以上わけてやることはほとんどなかったそうだ。

そりゃもちろん熱烈とかまじめとか、そんな思い出しかたじゃないけれど、あるとき、いわゆる「不仕合わせな連中(無期徒刑囚を指すロシヤ民間の言葉)」のひとりで、ただただ自分の慰みのためのみに二十人ばかりの人を殺し、六人の子供を斬ったとかいう男が(こんなのもよくいるそうだ)、とつぜんなんのためというでもないのに、二十年のあいだあとにもさきにもたった一度、「なあ、あのおじいさんの将軍はどうしたろう、まだ生きてるかしらん?」と溜息をつきながらいったそうだ。

そのときたぶん、にたりと笑ったくらいのことだろう―ただそれだけのことなんだ。

しかし、この男が二十年間忘れないでいた「おじいさんの将軍」によって、いかなる種子がこの男の胸へ永久に投じられたか、きみにはしょせんわからないだろう?

こうした人と人との交流が、交流を受けた人の運命にいかなる意味を有しているか、きみにはとてもわからないだろう?

……そのあいだには、ほとんど一個の独立の人生が含まれている、われわれの目には見えない無数の脈が分派しているのだ。

非常に優れた、非常に鋭敏な将棋さしでさえ、勝負の道筋はたった五つか、六つしか予察することはできない。

あるフランスの将棋さしが勝負の道筋を十も予察することができるといって、奇跡みたいに書いたものを読んだことがあるが、しかしわれわれに知れない道筋は、いくつあるかわかりゃしない。

人は自分の種子を、自分の善行を、自分の慈善を(いかなる形式でもかまわない)、他人に投げ与えるとき、その相手は自分の人格の一部を受けいれることになるんだ。

つまり、その人たちは相互に交流することになるんだ。

いますこし注意を払ったなら、りっぱな知識というより、むしろ思いがけない発見をもって報いられる。

つまり、その人はついにかならず自分の仕事を、一種の学問として取扱うようになる。

そして、その仕事はその人の全生涯をのみつくし、かつ充実させるに相違ない。

また一方から見ると、その人のいっさいの思想―その人によって投じられたまま忘れられていた種子が、ふたたび血肉を付せられて生長する。

なぜなら、授けられたものが、さらに別な人間にそれを伝えるからだ。

もしこうしたふうの多年の労苦や知識が積もって、その人が偉大な種子を投げるようになったら、つまり、偉大な思想の遺産を、世界に残すことができるようになったら……―こんなふうのことを長々とぼくはそのときしゃべった』   『白痴』より


ぼくたちが生きているこの世界、それは人とのつながりによって成り立っている。

誰かがつくった食べ物を食べ、誰かがつくった音楽を聴き、誰かと一緒に時間を過ごす…

人と関わらない日など一日とてない。

毎日だれかしらの手に助けられながら、また影響を受けながら生きている。

自分自身とは何か、と聞かれれば自分が関わってきた人たちの総体であると答えて大方間違いはなかろう。

つまり、すばらしい人間、尊敬するべき人間、またそういう人たちの手なる作品などにたくさん触れる機会があればあるだけ、いわゆる思想というものが高邁で心地の良いものになるのだろう。

実生活で接する人々、読書や芸術などを通して知る人々とその思想、そして現代特有の姿かたちをもたない、まさに言葉による思想の表出にのみ頼る人間関係。

こうしたことによってより多彩で柔軟な思想をもちえるのではないか。

僕が自分自身でもっとも誇れるものはなにか?と聞かれたら、僕はこう答えるだろう。

「周囲の人びとに恵まれていることだ」と。

家族、友人、職場の人、こうしてブログでつながりをもてた人。

客観的に見ても、とても個性的で不羈な人が多く、とても刺激を受けるし、一定以上の尊敬も抱いている。

ここに書いてあるように人生の無限性というものはよく考えることであるが、すぐに結局はほぼ似たような帰着をみるのではないかという結論に至る。

良心というものがつねに自分の中の北のようなものを示していて、そこの延長線上に存在するものに引き寄せられ、それ以外は排除するというような動きを自然にするだろうから。

前半に書いてあるような『慈善』を考え、実行するにはあまりに僕は未熟で力不足だ。

今はせめて、自分自身を救おう、救いたいとの強い思いのほかないということを自覚している。

これは人として残念なことだ、要するに自分さえよければいいという理論と五十歩百歩なのだ。




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愛の挿話


『女ってものは惨忍な行為と冷笑で男を苦しめて、それですこしも良心の呵責を受けずにいられるんだよ。

そのわけは、いつも男を見ながら心の中で、≪今こそわたしは、この人を死ぬほど苦しめているけれど、そのかわりあとで愛をもって取り返しをつけるからいい≫とこう考えるからだよ……』   『白痴』より


女性は『自分は愛される権利がある存在だ』と信じて疑わない。

そのように心や脳の中に埋め込まれているのだろう。

だから愛に対して感謝しない、自覚しない。

それでいて、自分の愛を過不足なく計ることができる。


「ひょっとしたら今、あの人を怒らしてしまっているかしら?

いいえ、わたしのことを好きなんだからそれも度が知れているわ。

あの人はいわなきゃ気がすまない人だから、何もいわないってことは特に気にしていないっていうなによりの証拠。

万一、気分を損ねているとしても、今度会ったときに上機嫌でいればすむだけのこと、だってどうも今日はわけもなく途中からイライラしてしまったのだもの、それをごまかしてこびるのはかえって薄情よ。

それにあの人、いつも言ってくれるわ、『君が楽しそうにしてくれていればそれでいい』って。

いつもより愛想よくしていればなんてことないはずだわ」
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『美しき言葉、高邁なる思想は風薫る太陽の下で』

『たいていのひとは、家とはなにかということを考えてみたことがないらしく、隣人たちとおなじような家を自分ももたなくてはならないと思いこんだために、一生、しなくてもいいはずの貧乏暮らしを強いられている。

まるで、仕立て屋が仕立てた服なら、どんなものでも着なくてはならないみたいではないか!

あるいは、シュロの葉の帽子やウッドチャックの皮のふちなし帽をしだいに遠ざけておきながら、王冠を買うゆとりがないからといって、世の憂さつらさを嘆くようなものではないか!

いま自分がもっている家よりもずっと便利で贅沢な、ただし、買える人間などいそうもないことがだれの目にも明らかな家を設計してみることはできる。

われわれは、いつもそういうものをもっと手に入れようとつとめているが、ときにはいまもっているよりも少ないもので満足できるようにつとめてみたらどうだろうか?

ひとかどの市民が、例のもったいぶった口調で、格言や実例を引き合いに出しながら、若者に向かって、死ぬまでには予備のオーバーシューズを何足、こうもり傘を何本、頭のからっぽな客を迎えるためのからっぽな客間を何室用意できるようにがんばりなさい、などとお説教していてもよいものだろうか?


目下のところ、われわれの家は家具類でごったがえしており、けがされている。

有能な主婦ならば、そういうものをおおかたごみ溜めのなかに掃き捨てることで、朝の仕事をさっさとかたづけてしまうだろう。

私はかつて、三つの石灰石を机の上に置いていたことがある。

だが、心という家具のほこりはまだまったく払っていないのに、これらの石ころのほこりは毎日払わなくてはならないことがわかって恐ろしくなり、いや気がさして窓のそとへ投げ捨ててしまった。

こんなありさまだから、私に家具つきの家などもてるはずがあろうか?

私はむしろ戸外に座っていたい。

人間がそばで土でも掘り返さないかぎり、草には塵ひとつつきはしないのだから』   『森の生活』より


本当に恐ろしいことに、自分の立派な家の中で過ごす時間よりも、それをもつため、そしてそれを維持するために費やす時間の方が多いという人がどれほどいることだろう!

「家には眠りに帰るようなもので、ひたすら仕事に明け暮れたもんだよ」

こうしたことを誇る人も誇る人だし、そうした人を立派なすばらしい人だと賞賛する風潮に僕はなんとなく違和感を感じる。

仕事はたしかにすばらしいことだ、それは大いに認めるし、僕自身がそうしたことに無精なのでたくさん働いている人には頭の下がる思いがする。

大げさではなく、僕はそうした人びとに謝りながら自分の生命と時間を享受しているといっても間違いではないと思う。

やるべき仕事はたくさんある。

世界の平和、環境保全、道徳の向上など多方面において、『やるべき』仕事はたくさんある。

考えてみればだれでも自分なりの価値観で発見できるものだとおもう。

しかし、現実に今、日本社会で営まれている仕事はやるべき仕事というよりもむしろ、ナショナリズム的傾向、あるいはもっと細かく、利己主義的な動機によってなされている仕事が多いように思う。

人間的生活、道徳の堕落を後押しするような仕事、あるいは自然、環境を破壊するような人間本位の仕事、そしてそうした仕事によって産出される労働者の疲労、あるいは廃棄物に対する処理的意味合いの仕事など、それらはとどまるところを知らない。

また身近な問題をひとつひとつ解決していくという僕たちにとってもっとも重要な課題をこなすことなく、ただ日本をよくしよう、あるいは世の中に意味のあることをしたいなどと見当はずれな現実逃避をしている愚かな人たちも多いように思う。

宗教問題だ!社会が悪いんだ!僕らには何ができるのだろう!

と叫ぶのは自由だが、まず自分自身の心を穏やかにコントロールできているだろうか?

続いて、家族内を平和であったかいものにできているだろうか?

僕はいつも思うのだが、『家庭でさえ幸せで、すばらしいものにすることができないのに、社会という大きなものをすばらしいものにできるはずがない』

自分の部屋はきれいだろうか?

自分の家のトイレをきれいにつかえなくて、どうして公衆トイレをきれいにつかうことができるだろう?

