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クリスマス 寄り道 美術館『レオ・レオニ展』

今年のクリスマスは神戸で過ごすことにした。

その理由は、夜景が美しいのでクリスマスディナーを食べながらそれを楽しみたかったのと僕自身、神戸市博物館で開催されている『真珠の耳飾の少女』が展示されるマウリッツハイス美術展と神戸市にある『布引の滝』が行きたかったからだ。

宿泊は六甲山山上にあるため、屋上とレストランから夜景が見え、近代化産業遺産に登録されている老舗宿である『六甲山ホテル』。

クリスマスディナープランにしたので宿泊費がかさみ、時期もちょうどよかったこともあって、青春18切符での電車旅にすることで交通費をおさえた。

京都駅に着いたのがちょうど昼ごろだったので、そこで昼食をすませた。

伊勢丹に入っているラーメン横丁でつけ麺のお店でつけ麺を食べた。

おかわり自由のキムチがおいしかったのはよかったのだが、肝心のつけ麺は、僕がつけ麺自体を好きではないのかもしれないが、麺があまりおいしくなかった。

スープもとんこつだったのに、味がただ濃いかんじで濃厚さが足りなかったように思う。

ちょうど伊勢丹の美術館でレオ・レオニ展が催されていて、Aが「知ってる?スイミー書いた人だよ」と教えてくれた。

Aが行きたいというので、行ってみることにした。

僕とはすこし違う価値観を持っているA、彼女がいいというものは大抵僕にも合うもので、かつ僕が自らふれようとはしない種類のものだから、ふれてみてハッとする。

レオ・レオニと聞いてもよくわからないかもしれないが、スイミーと聞いたらわかる人も多いんじゃないだろうか。

僕はちょうど教科書に『スイミー』(主人公スイミーは黒い魚でほかの赤い魚たちと個性を生かして力をあわせる話)がでてきた世代なので懐かしい思いがする。

『フレデリック』、『シオドアとものいうきのこ』、『マシューのゆめ』が特に僕の気に入った。

みんなが労働しているのにひとり、働くことをしないで色を集めているんだと自分の仕事をこなすフレデリック。

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自分自身とリンクするところがあった。

同級生はみんな就職しているにも関わらず、僕はこうして日々言葉を発信したり、自分のできるかぎりの労働と仕事をこなしている。

この物語のように、冬が来たときに食べ物や金銭とは違った恵みを僕がもたらすことができるとしたらなんとすばらしいことだろう。

『シオドアとものいうきのこ』はほかの生き物たちからウソによって王さまの冠を戴いているシオドアの表情がかわいくってよかった。

『マシューのゆめ』は両親が医者になることを期待しているが、将来なにになりたいかわからないマシューが主人公。

ある日美術館に行くと世界がすべてそこにあることを知る。

そして夢を見て、朝両親に「絵描きになる!」と宣言する。

まるで僕のようだ。

僕は医者になることを両親に期待された。僕もいつのまにか医者になることが宿命であるかのようにさえ思った。

次第に文学や芸術を愛するようになり、こうしてなんでもいいから表現をしたいと思うようになった。

こういうふうに美術館はどんな企画がやっていても、絶対に気づくことやためになることがある。

だから機会があれば門をくぐってみるべきだとおもう。

チェックインまで少し時間があったからハーバーランドや神戸モザイクに寄った。
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大晦日にすべきこと

12月31日はどのように過ごすべきであろうか?

新年を迎えるにあたり、身辺の整頓や家の大掃除を始め、日ごろ使っている持ち物の手入れ、掃除をすることで風水で言えば、いい空気や運気が流れ、入るようにする。

反対に運気を落とすもの、空気が流れずよどんでしまうようにしないようにいらないものを捨て、使用頻度に合わせた収納などを行う。

こうすることできっといい運気が舞い込んでくるだろう。

これで新年を気持ちよく迎えられる。

次に今年を振り返って、反省と教訓、来年に向けての抱負と決意を少しだけ心に留めてみるのもわるくない。

今年一年はどんなところを旅行しただろう?おさらいしてみる。

奥飛騨・新穂高温泉、伊豆長岡温泉、天橋立、五条川の桜、大阪・ツタンカーメン展、伊勢奉納花火、岐阜長良川の花火、水晶浜で海水浴、知多半島のひまわり畑、豊田でキャンプ、車山高原、西日本一人旅、高野山、牧歌の里、箱根温泉、京都の紅葉、神戸でのクリスマス・・・

今年の大きな買い物は赤ポロだ。

たくさん自分の時間をもてたことが今年の一番の収穫だろう。

そのため読書をすることもできたし、いろんなところに出掛けることもできた。

すばらしく充実した一年だった。

家族を含め、周りの人にたくさんお世話になった。感謝。

来年はどんな年になるだろうか。

ただ毎日毎日を懸命に目標や向上心をもって、努力し、真面目に考えて日々を過ごしていけばきっといい1年になるにちがいない。
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一人旅 別府の象徴 竹瓦温泉

夕陽を追いかけるようにフェリーは沖へ向かった。

僕は甲板に設置されたベンチに座り、日が沈みゆくのをからだで感じようと思った。

3度も船で陸を離れると家を離れたなんてかすんで頭に浮かばない。

行き先が決まっているから不安はないのだが、真っ暗な海を進んでいくのはなんとなく落ち着かない心持がした。

海上に飛び込んだら、しばらくは発見されないだろう。そんなことまで思った。

夜の海で船上にいると、時間の感覚や距離の感覚を失う。

自分がどの方向へ向かって、どのくらいの時間立っているのか、あとどのくらいで陸へつくのが見当がつかない。

そんな気持ちでいるから陸の灯かりが見えたときには小さい子どもが幼稚園などでお母さんに迎えに来てもらえたときのように安心した。

いざ陸に足をつけたときにはまだ見ぬ地を踏みしめた誇らしい気持ちと長い旅路の終着点についたような達成感を味わった。

別府駅近くまで夜道を疲労を感じながら歩き、ユースホステルでその日は泊まることにしていたので、荷物を置き、ごはんを食べるところを探しがてら周辺を散策することにした。

