万能の天才、ダヴィンチの手記より

レオナルド・ダ・ヴィンチは「万物の天才」として有名である。

正真正銘の偉人とされる人物だ。

しかし僕たちはあまりにレオナルド・ダ・ヴィンチに関する知識をもっていないのではないか?

そう考え、彼について少しでも実際の観念を持つために「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」を読んだ。

僕はそれを読む前は彼を偉人として漠然と尊敬もし、天才たるゆえんをその作品に見出していた。

作品を見るにしても、この手記における記述を読むにしても彼の生きた時代背景や現在との時の隔たりの実質的な感覚をもつ必要があるのだが、それが難しいため正当な評価を下すのはほぼできない。

だからあくまで手記を読んだ印象である、作品も同様である。

モナ・リザであれば世間的な評価によるところが多くもはや価値観の意味での自分の目だけで見ることはできない状態だ。

レオナルド如何の前にこの上下巻はどうだろう。便宜的な分けられ方がされているわけだがこれは退屈だった。

上巻には人生論と文学論、絵画論が含まれており、彼の人生に対する鋭い視点や世界を正確に捉える観察力を知ることができとてもよかった。

彼は絵画を文学よりも上位においている。

それというのは絵画は現実を超えたものを人類の眼前にまさにありありと現すことができるからだという。

文学というのは文字によるものであり、文字というのはこの世界において二次的な役割であるから、それによる表現はやはり自由度を失う。なるほどそのとおりだ。

下巻は退屈だった!

これを楽しんで読み進められる人はどんな人なのだろう。

科学論にしても正しき科学論ではなくして、確かに正しい理論、現在にも通ずる概念もたくさん含まれている。にしても現在との隔たりを自分なりに補正しながら読まなければならない。

しかもそれが現在の大方既成概念によることなのだ。知識欲を満たすものではなく、レオナルドの観察眼や思考、想像力の一端を見ることができるだけだ。

ただ普段感じることのない天才と呼ばれる人の「天才」に触れることができる。

論理的思考と、鋭い洞察力、観察力、集中力。

彼は実験を、すなわち結果を重視した。

実際に存在する鳥をよく観察することで飛行するための手がかりとした。

それは現在の僕たちにとって有益な発想である。

すでに今の世界は計算による数値的な理解である。

しかしよく観察し、実際に起こっていることに対する的確な分析が必要であることは原発事故でも明らかなように今必要な人間の力であるが、そのことを教えてくれた。

有名ではないが、惹かれた絵画があったので載せておく。
http://blogs.yahoo.co.jp/tctbx135/31530838.htmlから転載

マグダラのマリア (レオナルド・ダ・ビンチ16世紀初頭)

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肉体労働は悪いか

猛烈に強い台風17号が日本列島を襲った。

僕はそんな中、屋外で仕事をしていた。肉体労働だ。

肉体労働、その響きは低賃金、悪条件、重労働という雰囲気を持っている。

でもよく考えなければならない。

肉体労働と対極にあるのは普通、サラリーマンのような会社の従業員のことだろう。

どちらにも管理する人がいて、管理される側である。

純粋に管理するのは会長や社長職しかないのでほとんど管理される立場にある。

肉体労働と聞くと印象は悪いが、実際どうだろう。

僕は今日の台風で大事なことに気がついたように思う。

肉体労働のすばらしさは自然を感じることができることである。

台風が来たならばその日や明日の仕事のための準備や対処をしなければならない。

このとき、嫌でも自然に対する人間の無力さを感じざるを得ない。

営業の為、利益の為に台風をコントロールすることは不可能でただそれに合わせて被害を受けないように対処するしかない。

しかし、こうして自然との共生を実感することは生きていく上でとても大切だと思う。

ただしここで言う肉体労働とは機械の代わりをするような仕事ではない。

つまり車のレーンで部品の取り付けなどそういった単純作業。

できることならばこういう仕事は避けたい。やはりやりがいを求めたい。

本当のやりがいを求めるならば肉体労働の中にそれはあると思う。

実際に足を動かして、体を動かして人のために働く、自然の中で空気を吸い、日差しを浴びて、汗をかき、適度な疲労感をかんじながら家路につく。


それはすばらしい日常である。

やりがいのある仕事なくして、真の幸福はありえない。
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心やすらぐ、牧歌の里

全国的にどうかわからないけど、中部地区愛知ではみんな知ってるこのCM。





Aから半券があると入場料半額になるから行こう。と言われ今日初めて「牧歌の里」へ行った。

入場料1,100円のところ550円になった。とてもお得だ。

入場してメインハウスを出ると芝生広場に出る。

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奥に見える建物は高原のパン屋さんやポプリを売っている雑貨屋さんなどのお店。

昼食はそのパン屋で買った惣菜パンやジャージー牛ミルクパンを芝生の上で食べた。

その向こう側に花畑がひろがっている。今の時期は「ゴールデンピラミッド」という花が満開だった。

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写真でみえる以上に鮮やかなややオレンジがかった黄色に見えた。目がチカチカするほどだった。

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ああ本当にすばらしい景色だった!ほのかに香る高山植物や季節の花々が美しかった。

空気と風も気持ちよかった。こんないい場所だなんて知らなかった!

芝生広場の隣には小さな牧場があり、そこでは動物たちと触れ合える。

馬や羊にえさをあげたり、牛の乳搾りや乗馬体験、牛舎で牛やうさぎ、馬の飼育されている様子も見ることができる。

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動物たちを見ていると生きることを教えられる。

動物たちの目は従順、純粋そのものだ。彼らにやましい考えや醜い考えはこれっぽっちもない。

素直にえさを食べ、飼育員の言うことにしたがっている。黙々とえさを食べる姿。

里内におしゃれなカフェがあったのでそこでハーブティとケーキのセットを食べて休憩。

雑貨屋さんでポプリとドライフラワーを買って帰途に着いた。

とても充実した心洗われる一日だった。
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討論番組について

家に帰ってきたらちょうどEテレで「徹底討論!ニッポンのジレンマ」という番組が放送されていた。

今に始まったことではないが、ツイッターやfacebookの影響もあってさまざまな様式によってこのような討論をみる機会が増えた。

まず率直に思うことは、彼らは当事者ではない。お偉い先生方や時の寵児、政治家が討論してもなんの結論も解決もしない。

そもそもこの手の討論は結論を出すことが目的ではないことはわかっているが。そういいたくなる。

そして彼らは自論一辺倒で意見を変えることがない。

歩みよりもしない。僕は大学に通ってそう思った。教授たち、あなたたちにはなにかが確実にたらない!