『大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです』   マザー・テレサ


まったくそのとおりだと深く感動した言葉だ。

僕たちひとりひとりができることなどたかが知れている。

だからこそ、小さなひとつひとつの積み重ねを、丁寧に手抜きせずにこなしていくことが大切なんだ。

世界における、一部の若者のあいだではミニマル主義というようなものも流行をみせているようで、自分の生活に必要最低限のもので暮らしていくというスタイルをとることで、その身軽さゆえの自由と新たな価値観の発見ということにつながっていくようだ。

僕らは飽食の時代、ものが溢れている次代にやや慣れてきたようである。

日本人は本来的に得意である、引き算による美しさと、快適さという生活に少し戻ってみることが必要であるかもしれない。

「おまえの言うことはまったく机上の空論、若者によくある、世間知らずの甘い考えからでる、思い上がった、取るに足りない空想だ。

だいたい、その理屈でこのざまじゃないか、俺は結果を出していない理屈など認めない」

この言葉は心の奥深く突き刺さった。

若さというのはそれだけで、不利な立場に立たされている。

結果がでていないといわれても、どのように結果を出せばよいのだ?こんな短時間で??

形でしか人間がものごとを評価できないことを僕は知っているが、まさかそれほどまでに愚直な!

そんな僕がいわゆる偉人の名言を引用したところで、全否定されるのは経験上目に見えている。

そして、まったく僕の尊敬していない成功者の、独りよがりな、名言を引っ張り出してきて断言するのだ。

「おまえは間違っている、わかったか」

僕はそれ以来、心を閉ざすことになったのはいうまでもない……

美しき言葉、高尚なる思想は風薫る太陽の下でしか口に出したり、それをもとに行動してはいけないのだ。

でなければ、曲解や誤解、歪曲を生んでしまう。

そうすれば、僕は罵声を浴びずにすむだろう、失望もせずにすむだろう。

心の中ではすばらしい言葉をつぶやくことも、高邁なる精神を空想することも許されるのだ。

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『誰でもが太陽であり得る』 『藤村記念館』 馬籠宿


『馬籠宿』の定番スポットはおそらくこの『藤村記念館』であろう。

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文豪・島崎藤村を知らぬでもこのいかにも往時からの威厳ただよう冠木門に誘われ入館する観光客も多くいるだろう。

この記念館は藤村の生家、旧本陣跡(本陣とは宿場町の中心的役割を果す、格式ある宿泊所である)に建てられたもので、当時の姿を残しているのは敷地内のちょうど中ほどにある「本陣隠居所」というこじんまりとした二階建て家屋で、そこはかつて藤村が少年の時分に勉強のために使っていた部屋だったという。

そのほかの建物は大火で消失してしまって残っていない。

入館料は500円、「島崎藤村に興味がある」、「彼の作品が好きだ」という人びとにとっては原稿や愛用品の数々はそれぞれに意味をもつだろうが、ある程度の知識を持ち合わせていないとその真に文学者たる人、藤村を偲ばせる所蔵品は面白みに欠けるかもしれない。

その所蔵品の中には蔵書も含まれており、トルストイなどの洋書も多くあった。

そうしたあらゆるものが記念品として展示される文豪というものの優遇にはいつも不思議を思う。

島崎藤村は自然を愛した人として知られ、そのため敷地内には植物が多く、色とりどりの花を咲かせていた。

そんな中、僕がもっとも感銘を受けたのは石碑に刻まれたこの言葉である。

『誰でもが太陽であり得る。

わたし達の急務は、ただただ眼前の太陽を追ひかけることではなくて、自分等の内に高く太陽をかかげることだ』   島崎藤村著『春を待ちつゝ』より



僕自身、大いにその必要性を感じている。

それを見事に簡潔に表わした藤村はやはり偉大なる文豪である。

太陽は無償である。

太陽は自らの力によって燃え続け、それをやめない。

最後に、これもまた藤村の言葉。

『どんな小さな草の芽でも、花咲く時のないものはない。

それと同じように、どんな人でも、自分に持って生まれた、すばらしい宝のない人はいない』

その宝はきっと自らの力で輝くことができる。

誰でも特有の輝きを持った宝である。

ときとして僕たちは自分が自然の一部であることを傲慢にも忘れ去ってしまう。

しかし、まぎれもなく僕たちは自然の一部であり、その法則に則らずに時を過ごすことはできないのだ。





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『愛は人間に備わる生来的要素である』

『「いえ、まあ、あなた、はじめて赤ん坊の笑顔を見た母親の嬉しさは、罪びとが真心こめてお祈りするのを天の上からごらんあそばすたびに神さまがいだかれる嬉しさと、まったく同じなんでございますよ」

と答えた。

その女房の言葉はこれとほとんど同じだったよ。

じつに深い、こまやかな、ほんとうの意味での宗教的な思想じゃないか。

この思想の中にはキリスト教の全本質が、一語にして尽されている。

人間の生みの親としての神にたいする解釈が、すべてことごとくこの中に言い表されている。

じっさい、これがキリストのもっとも重要な思想なんだ!

しかも、それを道破したのが、無教育な一婦人なんだからね!

まったく、母親というものはねえ……―

ねえ、パルフェン、きみはさっきぼくにたずねたが、これがぼくの返答だ。

宗教的感情の本質というものは、いかなる論証、いかなる過失や犯罪、いかなる無神論の尺度にも当てはまるものじゃない。

こんなものの中には、なにか見当ちがいなところがある。

またいつまでたっても見当ちがいだろう。

それは永久に無神論などがすべってはずれて、つかむことのできない、また永久に人々が見当ちがいな解釈をくだすような、あるものなのだ。』   『白痴』より


キリスト教をはじめとする世界各国にある宗教、またそれらより派生した数々の教えは偏見と誤解によって人々に難渋を強いてきた。

それが世界の歴史であり、人間の営みであった。

しかし、純朴なる市民、あるいは賢明なる聖人は苦もなくその根源的教えを感じ、理解している。

『一切は単純なることだ』

真の母になることは、女性にはたやすいはずだ。

男性はそれに言葉で意味を添えるがいいだろう。

愛を知らぬものは愛せぬ―、否。

愛さぬものは愛を知れぬ―、否。

愛は形ではない、愛は概念ではない。

人間に備わる、生来的要素である。

愛の発現を見逃さぬよう、注意深く、慎みを持って生活することだ。

愛は隠れやすい、、愛は埋もれやすい。

それゆえに、愛はたやすい。

愛をおおらかに謳わぬがいい、愛を美化し、高尚であるとまつり上げるのは人間の悪い癖だ。

呼吸を賛美するものがいるか、意識を求めるものがいるか。

愛を妨げるものは我欲である、生活への執着である。
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青春のわずかなきらめき 『若きウェルテルの悩み』

≪もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ≫

という表紙の文言に惹かれ『若きウェルテルの悩み』を手にしたのは、大学一年の初夏のことだった。

恋愛に特別な感情、興味を抱いたことのなかった僕が、初めて知った情熱的な恋。

それは早くも暗礁に乗り上げ、懊悩が募るばかりであったのだ。

まさに若き悩みの只中に僕自身がいて、その伴侶として『ウェルテル』があった。

勿怪の幸いであったかもしれないし、終いに起こる破局への魔のささやきであったのかもしれない。

今となってはいずれにしても、青春のわずかな発光、きらめきである。

当時僕はウェルテルを少なからず羨んだ。

彼は少なくとも恋する人と言葉を交わし、その家を訪れ、時を共に過ごすことができたのだ。

そのことがより一層恋慕を募らせ、苦悩を深くしたことは当然のことであるが、少なくない幸福を味わうことを許されのだから。

僕の場合はまさに、迷妄、倒錯に陥り、その中で『ウェルテル』という毒までも吸い込んだ。

しかし、大いに慰められ、感動の涙まで流した!

これほどまでに鮮やかに死という破滅の一途をたどる物語は他に類がないであろうし、後味の悪さを残さぬ、潔き青年の自己破壊は強固なる自己信頼の裏返しでもあろう。

今回でたしか読むのは3度目になるが、そのときどきによって僕の立場、状況は異なっていて、以前はウェルテルの側に立って、読むことができたのに、今はアルベルトに近いのではないかという空恐ろしさが心の深奥に芽生えた気がした。

僕は今、愛に倨傲し、形式的にそれに答えるという大人の安直さに抗うことなくしたがっている。

考えてみれば、これは恐ろしい。

しかも、そうした形式的愛の方が長続きし、安泰を約束するというのは皮肉である。


若々しく、情感と希望に満ちていたウェルテルが叶わぬ恋をつかもうとし、つかの間の幸福を青年特有の貪欲さで独占と継続を望み、行動する姿はすべての青年にとって他人事ではないだろう。

そんなウェルテルが社会道徳に破れ、死を決意するにいたって感じる自分にとっての自然、生命体としての自分自身。

『このように目が醒めて眼をひらくのもいよいよこれが最後です。

霧がかかって濁った空を蔽っているので、私が太陽を見ることは、ああ!

もう二度とありません。

自然よ、おまえの子であり、友であり、恋人であった者が終焉にちかづいているのだもの、かなしんでくれ!』

不幸のうちの歓喜の中にあって死を迎える青年は弱く美しい。

『あなたが美しい夏の夕べ、丘の頂きに立ったときには、どうか私のことを、私もよくその谷を上ってきたことを、思いだしてください。

それから、落日の影のさなかに風の吹くままに高い草がゆらぐあたり、墓地をながめて、私の墓の方を見はるかしてください。

―書きはじめたときには落ちついていたのですが、いまは、いまは、子供のように泣いています。

こうしたことがすべてまざまざと、目のあたりに見えてくるものですから―』

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随一の宿場町、『馬籠宿』 島崎藤村の生まれ故郷


『妻籠宿(つまごじゅく)・馬籠宿(まごめじゅく)』は東京・日本橋と滋賀県・草津を結ぶ中仙道のおおよそ中間ほどにある宿場町で、岐阜県中津川市と長野県木曾群南木曾町にまたがっている。

東海道や中仙道になじみのある県などは修学旅行や遠足などの定番としても知られるところだろう。

僕の家からもそれほど遠くなく、ずっといきたかったのであるが、その距離がかえってわざわいして今まで行くことなく過ぎてしまった。

なぜそれほど僕の関心を引いていたかというと、

まず、宿場町といえば、江戸時代前後の姿を残す古い町並みがあるので、それは僕の好むところである。

また、馬籠宿の本陣が文豪・島崎藤村の生家であったので、現在ではその場所に『藤村記念館』があり、文学好きとしてははずせない。

加えて、馬籠峠をはさむ形でこの2つの宿場町があるので、自然の中のハイキングコースとしても人気があり、季節的にもそうした自然林の中を歩きながら、当時の人々に思いを馳せるのはなんとも風流だからだ。

