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成長ではなく充実を


僕は比較的自由な生活を送っている。

それはそのまま幸せな人生を歩んでいるということになる。

にもかかわらず僕には常に、一種の罪悪感がつきまとい、それに悩まされている。

悩みというのは大体において外界からの作用によるところが多く、またそれがゆえに悩みであるといういいかたもできるかもしれない。

自らの働きかけについての悩みというのはいまいちよくわからない。

それは意気地がないか、臆病かそれらに類する性情に問題があって、悩むことによって逃避しているに過ぎない。

だから僕は自分の能力や行動について悩んだことはない。

注意深く観察してみれば、大方の人は自分に悩んでいるのではないに違いない。

他者や環境などに悩んでいるだけなのだ。

さて、僕が何に一番悩んでいるのか。

それは本来誰しもに与えられているはずの自由を大切に保とうと努力しているだけなのだが、ほとんどの人が好き勝手にあたかもその自由を申し合わせたように譲り合って、損なっていて、その上善良ぶっていることである。

なぜ僕たちは苦労したり、不自由であったりすることが美徳で、すばらしいことだと教えられたのだろう。

また楽しく、身勝手であることを幸福で自由であることと取り違えて認識してしまっているのだろう。

苦労も、不自由も悩みも必要ないはずで、卑しむべきものである。

同じく、独りよがりな楽しみ、身勝手、贅沢も嫌悪すべきものである。

成長ではなく充実を考える生き方も悪くないと思う。

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夏目漱石『彼岸過迄』 登場人物の厚みが足らない 余裕と血みどろの間


僕は少なからずこうして至って真面目に自分の思いや出来事を綴っている。

そうであるから、できることならば文才と多彩な言い回し、表現を駆使しながらできるだけ思いをそのまま損なうことなく表すことができたらとおもう。

そうした思いから、小説を読むときにはその話の筋やテーマのみならず、どのように書かれているか、そのひとつひとつの表現、言葉にも注意して教科書を読むように読む。

そうした日本語表現を学ぶ上で適した教科書となりうるのは夏目漱石の作品であると僕は考えているし、感じている。

森鴎外や三島由紀夫も同様に優れていると思うが、好みの関係で僕は漱石を一番に置く。

文学史では漱石には大きく分けて、前期三部作、後期三部作という二つが存在する。

僕は久しい以前に『三四郎』『それから』『門』の前期三部作をその流れを汲んだ上で読んだ。

そして後期三部作の最後とされる『こころ』は高校の授業で読んだほか、それ以後も3度ほど読み返したとぼんやり記憶している。

僕にとってこの作品はかなり大きな意味を持っていて、もっとも好きなものの1つである。

にもかかわらず、僕はこの後期三部作というものに対して毫も関心を抱いていなかったように思う。

それは、この『こころ』が独立した圧倒的存在感を僕の中で有していて、それに対して外の要素との連関を持つことを必要としなかったからだ。

しかし、先ほどいった教科書的意味で文章を欲したときその後期三部作に取り組んでみることはあつらえ向きであるという思いに至った。

そうした経緯によって今回『彼岸過迄』を読んだのだ。

僕は読んだ作品のあらすじを書き起こしてみることに興味を持たない。

また、その作品を分析し、論じてみることもまた好むところではない。

それに触れて、僕自身が何を感じ、どのように読んだのか、一体それは僕にとってなんであったのか?というような問題、事柄について書いてみたいのだ。

僕は今までに一般よりかは多く、漱石の作品を味わう体験に浴したと自負している。

そしてその作品中の人物の誰彼に自分の内心の反映や小気味よさを感じて、いつしか漱石を敬愛するようになっていた。

そんな彼が書いた『彼岸過迄』は今までとは少し違った印象と読後感を僕に与えた。

始まりのほうでは敬太郎が主人公のごとく見え、僕の意識は彼へと吸い付き、その姿勢で以て読みすすめることとなった。

またステッキが話の結末において、もしくは物語中で大きな事件の因子であるとの予想を自分の中でたてていた。

しかし、これらはまったく裏切られてしまった。

須永の煮え切らない感じはどうしても僕には理解ができなかった。

しかし、僕の友人のBに非常によく似ていることを発見した。

それは後のことであったのだが。

千代子もまた、卑屈を持たない控えめな女性性の持主であり、これは必ず不幸を生むに違いないとの思いを僕に抱かせた。

またこの作品以上に、漱石のまどろこしさと文章の贅肉を感じたものはない。

あえて穿たなくてもよい内情を穿ってみたり、ことさらにリアリティの構築を行っていたように思う。

登場人物の多さと描いている世界観のわりに人物の厚みが足らないという感じを感じざるを得なかった。

敬太郎が演じている役割を云々することは陳腐であり、またつまらないことであるように思う。

すべてをバランスよく書き上げ、問題を取り上げたがゆえのぼんやりとした読後感。

漱石の余裕と身を抉るかのような真にせまる厳しさのどっちつかずの作品といえよう。



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昨夜の夢 津波の影響 躊躇―自分だけを救うのか

昨夜は午後11時回ったときには布団の中に身を埋めていた。

それからそれほど時間をおかずに僕は眠りについていたようだ。

12時より前に眠りにつくことができたのは高校生のとき以来かもしれないと思ったほど、久しぶりの感じがあった。

事実はそうではないに違いないが、感じとして新鮮さがあったのだ。

そしてこんな夢を見た。

僕にはスノーボードが好きな友人がいる。

ここでは彼のことをKと呼ぶ。

Kは冬になると雪山に何度か繰り出す。

その内の数回は僕も誘ってくれたりして、都合が合えばもちろん連れて行ってもらうから、今までに何度か一緒に雪上を愉快に滑ったものだ。

そんな彼に誘われたらしく、彼とその仲間数人でゲレンデにやってきていた。

僕はあまりスノーボードをしないから、板をレンタルをするということになっていた。

実際は僕は初心者なりに板など最低限のものは持っているのだが、夢の中では板をもっていなかったようなのだ。

平生からやや抜けたところがある僕なので、そのときもレンタルしなければならない板をレンタルせずに中腹までリフトで上ってきてしまった。

いざ滑り降りようという段になって、僕は板のないことに気がつき、ちょうど隣で今にも滑ろうとしているKの友だちに「板がないんだけど、どうしたものかな?」と拍子抜け気味に聞いた。

「Kが今にとってきてくれるよ」と後方にいたKは僕の状態を察していたようで、猛然と斜面を滑り降り、板の先端を巧みに利用して、自転車のウィリーをやる原理で板を立て向きにして滑りながら、リフト乗り場を山上方面へ回りこみ、しばらく待っていると、通常の板とはやや形状の異なる―通常のものを半分にした形―のをもって来てくれた。

さぁ、始めようと足元へその板を持ってくると今度は足を収める部品がついていなかった。

今回は仕方がないから自分でリフトから遠くない事務所のような建物に部品をつけてもらいに歩いていった。

建物の中は灯かりがついていなくて、人影も見えなかった。

薄気味悪いのと、寒いのとで僕は大してその中を探しもせずにまたゲレンデに戻り、眼下に見える次のリフト地点の建物でその用を足そうと考えた。

滑り降りていくわけに行かなかったはずだが、どういうわけかその事務所前についていた。

夢であるから細かいところは記憶に残っていない。

ひょっとしたら歩いたのか、リフトを使ったのかその辺りだろうと思う。

今度は先ほどのより幾分小さめの小屋のような建物だった。

その入口のところには作業中とかなんとか、今は受け付けられないといったような文句が張り紙してあった。

だが、その扉は錠がかかっていなかったので中へ入ってひょっとしたら係りの人がやってくるかもとの期待しながら待つことにした。

そばにはそこで親しくなった同年代の男がいて、そのほか係員らしき二人の人物が部屋に居合わせていた。

ぼくはその同年代の男と窓を開け放って、そこからときどき顔を出して下方をみやりながら何気ない会話をしていた。

さっき小屋だと思っていた建物は足組みが50メートルほど下を流れる川近くから始まっている建物であった。

同年代の男は何気なく窓から大きめの石のようなものを川の流れの中へ落とした。

数秒の後にその石は水しぶきを上げて水中に消えた。

その流れの乱れが戻る前に二匹の大きな魚―到底川にはいるとは考えられないほどの大きさ―がその石を追うようにこの建物の足場の基から現れたように見えた。

それを予感したのか、部屋に居合わせた係員らしき一人の男が「おい、建物が滑り落ちるぞ!」と叫んだ。

みるみるうちに窓外の景色が斜めに傾いていくのがわかった。

僕は始め、冷静になれなくてわからなかったのだが、状況と今までの経緯を考えてみると、どうもあの二匹の大魚がこの建物の足場として使われていたらしい。

それをこの今親しくなったばかりの男が石でもって結果、その礎を崩してしまったも同然であった。

そのまま川下へたたきつけられるのかと思っていたところ、山上から大水が津波のごとくやってきて、この建物を足場ごと飲み込もうとものすごい勢いでせまってきた。

僕はとっさに衣服を脱ぎ捨て―服を着ていると水中で動きが取れないと思ったからだが、懸命に足下の床から離れないようにした。

窓外に流れをかわせそうな柔らかなネットが見えたので一心に身をそちらのほうへもっていって捕まり、上方へ上ろうと力を込めようとした途端にさっきまで同じ部屋にいた3人のことが心配になった。

<自分だけ助かっていいのか?

自分だけ助かろうとしているのは間違いじゃないのか?