結局パフォーマンスだ、自己顕示なんだ。

世界を、日本の社会を動かしている人たちよ、あなたたちに僕は任せる、日本の未来と世界の未来を。

ただ、傷つけあうような結果をもたらすことはやめてほしい。


僕は、ずるいのかもしれない。

僕はこの手の議論に参加したくはないし、こういった問題について考えたくもない。

日本はこれからどこへ向かうべきか?日本のあるべき姿とは?

こんなことを考えるのは野暮だ。ナンセンスだ。

そんなことではない。

人を愛する心を持ち、自然を愛することだ。

僕は経済や歴史や国際関係などについて詳しいことはわからない。

なにが問題とされていて、どういった解決が見出せるのか、どうしたらまるくおさまるのか知らない。

でも、危ない考えかもしれないが、僕はこう思う。

争ったり、不満がたまるのであれば、尖閣諸島にしても竹島にしても、もう相手の好きにすればいい。それではどうしても弊害がありすぎるというのなら、誰のものでもなくすればいい。平和のための記念碑にすればいいじゃないか。「私たちは争うことなく互いに譲り合うことで問題を解決した」と。

僕たちは小さなことしか見えなくなってしまったり、小さなことにこだわってしまったりする。

領土がなんだろう、資源がなんだというのだ。

国のやる仕事はそういうことではない、その場合に国民が損害を受けないように支えたり、援助することだ。

時は流れる、世界は変わる。

すべては過ぎ去る。たいしたことではないではないか。
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アンドレ・ジイド 『背徳者』

アンドレ・ジイドを知ったきっかけはなんだっただろう。

店頭においてあった『狭き門』だろうか、ランボーの作品を読んだときの解説中に名前が挙がっていたのだろうか。

なんにしてもジイドは僕の中でいずれは読まなければならない作家であった。

今回なんでもいいから買おうと思って買ったのがこの『背徳者』だった。

買ってから作者がジイドだと知った。普段そんなことはないのだが今回はある意味適当に本を選んだ。

一応説明書きを読み「書物と廃墟しか知らない成年が病気になり、そこから回復し、生に目覚め、背徳していく」という文句に惹かれた。

僕が期待していた内容は「背徳者」というくらいだから放蕩の限りを尽くし、もっと過激さがあるならば、殺人や姦通などそういった文字通り神に背く行為とその魂の葛藤が描かれるというものだ。

しかし、実際に読んでみるとまったく過激ではない。

「背徳者」と言いうるかも意見が分かれそうなくらいである。

そして全体的にバランスがとてもよかった。

さまざまな土地がでてくるがその描写がある程度鮮明だったし、適度に主人公はその土地と交わりを持つ。

主要な3人以外との人物とのやりとりはあっさりしていてまどろっこしくなかった。

さて、その主要な3人は主人公、マルスリーヌ、メラルク。

主人公は自我を深く解き明かそうとはしない。表面的なだけのようなきがした。

若い感じだ。中身がない。現代のように頼るべき概念を失っている状態と通ずるものをかんじた。

現在の鮮やかさに薄れる過去、未来の不確定さによって害される現在。

大きなまとまりの中で自分を抑えて大きな流れにのることが生を尊重するというのか。

芸術はいままで美を見出されていなかったものを先立って見出すこと。

こういった人生に関する有益なエッセンスがちりばめられていることもこの作品のすばらしいとこだろう。

僕たちには自分自身を自分の意志で働かせることができるが、意志はその向かうところを意志することはできない。

信仰というと大げさかもしれないが、この世界や感覚、意思というのは僕たちの力にはあまりにもあまりある。
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所有物などない

この世界に僕の所有物など存在しない。

すべては一時的に僕の手元にあるだけである。

だけどそのことを忘れがちだ。何かを所有するとは何かに執着することである。

何かに執着することは何かに縛られることである。


今の世界で一般的に所有するとは購入した、あるいは生み出したものである。

お金で購入したものは単にお金と交換しただけ、場所を移動させただけである。

そして、そのお金は自分に与えられた時間、能力と交換しただけのことだ。

つまりすべては場所を移動させているだけなのである。

何かの代償、何かの犠牲という考え方はやめたほうがいい。

これは幸せをうまない。やさしさや寛大さを失うだけである。
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富を得ることについて

富を得ることについて少し考えた。

特にここでは金銭を問題にする。富といえばいろいろなものが実際にはあるのだが、富=巨額の金銭ということにする。

まず僕たちはお金に関してそれぞれさまざまな概念、先入観を持っている。

年収1,000万なら金持ちだ、とかフェラーリを持っている人が金持ちだとかほんとに人それぞれ。

しかしながら大体共通している感覚も存在する。

とりわけ日本の場合、若いうちは薄給、高学歴でなければ給料はよくない、働く時間に給料は比例する、年を追うごとに給料が増える。

これらは実際のところ構造上の話である。

つまりなんの構造上かといえば、経済上の会社という組織内における構造である。

この経済という枠組みの中で巨額の金銭を得ることはほぼ不可能である。

考えてみればわかるが、会社の単位、世界経済の中である一つどころにお金が集中するなんてことはありえないわけだ。

経済は常にまわり、お金はものすごいスピードでまわる。

そこに安定した報酬が上がってくるという仕組みができるわけがない。

常に、銀行や投資家によってお金の制限や操作が行われている、もちろんバランスを保つためである。だから大きな会社で勤めるということは巨額の金銭を得ることと完全に縁を切ってしまうことになる。


巨額の金銭を得るためには自分と消費者との直接の関係を結ばなければならない。

そしてもちろん報酬というものはその代償としてサービスやモノを提供しなければならない。

さて、巨額の金銭を得られるようなサービスやモノとはなにか?