近くに商店街があったから行ってみると、かなり寂れていて、ほとんどのお店は閉店しているか時間が遅いため店仕舞いしていた。

道後温泉と同じく、小路を入っていくとあやしげなネオンライトの看板が掲げられたこじんまりしたお店が並んでいて、怪しげな、しかし怖くはない雰囲気をかもしだしていた。

少し道が広くなったところに古風な建造物が現れる。『竹瓦温泉』だ。

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入浴料金が100円と格安だが、それもそのはず。

浴場は真ん中に湯船が掘ってあって、そのそのまわりにからだを洗ったりするスペースがあるにはあるが、洗面器以外は洗面用具はなかった。

地べたにそのまま座り、持参したタオルでからだを拭き、湯船の湯をすくってからだを流す。

源泉なのだろう、熱くてそのままではとても入れなかったから、隅に用意してあるホースから流れ出る冷水を湯船へ導いて、その近くで湯に浸かった。

からだの芯から温まり、泉質も濃厚でからだにしみこむ感じがした。

壁や床はさびやら、温泉の固まったのやらで歴史を感じずにはいられないほどであったが、それもまた趣というものだろう。

浴場につながる2階にが脱衣場になっていて、上から湯船がそのまま覗けるつくりになっている。

湯上りにコンビニでガリガリ君を買って食べたら、当たりがでたけど、どうしようもないから、捨ててしまった。もったいない。

少しからだが冷えたし、食事をとるのを忘れたからちょうど出くわした屋台のラーメンを食べた。

とんこつ高菜ラーメン。

この高菜が最高においしかった。

店の名前も場所も忘れてしまったが、あの味は忘れられない。

これをきっかけに僕は高菜ラーメンがすきになり、九州に行ったときには必ず食べたい。

ユースホステルで同部屋だったHさんと少し話をした。

彼も大学生で中国人の彼女がいるということだった。

僕が別府を旅行で訪れていることを話すと明日温泉を案内してあげようと言ってくれたのでよろしくおねがいをした。

彼は大学が別府にあるみたいだ。

こうした一期一会も旅の醍醐味のひとつだ。


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僕の重要な一冊 『坊っちゃん』夏目漱石著

夏目漱石の作品はとにかくわかりやすく、言葉のやり取り、地の文が軽快で読んでいて気持ちがいい。

『坊っちゃん』はとくに際立って、そういった特徴を持っている。

登場人物の数がすくなく、あだ名に見られるようにそれぞれの人物が特徴的で、型にはまっているからはっきりと区別することができる。

それから、全体を読みやすくしているのは、主人公が―こういった文学的な作品の主人公ではある意味特異な―無鉄砲で思慮深くないからだろう。

『坊っちゃん』では回想や教師生活のなかで起きる出来事に対して坊っちゃんは深く考えたりすることはせず、ただ、まっすぐに単純に正義を重んじる人間として描かれる。

しかし、それだからこそ、悪玉である赤シャツや野だに対する発言や感情が率直で説得力を持つし、山嵐の重厚な言葉がよりいっそう際立つ。

この山嵐との友情に近いものが生まれ、そこから2人で襲撃を決行するに至るまでもみどころのひとつだと思う。

最初は互いの性質から仲たがいをするが、あるとき和解する。

このときに起こる読み手のほっとする気持ちは、人間が本来、人との互いの正しい理解を求めることをあらわすのだろう。

この2人は文学史上で考えてもとてもいいコンビだ。

この物語には影が存在しない。

悪玉である赤シャツでさえ、嫌なやつではあるが、行動と言葉だけで薄っぺらく書かれているので、感情移入もなく気分を害されるほどではない。

逆に、彼らを成敗する坊っちゃんと山嵐も反人道的な暴力ではなく、あくまで風刺的な、ギャグ漫画のような趣を持たせて場面を柔らかなものにしている。

また、独立した存在として書かれている清がもっとも効果的かつ人々の人気をあつめる要因だ。

清の存在は坊っちゃんを正義たらしめ、光をもたせる。

清により照らされる坊っちゃんはそのベールによって無鉄砲さ、勇み肌が許され、美化されている。

『草枕』などとは違った技巧的な作品である。

『草枕』などは言葉の言い回しや、熟語、漢詩調、複雑な描写を駆使して芸術作品の域にまで達しているが、『坊っちゃん』は日常のエッセンスを抽出し、強調することで、人間性に焦点を当てる。

誰もが容易に理解ができ、文豪の姿を借りることができる。このことが『坊っちゃん』の魅力なのだ。

僕はそれによって旅の醍醐味を知った。

人間は模倣や共感、同じ体験をすることを好む生き物だ。

先人たちが歩いた道を歩き、見ていた景色を眺める。

そして思いを馳せる。

自分の存在を認識する。自分の感性を知り、磨きたくなる。

旅はただすばらしいものを見たり、楽しむだけではなくて、物語のリアリティを高めることにもなるし、過去と現在との往来する経験である。

『坊っちゃん』なくして、一人旅はなかったし、旅の醍醐味を知らなかった。

つまり今の自分はなかったわけだ。

ひとつの物語はここまで一人の人間に影響を与えうるのだ。

僕にとって『坊っちゃん』は紛れもなく重要な一冊だ。
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学習方法について

受験シーズンが近づいてきて、生徒を指導する機会が多くなってきている。

勉強を教えることは思いのほか難しい。

わかっている状態で物事を捉えることとわかっていない状態で物事を見ることとは全く違うのだ。

第一に、勉強を教えるとは、テストの点数を取れるようにしてあげることだ。

解答を理解するためではない。

教える側はこのことに関して勘違いをしがいがちだと思う。

いかにして問題の核心を捉え、気づき、正解を導くのか。

そのための方法論はなにか。

学校を考えてみると、スポーツのできる子は勉強は苦手で、勉強ができる子はスポーツが苦手ということがおこりがちであるがそれはわけのないことだろうか?

これにはちゃんとした理由があると僕は考えている。

すなわち脳のはたらきの違いである。

スポーツができる子は感覚を認識する能力に長け、勉強ができる子は視覚的、あるいは幾何学的イメージを認識する能力に長けているのだ。

スポーツにおいて急にボールを渡されて、「肘をあげて、手首のスナップをきかせて投げれば、いい球が投げられる」といわれたとして、速い球がだれにでも投げられるだろうか?

いや、投げられない。なぜならそれまでに投げるという動作を反復していないため、筋力についても、脳内イメージにしてもそのための準備ができていないからだ。

技術的な指導を請うためには、基礎的な能力は必須で、そのための自主練習は欠かすことができない。

そんなことはスポーツにおいてはだれでも理解できるのに、勉強となるとそうではない。

家庭教師をつければ成績が上がる、塾に行けばテストの点を上げてくれると思っている親が多い。

そういった方法論はある程度土壌ができている上に作ることができるものであって、なにもなしに急に教えを授けられたところで手に余ってしまう。

勉強が苦手な人は黙々と素振りをするように、黙々とどんな問題集でもいいから解いてみるがいい。

どんな解きかたをしようが関係ない。

受験期を迎え、学習について考える中高生は小手先に走りがちだ。親も含め。

スポーツは幼いころからやっていたりして、そんな誤りはおかさないのだが、なぜか勉強となると安易に考える。

勉強はそれほど甘くはない。

勉強に王道なしという言葉があったが、そのとおりだ。

勉強に真面目に取り組み、強い精神力を持っていなければならない。

それがあれば、勉強が学習になる。

学習は人生に生かすことができる、万人に必要なものだ。

脳はどんなふうにでも変化させることができる。

そのためには習慣である。がむしゃらに想像力を働かせず、信じて突き進むしかない。
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一人旅 漱石ゆかりの地 松山

松山市は独特な景観を持っている。

市内を路面電車が走っていて、大通りでは頭上を電線が交差している。

その電線を気にしていると、近くの見あげるほど大きくない山が視界に入る。

見てみると、山上にお城が建っている。松山城だ。

松山市を見下ろし、統治しているようにみえる。岐阜城などのように天守閣だけでなく、櫓のようなものも確認でき、山上ではあるがそれなりの敷地を持った城なのだろうと興味を引かれる。

僕は松山城まで登ることはしなかったが、山腹にある夏目漱石ゆかりの『愚陀佛庵』を訪れた。

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数年前に土砂崩れによって倒壊してしまったため、現在ではこの姿をみることはできない。

その前に見ることができて本当によかった。

漱石と子規が共に生活をした『愚陀物庵』

2階に漱石が住み、1階に子規が寝起きしていた。

子規は結核に罹っていて、うつるかもしれないのにもかかわらず自宅へ招いた漱石。

その上、栄養を付けさせるために、うなぎなどを食わせてあげたという。

2人の友情がいかほどだったのかがわかるエピソードだ。

漱石は義理を重んじ、人情に厚い。

そういう温かみが作品の中に流れている。

ほかにも漱石ゆかりの場所が市内にたくさんあった。

あと愛媛県内で印象に残っているのは、『伊予』という地名だ。

JR伊予線だったと思うが、あの伊予柑はこの地名から来ているのだとわかった。

段々になって、濃緑の蜜柑の木が日差しを浴びていた。

ところによっては蜜柑の木以外何も見えないほど、さすが蜜柑の生産日本一だ。

愛媛から大分へフェリーで渡ったのだが、最寄り駅から、港までがとても遠かった。

しかも往復したのだ。

というのも、愛媛から大分へ2便フェリーが出ていて、時間に合うものがあってのでそれに乗ろうと、バスを待っていたら、まだ来そうになかったから、港まで歩こうと思って歩き出した。

ところが、そのむかっていた港は時間に合うのとは別の遠いが歩いていける距離にある港だったのだ。

目前までいって、様子が違うことに気がつき、もう一度引き返したが、バスの時刻表を見ると、もう間に合わない。

結局もう一度歩いてもう一方の港へ行き、フェリーに乗った。

もう日は沈もうとしていた。

『印象 日の出』をのように美しき夕陽であった。
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一人旅 正岡子規記念館

とっぷりと日は暮れた。

道後温泉商店街の人影がまばらになっており、浴衣を着た観光客がちらほら。

お店の多くはおみやげやさんで、『一六タルト』や『坊っちゃん団子』、『愛媛のみかんジュース』などが目を引いた。

せっかくなのでおみやげに『伊予柑ジュース』と夕涼みのために道後温泉ビールという地ビールを買った。

一本、なかに道を入ると観光地区域であるが風俗店がいくらかあった。

昔からの温泉街なんだなあと実感することができる。

ビールを片手に商店街界隈を散歩した。

商店街入口には大きなからくり時計、その正面には道後温泉駅とそのかたわらに坊っちゃん列車の模型が置かれている。

その晩は『ホテル中川』さんに宿泊した。

料金がとても安かったので、朝食つきのものにし、もちろん道後温泉が引いてあるので朝晩と入浴した。

朝食は変わり栄えしないものではあったが、十分おいしくいただけた。

女将さんがきさくな方で『坊っちゃん』で話されている松山弁?について教えてくれたりした。

翌日は近くにある『子規記念館』へ。

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開館まで少しの時間を入口近くで待っていた。

子規はとてもユーモラスな人だ。

僕が夏目漱石がすきなのも、言葉に織り込まれている面白み、ユーモアなどが心地いいからである。

その点、この正岡子規も劣ってはいない。

ただ、漱石と違って強さはない、どこかに暗がり、鬱屈した雰囲気を持っている。

子規の俳句はほんとうに巧みでこれほどまでに俳句には広がりがあるのかとおどろく。

漱石も子規に習って俳句を書いていた。

俳句への貢献もさることながら、野球への貢献もすばらしい。

僕は野球が好きなので、正岡子規が野球殿堂入りしているのは知っていたが、なるほど、野球という言葉、四球、投手などあらゆる野球用語を日本語に置き換えたのが正岡子規なのだ。