いま知合っただけでなんの情もないとしても、それがなんだというのだ>

僕はそうして一瞬の躊躇をした。

そして・・・それからの記憶はない。

実際に経験しなかった津波が僕の深層心理の中にまで大きな影響を与えていることがまず大きな驚きであった。

また、死ぬときはこんなものなのか知らんとも呑気に考えた。

単なる夢であるが、なんとなく考えるものがあった夢であった。
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習作 

大学院へ進学し、基礎研究はもちろんのこと、教授の右腕として学生の指導にも力を入れる山下はGWを前に少し疲れが足を重くしているのを気にしながら今週の予定を頭の中で調べていた。

「金曜日は午前中で授業が終るから、久しぶりにプロ野球でもナゴヤドームへ見に行こう。

たとえ遅くなったとしても次の日が土曜日であってみれば、大した不具合もなさそうだ」

講義室の比較的密度の低い通路に近くに座を占めた彼はスマホを取り出し、講義開始までのつかの間の時間を抜け目なく利用した。

<お久しぶりです。もう四月も終ろうとしてしまっていますが、近々暇ですか?>

彼が誘おうと思ったのはかつて講義を共に受けていた、年齢は1つ上の松本だった。

松本とはときどき遊びに出かけるほどの仲であるのだが、自分の卒業研究やその他もろもろの学業関係に忙しく、一年近くまともに半日を使って遊んだりはしなかった。

また相手の松本の方も、境遇は異なるもののやはり自分の日々を送っていた。

山下は彼が時間の融通を利かせることができるのを知っていたので、すでに野球観戦を行けるものとして脳内で終末の予定の穴を埋めた。

疲れを感じていた彼には幸いにもノートを取って復習を怠らなければなんの障害も起こらない、受動的な講義であったため、90分をぼんやりと過ごしていればよかった。


ブーッ、ブーッとジーンズの表面を携帯電話がしびれさせた。

松本は相手の話に糸をたぐって丁寧により合わせるように誠実な態度で耳を傾けていた。

その作業がこの無機質な感触によって一瞬止められたが、何事もなかったようにまた元の体制に戻った。

学生街の中型店舗が並ぶ一帯にあるモダンな近頃、主要駅のみならず地方にも展開してきている米国発祥のカフェ内は平日の昼下がりにもかかわらず、カップをテーブルに置く音が当たりに散らばっていた。

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親不孝と無精

『だから僕は母をできるだけ大事にしなければ済まない。

が、実際はおなじ源因が却って僕を我儘にしている。

僕は去年学校を卒業してから今日まで、まだ就職という問題について唯の一日も頭を使ったことがない。

出た時の成績は寧ろ好い方であった。

席次を目安に人を採る今の習慣を利用しようと思えば、随分友達を羨ましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。

現に一度はある方面から人選の委託を受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえ有っている。

それだのに僕は動かなかった。

固より自慢でこう云う話をするのではない。

真底を打ち明ければ寧ろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引込み思案なのだから不愉快である。

が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持て囃された所で何処がどうしたんだという横着は、無論断わる時から付け纏っていた。

僕は時めくために生れた男ではないと思う。

法律などを修めないで、植物学か天文学でもやったらまだ性に合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。

僕は世間に対しては甚だ気の弱い癖に、自分に対しては大半辛抱の好い男だからそう思うのである。

こういう僕の我儘を我儘なりに通してくれるものは、云うまでもなく父が遺していった僅かばかりの財産である。

もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦わなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改めて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分の我儘はこの財産のためにやっと存在を許されているのだから余程腰の坐らない浅墓なものに違いないと推断する。

そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる』   『彼岸過迄』夏目漱石著より


僕に限ったことではないかもしれないが、とにかく夏目漱石の著作に登場する主人公及び中心人物は僕自身の投影であるかのごとく内面をそなえている。

また僕はこうした糸口なしになかなか自分の内面や心情を引き出せないことに気恥ずかしさを感じるとともに、浅はかさを痛感する。

僕はこの一節から高校時代と大学時代を思い起こさずにはいられなかった。

高校3年になって受験生となり、周囲が志望校を決め、進路を考え出していったときに僕は成績を上位で維持することだけを考え、大学のことについて頭を使ったことがなかった。

センター試験にしても内申書にしても並以上ではあったから望むならば周りが望み、目指しているような国公立大学も難なく行けたように思う―旧帝大ほどのレベルは厳しかったに違いないが。

推薦という話も進路指導の先生には進められたこともあった。

僕は大した理由もなく推薦という制度が嫌いであった。

考えてみれば何処というはっきりした志望校がないわけだから推薦というセフティーな選択に甘んじることが気に食わなかったのだろう。

僕は動かなかった。

クラスの皆が試験に奮闘し、進路についてナイーブになっている中、早くも浪人を決め込み、残りわずかの高校生活をぼんやりと眺めるのであった。

先生は最後まで僕にやる気の起こることを期待した。

僕はやる気がないわけではなかったから、固より先生とは懇談のときなどあまり取り合わなかった。

両親は勉強のための環境づくりに積極的に協力してくれたことを今でもよく覚えている。

それはその先に大学や将来役立つとの思いがあったからであろう。

それを思うと当時の僕はすこし胸が苦しくなった。

それでも浪人のすえになんとか大学へと進学することとなった。

僕は血迷ったことに二浪も厭わないと両親にたてをついたこともあった。

僕の元来の性質は全く変っていないのだから、大学時代にもまた同様な境遇へと歩を進めていった。

就職を考えないどころか、卒業さえ考えていなかった在学中の僕に、大学生活がそう長く続こう筈がなかった。

大学へいけたのも僕の家庭が並以上に裕福であったからに違いない。

そんな大学の卒業を考えないという傲慢ぶりといったら我ながら人畜のきわみである。

こうして呑気に文学まがいのことをやっていられるのも、要するにそうしたたまたま恵まれた環境に立たされ、両親の骨折りに乗じているに過ぎないのだ。

朝夕に気骨を折って、唯生きるために働くということに僕はどうしても首を縦にふることができなかったのだ。

自由と時間が僕にとっては限りなく貴重に思えて、それを一片一片、剥ぐように捧げることにしかどうしても我慢できないのだ。

ある意味で僕は不運であった。

もし医学や数学などの一心に身を呈して励むような学問から仕事へと進んでいくことができたのならば、きっとまわりや少なくとも家庭を幸せにできたに違いないのだ。
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世界遺産仁和寺『御室桜』とミツバツツジ 

兼好法師『徒然草』中の一話、「仁和寺にある法師」で著名な世界遺産『仁和寺』。

その境内を奥へと進んでいくと桜100選にも選出されている桜の名所『御室桜(おむろざくら)』という背丈の低く、遅咲きの桜で埋め尽くされた一帯がある。

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その桜で満たされた林の中は回遊できるようになっていて、多くの人が桜の目前に迫る外にはない美観を楽しんでいた。

桃色の門をくぐると視界の左方から大きなレフ版があるかのような明るさがぱっと広がった。

満開の御室桜はまばゆい日光を周囲に反射し、辺りは朗らかな陽気に包まれていた。

板敷きの通路を折れたところが撮影スポットになっていて、数多のこじんまりとした桜越しに五重塔をフレーム内に納めることができる。

僕は本当に幸運だったと思う。

桜の季節の京都はとにかく混雑するので、早期に宿の予約と旅の計画をしておかなければ満足に旅を楽しむことができない。

だから1ヵ月前から桜の開花予想を調べ、自分なりに想定し日にちを決めなければならない。

しかも今年は東京で記録的な桜の早咲きが報じられていたので、やや難しさがあった。

運任せではあったが、仁和寺中門前には「御室桜 満開」の立て札があったのだ。

一週間ずれてしまっただけでも桜は見ごろをすぎてしまうことがあるのだから、幸運というよりほかないだろう。

桜と合わせて境内には三つ葉ツツジが多くその弱々しい低木の燃えるように薄紅紫色に揺らめかせる姿は参拝者を楽しませていた。

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長い柄杓でお地蔵様に水を掛けて祈願するというところもあり、国宝の金堂ありと見所満載であった。

最後に背丈の低い御室桜にちなんだ「わたしゃお多福、御室の桜、ハナが低ても人が好く」という言葉も知られている。

これは背丈の低くて美しい桜を愛嬌があって人に好かれるおたふくの鼻が低いことにかけておもしろく言ったとか。
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両親との衝突 尊敬する人


僕が以下のようなことを書くのは若い時代に誰しもが多少は味わうであろう普遍性を含んだものであるように思うし―それは僕自身の経験も含んでいる―そうした経験をした同世代がいると思えば励みにもなると思ったからだ。

僕は今まで何度となく両親と衝突した。

その度ごとに信頼と希望を少しずつ失っていった。

同時に、そのひとつひとつは僕を傷つけ、その傷は未だに残り、ときどき哀しみとなって疼くのだ。

あるとき僕は完全に両親と意見が食い違った。

彼等は固より意見を曲げようとはしなかった、寄り添おうとも、僕を理解しようともしなかった。

その上強制までしようとした。脅し文句に近い言葉さえ発した。

しかし僕も自分の選択の自由を譲らなかったし、それを真っ向から否定し、自らの良心の望むところを進んでいこうという決心を伝えた。

父は言った。

「おまえは一体なにを尊重し、だいたいそんな無茶なことをやろうとしているが、だれの感化を受けているんだ、親の言うことを素直に聞けないとは、尊敬している人はだれなんだ」

「尊敬している人を答えろというのなら、僕は夏目漱石を尊敬している。

そして僕はやはり自分の正しいと思うことに正直になりたいし、それをごまかすことは本当だとは思えない」

と僕はやや震えを感じながら答えた。両親に対する畏怖の念は持っていたのだ。

「俺は『尊敬しているのは両親です』と答えて欲しかったのに、寂しいなあ。

そんな教育をしたのかと思うと情けなくもなってくるな。

まったくお前には感謝の気持が足りない。

夏目漱石に育ててもらったのか?

夏目漱石がお前になにをしてくれた?

今まで愛情いっぱいに注意も怠らずに育て上げたのは両親だろ?

両親がいなければお前はなにもできなかったにもかかわらず、その恩を忘れて両親を尊敬することすらできないとは見上げたものだなあ。

だからそんな口も利けるし、折れようともしないんだ」

父は呆れ顔で言葉を自分で味わうようにゆっくりとした口調で言った。

<父は形式的に尊敬している人を聞いたから僕は形式的に夏目漱石と答えた。

僕にとって尊敬に値するとは歴史的に名を刻んでいる人こそがいわゆる形式的な尊敬にあたる人であって、そこに深い人情的な意味はない。

やはり、夏目漱石の残した作品はすばらしいと思うし、僕はたくさんのことを学んだし、勇気付けられたことが何度もあったから尊敬しても許されることと思ったのだ>

僕はこれほどまでに偏狭な父に絶望感を感じてしまった。

自分を尊敬しろという親は果たしてそうそういるものではないように思う。

しかも、実際に僕の父はそれほど教育に関係しなかったことを僕は幼少の頃の記憶として持っている。

だからこそ余計に、あれほどまでに僕の考えを否定されたことは強く僕の心に痛みを残した。
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人間とは『体温を上げて、それを保つ必要のある有機体』


これから書くことは当たり前のことだからって目を通していただいた方は気を悪くしないでもらいたい。

なぜそんな当たり前のことをわざわざ勿体をつけて記事にしようというのか?