ここで考えなければならないのは、モノのそれ自体の物理的な価値には限界がある。ということだ。

もちろん、たくさんの人にモノを一度に提供することができるのならば、巨額の金銭を得ることは可能だ。

だが安定的に提供できるか?ニーズにこたえ続けることができるか?それが難しい。

それよりも付加価値をつけることのほうが賢明だとおもう。

いい例がブランド品である。

もちろん品質はすばらしいものがあるが値段の割合からしたら実質の機能はそれほどの大差はない。

人々は何にお金を払うのかといえば、その人や実績、歴史、伝統にお金を払うのだ。

つまりは個性や他と差別化された確固たる品質により以上の金額を払うである。
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聖地、貴船神社

僕は「月桂冠」のCMを見て、貴船神社というすばらしいところの存在を知り、行きたくなった。

最近ではTVという存在の根底がさまざまなメディアの発達によって揺るがされつつある。

それに伴って、TV自体の質というものも下降傾向にあるように思う。

しょうもない番組やくだらないCM、そして視聴率が至上になっている。

一方で、そんな中でもすばらしい目を引く番組や、CMなどもある。

訪れるきっかけとなったCMもそんなすばらしいCMである。



このCM中にはうつくしい場所がたくさん出てくる。

特に貴船神社が印象に残った。

再びブログに載せた、この機会に見てみると東福寺も行ったことがなかったので今度行きたい。

それでここで紹介されている名所を制覇できる。

やはりこういう何かを制覇する、やり遂げるというのは気持ちがいい。

さて、何といって貴船神社の本宮参道は独特な景観である。

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赤灯篭がこれほどまで並んでいる光景はやや奇妙な感もするが、緑と赤の対照が実にいい。

そして、本宮にある御神木がすさまじい生命力でこの地のエネルギーがものすごいものだということを実感することができる。

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またここには水占おみくじという神水に浮かべることで占うことができるかわったおみくじがあった。

本宮から奥へしばらく歩いていくと結社をすぎて、奥宮がある。

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左手前に見えるのはよく見るとたくさんの石が積まれているのがわかるが、これにはある伝説が・・・
奥宮本殿の下は龍穴といって大きな穴があいているそう・・・

そういえば、貴船神社まで至る貴船川沿いでは川床で料理が食べられる。

鮎料理などが味わえる。夕食は最低1万円くらいだったので無論僕たちは食べることができなかった。

この光景は風情があるように思えるが、外国人からしたら驚くべき異様な光景だと思う。

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貴船神社を包む山一帯がエネルギーに満ち満ちていた。

来るだけで僕たちは大自然の力を得ることができると思う。

またそんな気持ちになったら来たい。
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母へ

僕はあるひとつのことによって「幸せである。」ということができる。

それは、今の年まで両親が健在であるということだ。ちなみに現在23歳だが。

それだけでも感謝しなければならない。感謝というのはしてもしてもし足りないものだ。

だからこそ、常に心に感謝の気持ちが湧き上がるような人間にならなければならない。

その対象はまず両親だと思う。身近だから忘れがちである。でも大切だと思う。

親子関係にはせめてこの子供からのできるかぎりの「感謝」の気持ちだけで十分だと思う。

先日母に対していった言葉が少し心にひっかかっている。といっても後悔しているわけではない。

それは大方のところは真をついているような気がするからだ。

「母親は子供をあたかも自分の持ち物のように感じている。だから子供に対する言葉や行動が親身を超えた厄介なものになっている。子供が自分の意図しない状態になることに不安を覚えるのが嫌だからそういう意に反することに反対するのだ。」

僕は、子供は思ったよりも強く生きられるはずだと思う。そんなやわではない。

多少の苦労や困難はむしろ喜んで立ち向かおうと思う。

僕たちは若いのだから。

だから自由にさせてほしい。思うがままに素直にシンプルに行動したい。

あれこれと策を立てるのはもうすこしあとでもいいじゃないか。

若いのだ、なんとでもなる。
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大エルミタージュ展(名古屋市美術館)

大エルミタージュ美術展が今月30日まで名古屋市美術館で催されている。

その名にあるようにロシアが世界に誇る「エルミタージュ美術館」の所蔵品の展示である。

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僕はずっと開催当初から行きたかったのだが、なかなかいけずにようやく今日念願叶い、行くことができた。

平日なのに想像以上に人がいて驚いた。やはり話題性抜群なのだ。

率直にざっと見てまわるだけでもすばらしい作品の数々に驚くだろう。

数の豊富さに加え、その質もすごい。それぞれが強烈な個性を放っている。時代を反映している、発展の脈絡を示している。

今回最も好きだったのはシスレーの「ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌ風景」だった。

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今回のものは構図や色合いが今ひとつ僕の気に入らなかったが、セザンヌの静物もとてもよかった。

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レンブラントが1枚だけ、フェルメールが1枚もなかったのが残念だった。

新古典主義の風景画などいい風景画もたくさんあり、充実した美術展だった。

絵を見るだけではなく、作品の解説や時代の説明なども本当に有益だ。

今回は芸術の変遷について詳しく説明があったため今までよくわからなかった新古典主義やロココ派なども理解することができた。

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世界遺産をめぐる三人旅(慈照寺、銀閣)

三人旅の2日目は京都を訪れることになった。

もともとは高野山と比叡山にいき、真言宗と天台宗の違い、町並みや寺院などを比較する予定だったが、比叡山が思ったよりも開山時間が短いこと、向かうまでの道のりでいろいろとうまく時間を使えなかったことによって十分な時間を作ることができなかったから断念せざるを得なくなった。

京都はすでに何度か訪れたことがあるが、今回は車旅ということもあり、市内から少し離れたところや、普段行かないようなところをいこう、ということでその候補に挙がったのは(といっても僕が自ら挙げたのだが、)慈照寺(銀閣)と貴船神社。

慈照寺はすこし主要な観光場所、清水寺や嵐山から少し離れているし、並び紹介される鹿苑寺にやや分があるためあまり一般的に訪れない人が多いのではないか、実際に僕も訪れたことがなかった。