もともとは『野ボール』と読んでいて、『昇』と書いたりしたようだ。

このような立派な記念館はあまり見たことがなかった。



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一人旅 夏目漱石を感じる 道後温泉

思えば、遠い道のりをはるばる四国までやってきたものだ。

愛媛県なんて地図でしかわからない、予備知識はなんにもない。

この日は広島から船で四国へ渡って、道後温泉までやってきた。

愛媛県には『鯛めし』という郷土料理があるらしく、それを夕食として食べた。

鯛の刺身が、重箱一面に敷き詰められたごはんの上にぎっしりつまっている。

その上に、わさびをといたしょうゆをかけていただく。

手ごろな値段で、瀬戸内の海の幸がいただけたのでとても満足した。

腹ごしらえをすまして、待ちに待った『道後温泉本館』での入浴。

いくつかのコースにわかれていて、それぞれ値段が異なる。

天皇専用のお風呂の見学もできるコースが最上であったが、それはやめにして、中くらいの値段の入浴と休憩室での茶菓子付きで『坊っちゃんの間』が見学できるものにした。

入口で靴を脱ぎ、二階へあがっていく。

二階は大きな広間になっていて、そこに浴衣や石鹸などが準備されている。

オレンジ色の石鹸がもらえたことがすごく印象に残っている。

風呂へは上ってきたのとは別の階段を下る。

その階段を下りるにつれて僕の心は高鳴った。

坊っちゃんが入ったという、つまり夏目漱石も入った湯船に自分もつかれるのか!

真ん中に石で畳まれたやや小さめの湯船がつくられていて、『坊っちゃん』の中で坊っちゃんが泳いだことにちなんで、泳ぐべからずという掛札があった。

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適度に熱めのお湯でぽかぽかになった。

単に質のいい温泉。そんな印象だった。

僕は湯船につかりながら夏目漱石のことを思った。時代を超えて、こうして昔の人々の気持ちを身をもって体験できるなんてすごいことだ。

このとき文学のすばらしさを改めて実感した。

この道後温泉には制限時間が設けられているため、あまりゆっくりとしていることができない。

これが残念であった。大広間で茶菓子を食べながらくつろぎたかったので、そこそこにして湯から上がった。

大広間の欄干から身を乗り出すと、柳が見え、行き交う人の頭が見えた。「ああ、往来ってこういうイメージだな」そんなふうに思った。

しばらく涼んだ後、坊っちゃんの間(三階だったと思うが)、を見学した。

夏目漱石の写真がおいてあったりしたが、もっとも印象的だったのが『則天去私』と書かれた掛け軸である。

「天を則り、我を去る」確かに、人間の理想であるかも知れぬ。

夏目漱石の作品は『吾輩は猫である』に始まり、『明暗』で終わる。

この二つによって漱石は主観による客観から客観による客観という発展の完成をみている。

湯で疲れを落とすことができ、僕はまたしばらく旅が続けられそうだと意気込んだ。

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聞かれなくなった<正直>や<真面目>

『「気をつけろったって、これより気の付け様はありません。わるい事をしなけりゃ好いんでしょう」

赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われる様な事を云った覚はない。

今日只今に至るまでこれでいいと堅く信じている。

考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励している様に思う。

わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。

たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。

それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。

いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世の為にも当人の為にもなるだろう。

赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。

清はこんな時に決して笑った事はない。大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツより余っ程上等だ』     夏目漱石著『坊っちゃん』より

『坊っちゃん』にでてくる、<正直>、『こころ』にでてくる<真面目>、これらは漱石の文学を考え、読む上で重要な思想的観点であると思う。

文学というからにはその時代のひとびとの様子や葛藤、普遍的な人間性がかかれていなければならないが、一見すると小気味よく、辛辣爽快で大衆小説の向きのある作品だが、やはりれっきとした文学である。

それはこの引用した文のように読者にきっちりと社会の矛盾や正義について論じていることから感じ取ることができる。

教育には、実学と教養、法と道徳というように区別されるような概念が存在する。

これはいずれも人生を生きていく上で欠かせない事柄であるのにもかかわらず、社会に近づくにつれ、教養より実学、道徳より法にバランスが傾くのはなぜであろう?

人間の基礎である義務教育においては並行するようになされる教育がなぜ、通じないような社会をつくりあげているのか?

明治時代、漱石はそのことを痛烈に感じたに違いない。

封建制度から、民主主義、社会を円滑にかつ発展的豊かにしていくためにどうあるべきかを問うたときこういった問題にぶつかったのだろう。

では現在についてはどうであろうか?

正直や真面目という言葉は本当に聞かれなくなった。

「正直であれ」、「真面目であれ」と真剣に説くことができる人間がどれほどいるだろう。

正義と不正、善と悪をあいまいにしていく社会に希望があるか。

学校の先生なんぞより、年老いたしわしわのおばあさんのほうがよっぽど立派であったりするというのは誰もが経験したことがある。

人生や社会を無関心に楽に生きていくために教育があるわけではない。

生活を豊かに、本当の意味での楽しみを持って生きていくために教育があるのだ。
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石川啄木 『紅苜蓿』ほか 詩情を大切に

『磯ゆけば浪きてわれの靴跡を消せりわれはた君忘れ行く』

『人らしき顔してすぐる巷人のひとりびとりを嘲みて行く日』

『恋をえず酒に都に二の恋に人はゆくなり我虚無にゆく』

『「誰そ先きに疎みそめしは」「君ぞ」とはかたみにいはず涙こぼれぬ』

『つれづれに古書ひもどけば君に似て古き臭すいとはしきかな』     石川啄木著『紅苜蓿(べにまごやし)』など

砂浜に残る靴跡は己の人生の足どりに似ている。

平坦ではあるけれども、それでも人それぞれ艱難辛苦を乗り越え、それは脳裏に強く焼きついている。

しかし、時が経つにつれ、色あせ、日々切り抜ける荒波に消されてしまう。

恋人やそのとき深く交わりし人も距離が離れ、時が経てば、疎遠になり、思い出の中で美しく残る。

もはや記憶に形を持っていない。波に消された靴跡のごとく。

悩みを持ち、日々懸命に苦闘しながら生きるならば、のん気な巷のひとたちに苛立ちを覚えることもある。

僕はそんなに立派な人間ではない。ときにはそんな気分になるんだ。

考えのない、操り人形のごとく見える人たちを嘲る己の小ささよ。

恋には明確な始まりも、終わりもない。

知らぬ間に恋が芽生え、どちらからともなく自然と親しみ、互いに寄り添う。

そして知らぬ間に、距離ができ、気持ちが冷めて、どちらともなく疎ましくなる。

どちらから、はっきりとした始まりはないけれど、確実に恋は枯れてしまった。

ただ、互いに親しみあったことが悲しく、涙が溢れるだけ。どうしたいとかの希望もないのに。

臭いはいつも思い出と強く結びつく。

古書の臭は時の流れを物語る。ふとしたときに思い出す。

輝かしき思い出は今では、はっきりつかむことの出来ないものとなってしまった。

慣れ親しんだわびしさで、いとわしき思い出がそれに勝る。
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『漢字辞書』

僕は漢字辞書を使うたび、心に思うことがある。

それはこの僕に教養を与えてくれた両親への感謝である。

きれいなままの漢字辞書。少し僕は胸が苦しくなる。

両親は入学の際や、高校で古文・漢文が始まったときなど今までに何冊か辞書を買い与えてくれた。

高校生になって、電子辞書も買ってもらった。

それで用が足りるから、漢字辞書は使わなくなった。それできれいなままなのだ。

でも、使うかもわからない辞書を買い与えてくれる両親。

こうして文学に親しむようになって、さまざまな難しい表現や熟語に出会うようになり、ようやくきれいな漢字辞書を使う機会を持った。

部首を調べて、漢字を探す。

こんな当たり前のことをできるようにしてくれたのは両親なのだ。

僕に今までにどれだけの金額を両親は使ってくれたのだろう。

そのうちには、使わなかった参考書や問題集、ノートなどたくさんあって、そんな無駄なことになってしまうこともあるのに、惜しみなく買い与えてくれた両親。

その大事な部分はなんとか身に付けたつもりです。

かんたんに見てしまえば、こういう結果に終わってしまったことは不甲斐なく思うでしょうが、重要なエッセンスは僕はしみこませることがなんとかできたようです。

それをなんとか両親にわかってもらえるように努力したいとおもう。

いや、絶対に結果として、目に見える形に結晶したい。
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チェーホフ著『かもめ』 芸術家のためのヒント 特定の視線を排除

この『かもめ』を再度読むきっかけを与えてくれたのは、Aだった。

「チェーホフって呼んだことある?」突然電話でこんなことを聞かれた。

僕はすぐに「どうして?うーん、チェーホフは呼んだことないかな。読もうとしたことのある作家だけど・・・(自分の本棚を見ると、下の段に『かもめ』が『エチカ』の隣に見えた)」