私たちは、それがどんな優れた賢人であっても、思考の流れというようなものを持っていて、ひとつ所に留まることはない。

それは双眼鏡を覗き込んだときに必ずどこかに焦点が合っているように脳内にある思想体系の中のどこかにたまたまそのとき照準があっているだけなのである。

今、僕は当たり前のことを書くといったのだが、すでにそのことは僕の思想体系の中に含まれていて、「もちろんその通りだとも」と尋ねられれば容易に答えられるような性質のものである。

しかしながら、そこに照準が向いていなければ決して自分の脳内に実感を持って上ることのない、いわば埋まったままの思想なのである。

だからこそ、自分でこうした当たり前のことを自らの手で掘り起こして明るみに出してみたことは意味があるだろうと思うのだ。

『人間が外の動物と異なる点は衣服を着ることと、そこらに生えている雑草を食べることによって命をつなぐことはできない』

これが僕の思考に上ったある思想要素である。

当たり前だといって、本当に笑われそうなのだが、人生のおおよその縛りはこのことから引き出されているように思うほど、大事な概念であることはたしかだ。

衣服を着なければならないことはすなわち、自らの体温を保つことが難しいため、体温を保つ必要があるということだ。

衣食住と言われるところの、衣と住はまさに体温を保てないことによるものだ。

ここで気がつくことがある、では食はなんなのか?と考えをめぐらす前に、

食こそは体温を作り出すための燃料であるにすぎず、とどのつまり人間とはなにか?の哲学的命題に対して堂々と、

『体温を上げて、それを保つ必要のある有機体』

となりはしないだろうか?

僕が目指す生き方、『シンプルに生きる』ために最低限必要なのはこの体温に関係するものであることがわかった。

どれほど時代が流れようともこれはゆるぎない人間の条件として私たちの前に厳然と立ちはだかり、苦しめ続けるだろう。
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京都の夜のランドマーク『京都タワー』 京の街の灯台


食事を済ませ、すっかり夜の帳を下ろした京の街へ出た。

宿から10分足らずの京都タワー。

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海のない京都の街を照らす灯台をイメージして作られたというその姿は温かみのある柔らかな光に包まれ、凛とした印象を与える。

円をうまく配置し、独特の軽さを演出し、ビルの屋上に立つ異質なタワーでありながら、違和感を与えない。

むしろ、おもしろみやかわいさまで感じるほどだ。

きらめく街灯は月明かりを反射するさざなみの様・・・

京都の町並みは規制によるものであろうか、法外に高いビルもなく海面の如き穏やかに揺れて広がっている。

古からの時の流れに身を任せるように街をぶらぶら。

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展望台から望む京都の夜景は修学旅行のイメージの強い、古都京都とはまったく違った姿を見せる。

周囲を街に囲まれ、かつての繁栄を今に一見のもと感じることができる。

僕だけかもしれないが、京都タワーは意識しなければあまり、眼中に入ってこない、存在感の乏しいタワーのような気がする。

現に僕は数回京都の地を踏んでいるが、今回初めて京都タワーの全体を確認したのだ。

遠く清水寺まで望むことができて、エンターテイメント性も高い、京都の夜のランドマークである。

(京都の夜は早い。寺院仏閣はもちろんのこと、商店も早くしまってしまうところが多い。

観光シーズンにはライトアップされるところもあるが、京都タワーはそんな中にあって京都の夜の定番であろう。)
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芸能人のダイエットやブログによる稼ぎ方や売名行為


今インターネットを開いたら、僕はYahoo!JAPANをホームに設定しているのでそのトップ画面が現れるのだが、右隅のPR広告にまん丸に膨れたおなかを出した「山崎邦正」が現れた。

DHCのダイエットサプリメントの広告である。

斜に構えてしまっているがゆえの感情かもしれないが、

『金のためとあらば厳しい節制の下のダイエットさえも辞さない』

芸能人たちの金への執着、何でもかでも金に結び付けようとする姿勢に嫌気を催す。

きっとダイエットに成功すればそのサプリの会社から広告イメージ料をもらうという契約をしているのだろう。

それにしてもいかなる理由であれ、厳しい節制を自分に強いることのできるのはすごいことだと思うが、それ以上に金への根性の方が勝っているのだろうか?という憶測が浮んでくる。

芸能人ブログを見ればよくわかるが、あんなもの売名行為以外のなにものでもなく、ああした公共的娯楽を損なっているのは本当に腹が立つ。

アメブロは腐りきっていて、見るもの嫌なほどだ。

芸能人にしろ、アメブロガーにしろ、まともにがんばっている人が陰で存在していることと思うのだが、それだからこそ余計にそうした人たちを閑却するそうした行為に憤慨するのだ。

今日、ダイエット本が巷をにぎわしているが、本屋やテレビからなくなってほしい。

『ダイエットは食生活の見直しから、生活の見直し、人生の見直しへのきっかけになる可能性を持っているのだから』
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『自分のまず利益を考えてもいい、しかしそのあとでしっかりと還元すること、これは驕らないということである』


非常識な人、道理をわきまえない人というのはいつでもどこにでもいるもので、そういう自分自身も程度の差こそあれ、そうした無恥なふるまいを数多くしては相手の感情を害してしまっていることがあるだろう。

例えば、日本には由緒正しき、風格のある美しい神社が数多くあり、それは地元民の拠り所であり、また観光地ともなるほど人びとと密接に関わり、足を運ぶ人も多い。

僕もそうした一人で、一年の内でも色々な神社に足を運んでは神殿に手を合わせ、日ごろの無事と幸せを感謝し、加護と導きを願うのだが、やはりその際には謹んで作法に則って参拝をし、賽銭をしたり、神殿のみならず境内の神宿る神々しき神木などに興味を持つ必要があると思う。

こういう気持やふるまいは常識であり、道理をあきまえているといえるのではないかと思う。

逆にこうした、作法やふるまいを無視する、独りよがりな乱暴には僕は遺憾を覚える。

神社の参拝を例にとったが、お店を散らかすだけ散らかして平気で出て行く輩、自分の用だけ足して公衆トイレを汚して平気でいる勘違い者。

自分の目的や望みを叶えることだけに終らず、その先にいる人やあるものを考えるだけの心の余裕と思慮深さが必要だと強く感じたのだ。

なにかで自分が少なからず利益を被ることができたのならば、心底感謝し、その印に施しやなにか貢献をしようという気持にならなければならない。

まず、自分のまず利益を考えてもいい、しかしそのあとでしっかりと還元すること、これは驕らないということである。
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京町屋旅館『井筒安』 昔を今に伝える貴重な財産

京都駅から徒歩で10分足らずの好立地に居を構える1893年創業『旅館 井筒安(いづやす)』

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京都の中心部、車通りも激しい市街でありながら駐車場も備えられているから驚きだ。

鮮やかなベージュの土壁と風雨に晒され木目がくっきりと深みを増した格子戸が美しい外観。

こんな数寄屋造りの京町屋風情の宿に一度泊まってみたかった僕は戸を引く前から心が高鳴った。

玄関は一部屋つくれそうなほどの広さがあり、調和の取れた石畳が旅客を誘う。

地板には緋色のスリッパ丁寧に十組ほど並べられていた。

とっつきに古びた談話室があって、客室と業務棟が分けられているようなつくりになっていて、写真にある坪庭を廊下伝いにいくと2階立ての客室がある。

狭い空間でありながら侘び寂びという飾らず、引いていくという理念が無限の奥深さを演出している坪庭は僕のお気に入りとなった。

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部屋に案内されるとテーブルは塗装が剥げて黒のまばら模様が浮き出していて、引き戸や柱のきしみ具合も歴史を感じさせるものであった。

掛け軸や額に入った名手の筆なる書、床の間に活けられた芍薬など細かな調度も趣深かった。

障子の下部の窓からは箱庭のごとき庭が眺められる。

料理は贅を尽くし、見栄えのするご馳走といったものではなく、京料理を手軽に楽しめる―丁寧かつ繊細な調理、味付けのされた一皿、一皿が並ぶ町屋に似つかわしい優しく、温かみのある献立で大満足であった。

もっともすばらしいと思ったところは、部屋のトイレやお風呂場などの水回りが改装と手入れによって清潔に保たれていたことである。

古い建物でありながら、そうした難点を克服していく姿勢には頭の下がる思いであった。

帰り際、主人が先代から聞いた話によると、かつて明治時代に伏見まで旅館が面している横丁が伏見までつながっている関係で坂本竜馬などの志士がこの道を通っていたということを教えてくれた。

斬り合いが起こったときには格子戸を畳で押えていなければ、剣先が屋内に差し込んできてしまうので必死にみなで押えたのだそうだ。

それほど歴史をもつ建物で宿泊できたことはこの上ない幸せだと再認識した。
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「僕が考える幸福と一般的な成功は相反する」


僕は今になって気がついたのだ。

僕が考える幸福と一般的な成功が相反するものなのだということを。

恐らく、この世界には人の喜ぶことをして、仲間の輪を広げ、みんな楽しく、お金持ちになって、楽しいことをしたいだけするということに喜びと幸せを見出し大多数の人々と一方、社会を考え、より善い生き方、善、美、真理、自然や歴史を求め、そこに喜びを見出す少数の人々がいるのだろう。