ちなみに慈照寺も世界遺産。

さて、銀閣のすばらしさは構図による表情の違いである。

銀閣をそのまま全面に押し出すような構図はナンセンスである。

まず、あの暗い材木質に白の独特な障子窓が3つ並んでいるのを強調するのは悪趣味だ。

構図として、その3つの窓を強調しないこと。樹木の透かしや、銀閣を遠景として用いるなどするべきだ。

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銀閣は庭園内の1つの背景に過ぎない。そのように捉えなければならない。

そして、もっと衝撃的なのが向月台と呼ばれる砂の山と銀沙灘と呼ばれる盛り砂である。

江戸時代後期につくられたらしいが、たぶん元はあんな奇怪な形をしていなかったように思う。

もう少し台形の上面の部分は広く全体の高さはもう少し低めかったのではないだろうか。

そしてその捉え方も平面的ではないはずだ。

実際にすばらしい構図を得ることができなかったのが残念だが、真の美しい見え方というのがどのようなものなのか知りたい。

絶対に正しい見方。意図があるはずなのだ。

訪れる少し前に「仕事ハッケン伝」という番組の庭師の回で京都の庭が紹介されていたので参考になった。

向月台は遊び心で日本庭園にはその遊びが大事だという。

また、枝をうまく切ることによる透かしや岩をあえて配置する作為の無為というようなこともなされるらしい。

日本庭園は奥深い。
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カラマーゾフの兄弟

カラマーゾフの兄弟といえば、文学において世界屈指の名作である。

しかし、たやすく読了できるような代物ではない。

内容は別にして、とにかくボリュームがすごい。

僕は新潮文庫で読んだが、3分冊されていて1冊が600~700ページ。

そして何がすごいかといって、風景描写や客観的な心理描写などにほとんどページが割かれていないことである。

大部分が会話になっている。

その会話の中で小説内の事件や、出来事を分析、解説していく。

読者はその場面にのめりこんでしまう。その一方で言葉が洪水のように脳内に流れ込んできて、頭の柔軟性や、理解力をもってしないことには汲み尽くすことはできない。

頭の中で整理できずに、途中で読むのをとめざるを得なかった。

普通の小説にはここまで要素を入れ込まない。

これは無茶だ。乱暴だ。

1つの大きな筋の話を組み入れ、―これだけでもかなりの要素を含んでいる、すなわち親殺し、そこに至る人物たちの思考過程、行動―そこにからませて、恋愛、少年時代、信仰、神などに関する小さなまとまった話も展開させる。

こういった全体像をつかむには最低2度は読まなければならないだろう。

今回が2回目だったが、その大きな筋の誰が犯人なのか?を明確におさえて読むことができたからサイドストーリーのエッセンスも十分に捉えることができたように思う。

この書物のはじめに2部作であることが言及されているのだが、結局作者の死によって第2部は完成をみなかったわけだが、第1部だけでもすばらしい。

しかしながら、第2部がないことはとても惜しい。

アリョーシャの最後の場面の少年たちへの言葉は明らかに、今後のアリョーシャの行動をなにか示唆しているし、ドミートリイはこれから真の死や罪に悩まなければならない、イワンは死ぬのか、カテリーナとの愛にすすむのか。

第2部には形而上学的な思想ではなく、実質の体験を通した実感のある感情が展開されたに違いない。

特にアリョーシャが本領を発揮するはずだったに違いない。

とにかくすばらしい作品。

これを読まずして死ねるか。

小説の可能性、小説の奥深さ、小説とは何か?についてある一定の答えを示した「カラマーゾフの兄弟」。

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世界遺産をめぐる三人旅 (高野山)

世界遺産をめぐる三人旅。

今回で4度目になる。

メンバーは中学校の同級生、TとK。

どうして始まったかは覚えていないが、自然と毎年夏の恒例行事となった。

とにかく車で普段なかなかいけないところを気合を入れていくのが目的だった。

すると自然に世界遺産のような少し奥まった僻地のような場所へ行くことになる、そんな流れでこうなったような気がする。

さて今回は高野山に行くことになった。

これはほとんど僕の希望である。

高野山といえば、中学校で習った空海(弘法大師)が真言宗を金剛峰寺で開いたとして知られる。

知っているだけでは、なんにもならない。一度でも自分の目で見て、感じなければならない。

そういった思いだった。

着いてみると、想像以上に一帯が仏教の町という雰囲気だった。

僕はてっきり、金剛峰寺という大きなお寺があるだけだと思っていた。

実際は高野山と呼ばれる地域にたくさんのお寺があり、修行の場という雰囲気、まったく山上の別世界だった。

「金剛峰寺」・・・

言葉には限界があるし、それ以前に僕には適した表現をする力すらない。

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超えてきた時間がまったく違う、この世界は我々のものだ。といわんばかりの堂々たる構え。

横広に低重心かつ伸びやかな屋根の反り。

勇ましすぎた、圧倒された。

使われている木々もそれはすばらしいものだった。

もちろん高野山を散策したが、それをいちいち書いていたら膨大になるから省略する。

そして、奥の院に行った。

ここには空海が今も実際にいるとか、真の仏になっているとか、よく宗教観はわからないけど、とにかく厳かな場所でそこに行く途中の参道には豊臣秀吉や明智光秀などのお墓もあり見ごたえがあった。

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この橋を渡ると、そこは聖地である。

今までこれほどまでに荘厳な場所に足を踏み入れたことがなかった。

一言に宗教といって、僕たちは漠然とあいまいな少しさめた目で見てしまったりするのだが、人間の神秘である。

僕たちが打ち勝てないエネルギー、高尚さがある。

そういった経験ができたことは本当によかった。

力である。万物を超えた力である。力といってしまったが僕たちを大きく凌駕している何かである。
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美しきもの ~法隆寺~

法隆寺が見に行きたくて、見に行った。

法隆寺は限りなく美しいと思う。

スカイツリーの建設に法隆寺に使われている技法が用いられたことで最近より注目されているのか平日にもかかわらず人が多かった。

なにがすごいかといって、まず敷地内にあるどの建造物も歴史的価値が計り知れない。

そして、状態もすばらしい。

飛鳥時代の様子が時代を超えて感じられる聖なる場所だ。

世界最古の建造物群として知られ、世界遺産に登録されている。

風景をどこから切り取ってもすばらしい構図をもった景色となる。

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今よりもずっとずっと前の人々はここに足を運び、そういった信仰の元、生活を送っていた事実の証拠である。