「そっか、今日本屋さんで集英社文庫フェアのところに黒柳徹子さんがチェーホフの『かもめ』を紹介してたから、知ってるかな、読んだことあるかなと思って」

「うん、『かもめ』なら読んだことあった」

「やっぱり読んだことあるんだ、ちょっと読みたくなったの。どんなお話?」

「うーん、あんまりよく覚えてないなあ。でもそのときはまだ複雑に思えて、全体像は把握できなかったよ」

こんな会話をしてもう一度読んで、Aにどんな話か教えてあげようと思ったのだ。

2度目だとやはり記憶としては残っていなくとも、脳には印象が残っているのか、以前読んだときにはぼんやりとしていたのに、情景がはっきりと描くことができた。

でもやっぱり説明しようとすると、「何も起こらなかった、ただ言葉しか描かれていないのに、僕の脳内には情景が浮かび、人物が顔を持ち、心を持っている。

恋が全体をつつみ、中心人物の一人が一方で仕事と社会、家族との関係に苦悩している姿が描かれる。

幸せそうな人物は存在していない。ただ表面的な深い苦悩もまた描かれていはいない。

親子の宿命、時代の流れ、恋と幸せ・・・

僕たちの心も複雑であれば、そこに生きる人々がつくりだす生活も複雑である。

この時代のある意味での社会の断片を切り取り、そこで生じる問題、人間模様をリアルに描き出している作品。

やはり名作であるし、それを強調するのは、自身作家であった経験から語られる、トレープレフとトリゴーリンの少し異なった視線による、作家という職業上の苦悩や葛藤、思考であろう。

これは本当にリアルで、芸術家を志す人には大いに参考になるところのものだと思う。


『舞台は人生の真髄を映し出すものであって、余計なものを舞台に引きずりだしてくる必要はありません』

『才能もないくせに、うぬぼればかり強い人間は、本物の才能を見るとけなすことしかできない 』

『問題は古いとか新しいとか形式にあるんじゃない。形式のことなど斟酌せずに書くこと、魂から奔放に流れ出てくるものを書くことが大切なんだ』

『舞台に立とうが物を書こうが同じこと、私たちの仕事で大事なのは、名声だとか栄光だとか、私が夢見ていたものではなく、耐えることができるかどうかなの。十字架を背負って歩みながら、自分のやっていることを信じきれるかどうかなの。

私は信じてるわ、だからもうそんなに苦しくないし、果たすべき自分の使命を考えると、生きていくことだって怖くはないわ』

こんな名言がところどころにちりばめられ、アクセントになり、物語が輝きを放って読者をひきつける。
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絶対的基準の喪失による幸福

『世界は「楕円」である。

中心は1つではない、中心は偏在する。それはもはや中心ではない。

「中心の喪失」である、「中心の偏在」である。

世界を見る視線は1つではない、世界は複数の視線、視点でもって成り立っているのだという発見だ。

これによってチェーホフは狭隘な「一人称的世界」から解放されたのである。

ここからチェーホフは理念の喪失を嘆いたり、その現実に悲憤慷慨するでもない、ありきたりの「人間の条件」を受け入れる眼差しを獲得したのだといえるだろう。

もはやトルストイのような壮大な歴史的認識も、ドストエフスキーのような人間の全存在に切り込むような観念も形而上学もリアリティを持ちえなかった。

何が悪で何が善なのか、世界を明確に切り分ける基準はもはや存在しなかった。

チェーホフは述懐している。

<私たちには手近な目標も、遠い目標もありません。心のなかは玉でも転がせそうなほど空っぽです。

私たちには政治もない、革命も信じない、神もなければ幽霊も怖くはない。私なぞは死も盲目も怖くはない>』     チェーホフ著『かもめ』解説より

僕たちの世代は相対的、絶対的という言葉に馴染み深いに違いない。

なぜならば、中学生時代、通知表の評価が相対評価から絶対評価に変ったからだ。

それにもう少し勉強をした人たちは、アインシュタインの『相対性理論』、夏名漱石の『則天去私』という概念を知り、自己の喪失、中心、基準の偏在を理解できる。

正しき生き方も、正しき思想もない時代。

情報に溢れているが、その真偽のほどは明確ではない。

しかもそれをみなが理解しつつある。

人々は広い視野を持つようになるだろう。

いろんな生き方を模索し、さまざまな形態の生活を実現していくだろう。

道徳、宗教、法律、そういった縛りや権限から解放され、もっとシンプルに世界や歴史、人生を理解していくことだろう。

絶対の立場から、相対の立場、その相対の立場に立ったとき、初めて、その立場の理解や、絶対の概念の理解の不必要さに気づくだろう。

その状況をあるがままに受け止め、理解し、そのなかで円滑に行動する。

それ以外になにを複雑に、好き好んで考えるものがあるだろうか?

あらゆる惨劇は絶対的な基準軸が存在する世界における比較による不満や不公平によって生み出されているのだ。

その基準軸が失われ、比較が存在しなくなれば、僕たちはもっと幸福になれるだろう。
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資本主義の崩壊

サラリーマンの平均年収が久しく減少傾向にあり、400万円をきる日も近い勢いだ。

どう考えても、ここからV字回復をして平均年収450万くらいになったりはしないだろう。

これは好景気と比べた場合の不景気とはすこし性質の異なるものではないかと思う。

そもそも僕たちは好景気を望んでいるのだろうか?

そして知っている、好景気が長く続く性質のものでないことを。

つまりは好景気は幻想であって、実質的な対策によるところのものでない。

エコ、地球環境、国際社会がテーマになっている社会にあって、好景気が存在しえようか。

好景気は、3つの社会を前提にして成り立っている。

日本の好景気が存在するためには、日本国以外の市場、世界が必要である。

なぜなら、経済とは消費することで、生産、消費、賃金というサイクルを円滑に行いながら、賃金の比重を大きくなれば国内景気がよくなると考えられる。

このサイクルを1つの国内市場で実現することは人間の性格上不可能だ。

そのため、海外の市場をうまく利用しながら好景気を実現できたのがバブル期だと考える。

その条件は3つの市場があり、その間に価値基準の差が生じており、3つの市場の価値基準の中間に位置することだ。

あるいは、2つの市場で考えるならば、その劣勢の市場において、独立的な生産を行うことが出来るのであれば、好景気を生み出すことは可能である。

しかし今の世界のように権力格差が横行しているようでは望むような好景気ではなく、相対的な好景気しか実現できないだろう。

価値基準の異なる3つの市場を常に実現することも、2つの市場で独立的な立場を取り続けることも不可能であるから、今の日本、世界経済には好景気は望めない。

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Mさんとの思い出

Mさんが12月いっぱいで退職される。

そして今日の勤務がおそらく一緒に働く最後になると思う。

僕が初めて賃金をもらって働いたのがこの職場で、一緒に働いたのがMさんだった。

歳が孫とおじいちゃんほども違うのに一緒に働く機会に恵まれたことはとてもありがたい。

Mさんは小さいけど、働き者で気さくなおじいちゃん。

一緒に働きだして4年にならないくらいで、その間にたくさんの話をした。

Mさんは星空を見上げるのが好きで、「火星がみえるね」、「金星かな、あれは」といっしょによく外に出て夜空を見上げた。

僕も星が好きで、すこし知っているから、冬になるとオリオン座やシリウスを教えてあげた。

今日、もう最後になるからお世話になりましたとお礼をいったら、Mさんは、

「星を見ると、hajimeくんのことを思い出すかもしれないねえ」といってくれた。

なんでもない仕事中のひと時だったけど、そうして2人の記憶の中に思い出が残っていることは素敵なこと。

シフトが一緒になると、Mさんはいつも「のんびりやりましょう」、「hajimeくん、休憩しとってちょうだい」、「ニコチンタイムにいってくるね(タバコを吸いにいくこと)」と本当に楽しい人だった。