前者が一般的な成功で後者が僕の考える幸福である。

僕は自分自身で少数派に属し、成功とは縁遠い人間であることに感づいている。

ある成功者がこんなことをいっていた。

『成功したいのならば、相手の喜ぶことをしなさい。

そしてその相手の喜びやその喜ぶ顔を見て喜びを感じられるのであれば成功できるのです』

そういう風に社会や経済は何でもかでも「ギブ アンド テイク」に帰着しがちである。

僕はこの考えは短絡的で間違いではないかと思う。

その喜ぶことというのが、果たして善であり、真理を含み、美しき輝きを持つものであるのかどうかという吟味を怠っているからだ。

相手が喜ばなくとも社会や自然のためにやらなければならないことがある。

原発問題にしても、経済、経済問題にしても大事な人命や自然を無視して、皮相的な利益や喜びを大義として不正がまかり通ってしまっている。

『相手が喜ぶかどうかの前に、それが正しいことなのかどうかを考えなければならない』

だいたい世の中のあらゆるものがどこかに損益をもたらしている結果の利益に過ぎないのではないか。

パチンコ屋もタバコ産業もいらない。

そうした愛好家を喜ばしているかもしれないが、社会悪のなにものでもない。

僕は少数派といった。

パチンコ屋の前を通れば平日にもかかわらず駐車場には幾台もの車が停まっているし、街は驚くほどたくさんのタバコで汚されている。

僕だって仲間は欲しい。

でも、少数派が仲間をつくっていけるほど、まだ世間は狭くはないし、人々の距離は遠いのだ。

近づいたとしても、大多数の人々がつくる群れに駆逐されてしまうのがおちだろう。

自然を喜ばせることにお金は発生しない。

人を喜ばせることでお金が発生する。

だから僕は成功しない。

人が喜ぶことはなぜかわからないが、自然を壊すこと、体を壊すこと、時間を浪費することなのだ。

お金のあるところにお金は生じ、お金のあるところに人は集まり、人の集まるところにお金は集まる。

成功を望む小さな者たちよ。

一刻も早くこの矛盾に気づき、己がどちらの人間に属しているのかもう一度確認すると良いと思う。

僕はひどく偉そうなことをいっている。

しかしながら、まわりの大人たちの身の程知らずにも無謀な成功を望み、時間を浪費しているのが見るに堪えないのだ。


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体調不良と睡眠不良

ここ2,3日、体調が優れなかった。

ゆっくり寝て回復を待てばいいと、振り返っては毎度のこと反省するのだけれど、そのときはただ横になることに罪悪感を覚えて、今日なんかでもやろうと思ってやれていないことをやってしまおうと、妙な意欲に駆られて結構念入りに洗車をしてしまった。

案の定、今日の夏日に近い気温の高さも手伝って、体のだるさが増長してしまい結局夕方から夕食までの間、布団に入っていなければならなかった。

最近の不規則な睡眠と慢性的な睡眠不良から考えれば当然の結果でそうした体質、体内時計を改善したいのだけれど、一向にその兆しは見えない。

体調がまだ万全でないにも関わらず、今晩もすんなりとは寝付かれないのであろう。

昨日辺りはやや食欲があって、内心ひそかに喜んだのだが疲れがたまっていたに過ぎなかっただけだった。

バリバリと働いて、活発に遊ぶというのが若者の真のあるべき姿で、そうでなければ本当でないのだろうけれど、どうも心身快調といいがたく、実感の想像すらおぼつかない。

心や感受性、感覚にエネルギーと神経を消費してしまって、おそらく常人よりも感動や感銘、幸福感は豊かで高いのかもしれないけれど、やっぱり苦しみや辛さ、悩みもそれに伴っているように思う。
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『上賀茂神社』 世界遺産、美しき自然と桜花

洛南・伏見から洛北にある『上賀茂神社』へと京都市を貫いて走った。

幹線道路を走っていくと京都らしい落ち着いて上品な色調のマクドナルドやスターバックス・コーヒーを始めとする店舗や建物が並び優れた景観であった。

なんでも京都にはそうした建造物に対する規制があるのだそうだ。

そうした街全体の努力と意識によって世界遺産を持つの都市、京都は成り立っているのだ。

世界遺産に登録されている『上賀茂神社』は写真にあるような立砂(たてずな)で知られる神社である。

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近くの神山(こうやま)という山に神様がご光臨になられ、その神山を模して立砂をし、祀ったのだそうだ。

現代の鬼門にまく清めの砂のルーツである。

向こうに見えるのが『みあれ桜』、上部にボリュームがあり、ゆるやかに降り注ぐ桜の雫。

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つづいて、楼門正面に彩を添える『賀茂桜』と玉橋。

反りをもたせ、装飾を施した鮮やかな欄干の美しい橋である。

楼門は控えめながら雅やかさを減じることはなく、由緒正しき本殿のなによりの象徴である。

また、『上賀茂神社』の優れているところは境内を流れる水量豊かな百人一首にも歌われた「ならの小川」が涼しさと清らかさ、自然の豊かさの中に参拝者を包み込むことであろう。

『貴船神社』と似た雰囲気を持ち、神々しさをひしひしと感じた。

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第一の鳥居をくぐり、広場になっている境内の右手に『斎王桜』は咲き誇っていた。

枝を縦横に伸ばし、春を謳歌するごとく繚乱する様は格別のものがあった。

ずっと眺めていたいと思うほど、どぎつくなく淡く、優しく咲く桜花。

すばらしい春の旅を演出してくれた。
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『嵐が丘』エミリーブロンテ著 女性作家の作品について

サマセット・モーム著『世界十大小説』の中でそのひとつに数えられる作品。

世界的に見て女性作家の手による作品では抜群に名の知れた作品であろう。

恥ずかしながら、僕はそれなりの文学と限定しての読書遍歴を持ちながらこの『嵐が丘』をようやく今になって読み終えた。

その理由として大きな要因は「女性作家の手による作品」であることだ。

僕がたしか、初めて読んだ文学上の女性作家は「樋口一葉」であった。

日本文学上では近代以降で最初の職業女流作家として知られていることもあり呼んでみようと思ったのだ。

それからしばらくしてジェーン・オースティン『高慢と偏見』を読んだ。

また時をあけてエミリー・ブロンテ『嵐が丘』を読んだ次第だ。

これでようやく僕も自分に女性作家に対して見解を述べる権利を得たと自認するわけであるが、ひょっとすると男性と女性を区別するなど低劣であるとの意見ももたれるかもしれないが、僕はそこに線引きをせずにはいられない。

まず感じるのは、表情、動作についての描写が細かく、具体性に富んでいることだ。

目の動きや口元の動きなどの表現は僕が思い描く以上のリアリティを持っていて、イメージがつかめないほどであることもあり、その優れた観察力に脱帽する思いだ。

また、言葉のやりとりについても直接的な意味を持たないような会話を巧みに配置し、絶妙なニュアンスを引き出すことに成功している。

見えているものを掘り下げ、技巧的に表現することなく、内的心情を論理立てて論じることをしない。

だから、そういった作品を多く読んできた僕には『嵐が丘』は少しばかり労力を使った。

女性作家は全体や細かなところを拾い、描くことで感情や根拠を示すことができてしまうのだ。

さて、『嵐が丘』についてであるが、登場人物のすべてが偏狭であり、またその語り手による語りによって物語が進む形式であることが僕と登場人物との隔たりを大きくしたため、のめりこむことがあまりなかった。

特に、ヒースクリフの愛が砕かれ、それが憎しみとなってそれが悪魔的に常軌を逸したものとなる感情の飛躍にはどうも納得することができなかった―納得するとかしないの問題ではないのだが、僕がリアリストであるゆえ、興味が薄れたわけだ。

全体の時間軸と配役、人物の出し入れは傑作映画を見ているようなすばらしいものであり、エミリー・ブロンテの才能に驚いた。

無駄な場面が本当になく、うまく完璧なまでにまとめられた構成、すごかった。

終始幸福な人物があらわれない悲劇。

この物語で幸せをつかんだものは存在していない。

それでも、終盤のヒースクリフが復讐に勝る自分自身の苦悩によって外見上穏やかになり、キャサリンとヘアトンにささやかな平静がおとずれる場面は緊張のとける一種の小気味よさをもたらしてくれた。

この独特の読後感がもっとも評価すべき点ではなかろうか。
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『伏見稲荷神社』 不気味と神妙

今春の旅は桜の名所を訪ねた。

メインは『仁和寺 御室桜』である。

出発の日、千本鳥居で知られる『伏見稲荷大社』から京都旅を始めた。

まばゆいばかりに朱が映える楼門が堂々聳え、くぐるとすぐに立派な舞台を思わせる外拝殿、その奥に隠れるように内拝殿がある。

そして『稲荷造』と呼ばれる独特の屋根の本殿が内拝殿裏に隣接している。

後方には稲荷山を控え、緑と朱の配置、これら豪華絢爛といってもよい異なる社殿が一直線に並んでいるのは圧巻であった。

main_img4.jpg(HPより)

『伏見稲荷大社』は全国にある稲荷神社の総本宮でその稲荷信仰の規模の大きさをそのまま具現している。

お稲荷さんといえば、「商売繁盛、五穀豊穣」の神様であり、われわれの生活には欠かせない町の重要な地でもある。

狛犬のかわりに狐が置かれており、なんとなく和やかである。

本殿の脇を進んでいくと、稲荷山へと参道が続いていき、『千本鳥居』が現れる。

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パンフレットや写真で見る限りではどこか幻想的で、温かみを感じるのだが、実際にいってみると、不気味という気持を禁じえなかった。

冷静に考えてみれば、鳥居が間を置かず並べ立てられる光景は異様である。

しかしながらそうしてつくられるトンネル道を進むと隙間から差し込む赤みを帯びた柔らかな光が心地よく感じられ気分が高揚した。

稲荷山全体に1万を超える大小さまざまの鳥居が立てられ、あるいは納められているのは不思議であり、また非日常だ。

とても旅程を考えると参道を行きつくすのは難しかったので目的であった『千本鳥居』をすこし過ぎて戻った。

途中に『おもかる石』という夢が叶うかを占う石があったりしておもしろかった。

ちなみに僕は軽いと決め込んで持ち上げにいったらまったく持ち上がらず、占いによると夢は叶う手ごたえもなくついえそうである。

参道を戻って、ヨン様が食事を取ったという、秀吉から屋号を頂いたと伝えられる老舗『袮ざめ家』で名物のいなり寿司とうなぎの蒲焼を食べた。

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いなり寿司には麻の実が混ぜられていて、柔らかく優しい甘さのたれで味付けされた油揚げに包まれてある逸品でとてもおいしくいただけた。

うなぎの蒲焼のたれも同様に甘めのダシの風味豊かな味わいで京風とでもいおうか、独特の上品さのあるものだった。
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『まわりに苦しんでいる人がいるにもかかわらず、もし自分が苦しんでいないとしたらそれは不義である』 『人生は綱渡り』


まわりに苦しんでいる人がいるにもかかわらず、もし自分が苦しんでいないとしたらそれは不義である。

自分であれ、他人であれ、もし成功や幸運に安住しているとするならば僕は弾劾して憚らない。

多くの屍や奴隷、弱者の上に成り立つ成功や平和、幸福はくそくらえだ!