やはりすばらしい国である。

僕たちの心の奥底にこういった感覚が備わっているに違いない。
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愛知県尾張旭市 Trattoria GoroGoro giappone(元、八百八 ご櫓ご櫓)

今日は是非この表題のお店を紹介したい。

もし一人でもこの記事を見てお店へ足を運んでくれたならうれしい。

僕はお店にしろ、品物にしろ本当にすばらしい、良いと思ったものはほかの人にも同様の思いをしてほしいとおもう。

それに、そういう体験を提供してくれた人や、お店にできるだけうまくいってほしいとおもう。

できるならこのブログでそういった力添えもしたいとおもう。

外観の写真があるとよかったけど、ないので料理を紹介。

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スズキ、カツオ、アオリイカ、しゃこの盛り合わせ、海ブドウも添えてあって、涼しげで見た目にも鮮やかである。

質のいい食材がそろっているのが魅力。

ランチがとてもお値打ちで驚いた。

一度ランチにいくといいとおもう。

ランチメニューはパスタを二種から選び、前菜は二品、食後に飲み物がついて1,300円、デザートが200円でこの日はミルフィーユだったが、これはかなりお得だった。

場所は瀬戸街道を瀬戸から名古屋方面に走り、尾張旭駅をこえると右手に見えてくるビルの一階のお店である。

駐車場は入り口すぐと、向かいにフェンスで囲われたところとがある。

なぜこんな記事を書いたかといえば、ここのお店、元居酒屋だったんだけど、変わってしまった。

内装も雰囲気も、質も以前と変わらないので、ぜひこのまま続けてほしいという思いをもったからだ。

是非足を運んでほしい。

僕自身もまた近いうちに行きたい。安くておいしくて、近い。すばらしい。
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仕事の貢献度

バイト中に掃除をしながらこう考えた。

たとえば僕が一生懸命に仕事をする、今の場合ならまじめに掃除をする。

自分なりにまじめに仕事に取り組んだ、気持ちがいい。と考えがちだが、これは短絡的で、ただの自己完結。

本当の仕事というのはその人の貢献によってその会社などの状態が好転させることである。

すなわち、仕事の貢献度を示す指標はその人がいなくなった後の会社などの状態に表れる。


このことをKさんから学んだ。

会社のすべての人がKさんがいなくなったことで全体的に汚くなったことを感じている。

つまりはそれだけKさんの掃除という仕事が行き届いていたのだ、彼の仕事のおかげで会社は汚れずにいたのだ。

ところが彼が去った今、日に日に社内の汚れは目立つようになっている。

僕の目指すべき仕事のあり方はここにあると思った。

たとえば僕がいなくなったことで会社の状態が悪くなってしまうだろうか。

そうなると予想できないのならまだまだ仕事のやり方が甘いし、その仕事がオリジナリティを持っていないことになる。


つまりその仕事に価値がない、報酬も大してもらえない。という結果になる。

僕は自分がいるからその貢献している対象が好転する、良好な状態でいられるというような存在にならなければならない。
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西日本 芸術旅 7日目(有馬温泉)

今までずっと有馬温泉に来たかった。

有馬温泉は古くから名湯として知られているからだ。

温泉はこういう長旅の疲れを癒すにはもってこいである。

そして日本人であればその泉質を楽しみながら、季節や風景、旅館、食事に至るまで存分に五感を楽しませることができる、すばらしき場所だ。

日本には数限りない温泉が存在するけど、少しずつ制覇していきたいと思う。

次は、草津に行ってみたいと思う。

そして、温泉地を訪れると、また違う温泉の存在を知ったり、旅の途中でみかけたりして少しずつ行きたい温泉が増えていく。

これもまた楽しい。

加えて、温泉はアクセスしやすいところにあることは少ない、有馬温泉もその例に漏れず、電車を乗り継いだ山の中腹に存在する。

温泉街の細い道と、坂と古い町並み、すこし寂れた風景、湯煙など散歩するととても楽しい。

そして温泉街の一帯は歩けない距離ではないのもうれしい。

有馬温泉街は源泉をくみ上げているところが2,3箇所あり、湧き出ているところもあってそれを目指して散策するのもおもしろかった。

泉質には二種類あり、赤色、酸化鉄の色の金泉

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無色透明、炭酸を含む銀泉

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有馬温泉・・・

話には聞いていたがすばらしい温泉だ。

金泉は本当に、さびの中に入っている気持ちになるし、タオルがさび色に染まってしまうので、結局銀泉に入ってから出ることにした。

すばらしい泉質だ。
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西日本 芸術旅 7日目(神戸)

三宮のカプセルホテル、快適だった。

三宮に来るまで、神戸は神戸港のイメージしかなく、ほかに観光するようなところがあるなんて知らなかった。

しかも、三宮が都会で人があふれていることも知らなかった。やはり来てみるものである。

中華街もあって、横浜に来たみたいだった。

そして調べてみると異人館街という、洋館が立ち並ぶ一帯が山腹にあることがわかったのでそこを散策することにした。

こんなおしゃれなスタバがあったので、ここのテラス席で朝食をとった。サンドイッチとティー。

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異人館街は思っていたより観光業よりになっており、どこを見るにしても入館料が必要で、セット券で安くなるといったように面倒くさいことになっていた。

どの建物も個性的で中に入りたいのだけど、すべて入ってたらすごくお金がかかるし、だからといってそれぞれの館内はそれほど興味深いものでもなかったので結局どれにも入らずに外観を見るだけにとどめた。

中には無料解放のところもあったのでそういうところを楽しむことにした。

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少し前にNHKの連続ドラマ小説の舞台になったみたいで、もしそれを知っていたならもっと楽しめたに違いない。

街の景観の1つの美様式として有益なものがあった。

この一帯から外れてもちらほらと文化財クラスの建物を発見することができた。

少しはずれにある雰囲気が景観とマッチしているフレンチレストランで昼食をとり、三ノ宮駅へ向かい、まだ少し時間があったのでアーケード街をふらふらした。

古書店やバウムクーヘンのユーハイム本店をみつけたりとそれだけでも十分楽しかった。

有馬温泉へは電車を乗りついて1時間ちょっとで到着した。
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障害者と向き合う