Mさんの口癖のいくつかが僕にも自然に移っていて、今ではそれもいい証だなとおもう。

相槌を打つときに、「ほんとそうだね」というように「ほんと、~だよね」という口癖が僕に移って、その言葉をよく使ってしまう。

いつも遅番のときは夜の12時までなのに、ぜんぜん元気に働けるのはすごいなあと思っていた。

いつもコンビニやバローで買ってきた弁当を持参して、20分ほどで食べて、すぐに仕事に戻るMさん。

Mさんは生涯現役を掲げていて、元気なうちは働いたほうが夫婦喧嘩もなくすむし、食べていかなきゃねーと話す。

本当の現役のときは、上司に叱咤されると、決まって「来月はがんばります」と答えるので、「いつになったらがんばるんだ」といわれたものだと教えてくれた。

仕事はそのくらいでいいというのがMさんの流儀だ。

僕のことをhajimeティーチャーと呼んでくれ、よく政治の話やiPS細胞の話もした。

僕がやらなければいけない仕事をよく代わりにやってくれた。

Mさんありがとうございました、お世話になりました。

「まだ公園で仕事を続けるから、会うかもしれないね、そのときは誰だったかな?なんていわないでちょうだいよ」と笑ったMさん。

人との出会いが僕たちの生活を豊かにする。

時には年代の人たちと交わりを持つことで、ふだん触れないやさしさやありがたみを感じることが出来る。

そんなことを教えてくれたMさん。
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一人旅 道後温泉へ

この旅の目的の1つは夏目漱石のゆかりの地を訪ねることだ。

西日本にある夏目漱石ゆかりの地で絶対にはずせない、最も代表的なところといえば『道後温泉』である。

夏目漱石の代表作『坊ちゃん』で登場し、主人公、坊ちゃんがこの温泉で泳ぐシーンがある。

『旧海軍兵学校』の見学を正午ごろに終え、再び呉港に戻り、そこから愛媛県松山市行きのフェリーに乗った。

フェリーでの旅もまたいいのだ。

出港までの時間が電車に比べてあるので、港近くの建物に入ったり、辺りを散策しながら時間を過ごす。

出港が近くなると、乗船し、静かな船内で湾内を見渡してみると、さっきとは違った港町の風景である。

出港してしばらくは、まだ海岸線、背後の山々、町並みが縮小されながら、全体像が見えるようになり、おもしろみがある。

完全に沖のほうにでてしまうと波と風以外は感じられず、船内では退屈なので、外に出て読書をした。

酔うかと思ったが、案外船は揺れなかった。

あのときは『魔の山』を読んでいた。

旅先で読書をすると、再読したときに当時を思い出せるので旅と読書は相性がいい。

松山港に到着し、道後温泉への行き方を調べ、最寄り駅まで海岸線を歩いた。

港町のあの殺風景が好きだ。

長く続く海岸線は歩いていて苦にならない。

海岸沿いにある駅から道後温泉へ向かった。松山市のちょっとはずれにある、終点であった。

一つ前の駅周辺とは全く様変わりしていたので、駅で降りたときから、「ああここが道後温泉か」と感動したものだ。

駅近くから始まる商店街を抜けると『道後温泉本館』が堂々たる構えをみせている。

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この建物の外観を一見するだけでも来た甲斐があったと思うだろう。

しかも、この建物内の湯船に入れるのだから、こんなところ絶対に一生に一度は行くべきだろう。
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大学(芸術、4年制)の存在意義

日本には現在、芸術系の大学がある。

武蔵野美術大学、東京藝術大学、多摩美術大学などがそれである。

僕はこの芸術大学、美術大学というものに違和感と疑問を持つ。

大学と芸術というのがどうしても結びつかないのだ。

結局大学という名前だけで市場になっているのではないか?

一般的な4大にしてもそうだが、教育のための教育、つまり大学教授の仕事という意味での教育、受講者ではなく、あくまで教授側のために存在するのではないかと思える。

専門的な知識を必要とするのであれば、もっと細分化されてしかるべきだし、時代的に総合的な知識というのがあまり必要でなくなってきているように思う。

というのは、歴史ひとつ考えてみても、今現在がもうすでに歴史になっていくわけで、これからの学習者は、今まで僕たちが学んできたものに上乗せされた知識を得ていかなければいけないのだ。

僕たちはニュートン力学まででよかったのに、未来の高校生などは相対性理論をふまえた力学を学ばなければならないかもしれない。

とすると、学校、教育のあり方が変っていくだろう。

僕たちはこれから本当にスペシャリストをつくるか、あるいは一般的な労働力をつくる、そのような明確な区分けと細分化をしていく必要があるとおもう。

これと同じように美術、芸術大学にしても、結局美術、芸術では食べていけないからそのセフティーネットとして大学が存在するということになるんじゃないか。

ゴッホは美術学校に入らなかった―。

芸術家と職人、なにがどう違うだろうか?

芸術家は芸術大学に行き、職人はどうだろう?

職人は師匠について、弟子として仕事、技術を学ぶ。

そういうふうにしないといつまでたっても一人前にも、一流にもなれないように思う。

もちろん独学というのもいいだろう。

創造力が必要な芸術家ならば、技術だけでは足りないのでやはり自力の努力や感性など才能が必要だと思うが、それを大学が養ってくれるのか疑問に感じる。
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忘年会with P,K,G

PとKとGとで僕の家で忘年会をした。

Gは仕事があったから1時間半くらい遅れての合流だった。

だいたい、PとKと僕の3人での飲み会が基本なのでGが来てくれたことは新鮮でよかった。

Gはうちに来るのが初めてだったけど、また今度もきてくれたらうれしい。

Pはジーンズにこだわる不思議なやつで、柄ニットをシャツなしで着ていた。ベルトもその柄に似た幾何学模様であった。

Kはユニクロの黒のタートルネックにユニクロのジーンズ、いつもの服装である。

外見はそのようにシンプルに飾ることで、内面に秘めた自分だけの世界を持っていることを創造させる。

Gはやや鮮やかでパリッとしたブルーのシャツに濃い目のチノパン、教師という職業柄きちっとした身なりだ。

Gは途中から参加したにもかかわらず、飲みすぎたといって、トイレで2回ほどダウンしていた。

トイレから戻ったGの顔色はグレーになっていた。

Kは谷崎潤一郎著『陰翳礼讃』について話した。文学について語るがらじゃないのだが。

ものごとには陰と陽がある。

僕たちが普段注目しているのは陽にあたる部分だ。

たとえば、たべものだったら器ではなくそのなかに入っている食べ物、会話だったら沈黙ではなく言葉に僕たちは注目する。

しかし、器や沈黙に注目し、それを尊重し、理解することで、いっそう目に映る陽を際立たせることが出来るのだ。

こうして違う知識を持った人と話をすることは情報収集という意味において有益だ。

もちろん、仲のいい友だちと話をしたり、お酒を飲むだけで楽しい。

Pはヘミングウェイのように髭を生やし、ポマードをつけ、髪をなでつけていた。

僕らよりも10歳ほど年長にみえた。

Pは僕たちはこうして話を交わす以上、相手の意見に対して反論なり、批判的に意見を持たなければならないと思う。

けれども、相手の意見に対して反論すべきなのか迎合すべきなのかはわからない。といっていた。

僕はこうして、彼らの性格や言葉をこのように再現してみることに楽しみを見出すから、彼らが自分をさらけだし、意見を戦わせてくれることはうれしい。

帰り際、Kは盛んに忘年会なんだから、1年の総括をしようといっていた。

彼は形から入るタイプなので、そういった形式的なことをしないと気がすまないのだ。

そうして忘年会は終わった。
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やりたいことではなく、やらなければならないこと

僕は溢れる情熱を注ぎうる、そんなものが欲しかった。

だから挑戦し、努力し、耐え続けた。

だけどその情熱を注ぐ世界は、いつも僕を押し戻した。

それでもなんとかとどまろうと、懸命にそこに立ち続けようとした。

その間、何年もの時間が流れた、苦悩、苦痛の日々。文字通り、痛みの日々でもあった。

僕はからだを動かすことが、好きだった。

だから打ち込んだ。スポーツに、球技に・・・やがてその世界から押し戻された。

また、学ぶことも好きだった。

新たに色々なことを学んでいくのが楽しかった、数学なんて、解けない問題があったら許せなくて、解けない問題がなくなるほど数学を研究した。

大学進学、これは学びを続ける上で必ず通るものだったから、運命を背負いながら、だましだまし進学した。

不本意だった。

自分が情けなかった。それでもそこでがんばろうと思った。

しかし、そんなに大学は甘くなかった。

またしても、自分の望んだ世界から押し戻されることとなった。

悔しい。それだけだ。

いま、こうしてなにかを書くということに情熱を注げるのではないかと思っている。

けれど、本来、僕は読書や物書きなんていう柄じゃないんだ。

世の中に必要なのは、やりたいことではなくて、やらなければならないことなのかもしれない。
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人生は列車とジェットコースター

『「人間の幸不幸っていろいろでしょう。

おもしろおかしくもない、さえない自分の人生を引きずっている人もいますわ。

誰もが似たり寄ったりで、仕合せとは無縁な存在です。

一方で、この人たちとはちがった人がいる。たとえば、あなたがそう。

なにしろあなたは百万人のなかの選ばれた一人ですもの。

そういう人には、おもしろくて晴れ晴れとした、意義深い人生が用意されているんです」

「この私が?(肩をすくめて)ふむ・・・。

あなたは、やれ有名だろう、仕合せだろう、何かこう晴れ晴れとした、おもしろい生活だろうとおっしゃる。

ところが私にとっては、そういう耳にこそばゆい言葉は、申し訳ないけれど、私が決して口にすることのないマーマレードと同じでしてね。

あなたはとてもお若くって、まだ汚れというものをご存じないんですよ」

「あなたの人生って、本当にすばらしいわ!」

「私の人生にいいところなんてあるかなあ?(時計をながめる)これからひと仕事しなければならないんです。

失礼、時間がなくって・・・。(声を立てて笑う)いやはや、あなたのせいで、私は、俗に言う、寝た子を起された格好です。

それで私まであおられて、腹の虫がおさまらなくなってきましたよ。

よろしい、少しお話しましょう。私のすばらしい、晴れ晴れとした生活を話題に・・・。

さて、何からはじめましょうか?(しばらく考えてから)強迫観念というのがあるでしょう。昼も夜もしじゅう一つこと、たとえば月のことを考えている人が襲われるあれです。

私にもそういう月がある。私の場合、昼も夜も私を苦しめるのは、<書かなければ、書かなければ・・・>と頭にこびりついて離れない考えです」』     チェーホフ著『かもめ』より