少なくとも日本社会は途上国などに住む人びとの惨めな生活という闇をつくりながら成り立っているのだ!

せめて謝りながら楽しさや幸せを享受しなくてはならない。

楽しんだり幸福を味わえるのに、それを拒否したり、みすみす取り逃したり、握りつぶすようなことはすべきではないだろう。

少しばかりその楽しさや幸せをまわりに分けたり、共有できるようにしたらいい。

常に遠く、いやそう遠くないところに惨めな生活があるのだということを忘れてはいけない。

ただ恵まれていたに過ぎないのだ。



綱渡りの綱の上よりも不安定で脆い線上を僕たちは渡っているようなものである。

自然という風によって容易に落とされてしまうだろうし、自らの少しの不注意で足を踏み外さないとも限らない。

綱渡りでじっとしているよりも、少しずつ進んだほうがバランスがとれるように、人生もまたそのように着実に一歩一歩、歩を進めたほうが案外うまく渡っていけるのであろう。

後ろを振り返るならばバランスを崩してしまう。

下を向きっぱなしでもまたバランスを崩す。

時には足もとに目をやることも必要だが、大体は遠く視線をまっすぐ前に向けることが上手く渡るための最善策である。

人生によく似ている。
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不安は先入観と偏見から 夢、価値の発掘


『たいていの人間は、静かな絶望の生活を送っている。

いわゆるあきらめとは、絶望の確認にほかならない。

ひとは絶望の都市を出でて、絶望の田舎へ行き、ミンクかマスクラットの勇気に出会ってみずからを慰めるほかはない。

人類の競技や娯楽の底にも、きまって無意識の絶望がひそんでいる。

そこには歓びがない。

歓びは仕事のあとにくるのだから。

ともあれ、絶望による行動はしないというのが、知恵のひとつの特徴である。

教義問答ではないが、人間の第一目的はなにか、生活のほんとうの必要物や手段はなにか、といった問題について考えてみると、ひとびとはありふれた暮らし方がなによりも気に入ったからこそ、それを意図的に選んだかのようにみえる。

ところが彼らは、それよりほかに選択の余地がないと思いこんでいるのだ。

しかし、注意深くて健康な人間ならば、太陽が昇ってすべてをくまなく照らしていたことを忘れはしない。

偏見を捨て去るのに遅すぎるということはないのだ。

思考や行動の方式は、いかに古くからのものであれ、証拠なしに信じることはできない。

今日はだれもが口をそろえて正しいと言い、黙認していたものが、明日はまちがいだということになるかもしれない。

むかしのひとができないと言っていたことでも、やってみればできることがある。

むかしのひとにはむかしの、いまのひとにはいまのやり方があるのだ。

老人は教師として、青年以上に適任であるとはいえないし、かえって劣るかもしれない。

年を取ると、獲得したものよりも失ったもののほうが多くなるからだ。

最高の賢者にしても、生きることによって絶対的な価値をもつなにかを学び得たかどうかは、はなはだ疑わしい。

老人は事実上、青年に対してほんとうにたいせつな助言を与えることなどできはしないのだ。

彼ら自身の経験はごく限られているし、その人生は、ひとには話せないわけがあって(と、ご本人は思いこんでいる)、無残な失敗に終っているからである。

なかには過去の経験を批判し得るだけの誠実さを失わず、単にむかしよりも年を取っただけ、というひともいるかもしれない。

私はこの地球上に三十年ほど生きているが、年長のひとから価値ある助言はおろか、真剣な助言ひとつ受けたことはなかった。

彼等は適切なことをなにひとつ言ってくれなかったし、そうしたくてもできないのであろう。

ここに人生という、私がまだほとんど手をつけたことのない実験がある。

だが、以前にだれかが手をつけたからといって、こちらの役に立つわけではないのだ。

もし自分でも価値があると思われる経験にぶつかるとすれば、それは私の指導者たちが一度も教えてくれなかったものであることに、きっと思い至るだろう』   『森の生活』より


僕たちを不安や憂うつに引き込むものは偏見や思い込み、先入観にすぎない。

そのことにどれだけのひとが気がつかずに、かえってそうした偏見や先入観によって人びとは互いに足を引っ張り合い、自由を奪い、根拠のない義務を背負わせていることだろうか。

活字離れが広がっていることや、ブログでアフィリエイトによって稼ぐ!など消極的内容にしろ、積極的内容にしろそれらはある点からみた相対的な傾向であって万事がそうであるわけではなかろう。

自分の心からやりたいと思うこと、自分のありたい姿、自分が望む生き方を探究し、実現するための試行錯誤こそが人生なのだ。

僕はこう考えてきて、今一度自分の夢、目標について考え直してみた。

I have a dream.

私には夢がある、キング牧師の演説を思い出し、youtubeで見直してみたが、何度見ても心に響き、強烈に訴えかけてくるメッセージだ。

まず、僕自身の心を美しいものにしたい。

そのためには言葉や風景、建造物や音楽、あらゆる五感に迫って、恍惚感を引き起こすものを集めなければならない。

また、それ以上に生身の人間との係わり合いによって、刺激しあい、そこから美しき感情や親切が生まれるような関係を他者と築きたい。

しかしながら、そのためには彼らもまた美しき心を持っていなければならない道理である。

僕はあまり他者から輝き、きらめく宝のごとき言葉や思想、ふるまいを受けたことがない。

みんな自己中心的でわがままなのだ。それも当然のことである。

でなければ、とっくに聖人として、もしくは優しき人、正しき人として重宝されているはずである。

僕も独りよがりのわがまま人間にすぎず、何の役にも立っていないので大きいことはいえないし、それは恥辱である。

その美しき心を完成させ、それを伝えられたらどれだけすばらしいことかと思う。

僕はその美しき心から発せられる言葉を綴る、見聞きし、わかった景色や建物、食物の美しさ、おいしさ、すばらしさを伝える。

僕はそれらによって美しき心を築いたのだから。

そして、日本三景や日本三名園など、優れた事物をくくる文化が日本にはあるが、僕もそうした自分自身の価値基準による景勝を見出し、あらたな観光スポットになるほどの影響力がもちたいと夢見ている。

実際に、日本三名泉、日本三滝などあらゆるこうした指標は時の風流人や教養ある人によって見出されたものであるはずだ。

それはあらたな活性を生むだろうし、新たな価値を作り出すということはとても意義のあることだと僕は考えている。

なにかを創造することはもちろん偉大ですばらしいことであるが、価値の発見、または再発見や再構築などは無限の可能性を秘めており、大いに期待するところである。
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万座温泉『豊国館』 温泉と対峙、そして無


栃木県まで行ったので、僕はぜひ念願の『草津温泉』へと行きたかった。

「いや、せっかく車で来ているのだから、もう少し秘湯を目指そう」

ということで、

山上の温泉、『万座温泉』を目指した。

辺りはすっかり暗闇に包まれ、連続する急カーブに一層の注意を払った。

車はどんどん山上へむかって上っていく。

窓を開けるとかすかに硫黄の臭いが車内から確認でき、硫黄分の強い温泉が近くにあること想像に難くなかった。

その臭いはだんだん強くなっていった。

車内で夜を明かし、朝風呂に入れてくれる温泉宿を探したのだが、どこも営業時間前であったり、日帰り入浴をやっていなかったりでなかなかみつからなかった。

大きなホテルを少し下ったところにやや古びた温泉宿がたたずんでいた、旅館『豊国館』である。

のちに僕はこの宿が偶然にも僕が愛する、温泉遺産を守る会に登録されている宿であることを知った。

まったく、運命というかなんというか、幸運であった。

さびれてはいたものの、不潔さや汚さはあまり気にならなかった。

雰囲気と湯治場ともいうべき自由なスタイルがそうさせたのかもしれない。

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前方には荒い山肌や峰が広がり、大げさに天空の温泉といってしまおう。

湯が滑らかかつ上質で、湯船の年月を経た色味やつくりによるいかんともしがたい老朽も眼中に入らないほどただ温泉と対峙していたのである。

不思議とのぼせるような感覚に陥らず、こんこんと湧き出る温泉に体をゆだね、思考は無であった。

これほどまでにのびのびと、自由に心身がニュートラルの状態で温泉につかることはなかなか難しいのではないかと思う。

そういう意味でも、この温泉は貴重だと感じた。

ほとんどの温泉宿は娯楽としての温泉を取扱っているのであって、湯治のための温泉というのと明白に異なるということを実感することができたのはよかった。

娯楽要素はきわめて低いといえるが、心身を整え、正すという意味で抜群の宿ではなかろうか。
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『不自由や不便は感謝や喜び、いたわりの心を呼び起こす』


完ぺきな人間なんていない。

今までにどれだけの教育者や周りの大人たちに言われてきた言葉だろうか。

こうした完璧を前提とした物言いが腑に落ちなかったので少なからず反抗心を抱いたものだった。

最善を尽すことと完璧を目指すこととをごちゃ混ぜにしてしまっている!