今回は『馬籠宿』からスタートし、『妻籠宿』を目指すという旅だった。

『馬籠宿』は馬籠峠に向かう途中の、斜面に沿って宿が並んでいるという宿場町で、石畳が敷かれ、美しくかつ風情ある景観をつくりあげている。

写真にあるのは水力発電に使われている水車と、かつて軍事的宿場としても用いられ、敵の侵入の妨げとなる『枡形』(街道を九十度、あるいは百八十度、まげることで障害となる)である。
 
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当時から残る建物は少なく、その中の『清水屋』などは重要文化財にしていされている。

というのも、尾根に位置する宿場町であるため水の確保が困難で、火災に見舞われやすいためだ。

『馬籠宿』をなす街道の中間地点に『島崎藤村記念館』がある。

庭先に咲くツツジや石楠花が満開で、野花が風に揺れ、街道は木造建築群の独特の地味さに彩を添えており、歩いていて気持ちよかった。

視界が開ける箇所からは『恵那山』がその全景を表わし、峠に位置する宿場町ならではの景色である。
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寂しさに沈んで


なんとなく悲しい気持ちになりました。

僕は友だちは少なくはなかったです、多いとはいえないけれど、仲のいい、信頼のできる友だちに恵まれました。

でも、みんな忙しそうで、ろくに会う機会もありませんし、メールでさえも1日置いて返信されるといった具合で寂しい気持ちがします。

では、彼らが呑気に日々を過ごしていたとして、僕は彼らと日替わりに会ったり、出かけたりするでしょうか?

いいや、しないでしょう。

僕は心では求めているものの、あまり直接的な関係、時間の共有というようなものにはあまり関心や重点をおいていませんでした。

ただ、互いに熱くなれる瞬間、互いを認め合える機会、共に成長していける関係、そうしたものへの憧れと情熱に近いものをもっていました。

しかしながら、そういったものはほとんど受け入れられませんでした。

自分の本心を打ち明ければ相手が身構え、あるいは相手に妙な緊張を与えるといった具合で、僕はつねに体裁を気にしながら言葉を発するようになりました。

ある人がこうした状況に立たされたならば、これを孤独と感じ、呼ぶのかもしれません。

でも僕は偽りでもいいから、人とのつながり、信頼というようなものにすがりたい気持ちがありました。

僕はいたって安らかな気持ちで、心は澄んで、少しばかりぼんやりとした気分でしたので、どうして他人が僕のことを心安く受け入れてくれないのかちっともわからなかったです。

悲しさや寂しさはこういうところからくるのでしょう。

そうしたものの中に沈んでいながら、不思議なことに心はいたって穏やかなのです。

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『教育のない人は、お金を貯めにかかる』 教育は社会のための人間ではなく対人間、自然のための人間を育てるためでなければならない。

『もしおまえさんが今みたいな物好きをよしてしまったら、おまえさんみたいに教育のない人は、お金を貯めにかかるだろうねえ。

そして、おとうさんと同じように、スコペッツ派の連中に取り巻かれて、ぽつねんとすわってたに違いないわ。

もしかしたら、その人たちのほうへ宗旨がえくらいしたかもわからないわ。

だけど、お金はめちゃめちゃに好きになって、それこそ二百万どころか、千万くらい貯めこんで、おしまいにはその金袋のあいだで、かつえ死にするのが落ちだ。

なぜって、おまえさんは何事につけても欲情が激しいから、なんでもきちがいじみたところまで持ってかなくちゃ承知しない人なんだわ』   『白痴』より


「世の中の大きな謎が一つ解明された」というくらい、僕には衝撃的な文言だった。

どれほどのバカでも、お金に価値があることは分る。

バカは生きる意味も、善も、真理も考えない、考えられない。

でも、お金が有益なものであることははっきりと分る。

それ以外何も考えないからお金を集めること、貯めることが大事なんだという見当違いな確信を得る。

バカにとっていつしかこの「お金を貯めること」が生きる意味になる。

思いのほかこのバカが世の中には多いようだ。

一方、数少ない教育のある人はお金は手段、あるいは健全なる社会のためのひとつの構成分子といったぐらいの認識をし、人生を豊かにするためのエッセンスくらいに思っているだろう。

実相、あるいは本質というものはお金ではなく、哲学・思想、絆、人間的つながりというようなものにあるのだと道破するだろう。

みながそうした教育を与えられんことを切に願っている。


また、教育は授けられるものだという他力頼みの意気地なしもまた散見される。

確かに、「教育」という言葉は教え、育てることだ。

そうした認識は間違いではない、だがそれも考えてみれば学習できぬ小さき者たちのために拵えられた理念なのだ。

だが、近代からひとつの形に結晶した教育は、社会のためのいわば人員養成を旨として成り立ったものだった。

軍人を育てるため、社会人を育てるため・・・そうしたもののために教育があった。

いや、決してそうではない、教育はそういうものではない。

直接人間に有益な人間を育てるための教育であり、もっと広く言えば社会ではない自然の中で生きるための教育なのだ。

そうした教育が現段階でない以上、僕たちは人生を賭して学び、習い、人格を形成していかなければならない。

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人のはかなさ、人の悲しさ


『―私はあたりを見まわし、部屋をながめた。

周囲にはロッテの衣裳がある。

アルベルトの書類がある。

それからこのインキ壺まで、いまはすっかりなじみになった家具がある。

それを見まもって、思いに耽った。

「どうだ、この家にとっておまえがなんであるか、分るか!

結局のところはこうだろう。

この家の人々はおまえを敬愛している。

おまえという者がいることをよろこんでくれる。

そして、おまえも、かれらがいなくては生きてゆけないような気がしている。

とはいうものの、―もしおまえが行ってしまったら?

このまどいから脱けてしまったら?

そのあとは?

おまえを失うことによってかれらの運命の中にできた空隙を、あのひとたちはいつまで感じているだろう!

どのくらいのあいだ?

―ああ、人間のこのはかなさよ!

人間が自己の存在を真に確認し、自己の現存をほんとうに印象づけることができる唯一の場所は、自分が愛するひとびとの追憶、その魂の中であるが、ここにおいてさえ、人間は跡を絶って消えうせなくてはならない。

しかも、またたくまのうちに!』   『若きウェルテルの悩み』より


かつてその人が暮らした家もすでに跡形もなくなった。

その声もちょっとだみ声だったが不快を感じるものでなく、威勢を含んだものだったという形容をしうるほどに薄れて響くくらいになってしまった。

当時は別れという、厳然たる永遠性に涙したものだったが、果たして日常は大きな影響を受けることなく、様変わりもすることなく流れていった。

その埋め合わせを担ってくれる家族の存在に、平生とは異なるありがたさを感じたのも、このときが初めてだった。

僕にとって大きな存在であったその人が僕の心に占めていたその容積を家族や友だち、恋人に分担してもらってもどこか足らない、喪失感。

けれども、その痛切感は時追うごとにほぐれていった。

そしていま、以前と変らぬ暮らしを続けているとは、人は寂しく、悲しいものだ。
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『久能山東照宮』から『日本平』周りを満たす自然と雄大な景色


社殿の脇を進み、廟門をくぐると石段続きの参道になり、社殿とはちょうど直角の向きをなすように家康公の遺骸を埋葬したところに神廟が西向きに建てられている。

これも家康公の遺言に基づいており、豊臣側の旧勢力及び西国大名に睨みを利かせると共に、故郷である岡崎を遠く眺めたいという思いによるようだ。

家康公がお眠りしている神廟内を騒がしくしてはという思いにかられ、おとなしく様子を見るくらいにとどめて、すぐに上ってきた石段をずっと下りていった。

『久能山東照宮』はその境内の壮麗さのみならず、南方に臨む駿河湾の眺めもまた格別にすばらしいものがあるのだ。

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今回はロープウェイで日本平から、いわば天空から東照宮に降り立ったわけだが、地道に千段を超える石段を上り来たったのならば、またみえる景色も異なるだろう。

一の門から望める、下まで続くじぐざぐに折れ曲がり、畳まれたような石段はこれも一つの美観かと思われた。

再びロープウェイで日本平に戻り、忘れず日本平から臨む富士山を心に刻み込んだ。

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富士の眺望はもちろんのこと、清水港や駿河湾、あたりを満たす自然によって日本の名称としてしられる日本平。

観光地としての過剰な客引きのような雰囲気がなくおだやかな空気が流れているように感じた。
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追想


私は気が付いていたの。

こうしてあなたの隣に座って、いつも眺めるこの小高い丘から見える街がもう見られなくなるってこと。

ああ、あの丘のてっぺんまでいってしまったら、いつもとは違った気持であの寂しい気持になる角を曲がるんだわ。

あなたはときどき寂しい気持になる私のことを思って、遠回りしてくれることがあって、何気なくハンドルを切った。

新しい車でも、立派に見える車でもなかったけれど、助手席はいつも綺麗にしてくれていた。

あなたは私がなんの気にもせずに乗っているとおもっていただろうけど、ああ先週洗車したんだな、とかくらいはわかったわ。

タイヤを変えたことまではわからなくて、あなたはあきれていたけれど。

何もかも置いていくのね、そういえば、あなたはいった、「僕は君に≪ああ、この場所に若いとき、来たことがあるわ≫と感じてもらえたらそれでいい。

そこに僕がいたかどうかってことは重要じゃないし、むしろ漠然とした温かみのようなものが一緒にあったように思ってくれたらそれでいいんだ」

何にも分ってない人だったわ、本当にあなたは。
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自滅的な恋


『おれはな、おめえが目の前からいなくなると、すぐにおめえが憎くてたまらなくなるんだよ、レフ・ニコラエヴィチ。

おめえに別れててから三か月のあいだ、おれはのべつおめえのことで腹を立てとおしていた、ほんとのこった。

もうおめえをひっつかまえて、何か毒でもくらわしてやりたかった。

そんなふうだったよ。

ところが、いま十五分といっしょにいないうちに、いつの間にやら腹の虫が納まっちまった。

そして、おめえがもともとどおりかわいくなっちまったよ。

もっといてくんな……』   『白痴』より


僕は彼女を家まで送り、家の前に停めた車内でいくらか言葉を交わした後、彼女と別れる。

彼女は「またね」と言う。

僕はうつむきながら「またねー」と少し気のない返事をする。

≪もう、会うまい……≫

彼女が目の前からいなくなるとすぐに彼女がいやな女にみえてくる。

会わないあいだ、彼女のいった言葉やわがままばかりを思い出し、彼女の謙虚さの足りなさに失望しては、彼女と一緒にいたところでなんにもならないじゃないかという気になってくる。