誰しもこんなことを考えたことがあるはずだ。

オリンピック選手は選ばれた人たちで、さぞかしすばらしい生活、人生なのだろうとか、大企業の成功者は一般市民の自分とは全くちがう、特別な才能に恵まれた幸せな人で、なんの苦もない生活をしているのだろうとか。

でも実際はそうではない。人にはそれぞれに違った悩みや問題を抱えているし、それぞれの苦労がある。

お金がある、金メダルを取ったなどそれは彼らの人生のほんの一部なのだ。

僕たち一般人は物事を短絡的にとらえ、勝手に自分の生活の不満な点を拡大しつつ、オリンピック選手や成功者の生活の成功という一端のみを拡大し、羨望する。

これはジェットコースターと列車の関係に似ている。

一般人はゆるやかな道のりの列車に乗っている人たちで、いわゆる有名人、選ばれた人たちというのはジェットコースターに乗っている人たちだ。

列車に乗っている人たちから見れば、自分の横をものすごいスピードで走っていけば、「あんなに速くていいなあ、さぞ気持ちいいだろうな」と思うだろうが、それはそのために上まで昇らなければならなかったこと、いつまでもそのスピードを保つのは難しいことなどを考慮していない。

ジェットコースターに乗っている人たちは思う、「ゆっくりと走ってみたい、景色を楽しめる列車はなんていいのだろう」と。

どちらがいいというわけではなく、こればかりは性分、運命というものだろう。

列車に乗る人たちはやはり列車のほうが心地いいだろうし、ジェットコースターに乗っている人たちもまたそちらのほうを好むのだろう。

自分と併走する乗り物を気にするよりも、自分の行く先を気にしていたほうがいいだろう。
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ペニーオークション ブログ文学

何人かの有名芸能人がペニーオークションで商品を落札したと嘘の記事を書いていることが話題になっている。

昨日のサンデージャポンでもこの事件に関して、西川史子先生は憤りを感じるといっていたし、テリー伊藤さんは大事なファンに対する裏切り行為だと批判していた。

このお二方は誠実に芸能活動をしているんだろうなと好感を持つことが出来た。

自分が真剣に芸能活動をしているからこそ、こうしたフェアではない行為に憤りを感じるのだろう。

これはもっともなことだと思う。

誰だって、お金を稼ぎたい。楽をしたい。

だからといって好意を利用したり、頼まれたからといって詐欺行為に荷担するのはやはりよくない。

ネットを利用していると、本当にまともな情報や活動はなかなか見当たらず、ばかばかしいものや汚いお金のからんだもの、正義に反することなどばかりだ。

だからこのネットの中でなにかをしようとおもうとどうしてもそういった面を持っていないことには、まったく介入することすらできないという現実もある。

ブログにしても記事にしても見てもらえてなんぼで、そのためには広告や目を引く過度なことをやらなければならなかったりする。

それにお金をもうける、稼ぐための、芸能人などの半宣伝、アダルトなどのブログがほとんどで、誠実に記事を書いているブログがどれほどあろう?

だからこそ僕は真剣にブログを書いてみようと思う。

ブログが文学になりうるんじゃないかと期待しているし、そうなると信じている。

色々なものが軽く扱われている時代。

ゆるがないもの、大切なもの、不変なもの、そういったものを探したい、作り出していきたい。
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選挙について

選挙結果についてとやかく言いたくないし、それはナンセンスである。

選挙は水物といわれるが、それでも選挙結果から多少、傾向や原因を探ることは可能だと思うので分析した。

今回の選挙をかんたんにまとめれば、

『投票率が低く(下がり)、自民党の圧勝、第三極で注目された維新の会は上出来。

それ以外の新党は軒並み代表格の候補者のみが当選するにとどまった。

投票率が低いのは、国民が政治に期待をしていないことの表れだと思う。

国民の1人ひとりが投票をしたところで何も変らないということみんながわかっているのだ。

会社や組織などによる団体票を持っている党はやっぱり強い。

昔からの人脈や組織票を持っている自民党はやっぱり有利なのだ。

そんな出来レースに誰が時間を惜しんで投票にいくだろうか?

国民全体としての政治に対する動きがない限り、自民党が有利という構図は変らないだろう。

公明党は論ずるに足りない気がする。

創価学会員はやはり公明党に投票するだろうし、非会員ならば投票しないだろう、これは選挙しないでも結果がだいたいわかってしまっているから、前もって数字を予測できるという利点はもっているが、民主主義とは違うとおもう。

民主党が伸びなかったのは少し意外であった。

産みの痛みは何事にもあるはずである。

前回の選挙で政権交代が起こった。

そして次の選挙ではまたもとの自民党政権に戻ってしまった。

これでは前回の交代劇がほとんど意味をなさないではないか?

今までの自民党政権時代の弊害がまだぬぐいきれていないのにもかかわらず、民主党政権を判断できるだろうか?

我慢強く、民主党政権をもう一期まかせてみようという国民の寛大さがあったら日本の国は変ったのかもしれないと思う。

たしかに、民主党は役不足だ。

首相も大臣も万全を期すような体制にはほど遠いような印象を受ける。

しかし、それでも、形にならなくても、石の上にも3年、政治家も国民も我慢が必要だと思う。

民主党を選択することは変化か停滞かを選択することだと思う。

それを国民は嫌がったのだ。

人間は変化を嫌い、また停滞も嫌う。

安定と昇降状態、気休めを好む。

だから大方の人が自民党に投票したのだろう。

そのほうが前のように、気持ちの安定と気休めになるからだ。

今までそのようにしていたから停滞や減退とは感じられないからだ。

第三極はふたをあければ、マスコミが騒ぎすぎていたのにすぎないことがよくわかる。

選挙は全国でやるもので、東京と大阪でやるわけではないのだ。

全国の指示を得られなければいけないのだが、どうして東北地方や九州地方などの都市から離れた、土木と昔からの代々の習慣を持つ地域からの指示が得られるだろうか?いや、得られないのはわかりきったことなのに、あたかも維新の会が維新を再現するかのような報道は国民は少なからず混乱させた。

日本はこれからも明治維新のように劇的には変らないだろう。

そして次第に選挙、政治というものが国家の二次的な働きになるだろう。

国を動かしているのは、結局政治家でもなければ地方自治体でもない。

国民一人一人の生活で、政策によって、それらは多少影響は受けるが劇的な変化は強いられない。

政治とは距離を置いた教育、これによって日本、国の向かう方向は決まり、国力は養われるであろう。
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『神々は渇く』 アナトール・フランス著

アナトール・フランスはノーベル文学賞受賞者の1人である。

少し前にトーマス・マン著『魔の山』を読んで、偶然また、ノーベル賞受賞者の作品を読んだので、そのついでに、今までに読んだことのあるノーベル賞受賞者を列挙したい。

今までの読書を振り返る意味と、文学の1つの指標であるノーベル文学賞受賞者一覧を確認し、自分がどれだけ読んでいて、まだどれだけ読んでいないのかを把握することは、今後の読書にも役立つと考えたからだ。

おそらく、最初にノーベル賞受賞者の作品に触れたのは、『デミアン』 ヘルマン・ヘッセ著であったように記憶している。

ここでは、受賞年が古い順に並べた。

ロマン・ロラン、アナトール・フランス、トーマス・マン、ヘルマン・ヘッセ、アンドレ・ジッド、アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、川端康成である。

『神々は渇く』についてもいえることだが、これらノーベル賞受賞者による著作の特徴として感じたのは、描写が緻密で言葉選びが的確かつ多彩で、リズムがよく読みやすい上、内容が複雑を極めてはいない。