僕は常にとはいえないまでも、できるだけ―その意味でも最善を尽すといえるのかもしれないが―何をするにしても最善を尽そうと考えていた。

だからうまくいかないときでも、気分を損ねたり、落ち込んだりすることはなかった。

大体僕たちは目に見えることから、それはその本質や内的要素を10分の1も表わしていないのに、あたかも10分の12、もしくはそれ以上だと思って、判断してしまうのだ。

学生時代なら、イケメンで成績がよければ、さも完璧な人間であるかのような羨望の的、周りの人間にとっては劣等感の原因ともなってしまう。

完璧という意味は、あらゆる点において優れているということであるのだが、僕らが有形であり、有機体である以上、無限に分割可能である。

すなわち、優劣評価する対象が無限に存在することになり、そのすべてにおいて優と認めることは現実的ではない。

例えば、足が悪い人もいれば、美肌でない人もいる。

病気がちの人もいれば、髪の毛の少ない人もいる。

そうやって考えていけば、自分がどんな欠点を持っていようとも、それはある程度仕方のないことであるし、また欠点を持っている相手に対してもその優越を超えて、偏見や先入観を持つこともないであろう。

たしかに、物事には残念ながら程度がある。

重い障害があるのであれば―やはり健常者という区別をやむなくするのであれば、不自由を感じざるを得ないし、できないことなどもおきてくる。

しかしながら、僕たちは心で生きていると僕は思いたい。

そうした不自由や不便を感じることは感謝や喜び、いたわる心を呼び起こす。

私にはなにもできないとある人はいうかもしれない、だけれど、まだ僕が到達できていない、精神的な高み、豊かな心を持ってすれば、僕たちに見せることの世界を僕たちに示して見せることだってできるのではないだろうか。

程度の差があると僕は言った。

つまり僕にもそうした世界を、それほどまですばらしく、美しいものではないにせよ見せることができるはずだ。
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『鬼怒川温泉』 日帰り入浴でも印象深い温泉地


山間の鬼怒川上流にある温泉地『鬼怒川温泉』は奥座敷の名とは似つかわしくないほどに、険しく荒々しく水が流れている。

そしてそれを見下ろしながら屹立する旅館、ホテルは大規模なものが多く、旅行者を少なからず圧倒する。

『華厳の滝』から旅の疲れを癒そうと、鬼怒川温泉に向かった。

これは僕の要望であった。

その『鬼怒川』の字面に魅力を感じるのは、きっと僕だけではないだろうと思う。

温泉地としても歴史と実績を持つ全国区の温泉であり、かつてほどの賑わいは見せていないものの、まだまだ寂れることなくシーズンには観光客が多く訪れるそうだ。

『ホテル白河 湯の蔵』で日帰り入浴に立ち寄った。

spa_06.jpg(HPより)

眼下に流れる鬼怒川を眺め、その激しさと木々の風に穏やかに揺れる対照が気持ちよかった。

石畳や湯口、湯船の囲みなどに意匠がほどこされており、泉質はややあっさりとしたものであったが、風呂はおもしろかった。

露天風呂は屋根つきの板張りでつくられ、その中心に風呂がきってある。

床も欄干も柱もすべて木材のみからなっていて、開放感とさわやかな雰囲気を演出していた。

疲れと汗を洗い流し、再び車に乗り込んだ僕たちは、車中泊に適した土地を求めて車を走らせたのであった。

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『巌頭之感』 藤村操とその畏友 『偉人と呼ばれるような優れた、功績をなした人物は一様に勇気を持っている』

1903年、『華厳の滝』から18歳の青年が投身自殺した。

藤村操、第一高等学校(現東大の前身)の学生であった。

彼は死の直前に、『巌頭之感』という遺書ともいうべきメッセージを残した。

悠々たる哉(かな)天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此(この)大をはからんとす。

ホレーショの哲学竟(つひ)に何等(なんら)のオーソリテーを価するものぞ。

万有の真相は唯一言にして悉(つく)す、曰く「不可解」。

我この恨(うらみ)を懐(いだい)て煩悶終(つひ)に死を決するに至る。

既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。

始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを   『巌頭之感』より


こうした心情や自殺、態度を評する立場に僕は立ち得ない。

少しばかり思慮深さや感受性を持ち合わせた少年や青年であれば、自殺ということを漠然とにもせよ考えたことがあるだろう。

そうした考えはほとんど気休めか自己存在の肯定のための便宜法であって、行動と共に考えられていない単なる概念上のものである。

僕も大学一年のときだったか、正確には忘れてしまったが、この『巌頭之感』に触れて羨望と至高を感じたものだった。

死を以てする、それは人間における最大の勇気と意志を証明するものである。

合わせて、自殺者が3万人を15年ぶりに割ったことが少し前に報道されていたのを思い出す。

自殺が社会悪ととらえられ始めたのはいつからなのだろうか。

キリスト教では自殺は厳禁とされているようだが、仏教はどうなのだろうか?

「死」は宗教と密接に関わりあっているし、いやむしろ「死」があるからこそ宗教が生み出されたのだろう。

死を絶対悪とするのは低次元な思想、発想である。

それはエゴイズムの衝突であるからだ。

『藤村君とは深い交りの歴史はない。

然しあの巌頭の感はいかばかり僕の心をうつたであらう。

僕の過ぎし日の苦痛は藤村君の外に知りうるものはなく、藤村君の死んだ心は僕の外に察しうるものはないといふ様な感がした。

又藤村君は至誠真摯であつたから死に、僕は真面目が足りなかつたから自殺し得なんだのだと思つた。

こまかい事はわからぬが、僕は藤村君の煩悶と僕の煩悶とは甚だ似てゐたものだと思ふ心は今もかはらない。

羨しき藤村君の死は僕をして慟哭せしめ悶絶せしめた。

僕は生れて以来藤村君の死ほど悲痛を感じたことはない。

僕は死を求めて得ざるに身を倒して泣いた。

かゝる思は数日つゞいた。

僕の心は暴風のふきまいた後の様な感じであつた』   藤村友人の魚住影雄『折蘆遺稿』より


現代の僕を含めた青年のなんと味気なく、貧弱な魂であろう!

なぜ生に対してもっと真摯に、誠志を込めることができぬのか。

社会を考え、その中で生きることのみに執着し、人間存在の意義や内面世界への探求をおろそかにするようになったのはなぜだ。

飾ること、死を避けることにのみ心血を注ぐという、死んでいるかのように生き、死を生きることの頭上に掲げる小さな者たちよ。

精神の完成や精神の堕落、発展に苦悶し、慟哭することこそ美しきことかな。

『その頃は憂国の志士を以て任ずる書生が、乃公(だいこう=自分)出でずんば創生(=民衆)をいかんせん、といつったやうな、慷慨悲憤の時代の後をうけて、人生とは何ぞや、我は何処(いづこ)より来りて何処へ行く、といふやうなことを問題とする内観的煩悶時代であつた。

立身出世、功名富貴が如き言葉は男子として口にするを恥じ、永遠の生命をつかみ人生の根本義に徹するためには死も厭はずといふ時代であつた。

当時私は阿部次郎、安倍能成、藤原正(たゞし)三君の如き畏友と往来して、常に人生問題になやんでゐたところから、他の者から自殺でもしかねまじく思はれてゐた。

事実藤村君は先駆者としてその華厳の最後は我々憬れの目標であつた。

巌頭之感は今でも忘れないが当時これを読んで涕泣したこと幾度であつたか知れない』  藤村友人で岩波書店創業者岩波茂雄の回想による

 

彼はまた『死以外に安住の世界がないことを知りながら自殺しないのは、勇気が足りないからである』と煩悶したという。

立身出世、封建制度が強く残る現代に僕は反抗し、これからも反抗し続けたいと思う。

人生とはなんぞやとの疑問はつねに想起されるべきものであって、日々に忙殺されることは許されない。

畏友と呼べる友が果たしているだろうか、否、いない。

僕たちは認め合うことさえできていないのではないかと、ときどき反省と回想をする。

熱き血の流れる青年をいまだ見ない。

その熱き血を流すことすら、厭わない不撓不屈の精神、鬼気迫る人間を見てみたい。

僕はそうなりうるのか?なれないから、あこがれるのだ。

よく言われる、偉人と凡人の違いが何かという問いに対して僕は率直にこう答える。

『偉人と呼ばれるような優れた、功績をなした人物は一様に勇気を持っている』

と。

その勇気とは生半可な勇気ではない。

僕は

『自らの信じた道のためであるならば、命をも惜しまず突き進むことができる』

ことを勇気と呼ぶ。
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『華厳の滝』 藤村操と原自然


『日光東照宮』には予想以上に感動させられたのだが、予想外に美しかったのが傍を流れる透きとおった川だった。

よく美しい水の色の形容として「エメラルドグリーン」が用いられるが、その川は『純粋な青緑色』を呈していて単純に美しいというのではない、深みを湛え、人を引きつかないではおかない色だった。

紅葉で知られる『いろは坂』をぐんぐん上っていき、左手に山上の湖、『中禅寺湖』を望みながら『華厳の滝』へたどり着いた。

今回は『華厳の滝』をメインに観光したのだが、次の機会ではこの『中禅寺湖』を満喫したい。

標高の高い位置にこれほどの水が湛えられているのは不思議で、壮観であった。

目的地である『華厳の滝』は専用のエレベーターをつかって、滝下正面にある滝見台から滝全体を見ることができる。

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和歌山県の『那智の滝』、茨城県の『袋田の滝』と共に日本三大名瀑に数えられ、また『那智の滝』、兵庫県の『布引の滝』と合わせ三大神滝と呼ばれたりもする。

さて、現代の人はどのくらい知っているだろうか、『藤村 操』という青年の名を。

彼は『巌頭之感』を傍らの樹木に削って書き記し、『華厳の滝』に投身自殺したのである。

この『巌頭之感』については次の書くとして、この記事には美的感想を述べて終りとしたい。

轟然と絶え間なく大量の水が落下するのは圧巻で、巌の重なり合って、苔むし、木々がとりかこむ景観は自然と時間、人間を介さない原自然の姿であった。

僕は正直なところ、藤村操のことを思った。(こうした先人たちを呼び捨てにすることは気がひけるのだが、なんといったらいいかわからない、不自然なことは避けたいのだ)