僕の経験から導き出された女の特性というものは、『優しく接すればつけあがる』だ。

彼女もその例にもれず、身勝手を増長しては僕を傷つけた。

僕はウサギが自分の布でつくられた寝床を噛み千切ってぼろぼろにしてしまうことを思い出した。

「その布の気持ちだ」僕は現にそう彼女に伝えたことがある。

そんなことをお構いなしに平常どおり連絡をよこす彼女を何度か無視した。

僕なりの腹いせだ。

すると彼女は卑屈になって、ふさぎこむようになり―そのことがなぜか僕には感じ取れてしまうのだ―僕の不憫の念が頭をもたげてくる。

そして慰みのつもりで彼女に会うのだが、十五分と一緒にいないうちに、いつの間にやら彼女に対する負の感情が納まってしまう。

そして彼女がどんどんかわいく思えてくる、以前よりもっとかわいく。

僕は不幸な感情の持主なのだ。

こうして彼女にどんどん付け上がることを許しては、僕は恋にのめりこんでいってしまう……
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『プーシキン美術館展』 ルノワール作≪ジャンヌ・サマリーの肖像≫ 作品自体よりもその作品の与える印象が美しさをもつ稀有な作品


愛知県美術館で開催されている『プーシキン美術館展』へ行ってきたので、少し作品について思ったことを書いていきたい。

まず、全体を通しての意匠を凝らした演出というようなものはなく、あっさりとしたものだったが、珠玉の66点ということでその作品の存在感のみで成り立つと考えればあえての工夫や演出は必要ないといえるのかもしれない。

立地としても愛知県美術館は駅と隣接しているとはいえ、地上10階ということもありややアクセスに難があり、またそれゆえに展示される空間は画一的で単調さは否めない。

他県の美術館に詳しくないが、おそらくこれに勝る美術館は多くあるだろう。

一番の目玉で、ポスターに採用された『ピエール=オーギュスト・ルノワール』≪ジャンヌ・サマリーの肖像≫ 1877年はこちら。

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照度がやや強かった印象を受けたのは僕だけだろうか、立体感を表現するために顔や胸元、背景に重ねられた青色の筆致―特に顔の筆致が強調され、やや美しさを損ねてしまっていた。

いや、いかなる照明であったにしても、やはりこの青色の加筆はかなり高度なことを求め、結果完成を見なかったように思う。

この絵は「ルノワールの印象主義的肖像画の中でもっとも美しい」と評されたようだが、たしかに美しさはある。

背景のピンクは斬新とさえみえ、象徴主義に通ずるものがあるし、その色調が愛らしい表情とその血色豊かな肌と共鳴し、見るものをとりこにする。

瞳とそれを縁取るまぶたの輪郭は優しさに満ち、引き込まれそうになった。

表情は好きだが、顔の系統としては僕のあまり好むところでなかったのも、僕が絶賛しきれなかった理由のひとつであろう。

考えてみると、ルノワールは肖像画をあまり書かなかったのではないか?

少なくとも、僕には彼の優れた肖像画というものの印象がほとんどない。

彼の描く平和的な風景や、生活の断片を描いた作品は美しく、すばらしいものが多い。

だからこそ、肘をつき、掌にやや上向きにあごを乗せ見つめる姿を書きえたのかもしれない。

このポーズはとても魅力的だ。

僕は二度と彼女の表情とそのたたずまいを忘れることができぬだろう。

作品自体の美しさよりも、その作品が見る者へ残す印象の方がより一層美しいという稀有な作品である。
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解かりつつある『がん』 その原因と対処法


昨日偶然テレビをつけるとNHKでがんの特集をやっていた。『病の起源』という番組である。

日本人の死亡原因一位の『がん』

その『がん』は人類が進化によって得られた繁栄の代償として抱え込んだ病気だということが近年の研究でわかってきたようだ。

人類がまだ猿人と呼ばれた頃、自然は人間に対して『がん』に打ち克つための仕組みと環境を与えていたのだ。

しかし、人類が進化するにつれてそのリスクは高まっていった。

まず第一に脳の発達が『がん』のリスクを向上させたという。

人間が人間たるもっとも顕著な要素である他の動物とは比較にならぬほどの脳が『がん』を生むリスクを高めてしまったのだ。

この脳の発達に大きな影響を及ぼしたといわれるFASという酵素は、言い換えれば細胞の分裂・肥大化を促進する働きをするということなのだ。

調べてみると、がん細胞にだけこのFASが観察されるのだそうだ。

現在、このFASの阻害薬が開発され、臨床段階にあり、その治療に大きな期待がもたれている。

副作用もないことが画期的であるとのことだ。

第二に、『出アフリカ』つまり、人類が居住場所を赤道直下のアフリカからヨーロッパ、アジア、アメリカへと居住範囲を広げたことによって、『がん』のリスクが高まったのだ。

がん患者の分布をアメリカで調査したところ、紫外線を浴びる量が少ない地域でがん患者が多いことがわかり、紫外線の多少ががんの発生と深い関係がわかった。

紫外線を浴びることは、体内にビタミンDが生成されると同義で、このビタミンDが体内にあると『がん』が抑制されるという実験結果が得られたのだ。

この実験ではビタミンDのカプセルを服用することでビタミンDを生成することに見立てていたので、体内にビタミンDを取り込むことは予防として大いに期待できるのだそうだ。

第三に、電気の発明によって『がん』のリスクが高まった。

どういうことかといえば、夜間に活動するようになったことが『がん』のリスクを高めたというのだ。

電気が発明され、初めて人類は夜間に活動するようになった。

昼間勤務者と夜間勤務者を比較すると夜間勤務者の方が『がん』のリスクが高まる。

それは、忘れてしまったが夜間にある物質が分泌され、それが『がん』を抑制する効果のある物質だそうで、夜間勤務をするとその物質が体内に少なくなってしまうので、『がん』になりやすいということなのだ。

夜間勤務をしている人は現在男性5人に1人であり、夜間勤務を避けることは難しいのは事実だ。

これをどうしていくのか、今後の課題である。


人類の歴史は『病気の歴史』といわれたりするが、人間が自然から離れ、自然に反抗し続けるかぎり、その代償として病気を背負わされるのだ。

しかし、いずれ自然を超える人智によって、あらゆる病気を克服できるようになるかもしれない。

いや、そうでなければ、自然に反抗する必要も意味もないのだ。

こうして、進化の道を進んできた以上、行き着く目的地はそこにあり、それを達成しなければ、人類は自然界における最大の出来損ないといわなければならない・・・。

『先生の本を読む』 知識と知力の海への最初のひとしずく


芋づる式読書、『先生の本を読む』

これは、『団地の書斎から』さまの記事にて紹介されていた勉強法です。

興味がある方はぜひ覗いていただくと参考になるかと思います。

僕の経験によくそぐう内容だったので、ここで追想に重ねて書いてみようと思います。

読書に限らず、『物事をうまく進めたり、成功させるための王道』は師を見つけること。

世間に溢れているハウツー本の最たる成功を謳うものの中には『メンター』という言葉が踊っていたりするが、要は同じことで、先生、師を見つけ、その作品の模倣や彼の歩んだ道を確認することで知らず知らずのうちに力がついていたり、成功への道を歩いていることになるということだ。

特に勉強法にからめて、作者のそういちさまはその先生の著書の全部を読んでいくことで知識がネットワークをつくりながら広がっていき、そしてその関連する著作を次々に読んでいくことで体系化された知識として膨大な知力となるということを書かれていた。


僕は『こゝろ』ではないが、「私はその人を常に先生と呼んでいた」

その先生は『夏目漱石』である。

なぜ僕にとって『夏目漱石』が先生であるのか。

それは、『吾輩は猫である』によって思想の目を啓かせられたからである。

それまでの僕はただぼんやりと、社会になじむような生き方を求め、ただ勝つことにのみ―何に勝つかはわからぬまま―こだわり、内なる葛藤でもがいていた。

そんなときパッと世界が開けたように、「生きる」ということに真面目になったのだ。

本の中で、文字は踊り、難解な熟語や複雑きわまる言い回しは知的訓練を受けた僕にとって大きな刺激だった。

それまで、僕は数学こそが人間叡智の最大到達点を計る舞台だと考え、数学にこそ至高性を感じていたのだ。

しかし、『夏目漱石』は全く違う方法で至高性を示していた。

届かぬ次元に僕を引き上げてくれた感さえした。

それから僕は先生の著作を名の知るものから読んでいった。

『坊っちゃん』、高校時代に読んだ『こゝろ』

その『こゝろ』が後期三部作であることを知り、前期三部作『三四郎』、『それから』、『門』を読んだ。

そこから、明治の文豪として並び賞される『森鴎外』の『舞姫』や『雁』

また、夏目漱石が当時千円札であったから、五千円札の『新渡戸稲造』の『武士道』や一万円札の『福沢諭吉』、『学問のすゝめ』

・・・

こうして僕の読書の森は大きく、深くなっていき。

それにともなって知識も知力も鍛えられ、海のごとく広く、深く、力を湛えたものになっていった。

『坊っちゃん』の舞台、道後温泉を訪れてみたくて、『夏目漱石』を訪ねる旅のきっかけを与えてくれたものやはり、こうした読書体験であった。

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恋による愛でなく、憐憫による愛


『前にも言ったことだが、ぼくはあの人を、≪恋で愛してるのじゃなくて、憐憫で愛して≫るんだよ。

ぼくはこの定義がぴたりと合っていると思う』   『白痴』より


途方にくれていた僕の前に突然あらわれた昔馴染みの彼女。

これは腐れ縁だろうか、それとも新しい恋だろうか。

僕は社会に取り残されて、同窓生とは埋められぬ距離ができたことを自覚せざるを得なかった。

すっかり努力をやめてしまい、街の風にただ吹かれさまよう日々にただ少しの変化が欲しくて、いやただ安らぎが欲しくて彼女をそっと優しく最近見つけた荒んだ暮らしに引き込んだ。