思想、政治的な時代を反映しつつ、真理、芸術についての著者の視点、あるいは思想が明確に記されている。

伝えたいこと、言いたいことがはっきりとしていて、読者を選ばず、読者にあらゆる収穫を約束してくれる作品となっている。

『神々は渇く』について、率直に、僕たち戦争を知らない世代、21世紀を生きる読者にとって歴史小説はどんなものであっても難しいに違いない。

「コミューヌ」、「ジャコバン派」、「国民公会」、「ロベス・ピエール」、「革命裁判」・・・

聞きなれない言葉が物語中に踊る。

当時の時代背景もわからず、突如としてフランス革命期のフランスが現れ、話が進んでゆく。

ページを繰りながら、僕は戸惑った。

その当時の常識がわからないから、どの立場に立って発言や行動を判断したらよいのかわからないのだ。

しかし著者も、そういうことを見越して―役者も含めてだが、出来事をこと細かく追い、補足にも余念がない。

読み進めていくうちに、革命期の混乱、政治の変遷が理解できてくるから不思議だ。

ここに作家の妙がある。

細かい視点で見ていくと、まず主人公のエヴァリスト・ガムランは画家であるが、その性格は決して流行画家といった職業画家ではない。

思想を持った芸術家だ。

そして情熱を持ち、血気盛んな若者である。

それは彼の作品にも反映されている、しかし、どこか冷徹なものが漂っているように感じる。

彼は知人の女性によって陪審員に任命されその職務に当たる。

時は、フランス革命期、フランスは進軍し、政府は共和主義と、連邦主義にゆれている。

いってみれば、連邦主義は権力による統率、共和主義は人民の意志に基づく政治を目指す。

しかし、人間がある主義のもとに、人々を、世界を裁ききるにはあまりにも彼らは脆弱だ。

ガムランは法律の下、断罪する。

その法律は共和主義なる主義によりもたらされる。

ここに法律のもろさ、欠陥があるように思う。

つまり、その法律が力を持つ範囲内において承認を得られるかどうかが問題になるからだ。

国際法にしてからが、それを是認するということが難しく、それを反復させる運動が起こらないとは限らない。

また、知識という意味での歴史と、歴史小説が描く歴史は根本的に異なる。

もちろん歴史には流れがある、その流れの中ではしかしながら、人間ひとりひとりの生活がある。

それを歴史が覆い隠している。

それを知らせる歴史小説はやはり有能であり、貴重である。

ガムランは法という権力を手に入れ、肥大化した。

人間は決して害毒、害虫ではない。それを虐殺、抹殺しようという考えは持ってはならない。

人間は単純化、合理化がすきな生き物だ。

反革命主義は打ち倒せ!それ以外のなんの動機もなく断罪するようになるガムラン、共和主義。

しかし人々は勝手で、気ままである。その結果、熱狂的共和主義は廃れ、クーデターが起こり、また反作用として被追放者らによって断罪者が追放される身となる。

この物語の筋は、国家、政治の性質と、権力に身を任せる人間の姿を描くことだろうと思うが、一方この物語が優れているのが、ほかの登場人物たちである。

モリース・ブロトという元貴族の老人の思想、性格は特筆すべきものがある。
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成功は川の流れのごとし

成功すること。

それはたくさんの人たち、あるいは特定の人たちを熱狂させることである。

それは富を得ること、名声を得ることなど人によってさまざまだが、成功とは自分以外の相手を想定している。

他人なくして成功という言葉はないだろう。

成功は自分以外の誰かがそれと認める何かに対して存在する概念である。

どうしたら成功できるのか?

僕はこんなふうに考えている。

成功とは川の流れのようなものだ。

評価、流行、お金、これらの僕たちの生活に関係のあることは常に流動している。

それはその要素ひとつひとつを生きている人間が担っているからだ。

たくさんの人たちが少しずつ影響しあっているから当然停滞することなく、流動する。

しかし、自然の摂理によってこの流動体というのは大きな流れに収束する。

これが富の流れであり、流行であり、お金の流れである。

けれども、僕たちが川の流れの成り立ちを考えなくてもいいように、その富の流れなどの成り立ちを考える必要はない。

常に、進行形でその流れは存在している。

政治でも同じことが言えるだろうが、政治思想は常に変化していて、流れが生まれているが、そのなかで生活している人々、政治家にはそれを実感することはできない。

流れができて初めて実感するのであって、その流れのでき始めというのは明確に捉えることはできない。

話がそれたが、この流れが常に存在しているから、その流れに乗っていないほとんどの人びとは成功というのに無縁なのだ。

ほとんどの人はこの流れの外にある。

彼らがこの富の流れなどから恩恵を受けるのは、川の支流から水を汲むようなものでしかなく、たくさんの水を汲もうとしたら本流から汲まなければならないだろう。

あるいは水田を拵えるように本流から支流をつくりださなければならないだろう。

富を得るのはこの方法に似ていると思う。

成功者たち、富を得ている人たちの流れに沿うか自ら支流を築くかである。

僕は後者でありたいと思う。

それにはたくさんの労力と根気が必要である。

流れはかんたんに作り出すことができない。

しかし一度流れができれば、その流れは大きくなる方向に働き始める。

とらえどころのない源流となる一筋の流れをいかに作るかが勝負なのだ。

絶え間ない努力、あきらめない気持ちを持たなければならない。

目に見えて成果が現れるのは一筋の流れができてからしばらくたってからだ。

その一筋の流れをつくるまでがもっとも大変で難しい仕事だ。

それはまったく手ごたえもない仕事だからだ。

人は途中であきらめてしまう、それは目に見える成果が現れないためだ。

しかし、あと一歩でその成果が現れるところでやめてしまっている恐れがある。

あきらめかけているときそのことを思い、希望としよう。

あと一歩のところまできている。一筋の流れさえ作り出すことができれば、それは成功を生み出す大きな流れになると。
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一人旅 江田島 海軍兵学校

ネットカフェでは1500円くらいで一晩を過ごすことができる。

さすがに疲れが完全には取れなかったが、まずまず快適だった。

この日は父に行くことを進められた江田島『元海軍兵学校』の見学をする予定だったので、呉港へ向かった。

呉港から江田島へ向かう船では海上自衛隊の方達が数名いた。

海軍のイメージ通りの白い制服に金色の章がある黒い形の整った帽子をかぶっていたのですぐにわかった。

海軍兵学校は今は海上自衛隊の教育機関になっているのでその関係者だろう。

江田島の小用港から歩くこと40分くらいで着いたが、入口の門の表札が印象的だった。

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ここは時間は指定されているが、無料で見学することができ、OBである現職員の偉い方に案内していただける。

戦時中、ここは海軍兵学校で世界でも三本の指に入る立派な伝統ある学校ということだった。

(たしか、アメリカとイギリスと日本にそれぞれある。)

集会場に案内され、そこで記念撮影をしていただいた。

その集会場の壇上の上方にフクロウが彫ってあるのは、学問の象徴かだからとかなんとかおっしゃっていたがもう忘れてしまった。

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ほかにも立派な建物があり、当時の建設費はとてつもない金額だったようだ。

レンガひとつひとつが精巧に作られているというように細部にまで匠を凝らしてあり、当時の海軍の権力を伺えた。

海に接するように作られている学校で運動場が広く、海岸沿いには主砲や小船など海軍を思わせるものがおかれている。

海を隔て、少し離れたところに小さめの山が見えるのだが、生徒はそこまで15分足らずで訓練によっていくことができるようになるという話もしていただけた。

それほど、訓練は厳しいらしい。

大和の主砲や特攻隊の遺書など博物館のような建物を最後に見せていただいたのだが、入口には戦艦大和の弾が置かれてたりしたが、最も印象に残っているのは、

『東条英機のなにか』(忘れてしまった)がある部屋があり門が堅く閉ざされていたことだ。

僕たちの世代にとって戦争は遠いものとなってしまい、東条英機も山本五十六も名前は知っているが、どのような人で歴史上どんな役割を担い、どのように影響したかということはほとんど知らない。

多少、太平洋戦争の映画や資料館、教科書などで学んだが、それも常識の範囲内かそれ以下だろう。

『やってみせ いってきかせて させてみせ 褒めてやらねば 人はうごかじ』という山本五十六の歌は印象的だった。

特攻隊の人たちの遺書を読みながら、若くして運命に身をゆだね、国のために死ぬのですと両親にあてた手紙がとても胸にささった。

両親よりも国が重んじられた時代。なによりもお国のためにという時代。

その時代に比べるとどれほどひとりひとりの人権が尊重されていることだろう、死の危険もなく平和に暮らせることだろう。

そういった人たちの意志のもとに現代があると思うとただ平和や自由を謳歌しているだけではだめだ。

さらに後世のためにすばらしき世界をつくっていかなければという気持ちになる。
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神の議論は時として屁理屈の応酬

『エピクロスはいっています。神は悪を阻止しようと欲していてもそうすることができないのか、悪を阻止することができるのにそうしようと欲しないのか、悪を阻止することもできずそうしようとも欲しないのか、或いは悪を阻止しようと欲しており且つそうすることができるのか、そのいずれかであるといっています。

神が悪を阻止しようと欲していてそうすることができないのなら、神は無力です。

悪を阻止することができるのにそうしようと欲しないのなら、神は邪悪です。

悪を阻止することもできずそうしようとも欲しないのなら、神は無力にして邪悪です。

悪を阻止しようと欲しており且つそうすることができるのなら、神父様、神はどうしてそうしないのですか?』     アナトール・フランス著『神々は渇く』より

神を論じるとき、この種の命題は逃れることができないだろう。

ドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』では「神は悪を阻止しようと欲しており且つそうすることができるが、そうしない。