僕は障害者と向き合ったとき、自分の偽善が隠しようもなく心に表出してくるのを感じる。

僕は平気で人の役に立ちたいとかみんなが楽しくすみよい社会になればいいという思いを持つ。

確かにそういう理想とか中身のない空想を願うことは悪いことではないかもしれない。

しかし、そんな理想や空想を胸に描くとき、僕は現実の人々や社会情勢などをまったく考慮していないのだ。

平和とか献身とはほど遠い場所で生きている人たちが大勢いるのだ。

大体、自分が人の役に立てるという状況自体がありがたいことなのだ。

自分のことだけではなく人にまで世話を焼くとは僭越かもしれないし、自惚れ出すらあるかもしれない。


こんなことを考えたのには理由があって、

今日、母の知り合いの人がバウムクーヘンを届けてくれた。

そのバウムクーヘンは障害者の人が作ったもので、その知り合いの人はそういう障害者の人たちの商品をみかけるとその力なり、援助のためを思って買うようにしているのだ。

その買ったものをうちへよく届けてくれる。

僕はそれを聞いて、すばらしいことだと思った。

僕もできることを役立つようなことを少しでもやりたいとおもった。

しかし、これは偽善であることにすぐに気がついたのだ。

そういえば、誰かがテレビで

「偽善であってもやらないよりかやったほうがいい。」といっていた。

確かに援助や奉仕はその理由よりも実際にそれをどのようにやるかが問題であって、動機や意図はあまり関係ない。

その行動によって実際に助かったり、手助けになることがあるのだ。それは紛れもない事実だ。

それが偽善かどうか、そんなことは関係ないんだ。

自分自身、優しい人間だという自負があった。

でもそれは全然違う。僕は身勝手な人間だ。

自分の幸運を謳歌しているだけの自己中心的な人間だ。


気休めの偽善を施して、自分の罪を意識しないようにしているのだ。

素直にそれを認めて、少しでもそういう高尚な考えを持てるような人間に向かおう。

障害者の人も健常者も同じ人間だ。なんていうきれいごとは僕は言うことはできない

自分が喜んで代わることができるのか、生活を共にするだけでも苦しかったり、いやな思いをするだろう。

やっぱり健康でみかけのよい女性と付き合いたいとかそういう低次元の考えでしか動いていない自分が情けないと思う。

みんなきっとそうなんだろう。

僕は障害者の人や、そういう人に対する自分の感情をどのように持つべきなのかわからない。

本当は僕らがみじめな存在なのかもしれない。
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西日本 芸術旅 6日目

山口県防府市の存在自体を知らなかったけど、歴史に関係のある街であるらしい。

観光にもっと力を入れたら街ももっと活気がでるんじゃないだろうか。

特に興味を持たなかったからホテルを出るとすぐに電車に乗って岩国へ向かった。

もうこの日で18切符が使い終わるのでなるべく家の近くまでは行きたかった。

もっと詳しく言えば有馬温泉の近くまで。

旅の疲れを癒すために最終日は有馬温泉でゆっくりしたかったのだ。

とはいっても、一日中電車移動は疲れるし、もったいないから行く道でいいところに降りて散策しながら行こうと思った。

だからまず岩国にある「錦帯橋」を目指した。

岩国駅からのアクセスがよかったみたいだが、距離が近かったので西岩国から向かうことにした。

運良くバスが遅れていたためにすぐにバスに乗れたものの通常通りなら一時間くらい待たなければならなかった。

やはり大きな主要駅から向かうのが確実である。しかもわざわざ岩国駅経由で西岩国駅へ行った。

そのときにのったバスが面白いバスだった。「いちすけ号」とかいうバス。

実際に目で見てみると迫力もあるし、細かく木材がはめ込まれていて、大きな芸術作品だった。

この旅にもってこいの建造物!

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平成に入って修繕工事を行い、そのときの費用が25億円だったそうだ!

だからこの橋を渡るのに料金をとられる。だけどそういうことなら仕方ないと納得した。

橋をわたり終えると、種類が豊富で有名なソフトクリーム屋さんがある。そこだけでも行くと楽しいと思う。

それ以外は特にまわりたいところがなかったので電車に乗ってどんどん東へ。

尾道でラーメンでも食べる予定だったけど、Aの好きなもみじ饅頭を買うために、広島で降りた。

どうせならお好みでも食べようと、行列ができていた「麗ちゃん」というお店で食べた。

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行列ができているだけあって、その手際のよさと、お客さん一人ひとりに対する接客がすばらしく、入店から会計まで行列ができていてあわただしいのにも関わらず、自分のペースでお好み焼きを楽しむことができた。

もちろん味もすばらしかった!広島のお好み焼き!という味だった。おたふくのお好みソースではなく、オリジナルのソースだったところもよかった。

岡山駅で自宅に岡山産の桃を送り、友達にも洒落た桃のゼリーを買った。

この日は兵庫県の三宮にあるカプセルホテルに泊まったんだけど、設備がすばらしかった。

3400円で温泉と露天風呂があり、部屋でパソコンが借りられて、着替えもあり、おいしい水もあり。と十分快適で、カプセルホテルのイメージが変わった。

三宮が兵庫県と主要都市であることを知らなかったので、それを知れたものよかった。



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成功しない人の特徴

成功しない人は

ネット上で成功論を探している、成功論を読んでいる、成功論を買っている人である。

そもそも成功本をたくさん読む人に成功者が少ないというのはよく言われることだ。

そんな魔法のような成功する方法なんてあるわけない

あったらみんなやって、みんな成功者になって、みんなお金持ちになっている。

だからそのことに気がついていない人は早く気づくべきだ

ネット上なんかにそんな価値のある情報があるわけない。

ほとんどがもともとは高尚なもっと威厳のあるものだったのに、誰かが安く仕入れて、簡単に公にしているだけだ。

ほんとうにくだらない。

ましてやそれを売っているなんてのはナンセンスだ。

それを買うなんてのはもってのほかだと思う。そんな発想で成功できるのだろうか。

成功する方法を探す権利があるのは一生懸命に信念を持ってその物事に打ち込んでいる人のみだ。

そんな人は成功論なぞに見向きもせずに、専門書や技術書を探すに決まっている。

それとか見習うべき人とか。


成功する第一歩はネットで成功論を探さないことだと思う。

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それと加えて、

ネットで販売されている情報商材なるものは人間の心理をうまく利用していると思う。

実際に書店に並んでいる書物のほうがきっと内容や書き方もわかりやすくなっているに違いないのに、

ネットで売られている法外に高い、そしてぺらぺらの装丁も粗雑なものの方がなんとなく貴重な情報で、ひょっとしたら目新しい、価値のある、あまり人に知られていない情報があるのではないか!という気にさせる。