彼女が瑞々しい、盛りの花だとしたら、僕はすっかり摘んでしまった。

過ぎた時間は戻るまい、過ぎた盛りは戻るまい。

甘い香りを求めた蝶は、いつしか哀れむようになり、真面目にならなかった自分を悔やんだ。

憐憫の愛でこれからやって行けるだろうか。

花咲かすことが花の実相ではないと、人はいうが、僕は花の癒しを求めてる。

愚かなことだ。

僕に足らぬものは助力ではない、癒しである。

協力ではない、慰めである。

愛することは得意だから、憐憫だろうが恋だろうが、僕は全うして見せるだろう。

しかし―

そこに時が過ぎても変らない清き感情が生まれなければ、愛を行動で示すことの意味があろうか。



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『心情こそが自分の誇れる唯一のものだ』

『公爵は私の知性と才能とを、私の心情よりも高く評価している。

しかし、この心情こそは私が誇る唯一のものであり、力も、浄福も、悲惨も、すべてはこの泉から涌く。

ああ、私が知っていることは何人も知ることができる。

―ただ、私の心は私だけのものだ』   『若きウェルテルの悩み』より


私たちは、なぜだか知らないが知性と才能というものを重宝し、それを鍛え、獲得することに全力を注ぐ。

そして周りの人々もあらゆる方法でその知性を計ろうとし、才能を見つけ伸ばそうと躍起になる。

児童教育の分野で特にその傾向が見られる。

最近ではインターナショナルスクールなどに通わせ、英語力を身に付けさせようという親が増えているみたいだし、教育は早ければ、早いほどいいという迷信?に従って、教育に定評のある幼稚園に県外からでも通わせるというような親もいるそうだ。

そもそも彼らが求めているものは、厳密にいえば知性でもなければ知力でもない、単なる知識である。

知識の暗記にすぎない、暗記力と単純な脳の処理能力である。

これらを求めるのはまったく時代錯誤というより他ない。

コンピューターができることをなぜそれほど懸命になってやっているのか理解しがたい。

暗記や計算というのはコンピューターに任せて何が悪かろう?

膨大な薄っぺらな知識や単純な計算の速さを鍛えるほどばかばかしいことはないのに、どれだけの少年・少女、学生がそうしたことに貴重な時間を費やしていることだろう。


子ども時代にしか育てられない心の豊かさというのがある。

そうした時期に社会の要請に従う人間をつくろうとするのはどういうわけだろう。

社会に求められる人間が幸福だと思うのならば、それはちがうと思う。

いつ、だれが社会というものを最上に置き出したのだろう?

それは愚鈍なかつての男性たちに他ならないだろう。

女性は自然を知っているが、男性は自然を知らない。

僕たちは詩や言葉でしか世界を知ることができないのだ。

だからこそ、中性的な児童のときに心情を大切にした教育をすべきなんだ。

どれだけの人が自分の心を誇れる豊かな気持を持っているだろうか。

かつて、大学に入りたてのときにこの一文を読んで、深く心動かされたものである。

誇れるもの―

それは自分の心情です。

といえる人間になりたい、なるんだと誓ったあの夏。

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名作『ショーシャンクの空に』 陳腐で胸くそ悪さを残す作品

僕はあまり映画を見ない。

せいぜい、年間に10本程度である。

世の中には映画好きの人は数多くおり、毎日見る人も多いだろう。

だから、映画を語る資格は自分にはないと考えるし、映画を批評することはほとんど無意味であろうが、少し書いてみたい。

昨日、たまたまyahooニュースから映画『ショーシャンクの空に』に関する記事へと行き着いて、以前からこの作品が映画史における名作として有名であること、そのハッピーエンドがすばらしいことを聞き知ってもいたし、『午前十時の映画祭』にも選ばれていたので「見よう、見よう」と思いながらもキッカケがなく見ないまま済んでしまっていたから、「よし、この際見よう」と見始めた。

・・・

細かい批評ができないのが残念だが、いくつか思ったことがある。

途中までの腐敗しきった刑務所内の様子が本当に胸くそ悪かった。

特に所長の数々の悪行、その狡猾さは我慢ならないものがあった。

国家の番人という大義の下、その権力でもって囚人を人間扱いしていない所内の様子は見るに堪えない。

これが現実であった時代、実際に今行われているかもしれないと思うと身の切られるような思いがした。

最終的にはその悪は挫かれるので、その点はよかったといえるかもしれない。

次に主人公アンディ・デュフレーン役のティム・ロビンスは僕にはあまり適任と思えなかった。

体格こそいいものの、初め、レッド(モーガン・フリーマン)から一番に泣くだろうと予測されたように貧弱さをもっているように見えるので、銀行員であることを利用し巧みに機智を働かせた策略と脱獄の成功に違和感を感じた。

脱獄というストーリー展開の陳腐さ、そしてその後の逃走という名の自由を謳歌する姿は非現実的であり、妙にあっさりしている。

ロックな若造のはっきりとしすぎているその役割。

あまりいい印象がなかったわけだが、その中でもいくつかはいいシーンがもちろんあった。

放送室に閉じこもり、囚人たちに「フィガロの結婚」を聴かせる場面や鬼教官に財産相続のアドバイスをし、その報酬として仲間たちにビールを望み、結果彼らがビールを楽しむことができる場面はシャバのすばらしさを美しく物語っていた。

モーガン・フリーマンはいい味を出していて、申し分ない助演といった感じだった。

所長や鬼教官の悪さもよく出ていて、演技は―素人だからわからないがうまかった。

下水道から出てきて、歓喜にひたる場面は強調しすぎて、やや興ざめの感さえあった。

どうして名作と呼ばれるのか、大きな疑問を残す映画であったし、僕にとっては内容が陳腐で胸くその悪さを残すものであったからもう見ることはないかもしれない。

脱走ものはよくあると思うが、『大脱走』の方が好印象だったし、『モンテクリスト伯』を読んでいたほうがよっぽどおもしろいと思った。

やっぱり、映画よりも小説を読んだほうがいいなと改めて感じた。

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江戸幕府、当時最高の建築技術・美術の結集『久能山東照宮』 1

『久能山東照宮』と聞いて、どのくらいの人がその何たるかを知っているだろうか?

東照宮といっては『日光東照宮』があまりに有名であるから―それは世界遺産に登録されていることも大きく影響しているにちがいない―、『日光東照宮』は知っていても『久能山東照宮』は知らないという人が多いかもしれない。

この「東照宮」というのは江戸幕府初代将軍、徳川家康を祀った神社のことである。

それは家康公が死に臨んで、その遺命に『遺骸は「久能山」に納め、葬儀は「増上寺」で行い、位牌は三河の「大樹寺」に立て、1周忌がすんだら「日光山」に小堂を建立してわが霊を勧請せよ。

関八州の鎮守となろう』とあったことに由来する。

すなわち、東照宮としてのルーツは日光ではなく久能山なのである。

久能山は静岡県静岡市駿河区(当時は駿河の国)にある駿河湾を臨む山城に適するような小さな山で、そこはかつて家康公が晩年を過ごした地。

現代ではその久能山東照宮へ行く方法は駿河湾方面からやや短い門前町のような参道を通り、続いて1159段もある石段を登っていくか、日本平からロープウェイで渡るかいずれしかない。

実は以前、箱根を旅したときに、ちょうど帰り道であったので参拝を試みたのだが、午後4時過ぎだったので断念せざるを得なかったのだが、そのときは石段方面からであったので、今回ロープウェイという文明の力を借りて、参拝することとした。

日本平から久能山東照宮まで1キロあまりの空中散歩。

眼下には幅狭の断崖がいくつもそびえ、山谷に屏風を立てたように見えることから名のついた『屏風谷』が奇観をなしていた。

視線を転ずれば駿河湾も望まれる。

山の斜面につくられたお社なだけあって、境内に入ると急で段差の大きい石段が参拝者の足の運びを滞らせる。

そのための杖が入口になる社務所で貸し出されているのは感心した。

かつての栄華の象徴ともいうべき楼門をくぐり、境内にいくらかある重要な神事のための建物を過ぎると、豪華絢爛な極彩色を施した拝殿へと行き着く。

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構造上写真を構図よく撮ることは困難であったが、重厚感のある金色が目にまぶしく、力強い。

当時最高の技術と芸術によってなる一つの建造物である『久能山東照宮』は想像を遥かに超えるほど美しく、その姿は未だ衰えるどころか一層輝きを増しているようだ。

修繕工事を終えて時をわずかしか経ていなかったので当時に極めて近い状態でみることができたのは本当に運がよかったというより他ない。
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生きる時代は色濃く思想に反映される 僕ら世代の思想について


生きる時代は色濃く思想に反映される。

僕のおじいちゃんの親、つまり親の親の親の代はおそらく日本は帝国主義の時代で、日本を強国にすることが日本人の存在意義であり、誰もが日本を強国にするために生きることこそが正しいと信じていたに違いない。

ではその親の子である僕のおじいちゃんの世代はどうかというと、敗戦を知り、そうした帝国主義が無残にも破れ、失敗に終ったのを自らの目で見たり、その現状を感じたりして、そうした軍人として生きること、強国日本をつくることに人生を捧げることは間違っていたのだと考え、世界もまた、世界大戦という大きな戦争を経験し、新たしい世界のあり方を模索し、たどり着いたのが、日本で言えば資本主義であった。

だから、僕たちのおじいちゃん世代は働いて、金銭的な意味での豊かになることが正義であり、生きる意味であった。

日本中の男性が休みなく働き、女性は家を守り、ひたすら日本を物質的豊かさで満たすことが人間として求められる最上のものであるという時代であったに違いない。

そして実際に、敗戦を経験したにも関わらず、驚異的な高度経済成長と呼ばれる発展を遂げ、日本は世界の先進国としての地位を築いた。

僕たちの親の世代はそうしたいわゆる労働、資本主義による発展という名の成功を見た。

しかし、物質的豊かさは得られたものの、それによって犠牲になった人間としての絆のようなもの、また現実問題としては、公害問題などによる人々への悪影響をも見た。

だから、彼らは単に物質的豊かさのみを追求するのではなく、人間としての喜び、あるいは健康、楽しさというものをも求めた。

それゆえに第三次産業と呼ばれる、サービス業が盛んになったのもその頃なのだろう。

資本主義における物質的豊かさを尊重しながらも、それに人間的豊かさを増すような要素を加えることこそが、人間の求めるべき生き方であるという思想を持つに至ったのだろう。

その結果として、バブルという形で再度成功がもたらされた。

彼らはその哲学・思想の正当性を確信したに違いない。

しかし、その子である僕らの世代はそのバブルが崩壊したすがたを見て育った。

生きた時代は、つねに不景気という状態だった。

これはそのまま、資本主義や、物質的豊かさを求めることの誤りを表わし、その失敗であった。

そこから、僕らはそうした資本主義、労働こそが賞賛される第一のものであるというような、実体のない思い込みのような思想に疑問を感じたのだ。

資本主義が世界を、人間を豊かにしえないことを僕らは既に悟っている。

それで平和が訪れないことは火を見るより明らかなのだ。

物質的に豊かさが人間を豊かにすることができぬことを僕らはこの目でみたのだ。

僕たちは心で豊かさを感じる。

だから心を豊かにしなければならない。

ではどうしたら心を豊かにできるのか?