なぜなら、神はそういった奇跡によって信仰を得ることは精神の自由が失われてしまうことになるから」と説明する。

確かに僕たち人間はそういった超人的な能力にとても弱い。

超能力のようなものを見せられたら、この人は自分たちとは違った特別な力を持っているに違いないとすぐに信じてしまう。

それが奇跡のような事柄ならばなおさらそう思ってしまう。

キリストはそれを知っていたから、神を試してはならないと言ったのだ。

だが『神々は渇く』ではそのような解釈をつけず、次元が違うというニュアンスで説明している。

大体、僕たちが悪だ、善だと判断のできようはずもなければ、神の意志を感じることも、説明されたとしても理解の範疇を超えているから、このような疑問を起す心こそ誤りがあるという。

神の議論は時として屁理屈の応酬に陥りがちだ。

神がいるかいないか、神を信じるか信じないか。

それは確かに大事なことだ、しかしそれを論じることはナンセンスだと思う。

目的は一人一人のよき生活であり、自然の存続であると信じる。

そのために宗教が大きな役割を担うことはだれも異議をさしはさまない真理だろう。

神、云々の前にこういった平和や幸福に向かう心を育てることが必要だと思う。
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利己主義と利他主義 心の持ちよう

『今、わたしがしていることは、そしてあなたがその価値を過大評価していらっしゃることは、あなたへの愛のためにしているのではないのです。

と申すのも、神父様、あなたは愛すべきお方であるとはいえ、結局のところ、わたしはあなたを愛するにはあなたを知らなすぎるからです。

わたしはまた人類への愛のためにしているのでもありません。ドン・フワンほど単純ではありませんので、ドン・フワンのように、人類はいろいろなことをしてもらう権利を持っているとは思わないからです。

ドン・フワンほどの自由な精神の持主が、あんな偏見を抱いていることはわたしを悲しませます。

わたしは利己主義からしているのです、人間にあらゆる健気な行為や献身的な行為をさせるあの利己主義、われわれをしてすべての惨めな人びとの裡にわれわれ自身の姿を認めさせる利己主義、他人の不運を哀れむことによって自分自身の不運を哀れむ気にわれわれをならせる利己主義、生まれつきと運命との点で自分に似た人間を助けよと我々をそそのかし、ついにはその人間を助けることが自分自身を助けることであるとわれわれを思い込ませるに至る利己主義、―あの利己主義から、わたしはしているのです。

わたしはまた徒然のあまり、しているのです。

と申すのも、人生はいかにも味気ないものなので何はともあれ気を紛らさなければなりませんし、善行はさしておもしろくもない気晴らしであるとはいえ、ほかにもっと楽しい気晴らしがない場合には、われわれが自分に与えることのできる気晴らしの1つだからです。

わたしは傲慢から、そしてあなたに対して有利な地歩を占めるために、しているのです。

要するに、万事を自分の方式で割り切ろうとする頑固な精神から、そして無神論者にもどんなことができるかということをあなたに示してみせるために、わたしははこんなことをしているのです。』     アナトール・フランス著『神々は渇く』より


利己主義と利他主義は永遠のテーマだと思う。

利他主義的な生き方が正しいとするのが世間一般の常識だが、気になるのがどちらの主義にも利という言葉がついていることだ。

自分を利することと相手を利すること。

果たして相手を利するまでする必要はあるのだろうか?

相手に危害を加えるのは言語道断、そのような権利は誰にも認められないし、人道に反することだ。

それと同様に、己を犠牲にし、他人を利することを強制することは己自身の権利に反することにちがいない。

また文学や芸術を考えているとこういった主義の相違に行き当たる。

人はえてして、結論を下したがるし、安易に判断したがる。

第一、こういった主義が定義され、その主義に考え方を区分するというやり方自体が強引な短絡的判断だ。

指標としての定義区分はその道の初心者にとって有益なものであるからその点ではとてもいいとおもう。

しかし、定義ありきの議論や創作というのはナンセンスだ。

制作にしろ、行動にしろ主義に定義されているにもせよ、結局は好みの問題である。

常に、自らの心底の気持ちと相通ずる主義を探求し続けることが重要だと思う。

それとここには主義についてと、人生の味気なさの気晴らしとして善行について書かれている。

人生を味気ないものと捉えるのならば、善行がその気晴らしであることを認めざるを得ないが、もう1つ付け加えたい。

それは、その味気ない人生を色づけ、豊かにするものは、詩や歌、芸術、人との交わり、つまり『心』の作用である。

『おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは こころなりけり』 高杉晋作 
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一人旅 広島の夜

旅2日目の夜、僕は広島の街を徘徊した。

バックパック1つ、『マツダ zoom zoom スタジアム』や広島駅構内、周辺。

歩いていたら、空腹を感じ、向かったのは『お好み村』

800px-View_of_Chatsworth_House,_England

この『お好み村』は広島名物のお好み焼きの名店が1つのビルに集結し、本場のお好み焼きを気分に合わせて、冒険心、好奇心で選んだ自分の好きなお店で食べられるのだ。

広島のお好み焼きは麺がはいっていて食べ応えがあるから好きだ。

しかも、旅にはその値段と栄養と腹持ちは強い味方だ。

この日の夕食はお好み焼きのみだったから少しひもじい気持ちだったが、時にはこういう経験も必要だろう。

しかも、宿をとるのをやめ、ネットカフェで一晩明かすことにした。

近くの公園のトイレを洗面所代わりにし、顔を洗い、歯を磨いた。

一生のうちでこんな経験はあまりしないだろうし、若いからこそできることだとおもう。

いいおじさんがトイレで歯を磨くのは体裁としてはあまり好ましくないだろう。

その晩、ネットカフェに泊まる人は僕を合わせて数人いたようだ。

服をカーテン代わりにしていたのでそれでわかった。

安全面を考えたら、かなり危険だし、貸してもらえるのはひざ掛けのみだから背中は痛いし、足を伸ばすのもいっぱいで熟睡などとれようはずがない。

長い旅を続けようとした自分にとって、誤った判断だったと今になって思う。

安全な寝床があるということは幸せなことだと実感した。


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1°の違いはやがて大きな違いとなる

僕は自分のプライドをお金で売りたくはない。

無理解にはもちろん言葉がいるし、何事にも方式や形式、順序がある。

僕はそれを否定するものではない。

相手の全てを理解することは不可能であるし、そこに言葉がないならばなおさらだ。

ただもしみんながもっと本質や大事なこと、相手の気持ちや行動を注意深く見ることができるなら、そういった誤解や不和は多少和らぐに違いない。

僕は誰にも迷惑をかけたくなかったし、道理に合わないこともしたくはなかった。

でも、根本に見えない不都合が生じていれば、自ずとすべての歯車が狂ってしまう。

運命を呪うつもりはないが、運命のいたずらがなかったらどれだけすんなりと事が運んでいったのだろう。

角度のようにたった一度の違いでも、離れれば離れるほどその違いは大きくなっていく。

そのように進めば進むだけ、制限され、進みたい道から押し戻されてしまう。

できるならばもっと素直に親孝行ができたらよかった。

それを望んでいたし、そのためにがんばりもした。

でも結果はそのがんばりに比例するように、僕を苦しめ、両親に迷惑をかけることになった。

単純に迷惑をかけのなら謝れば済むのに、元の欠陥から生じた問題のなにを謝罪すればいいのか僕には分からない。

ただ、なんとか自力で始末をつけて、この経験を糧に成長し、親孝行ができるようになりたいとおもう。
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一人旅 世界に誇る絶景、宮島、厳島神社

原爆ドームを後にし、ローカル線で向かったのは世界に誇る絶景『宮島、厳島神社』である。

宮島へ向かうフェリーに乗るのもとても楽しかった。

少しずつ、宮島へ向かっていく、瀬戸内海の広さを感じ、それほど大きくは見えない宮島。

厳島神社の赤い大きな鳥居が宮島の陸地と共に見えてくる。

日本三景の一つである、美しき『厳島神社』にこんなに早くこれるとは思っても見なかったので、感慨深かった。

同時に残りの二つ、『天橋立』と『松島』へも絶対に行くと心に決めた。

まだ世の中の深さも知らない20歳で見た宮島は僕の世界観を広げたように感じた。

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晴天の青に、光を反射しゆらめく濃紺の海面とに映える朱と茅葺屋根。

まさに絶景。すばらしき景観。

宮島は厳島神社だけでなく、散策するのもとっても楽しい。

牡蠣や揚げもみじ饅頭、あなご丼といった名物を食べながら古くからの文化がある宮島を散策すれば日常と違った風景にであうことができる。

僕は山頂の方まで上っていき、眺めのいいお寺の広間のようなところで読書をしたことを覚えている。

宿泊施設もいくらかあるみたいで、ゆっくり食事をしたり散策をして過ごすのも心癒されるにちがいない。

一人旅はいつしか文化や歴史に触れ、絶景を楽しむ旅へと変っていた。
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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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