そんなことって絶対にないと思う。

本当に価値のある情報ならとっくに書籍化してバカ売れしているはずだ。

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充実した一日の定義

充実した一日とはどんな一日のことだろう。

好き放題遊びまくった一日だろうか、なんにもせずにただ一日ぼーっと過ごした一日だろうか、それとも普段と変わらない仕事へ行ったり、学校へ行ったり、家事洗濯をしたりの一日か、あるいはのんびり誰か大切な人と過ごした一日だろうか。

僕は今日こんなことを感じた。

たぶん好き放題自分の好きなように一日を過ごしても―食べたいものを食べて、行きたいところに行って、したいことをする。―充実していたと思わないんじゃないかってこと。

僕はそれよりも何か人のためとか、直接的ではなくても誰かと一緒に外で汗を流して仕事をする。一緒に休憩をしたり、意見を出し合ったり、協力したり、考えたり。

こういう時間を持てた日は充実してたって言えそうな気がする。いやきっといえる。

そういう仕事もして、自分の好きなこともする。

それって素敵なことだと思う。

人のためになにかをしたり、一生懸命仕事をしたりすることはやっぱり気持ちがいいことだ。

毎日ってなると疲れとか慣れになってしまってそういう気持ちにはなれないのが仕事の厄介なところ。

うまくバランスよく仕事もできたとしたら社会ってもっとよくなると思う。

みんなが進んで少しずつ仕事をこなす。そして自分の好きな時間をすごす、そんな毎日。

素敵だと思うな。
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フランス映画 「最強の二人」

Aとフランス映画「最強の二人」を見に行った。

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仕事が早く終わるというので映画に見に行きたいと誘われたので一緒に行った。

彼女と僕は好みが少し違うので彼女が好むやつを僕は普段好まないので機会があれば積極的にそうしたものに触れようと思っている。

その上、彼女が薦めるものや興味を持つものは僕にとっても良質に感じるものが多い。

そういった意味でもいい関係である。

僕はまったく予備知識がなかったけれどきっと良いに違いないという変な確信があった。

登場人物だけを見れば少しシリアスで重たい映画なんじゃないかという印象を受けるが実際はうまくコメディ調でまとめられており、重たかったり、人生を深く考えさせるようなそういった内容ではなかった。

普通に楽しめるし、感情移入しても暗くなるどころか励まされる要素のほうがたくさん含まれているだろう。

介護するドリス役の俳優が良かった。


障害者であるフィリップとの対照的さとそんな二人が少しずつ理解しあいながら自己を形成していくところはうまく簡潔に見て取ることができるようになっていた。

僕自身がどちらかといえば高尚なものがすきなので―趣味に高尚も外道もないが一般的な感覚―人生を楽しむってことはただ単にそういう高揚感を味わうだけではない、

体を動かしたりユーモアで人と触れ合ったり、全力でぶつかったりという積極的な行動的に楽しむってことも必要なんだと思った。
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西日本 芸術旅 5日目

ようやく最大の目的「ゴッホ展」が開催中のハウステンボスへやってきた。

4年前の旅の帰り道に通ったのを思い出した。あの時は壱岐焼酎を飲んでいたっけな。

せっかくハウステンボスまできたのならそっちも一緒に楽しみたいところだったけど、お金もかかるし、あまり時間もないし、どうせなら一人じゃないほうが絶対楽しめるから、今回はやめておいた。

きっとまたくると思う、思ってたよりも雰囲気がよく、楽しめそうだった。

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さて、「ゴッホ展」だけど、とにかく遠かった。ハウステンボスのチケットを購入しないとフリーゾーンという範囲しかいけないからそこまで国道を通って、遠回りしていかなければならなかった。

上の写真は実際に「ゴッホ展」が行われていた美術館。

僕は「ゴッホ展」をとっても期待していた。そして当然楽しみにしていた。

途中の電車では「ゴッホの手紙」も読んできた。そのくらい意気込んでいたんだけど、実際観覧してみると、想像していたのとは趣を異にしていた。

決して期待はずれだったというわけではないのだけれど、ゴッホの作品の発展を段階を踏んで紹介するといった趣向のもので芸術、美を楽しむものではなかった。

もちろん、芸術的価値としてはゴッホの試行錯誤や実験、当時の工夫や作品を作った当時の背景を知る上では非常に有益であった。

そういうのを見ることができたことによって、僕自身が持っていたゴッホに対する誤解も知ることができた。

ゴッホは生涯に1枚しか絵が売れなかった。といわれているがそれは大げさにしても納得することができた。

なぜならゴッホがつくった大半の作品は実験的であるように思うし、作品としてまとまりがなく、完成形という体をなしていないからだ。


おそらく僕らが知っている傑作などは晩年に描かれたものか、あるいは芸術作品としてつくったものだと思うが、今回とりあげられていたのはそういうものでなかったように思う。

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ちなみに昼食には佐世保バーガーを食べた。

知らなかったんだけど、佐世保バーガーっていうのは特定のテイストのハンバーガーのことではなく、佐世保で売られている、佐世保の材料を使ってつくられたハンバーガーのことをいうのだ。

この日はそれ以外は電車での移動だった。

夕食には博多でラーメンを食べた。というのも高菜入りのラーメンが食べたかったからだ。

やはり博多のラーメンはおいしい。

山口県防府市でホテルに泊まった。これもまた駅から遠いホテルだったが快適なホテルであった。
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「留魂録」の成功哲学