人間を拒むごとくに険しい山道を分け入って、滝の落下口へ進み、遺書を記した彼を想像することは僕の胸を締め付け、『華厳の滝』の姿までも一変させてしまったのだ。

ここから確認できる高さの感じから慮るに、相当の高さと、迫力である。

滝つぼに容赦なく降り注ぎ、周囲の岩場に打ち付ける水の塊の砕ける音がその衝撃と激しさを物語っていた。

どれほどの勇気と絶望がそこに身を投げさせたのであろうか。

僕のまったくたどり着くことも、想像することもできない精神状態と苦悩に包まれていたのだとなんとか理解したのであった。

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『目には目を、歯には歯を』 復讐心を解放する絶対者なる神 信仰心の尊さ


僕たちが持つ残虐性の一つに反抗心、復讐心というものがある。

古代ハンムラビ法典にある『目には目を、歯には歯を』との記述はあまりにも有名で、人間にはつねに「罪と罰」、「権利と責任」というような背中合わせの、表裏一体の社会ルールが運命付けられている。

他者との関わりを持たずして生きることはできぬから、生きることは自己責任と他者の権利を認めることを必要とする。

しかしながら、誰しも人間であるから―人間である所以、不完全性、偶然性を持つ―失敗や意図せずとも他者を害する場合が生じてしまうことがある。

その害を元通りにするという償いをできるのであれば、どんなことがあろうともその償いを果さなければならないが、僕たちが時間という絶対機軸を持っている以上、元通りに、つまり時計を元に戻すことを要するような償いは不可能である。

極端に押しすすめれば、害、被害の問題は、損をこうむる被害者が不利な立場に立たされてしまうのだ。

この世界の矛盾と不完全さよ!

いつだって早い者勝ち、やったもの勝ち、逃げたもの勝ち、傷つけたもの勝ちということがこの世界ではまかり通る。

不注意者によって、健全なる人間が害されるのをどれだけ見聞きしたことだろうか!

こうした感情を少しでも和らげるために、―完全に消し去ることなど不可能だ!理不尽さや不条理をゆるすことなどできない!―神の如き完全なる、絶対的な庇護者を考え出すことはあながち間違ったやり方ではないように思う。

つまり神はいかなる悪もお見逃しにならないし、事の成り行きすべてをお見通しでいらっしゃる。

私は害せられた―これにはいかなる解決策も見出しえないかに思えるが、科学の発展や技術の向上によって少しずつその痛みや苦しみ、不具合を和らげる方向に進むことは可能だろう、それこそが科学や発展の意味であるといってもよいくらいだ―、それは耐え忍ぶしか、運命を悔やむしか、能動的には方法がないようにおもえる。

だが、二重に僕たちはその加害者への憤り、復讐の念に駆られてしまう。

最高点まで達すると、相手を殺さなければ気がすまないというところまでいくこともしばしばあるようである。

このとき、先ほど考え出した完全者なる神に裁きをお願いしようではないか!

まったくキリスト教、聖書を読んでいるように思えるかもしれないが、これは本当に信仰心とは別にしても優れた発明であると考えられる。

戦国時代などの歴史を紐解いていると、よく仇討ちを息子や家来が果すところに出くわすが、こうした感情を神の裁き―加害者が不遇や不幸に陥ること―によって解消するのだ。

そんな正当な裁きがありうるだろうか?と問うのであれば、それは完全者というものを曲解しているのだ。

なににもまして信仰心の尊さはここに存するのではないかと思う。

その裁きの上から己の身勝手、自己中心的な考え、ただ欲求を満たしたいという独りよがりによって手を下すのはこれも同様に卑劣な所業であるといえるだろう。

それは何の解決にもなりえないところからみても、それは納得できるのだ。
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『日光東照宮』 独特の存在感の世界遺産


再び、3人旅の季節となった。

恒例行事のマンネリ化を防ぐ一つの方法は大きなテーマを掲げ、毎回そのテーマに沿ってすすめることに集中することである。

僕らの旅のテーマは「世界遺産をめぐる旅」であり、なんのおもしろみもないベタなテーマである。

そして男が好きなものといえば・・・荘厳で大きな滝!ということで、『日光東照宮』と『日光華厳の滝』が今回の目的地となった。

3人で代わる代わる運転しながら、一路日光へと車を走らせた。

いつものお約束で出発は深夜からであり、だれもが眠気を隠せない状態である。

だから出発時には少なからず僕は心の中である決意と覚悟をしなければならない。

もしかすると、3人そろってお陀仏ということにもなりかねないと。

僕以外は呑気でお気楽なやつらなので僕がときどきは気合と注意を促さなければ本当に危ないものである。

散漫からKは乗換えと出口を間違えて、早々に高速道路を下りてしまった。

これには他の二人は大いに閉口し、悪態をついた。

「おまえ、ふざけんなよ」、「どこに目をつけとるんだ、うすのろのサンチョめ!」

途中にはかつて公害問題で揺れた『足尾銅山』の案内板があったが、疲労ピークの僕らはまったく引かれることもなく、山間の「日光」に日光が差し込む頃合いに『日光東照宮』に到着した。

『日光東照宮』といえば、まず「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が知られ、それが彫られた神厩舎をすぎると、豪華絢爛、華美装飾の『陽明門』が階段状に輝きそびえている。

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美しさや、、豪華さの前に存在感が先立つあまりにも有名な門である。

細部に至るまで巧みに彫刻が施され、その彩色をとっても当時の文化と東洋の影響が色濃く反映されていることがわかる。

山中にある仏閣寺院というのはそれだけで荘厳度が増し、えも言われる気持に参拝者を誘う。

拝殿では参拝者が一堂に会し、宮司さんか、それに類する人に案内と説明を受けながら祈祷をした。

拝殿の天井にはたしか龍の絵、欄間にあたる部分には小野小町を始めとする歌人の肖像画が描かれていて、少し低くなった本殿?のようなところは黒く磨いた石板が敷かれ、ただならぬ場を構成していた。

その拝殿の途中、回廊にはこれも有名な眠り猫の彫刻が長押に施されおり、楽しい。

坂下門をくぐり、数百段はあろうかという石段をあがっていくと奥社があり、宝塔の周りをぐるりと一周できるようになっている。

もちろん囲いの中から様子をみることができるのであるが、その地中に家康の神柩があるということなのだろうか?

いまいち神として祀ることや、神柩のなんたるかを知らない僕にとってはいまいち現実味というか、実感のもてないものであった。

石段を登りきる手前に

『人の一生は、重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず』との立て札もあり注意を引いた。

徳川家康が遺書に日光東照宮と久能山東照宮と増上寺と大樹寺のそれぞれに意味合いをこめて、彼自身の身を処するようにと残したが、それの細かな意味がよくわからないのが残念だ。
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策略や扇動に簡単に乗せられない賢い市民になるために


僕たちは仕組まれた意欲や流行、効果、概念に注意し、慎重にそれらをもう一度自分自身で熟考した上で、正しき行動に移らなければならない。

僕たちは少なからず出所の分らない、あるいはわかりずらい、信憑性の疑わしい情報によって思考や好み、習慣を左右させられている。

これは知らず知らずのうちであるから、気がついていないことも多いのだが、大体の自分の行動というのは、普段耳にしたり、目にする情報によって生み出されるといっても過言ではない。

1日に野菜は〇〇グラムとらなくてはならなくて、平均では××グラムしか取れていないので、野菜ジュースで補わなければならない!

癌にかかって、治療費の後の通院費はどうするの?だからがん保険に入らないと!

東大、京大合格、~名の実績を誇る〇〇学園、△△塾。

なんで東大、京大に入るのか?そんなこともわからずに、なんか入ると立派だから入れるといいんでしょ?くらいに思っている人のなんと多いことだろう。

今年の流行は、ヴィヴィッドなネオンカラー、アニマル柄・・・

ファッションはもちろん流行と文字通り密接に関係していて、それを無視することは粋ではないし、またふりまわされるのはもっとばかばかしい。

タバコの値段があがると禁煙のできる医者のCMが流れるし、汚染水の問題が叫ばれるようになれば、安全な水、ウォーターサーバーの広告が大きく世間をにぎわす。

そうした策略や扇動に簡単に乗せられない賢い市民にならなければならない。

賢い人たちで善良なコミュニティを形成して、そのなかでは正しき情報、正しき判断がなされる。

あくまで共有という考え方で、損得、需要と供給から距離を置いた事物の関係性。

電気料金、原発の必要性、地価などの目に見えぬ大きな動き、力によって定められ、存在しているものにたいする懐疑的姿勢。

就職するなら公務員がいい。なぜなら安定していて、給料も並以上はもらえて、退職金も多いから・・・

そうしたよくわからない常識がまかり通っているのだが、公務員のなんたるかを彼等は考えたことがあるのか?

そんな話は恥ずかしくて口にもできないのに、なんと周りの大人たちが僕に今まで口うるさく勧めてきたことだろうか。

ものの本質を見極め、分別をつけることはむずかしいのだけれど、それができなければ大人ではないし、自由で幸せな穏やかな日々はいつまでたっても訪れないだろう。
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心のうちにある透きとおったものと無理に押し込んだ感情と気持


僕は自分の心にある美しく透きとおったものを傷つけられたくなくて、誤解されたくなくて今まで多くの人や家族までも偽って、結果遠ざけてしまった。

でもそれは、無邪気だった子どものころや大人に近づこうとしている途中で失い、また気づいた理解と孤独によるのだった。

ああ、なんと理解されなかったことだろう!

僕は少年には十分すぎるほどの愛する気持を持っていて、情熱や負けん気、努力できる才能さえ備えていた。

その割に、僕は結果を残さなかっただろう。

ああ大人のいう結果!!

数字、順位、拍手や祝福の声の大きさ!

懸命に愛し、人がみていないところでの優しさ、努力を踏みつけにする結果がすべてという、厳しさという仮面をかぶった残酷さ!

自分の小ささを悟られまいと立派な美辞麗句を並べて、青年の心をあしらうとはなんと卑怯な所業!