そうした問いを僕ら世代は自分たちに投げかけているに違いない。

労働であることは無論ない。

こういったら僕らの親世代は怒り出すか、あきれるだろう。

しかし、それは現に破綻しているではないか。

国家に仕えることであろうか?

それも違うことは明らかだ。

無責任な国家、役人のふるまいは連日テレビで見ても知れている。

僕らは個人個人でその道を見つけ、お互いに真の意味での支えあい、つながりを持ってそこに幸せと、心の豊かさ平安を見出せるのに違いないのだ。

そのために、芸術や文学、時には信仰―僕はあえて、宗教とはいいたくない、これはあまりにも複雑な問題を含んでいる―は有益であると僕は信じて疑わないし、それら以外に、人間をつなげ、心を豊かにするための指標が僕には見つかっていない。

そういうものから科学や労働、国家を引き出してくるのなら、それらはきっと世界、人間を豊かにしてくれるはずである。
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自然美の極致 日本新三景『三保の松原』


駿河湾に突き出た三保半島、そこに日本を代表する景勝地『三保の松原』がある。

その景観のすばらしさから『日本新三景』の一つにもかぞえられている。

最近では、富士山が世界遺産に登録されることが確実となったニュースと共に、この『三保の松原』が除外されたことも報じられた。

僕はまず、『御穂(みほ)神社』(おそらくこの地で古くから親しまれている神社)をこの地を歴訪する挨拶と共に参拝した。

本堂の左手には安産に効験のあるという小さな社があり、そこに柄杓の水をためる部分の底に穴を開けたものが奉納されていた。

水がその穴をこともなく流れ落ちるように、お産ができるという意味だそうだ。

鳥居から『天の羽衣伝説』のある『羽衣の松』までの参道は、『神の道』という両側に松並木が続く、他では見られないものとなっていて、まわりは閑静な住宅街であるため、雰囲気を一層際立たせていた。

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参道を行くと、大きな駐車場になり、観光客はここから『羽衣の松』へすぐにアクセスができるようになっている。

そこにはおみやげ屋があり、名菓・安倍川もちと静岡茶のセットを食しながらの休憩ができるようになっていたので利用した。

段になった坂を少し上ると砂浜とその後方に防風林の役割を果す松林が陸の尽きるところまで連なっている。

樹齢何百年を数える、老松『羽衣の松』は今では衰弱がはなはだしく、世代交代、及び次世代の成長にその大役を任せている。

『三保の松原』がなぜ、日本新三景に選出されるほど賞賛されるのか?

それは、世界一美しい山といっても過言ではない富士山の美しさを余すところなく引き出し、それを借景として、かつこれもまた日本を象徴する樹木の一つ松の圧巻の松林と鮮やかな群青の波立つ海とで一幅の絵画のごとき景観を呈するからに他ならない。
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富士を望むとそれまでの物理的距離は極端に省略され、かすむ山すそは一様の薄青に染められ富士が独立して存在しているかのような錯覚に陥る。

その淡い色彩により、濃緑の松林はより際立って画面を引き締めるようだ。

目に映るは抽象化の努力をすれば、一切の人工物を排除しつくした、理想郷と見えはしないか?

まさに自然美の極致であると僕は思った。

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『第一位の人間とはほかのひとびとよりも先が見えて、自分の計画を遂行するために他人の力と情熱をふるいたたせるだけの、手腕ないしは機略をもっている人間のことだ』


『なんたる連中だ!

全心全霊ただ儀礼にのみ汲々として、あけてもくれても食卓で一つでも上席にわりこむことばかり念じている!

(中略)

愚劣な奴らだ!

席次なんて大したものではないし、第一席を占めている人間が第一等の役割を演じていることはめったにないものだ、ということが分らないのだ。

多くの王が大臣によって支配され、多くの大臣が秘書官によって左右されているではないか。

こうした場合に、第一位の人間とは誰のことだろう?

思うに、それは、ほかのひとびとよりも先が見えて、自分の計画を遂行するために他人の力と情熱をふるいたたせるだけの、手腕ないしは機略をもっている人間のことだ』  『若きウェルテルの悩み』より


ここでゲーテが<自分の計画を遂行するために『他人の力』と『情熱』をふるいたたせる>というように、他人の力と情熱を挙げ、つまりその多大な力を理解しているというのがすごいと思う。

僕たちはまず、一般論として―それはしばしば誤解を生むものだが―、『自力で』というところに至高性を感じる傾向があるのではなかろうか。

これは特に、すでに秀でた力を持っている者によく見られ―努力家や孤高の天才と呼ばれる人たちが意外にも輝かしい成果をえられていない場合が多いことからみても分る―、そのひたむきさと孤高さのあまり、助力や協力の計り知れないエネルギーに気がつかないか、利用できていないのである。

誰しもが自分の力を過大評価し、逆に他人はみくびるという傾向がある。

自分も所詮は一個の人間、生命体であり、どれほどの能力を持とうとも、一人は二人には勝らない。

人の数はすなわち力である。

人の数の多さはそのまま知力をも意味する。

それを具体的に把握しうるものこそ優れた目をもった人間といわなければならない。

そうして得られる『力』をどのように使うか、何に使うかが問題なのである。

この『力』は諸刃の剣で使い方を間違えば、もちろん多大な損害をもたらすだろうし、容易にそれを食い止めることは不可能である。

また、先を見るとはどういうことなのか?という疑問が生ずるが、これはある意味では簡単にいうことができるように思う。

人間のつくりだす社会、世界というものがどういう方向を持って進んでいくのかということを検討してみると、それは『全体から個』、『分離から統一』であることがわかる。

それは人間が求める『自由』と『共存』ということであろうかと思う。
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周りを森に囲まれた一軒宿 本物の硫黄泉『佐野川温泉』 

静岡県富士宮市から富士川沿いにずっと上流側へ、山梨県南部に向かって走った。

富士山のお膝元、富士宮市は案外発展途上で幹線道路も道幅が狭く、夕暮れ迫る時間帯には入り乱れる小路にも車が交じり混雑していた。

段々に目に留まる家々が少なくなっていく、川幅も狭くなる。

峠は2つばかり越えたろうか。

国道にぶつかり、すぐに県道に入る。

すると『佐野川温泉』の看板が目に飛び込んできて、案内にしたがい、いくぶん粗末な舗装のみされた林道を進むと右手に見えた。

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旅館の名がズバリ『佐野川温泉』。

この一軒のみの温泉場、佐野川温泉はそのままこの旅館を指すのである。

回りを山に囲まれ、少し離れて富士川に流れ込む支流佐野川がゆるやかに流れる。

はて、僕はどこにやってきたのだろうな?と疑問に感じるほど世俗から脱してしまっている。

古き湯治場の旅館といったたたずまい、大きな一枚ガラスに白文字で縦に「佐野川温泉」とある。

引き戸ではなく、自動ドアであったが、スキー場の山小屋くらいでしかあまり見られない玄関のつくりである。

カウンターらしいカウンターはない。

入ってすぐ雑然としたお土産コーナーがあり、右に目をやるとひっこんだところに番頭台の趣きさえある受付があった。

通された部屋は8畳ほどの小さな和室であったが、最近改装されたようで畳や壁、納戸に至るまできれいであった。

チェックインの予定時刻に大幅に遅れてしまったので、心配をして連絡をくださったり、食事の時間も迅速に対応していただけて、その対応ぶりは小さいお宿ならでは、行き届いたものであり満足だった。

食事には地のもので、旬の味覚が並んだ。

たけのこの煮物、鮎の塩焼き、ぜんまいの天ぷら、茶碗蒸しと種類も豊富でなんとか食べきれるというくらいに量・質共にハイクオリティだった。

なによりうれしいのが、年中同一料金9,500円(税抜)であることだ。

料理を頂いた時点で、10,000円でこれほどの夕食が出されるとはと恐れ入ったものだ。

さて、食事をすませて待望の温泉である。

このブログに度々登場する「温泉遺産」に登録されている『佐野川温泉』はすでに期待値MAXであった。

宿に滞在中、つねに日帰りを含めた入浴客が旅館をにぎわしていたところでも人気の程、ひいては人をとりこにする泉質のよさを期待させるに十分だった。

img_1510640_63024200_1.jpg

内風呂は源泉と源泉加熱の二つにわかれており、露天風呂は画像にあるように、奥に源泉、手前に源泉加熱という構成。

おもしろいことに、このどれもが温度が異なっていて、考えられたつくり―温泉を丁寧に扱っているという、うやうやしさまで感じるほどだ。

この源泉は温水プールくらいに考えてもらうといいかもしれない、つまり初夏から晩夏にかけて心地よくかんじる程度の温度であるから、その時期に入浴するのが一番適しているだろう。

しかし、内風呂の源泉加熱はおそらく誰にでも心地よく感じられるのではないかと思うほどに適温中の適温、しばらく入るとのぼせてしまうくらいに設定されており、源泉と交互に浸かることで十分に源泉を楽しめるようになっていた。