向き合って、理解しあうことが必要だったのだ。

押し付けることなく、理解し、認めるだけの寛大さと、理解力が。

僕は無理やり、あらゆる感情や気持を狭い部屋と心に押しこんで、気丈と明朗で心を覆った。

心を割らずに人と接することになれてしまって、やがて人付き合いを嫌うようになっていった。

不明な誰かの話をして、相手は不明な誰かと仲良くなっているという状況が起こるのだから。

せめて、この心の内を打ち明けることができるのなら!

僕は決して濁らせまい、心の内にあるこの美しく透きとおったものを。
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「不機嫌は悪徳」、「他人の喜びを分かち合うことはできても、活力の火花さえも与えられない」


何が腹立たしいといって、人間がお互いに苦しめあうほど、いやなことはない。

とりわけ、若い人たちが人生の花さく時期に、どんな喜びにむかっても心ひらいていられるはずだのに、おろかしさからよき幾日かを形なしにしてしまい、とりかえしのつかなくなった後になってはじめて、もう償う法とてもない自分の浪費に目が醒めるということは、思うだにやりきれない。



「われわれ人間はよく」と私ははじめた、「いい日が少なくて悪い日ばかりが多い、と愚痴をいいます。

だがこれは大抵はまちがっている、と思うのです。

もしわれわれが、その日その日に神様がめぐんでくださるいいものをこだわりなく楽しみさえすれば、たとえ苦しいことがあっても、それに堪えるだけの力は生れるはずじゃありませんか」

「そうはおっしゃっても」と牧師の奥さんがいった、「わたくしたちにはなかなか自分の気持をおさえられませんわね。

つい体の調子に左右されてしまいます。

体の具合がよくないと、何につけてもくさくさしますもの」

―それはそうです、と私も承認した。

―「じゃ」と私はつづけた、「これを一つの病気と認めて、それの手当はないものかを考えてみようじゃありませんか?」

―「おっしゃるとおりですわ」とロッテがいった、「ずいぶん気持のもちようだとは、わたくしも思います。

それは自分の経験でわかりますもの。

何かいらいらして気がふさぐときには、わたくしは飛びだして、お庭を行ったり来たりして対舞曲をいくつか歌います。

そうするともう治ってしまいますわ」

―「私もそれをいいたかったのですよ」と私はいった、「不機嫌は怠惰と似たものです。

その一種です。われわれの性情はともするとそれに傾きます。

だが、いったん自分の気持をひきたてて奮起する力をもちさえすれば、仕事もさっさとはかどるし、活動がほんとうの喜びにもなります」

―フリーデリケはたいへん注意ぶかく聞いていたが、若い男の方は、人間は自己を支配はできない、まして自分の感情に指図することなどは不可能だ、と抗議をした。

―「いまは不快な感情のことをいっているのです」と私は応酬した、「誰でもこんなものはなくしたいのだし、どこまでやれるかはやってみなくては分りません。

疑いもなく、病気になれば、誰でもあらゆる医者に相談して、どんなにつらい節制でもどんなににがい薬でもいやとはいわずに、願う健康をえようとするじゃありませんか」


すると若い男がまたいいだした。

「あなたは不機嫌を悪徳だといいましたが、それはいいすぎですよ」

―「断じて」と私はいいかえした、「自分をも身近のものをも傷つけるようなことは、当然悪徳と呼ばるべきですよ。

お互いに幸福にしあうことがむつかしいだけでもたくさんだのに、その上なお、誰でもときどきは自分のこころに与えることができる楽しみまで奪い合わなくてはならないのでしょうか?

不機嫌でいながら、しかもまわりの人たちの幸福を傷つけないようにと、それを自分だけで堪えて包んでいられるような、それほど立派な人が世にいるでしょうか!

不機嫌はむしろ、自分のくだらなさに対するひそかな憤懣ではありませんか?

愚劣な虚栄によって煽られた嫉妬とつねに結びついている、自己不満ではありませんか?

目の前に幸福な人間がいるが、あいにくとそれは自分が幸福にしてやったのではない。

これが癪なのですね」

―「ひとに対して何らかの力を持っているからとて、その相手の心に湧くおのずからなる素朴なよろこびを蹂躙する奴があれば、それは呪うべき人間だ。

もしかかる暴君の気むずかしい嫉妬のために、みずから足らう人の心の一瞬のよろこびが空に帰したことがあれば、そのときは、もはやいかなる贈物いかなる親切といえども、この罪を償うには足りない」


「日に日に自分にむかって次のようにいう人はいないものだろうか」と私は叫んだ、「―おまえが友にむかってなしうるのは、ただ友のよろこびをよろこび、自分をそれに与ることによってその幸を増す、ということだ。

一たび友の魂が情熱によって苛まれ、悲哀によって乱れたときとなったら、もはやおまえは、いかなる没薬の一しずくをもってしても、それを鎮めてやることはできないではないか?

思ってもみよ。おまえがその花さく日々を亡ぼしさった女が、いまわのおそろしい病にに憑かれて、見る影もなく衰えて臥している。

その目はうつろに宙をさまよい、青い額からは死の汗がとだえながらしたたっている。

おまえはさながら呪われたもののようにその床の前に立って、あらんかぎりの力をあげてももはやせんすべのないことを、心の底に感じている。

そして、この死にゆくひとに体力に一しずく、活力の一つの火花なりとも注いでやることができれば、なにものをも惜しまないのにと、体の内の恐怖にわなないている。

このようなときとなったら、もはやおまえは、いかなる没薬の一しずくをもってしても、それを鎮めてやることはできないではないか?」   『若きウェルテルの悩みより』


人生をろくに知らない若者に与えられる青春はあまりに美しく、脆く、失われやすい。

僕らは生き方さえままならないから、青春の扱いなんぞは皆目見当がつかず、ただ目的もなくこねくりまわすだけなのだ。

大人たちや周囲の若者と協議し、忠告を受けながら日々過ごす日を工夫し、慎重に行動すればもっといいものになるはずだが、大人たちはただ青春を懐かしむだけで、若者は一人一人が独自のやりかたで浪費することにしか楽しみを見出さない。

青春の教科書、そんなものがあればどれだけありがたいことだろうか。

しかしながら、人生にしろ、青春にしろそれほど単純なものでもないのだろう。

人見知りを知らぬ赤子のように、誰とでも打ち解けて、ふさぐことなく毎日を過ごすことができるのならば、どれだけの幸せと豊かな暮らし、世界への貢献をできるであろう。

苦味が後をひくように、苦しみやいらいらは後をひき、すぐに呼び起こされる。

よろこびや楽しさ、心地よさというのは想像力の手助けがなければ味気ないものである。

僕たちは自らの体のケアと同じく、心のケアを覚えるべきだ。

心をつねに、健康な状態に保っておくことは、体を健康に保つことと同等に、もしかするとそれ以上に必要であろう。

良書を読むことはそうした心の平静を保つことに役立つだろうし、旅や散歩も心を癒す効果が十分に期待できる。

音楽や芸術もまたそうした作用を肉体よりも、心に及ぼすであろう。

感受性や理解力の乏しい人が増えたから、刺激的でわかりやすい、表面的で具体的な変化や物体による娯楽や仕事、遊興がひんぱんに行われるようになった。

空や、間、刹那に美しさや喜びを見出し、楽しめる力を持たなければならない。

それこそ、真のエコであるかもしれないし、無限の生産と意義や意味を生むだろう。

自分の感情をコントロールできることこそが自律なんだということに気がついた。

よろこびも、不機嫌も自在ということはどれほど快く、自由で身軽な生き方であろうか。

嫉妬や不機嫌をこれほどまでに分析できるとはゲーテ恐るべしと言わざるをえないのだが、それは実際的意味をもつかといえば、それは持たないのではないかとも思うのであるが、そうした自己分析力を持つことは社会で重要な自己客観視ということにつながっていくのではなかろうか?

嫉妬こそもっとも忌むべき感情ではないか!

もうほんとうに嫉妬心ほど見苦しく、自らをも苦しめる感情が存在するだろうか?

そうか、他人の喜びを自分のことのように喜べるものこそ幸福である。

それはまさに理想といえる。

僕は自分の自由ということばかりに幸福を求めているのではないだろうか?

子に対する親の如き感覚なのであろうか?愛そのものだ。

たしかに人間一人なぞ無力である。

そも、人間は自然の摂理の循環作用の一部であり、その流れの中でただよう一物質にすぎないのであって、無力という概念すらも立てることができない。

よろこびは自らの内部から取り出すばかりではないことを知らなければならない。
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『意欲あるところに発展あり』 塾、家庭教師を退いて


今日でもって家庭教師、塾講師としての仕事を終えた。

塾という機関の社会における存在に可能性を感じて始めたのだった。

日本では『松下村塾』や『慶應義塾』といった明治、近代日本に多大な影響を与えた塾が広く知られ、その塾生には才力豊かな若者が多く数えられた。

そして社会は変っていった。

いつの社会もそうした優れた若者たちによって改革や発展がもたらされてきたのだ。

もちろん現代の塾は学校教育の補佐的役割を担っており、またそうした社会構造に付け込んだビジネスともなっている。

それでも子どもたちに勉強を教えることを通じて学ぶこと、人生における教訓をさえ得られると思ったし、また家庭教師では普段関係をもたないさまざまな家庭との接触によって気づかされることや勉強になることがあるだろうし、塾では同世代の塾講師たちとの交流の中で刺戟や有益な意見交換が可能だと期待したのだ。

僕は運命的な陰りによって行動にいささかの限定を強いられているので、そうした可能性や期待も無残に失われてしまったのだった。

事実、「バカにつける薬はない」とはいいたくないのであるが、それぞれの家庭、子どもたちには考えや思想、細かな諸条件をもっていて、一週に一度の短時間の授業によってささやかな影響を与えることですら困難であった。

本当にわずかばかりの無意識的領域における感覚にわずかな僕自身の思想のエッセンスを垂らすことができるのであれば幸いだと思いながら、熱心には指導を続けたつもりである。

もっとも痛感したのは『意欲あるところに発展あり』ということである。

同様に、『意欲なきところに意欲を生ぜしめることが難しい』ということである。

最後に家庭では親御さんにとてもお世話になったので本当に感謝である。
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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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