まず内風呂源泉加熱で体を温める。

驚くほど体が芯からぽかぽかになってくる。

そして、内風呂の源泉につかる。

源泉がごぼごぼと不規則な量流れ出る湯口にはコップが置かれ、飲泉も可能なので、ほてった体を内側からも癒すと同時にまろやかな腐乱臭のするやわらかな硫黄泉は内臓に染み渡り浄化してくれそうだ。

慣れていないとやや、違和感を体内に感じるが、それは悪影響を及ぼす感覚を与えなかった。

浴室内は無論、硫黄臭に満たされているが、湯面に近づけば濃厚な硫黄泉であることが鼻を通して納得がいく。

そうして体を慣らして、いよいよ露天風呂へ。

源泉は温泉だと思って入ると、やや違う感が生じるので、プールくらいに考えるといい気持がした。

もっとも源泉に近いらしく、湯口付近では体に粒のはっきり分かる程度の気泡がたくさん吸い付いた。

よくわからないが、肌触りがやさしい。

隣にある源泉加熱はやや温かくなっている程度なので、長湯にちょうどよい。

体の冷えを感じたら、また内風呂源泉加熱に戻ればよい。

自分なりにこだわりの入り方を実践しているとなんだか楽しい心持になるものだ。

若い宿泊客が少ないためか、宿の主人からどこから来たのかや、どうして知ったのかなどを聞かれ、すこし談話に花が咲いた。

行くまではすこし骨折れるが、そうして得られる報酬のごときものは想像以上に価値を持ったものであった。
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『空想は世界に広げる純白のキャンバス』


『ぼくは外国にいるあいだ、ほとんどいつも同じスイスの片田舎に暮らして、ほんのときおり、どこかあまり遠くないところへ出かけるだけでしたもの、何をお教えできるもんですか。

はじめのうちは、ただ退屈しないというまででしたが、からだのほうはずんずんよくなりました。

そのうちに、ぼくは毎日の日が貴く思われだしました。

日がたつにつれていよいよ貴くなってくるのが、ぼく自身にも気がつきました。

毎晩、満足しきって床に入るのですが、朝目がさめたときは、もっともっと幸福なのでした。

なぜそうなのか、―それはかなり説明が困難です』

『それで、あなたはどこへもいらっしゃらなかったんですね、どこへも行きたいとはお思いにならなかったんですね?』とアレクサンドラが問いかけた。

『はじめのうち、ごくはじめのうちは、まったく行きたいと思いました。

そしてぼくは激しい不安に陥りました。

どんなふうに暮らしたものかと考えたり、自分の運命を試してみたかったりして、ときおり非常に煩悶したものです。

あなたがたもおわかりでしょうが、よくそんなときがあるものです、ことにひとりきりでいるとなおさらね。

ぼくのいたその村に滝が一つありました。

あまり大きくはなかったが、白い泡を立てながら騒々しく、高い山の上から細い糸のようになって、ほとんど垂直に落ちてくるのです。

ずいぶん高い滝でありながら、妙に低く見えました。

そして、家から半露里もあるのに、五十歩くらいしかないような気がする。

ぼくは毎晩その音をきくのが好きでしたが、そういうときによく激しい不安に襲われたものです。

それからまた、よく真っ昼間にどこかの山にのぼって、大きな樹脂の多い老松に取り巻かれながら、ただひとり山中に立っていますと、やはりそうした不安が襲ってきます。

頂上の岩の上には中世紀ごろの古い城の廃址があって、はるかしたのほうにはぼくのいる村が、見えるか見えないくらいにながめられます。

太陽はぎらぎら光って、空は青く、すごいような静けさがあたりを領している。

そのときです、そのときぼくはどこかへ行きたいという気持になりました。

もしこれをまっすぐにいつまでもいつまでも歩いて行って、あの地と空が相接している線の向こうまで行ったら、ありとある謎はすっかり解けてしまって、ここでわれわれが生活しているより百倍も千倍も強健で、にぎやかな、新しい生活を発見することができるのだ、というような気がしました。

それから、しじゅうナポリみたいな大きな町が空想に浮んできました。

その中には宮殿、喧騒、轟音、生命……なんでもあるといった具合に……ほんとうに、なにやかやいろんなことを空想しました!

それからのちになって、ぼくは牢屋の中でも偉大な生活を発見できると考えるようになりました』   『白痴』より


つねに自分の生活や人間性に疑いを持ち、不安になる。

これが自分の求めてきた生き方、人生なのだろうか、そも生きるべき人生というものがあるのだろうか、人生をそれほどまでに重宝する必要が本来あるのだろうか。

自分が意識をもつようになったとき、すでに世界は存在していた。

光があり、山があり、水を欲することが自明であった。

自意識が発展していくこと、それは世界が細分化されていくということ。

はじめ、世界は光だけであって、しばらくして闇が訪れた。

それは昼と夜、世界は単純に二分されて、僕の眼前にあった。

それはどうしようもない、自分の力の及ばぬところに厳として存在していることであると、無意識のうちに知り、あるとき認識するに至った。

三食の食事という人間生活のルールによって世界は三つに分かれた。

次に、夜、昼、学校、食事と四つに分かれた。

こうして一日は細かく分けられていき、その一日は一年の中にきっちりと365分割されて収まっていた。

ところが、年数を経たあるとき、一年が366日である場合が規則的にあることを知り、世界はそのように複雑に見えるようになっていった。

また、もう一つ大きな視点でみると、そこにも四年に一度という規則を見出すに至った。

僕は人生や生活をシンプルにしていくことで充実や幸福を実現できるのだと考えてきたのだが、実際のところ顧みてみると日々の色分けを細かくしていくことで人生をなるべく細分化していき、その結果量的豊かさをそのまま幸福ということに結び付けてしまっていたという矛盾にぶつかった。

ムイシュキン公爵(先ほどの引用中の人物)が至った心境というのは、たんなる空想ではない空想を現実に投影した高次元の精神作用であるように思う。

時間や空間というものに僕たちはクセでつい、捕らえられてしまうわけだが―最近は遠く見晴らせる丘も星屑ちらばる夜空を眺める畦道も多くはなくなってしまった。

見えるものはつねに現実であり、経済の回転である。

僕たちにとって今は見えぬ世界などという大いなる希望が奪われてしまった!

海の先に何があるのだろう?

争いに満ちた、醜い世界があることを僕たちは知っている。

星空の向こう側はどうなっているのだろう?

人知を超えた不可解な物理現象の始まりから続く加速度的運動である。

空想は純白のキャンバスだ、現実的、物質的理解はそのまえにごたごたと並べられる障害物に過ぎない。

そうしたものによって僕たちは一層空想も、希望も見えなくなってしまっている。

もういちどそうした純白の空想を広げてみること、それは大いに生活を豊かにしてくれるだろう。
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心境の変化、「文学」から「啓蒙」へ


ブログを書き始めてこの方、記事の内容をよくしよう、よくしようということばかりを意識して、書くことばかりに重点を置いていた。

それも当然といえば、当然かもしれない。

とにかく書かなければ、人の目に触れることはないし、また触れたとしてもその内容がつまらないものであればもっと悪いことである。

そんなものを人の目に触れさせてはいけない。

人の時間を割いてもらうわけだから、こちらとしてもそれなりの覚悟と気概を持っていなければいけないのである。

毎日書いていたって、そう劇的に力がつくわけでもなければ、新しい考えが生まれるわけでもない、だから並んだ記事を見てみるとどれもおなじようなことばかり、同等の脳内から抽出された概念の表出だと一蹴することもできよう。

もう一度、なぜ書くのかということを自分に問い直してみると、当初は内村鑑三が著書『後年への最大遺物』の中でいう、『文学』をやるためという、決して自分の内側から沸いてきた意欲でもない、漠としたものであった。

昨日、コミュニケーションについて考えたところからもその傾向がみられるように、少しばかり「他者」に対する意識というものが生まれてきているのだということを実感する。

今日も実は、あるすばらしいブログ記事をお書きになっていらっしゃる方に交流していただけるよう挨拶をしました。

そうした裁量を多分にもっていらっしゃる方による充実した内容のブログに出会うと、ただただすばらしいな、関心・興味を引かれるな、とただただ少年時代に自分のものさしを超える大きなものに出会ったときのような感動を受けます。

自分の動機がこうしてやや変化し、他者を意識したもの―自分で考えてみると、「啓蒙」という概念がぼんやりと浮んでくるようである。

であるならば、別段僕自身がどうこうしようと無理に躍起になる必要はなく、そうしたすばらしいブログへの道筋として、入口としての役割というのでもぜんぜんいいのではないかという気持になった。

今後もすばらしいブログを開拓、発見し、それらをリンクし、それが増えていくことで、少しでも「啓蒙」というものがすこしでもできるようになると望ましいと心境の変化が得られた、今日この頃であった。
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コミュニケーションの本質


『あなたとぼくとは、うわべから見るとまるで種類が違った人間です……

その、いろいろな点から見てですね。

だから、とても共通点などはたいしてなさそうに思われます。

けれど、ぼく一個としては、こういう考えかたは信用していないんです。

なぜって、われわれが共通点なんかないと思っている場合にも、案外それがあるもんですからね……

これは人間の無精からおこることなんです。

人間というものはうわべばかりでいろいろに分類されちゃって、その奥に隠れているものを認めることができないのです……』  『白痴』ドストエフスキー著より


現代はコミュニケーションの方法が多様化していて、対話のみならず、音声のみの電話や字面のみのメールといったように限定的なものであってもその種類も色々である。

それぞれに特有のアイテムによって成り立ち、その用法はコミュニティ単位によっても異なっているというようになかなかに難しい面も含んでいる。

そういう見た目、イメージによって、とっつきにくかったり―僕自身もそうだが、SNSやLINEといった場やツールに対して消極的である―するが、大事であり、かつ人々の要求するところのものはその中身であり、どのようにしてや何によってということは実のところ関係のないようである。

現に、僕は自分がこうしてブログというアイテムによって、少なからずおなじような手法をとって表現をしている方たちと交流するようになるとは想像さえしなかったのだが、やってみると案外楽しく、実りある時間や他者との交わりが実現できているわけだ。

その重要な要素は、自ら積極的に発信し、接触を試みようとする姿勢であるように思う。

会話と違い、時や場といった細かな制限が設けられておらず、相手に大きな自由度を持たせた接触というものが可能なのである。

問いかける姿勢と、誠実にそれに答える心構え、相手に関心を持って、互いを知り、相手を通して、世界を眺め、知ろうとする好奇心。

そうしたものによってコミュニケーションを行おうとすれば、どうしてうまくいかないことがあろう?

僕たちはすぐに身勝手に、杓子定規、偏見、先入観に縛られ、コミュニケーションをおろそかにしてしまう。

愉快な会話は本来相手を選ぶべきものではない、それは田舎のローカル線など旅先において実感することだ、その土地の話や相手の近況などを話していると思いのほか愉快に会話ははずんでいく。

相手本位にたって世界を眺めてみようという余裕を持つと、自然と自らも愉快になるのだろうと思う。
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『贅沢を支えるものは苦役・貧困である』


『少数の貧しいひとたちはどんなふうに暮らしているのだろう?

おそらく、一部のひとびとの外面的な生活環境が未開人よりもよくなるにつれて、ほかのひとびとのそれは、未開人よりもわるくなっていったのであろう。

ある階級の贅沢は、他の階級の貧困によってつりあいを保っている。

一方に宮殿があれば、他方には救貧院と「もの言わぬ貧民」がある。

歴代ファラオの墓となるピラミッドを築いた無数のひとびとは、ニンニクを食べて生きていた。

おそらく彼らはまともな埋葬さえしてもらえなかったであろう。

宮殿の蛇腹を仕上げた石工は、夜になるとインディアンのウィグワムよりも粗末な小屋に帰っていくかもしれない』   『森の生活』より


もはやこんなことは常識であってしかるべきで、誰しもこうしたことを感じなければこれだけインターネットなどでつながる世界にあって、まったくの愚鈍者といって差し支えない。

身の回りの生活用品を見てみればわかるだろう、そのほとんどがmade in chinaだということが。

そこには彼らの貧しき生活があるのだ。

僕たちの生活を豊かにしているあらゆるものの大元、末端はそうした人々の苦役や貧困である。

チョコレートやコーヒーは近年取り上げられることが多いように感じるが、それでもどうしても僕たちには実感がわかない。

フェアトレードといわれても、どこがどうフェアなのか、こちらの都合で決まっていることに過ぎない。

カカオの生産地の子どもたちがチョコレートを味わったことも見たこともないという話である。

自分たちがなにをしているのか、なんのためにしているのかを知らず、健気に働いているのだ、粗悪な環境の中で。

もちろん、彼らは自分に生活のためと言い聞かせ、そう信じて疑わない、それ以外の考えも与えられていないのだろう。

他方、僕は旅が好きなので、つまり歴史的建造物が好きだったりするわけだが、そうした建造物をみるにつけ、複雑な心境に至らざるを得ない。

そうしたべらぼうなものというのは、一言に権力の象徴であり、権力とは苦しみと同等である。

そこには人々の苦しみの結晶が具現化されているのだと思うといったい僕は何に感動し、何を好んでいるのだろうか?と自己嫌悪、自己矛盾、自己不信に陥ってしまう。

しかし、それもまた意味のないことである。

自然界において同等、平等というのは限りなくゼロに近いある一瞬、一点なのである。

少しでも外力やバランスを失えば、そちらの側に一気にバランスを崩す方に構成物は流れ込む。

だからといってバランスを崩したまま黙殺していてはいけない、天秤のごとく、静止させることはできないまでも、ゆらゆらと均衡を保たせるような努力、活動をしていかなければ、格差、苦役・貧困はなくならないのである。
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動物たちに親しむ 『富士サファリパーク』


地上最速を誇るチーターは思いのほか頭部が小さく、類似するヒョウとの見分けも容易で目元に黒く涙が伝うように模様があるかどうか、あればチーターである。

偶然チーターの生まれて間もない赤ちゃんの姿も見ることができた。

とても肉食獣とは思えぬほど、お母さんのそばでのんびりと甘えていた。

やがて本能のままに狩りをすることになるのだと思うと、時の流れは残酷であり、自然は厳しいなあと感じざるをえなかった。

また目玉の見所、アジアゾウの親子が仲良く暮らす姿も見ることができた。

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ヒトでいう上唇と鼻に相当する部分が筋肉などを持って発達し、合わさったような構造をしているのだそうだ。

こうして、自然界で生き抜くための独自の進化を目の当たりのして、動物の多様性や神秘を感じることは貴重な体験である。

ちなみに、ゾウにはざっくり大きくアジアゾウとアフリカゾウがいるようで、写真にあるような耳が小さく、背中が丸いのがアジアゾウの特徴であり、アフリカゾウの耳はもっと大きい。

アフリカの広い草原で敵から身を守るために、遠くの物音を聴覚するのに適しているのだろう。

こうしておよそ50分の園内バスによるサファリゾーン体験が終った。

飼育されている動物たちとは異なり、不自然な清潔感や律儀さがなく、自由にのびのびと平和に暮らしている姿にこちらも癒される、生物の尊さを知ることができたのは大きかった。

富士山をバックに軽食をとり、ふれあいゾーンというおとなしい動物や小動物が飼育されている箇所をまわった。

ライオンキングでリズミカルで愉快なキャラで親しまれるプンバとティモンのモデルとなったイボイノシシとミーアキャットが向かい合うように飼育され、思わず愉快な気分になった。

ミーアキャットは群れで生活するのだが、終始力比べのような小競り合いを何匹かの固体はやっていた。

あるものは築山の上でひとり太陽を拝むポーズをとり、滑稽であった。
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最低限の正義


僕は友の涙をはじめて見た。

彼の名は善之といった。

彼は身寄りのものがなく、日々の生活に苦しかった。

何よりも貧しかったのだ。

それでもひたむきに労働に励んでは快活にしている彼を僕は少なからず尊敬もしていた。

ある日彼は普段やらない金庫番を任せられ、その日の売り上げの集計をチェックしていたところ、10,000円合わないことがわかり、その誤りの真偽とその出所を検証した。

入念な彼は金庫の投入口にあるわずかな隙間を見つけ、そこをその原因とにらみ、早速分解をしてみると、予想通りそこに一万円札のくしゃっと折曲がったものがあった。

しかし、驚いたことにそうした一万円札は一枚だけではなかった。

組織的なお金の扱いに不慣れな彼は、この事態を尋常でないと考え、すぐに先輩の元へ報告と指示を仰ぎにいった。

その先輩は分解された投入口を覗き込むと驚きの目をみはった。

善之は「やばくないですか?」と不安げに先輩に問いかけた。

彼は先輩を煩わせてはいけないと、投入口に腕をいれ、いくらかあるくしゃくしゃになった紙幣を取り出そうとした。

すると先輩は「おい、だすな」と彼を制止した。

その言い方は平静を装ったいやらしさを含んでいるように善之は感じた。

彼に取って代わって、先輩がゆっくりと手を投入口につっこみ、手探りで金勘定を始めた。

「5万あるぞ」

善之はなんてずさんな仕事をしている職場なんだ!と内心不満を感じた。

しかし先輩はそれほど良心的な考えをせず、狡猾にその事態を受け止めていた。

「おい、いくら足りなかったんだ?」にやりと悪そうに歯を見せながら先輩は聞いた。

「1万です」普段どおりに善之は答えた。彼は今後の展開をまったく予想できていなかったのだ。

彼は善良にできすぎた人間であった。

悪巧みや、ひとを陥れようという考えさえ抱いたことがない白痴のようですらあった。

善之の後輩が騒ぎを聞きつけてやってきていたので、そこには3人がいる形であった。

「4万を3で割るといくらだ?1万3千か」

先輩は不服そうに、手元の少ない札束を眺めた。

「1万ずつであと1万はじゃんけんだな」

善之は微笑しながら応じるしかなかった。

「おい、じゃんけんするぞ」と後輩に呼びかける先輩。

「なんのじゃんけんですか?」と事態を把握していない後輩が答えると「じゃあ、2万ずつわけるからいいよ」と先輩。

「やります、やります」と後輩も加わってのじゃんけんである。

結果はその後輩が勝ち、2万円をせしめた。

去り際に先輩が善之に「あのバカが2万とっちまったぜ」と悔しそうに顔をしかめた。

善之は運動部で青春を過ごしたため、上下関係に適するふるまいになれてしまっていた。

それが社会に出てからも抜けておらず、先輩は絶対であり、先輩に恥を欠かせるようなことはできないのであった。

彼は最初、先輩がそうしたずさんな状況を見て、適切な対処をとってくれるだろうと半ば確信していた。

だから、彼は真っ先に先輩のもとへ報告にいったのである。

ところがこれ幸いと会社に帰するべきはずの売り上げの一部を着服することを先輩は思いたったのであった。

しかしそれは、完全に明るみにならない、ばれない所業であり、罪であった。

それゆえに善之はその悪行を止めることに躊躇したのだ。

それは先輩を悪として扱うことであり、今後の業務に少なからず影響するきらいもなくはなかった。

悪を善で打ち負かすほど彼は強い人間ではなく、正しい人間でもなかった。

同時に、自分自身にはその悪に便乗することを断じて許さない真面目な人間でもあった。

彼は先輩が行ってから、こっそり会社の予備金として収める所定のところへ一万円札をねじこんだ。

できれば彼はその行動を後輩には示しておきたかった。

しかしそれは自分自身を先輩よりも善良にみせつける演技のように思われて、善之にはできなかった。

ただ、表向きでは悪を行いながら、自分自身に正直であるという自己満足に終ったのである。

彼は正義に泣いたのだ。

彼の先輩に対する信頼は失われた。

また自分自身がそうした罪のきっかけを与えたことを悔いた。

後輩も罪に荷担した結果となった。彼はそれほどはっきりとした頭脳をもってはいなかったのだ。

善之はもしばれたとしたら、罪を認めることを心に決めていた。

その結果会社を辞めなければならないだろうということを覚悟していた。

彼は最低限の正義を貫くことしかできなかったのである。

そして、たくさんのものを失うことになったのだ。
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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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