僕は読書をするように心がけているんだが、その対象は小説のみではない。

自然科学に関するものや政治・哲学などそういったものもできるだけ幅広く読めるといいと思っている。

そうして読んでいると中には成功哲学、自己啓発に関係する本に出会うことがある。

たとえば今読んでいる吉田松陰の「留魂録」ももちろん歴史的史実の重要な資料ではあるに違いないが、一方で倒幕、明治維新という目標を達成するための成功哲学としても読むことができる。

たとえば、

『至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり (孟子)』

これは孟子の言葉であるが、対象が直接に人でないにしてもこれは当てはまると思う。

僕はこうした哲学の実践と真実性をこのブログによって確かめてみようと思う。

どういうことかといえば、このブログのアクセスを増やすためには至誠を尽くさなければならない。

アクセスが増えないのは誠実さが足りないからである。だから誠実に記事を書いていこうと思う。

そしてアクセスが増えたときにそれでもって至誠を尽くしたといえるのだ。

また、3章には

『大事なことは、おのれをかえりみて疚しくない人格を養うことだろう。そして相手をよく知り、機を見るということもよく考えておかなければいけない。私の人間としての在り方がよいか悪いかは、棺の蓋をおおった後、歴史の判断にゆだねるしかない。』

とある。

僕みたいな普通の凡人は歴史の判断にゆだねることは到底期待できないので、せめて自分をよく知る仲間などの判断にゆだねたいと思う。
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デニーろ

Kと時々デニーズで意見交換をする。これを僕らはデニると呼ぶ。

Kは大学院での近況や自分の研究内容の進み具合や内容、考察についていろいろと話してくれる。

彼はおおざっぱには「死」について研究している。

「死」の概念や宗教、死生観。「死」といってもさまざまな捉え方がある。だから研究は難しいのだそうだ。

たしかに誰しもが中学や高校、大学のときなど「死」とはなんだろうか?と考える時期があると思う。

それを大学から大学院まで一貫して研究しているのはすごいと思う反面、そんなありきたりな、誰もが考えてその複雑さに途中でやめてしまう、不毛だと見切りをつける概念にかかずらっているのは、う~ん・・・


しかしそんななかでも彼は自分なりのビジョンを持っている。

しかもなかなか的を得た、まともな将来的なビジョンである。

K平も芸大に通っていて、Kもまた芸大に通っている。そして二人の共通点は小さなコミュニティ、仲間とともに仕事や活動をしたいという希望を持っていることだ。

これはゴッホが南仏で理想とした芸術家の共同体の理想に近しいものを感じた。

だから彼らは芸術や発展ということに関してしっかりした感覚を備えているのだろうと思う。

それに彼らはそうして仲間をつくって協調性をもってできるのだ。

Kの話を聞いていて、彼は何をもって成功者とするかわからないけれど、成功者の素質をもっていると思った。

僕はみんなで力をあわせて、社会やなにか人のためになにかを提案するという発想は正直持っていないとおもう。

もちろん社会に貢献したいと思うが本当に漠然としているし、自分の思想や行動というものを人に悟られたくないというか、判断されたくない。

だから、隠れながら何か発信できたらいいくらいに思っている。

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西日本 芸術旅 4日目

4日目は萩から始まった。

萩には吉田松陰の松下村塾がある。僕としてはここには絶対に行きたかった。

高杉晋作の生家も萩にあるのだが、駅から松下村塾とは逆方向にあるため断念した。

松下村塾は松陰神社内にあり、修復された当時のものがそのまま残っている。

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その向かいには至誠館という松陰に関係のある品が収蔵されていて、そこで少し松陰について学んだ。

その中で印象的だったのは、松陰が教育において重要視していたのが

志をもつこと、切磋琢磨しあえる仲間を持つこと、読書をすること

であった。これは大変に納得できたし、自分も日ごろこういうことが重要であるとかんじていた。

やはり、松陰はすごい。こういったことを簡潔に漢詩調であらわしていた。

続いて関門トンネルを通って門司港へいった。

なんといっても門司港駅がすばらしかった。時の流れ、時代の変化を感じさせるたたずまいになんとなく安らぎを感じた。

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想像以上に門司港は散策するとたのしかった。

門司港カレーにバナナソフト、アインシュタイン夫妻が訪れたという洋館があり、港からは関門橋も見ることができる。

夕方までふらふらと港町をまわりながら夜には佐賀に着き、アパホテルに宿泊した。

安くてきれいないいホテルだった。


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ゴッホの色彩を学ぶため

旅の岡山土産をK平へ渡しに行った。

彼はロゴデザインを制作していた。院生のあるバンドのイメージPVのためらしい。

そのアトリエには程遠い作業場―普段の自室―は乱雑であるわけでもなく、一番いい状態に思えた。

つまり、苦悩の後も、もがき、試行錯誤もない、ただデザイナーごっこというべきただ自負と希望のみがあるのだ。

まったく呑気なものであった。なかなかいいものができないと嘆いていたもののたいした努力はしていない様子だ。


彼は「自分は大胆な作風に仕上げることができない、自分の既成概念を壊すことができず、つまらない小さくまとまった作品しか仕上げることができないんだ、どうすればいいんだ」とたずねてきた。

彼なりに「哲学、それも自分から生み出された哲学、自分のものになっている哲学が必要だ」とおもったようだ。

僕はそれには大いに賛成した。確かに偉大なる哲学が必要だ。

そして、画家や作家というのはその作品が評価されてなんぼ、その基準はお金に頼らざるを得ないが、それを見たり使ったりする人に認めてもらう必要があるのだ。

僕はそれについてこうも思う。僕らそういった作品を享受するものたちはその作品自身の価値以上にその製作者を好むか否かに影響されると。

すばらしい作品をつくろうとするまえに、すばらしい製作者にならなくてはならないのだ。

そのための過程として制作をとらえてもいいのかもしれない。

K平はあわせてこんなこともいった。

「作家は思い切りがよく、時には身勝手でなければいけない。だから今からそうした哲学を得ようと本を買いに行こうと思う。付いてきてくれ。」

僕はもちろん相伴した。

彼は最初技術論が書かれた分厚めの本を買おうと思っていたらしかったが、僕は「これは技術を論理的に解明している参考書のようなものだ。

お前にはどうだろう、そこまで経験のないのにいっていることが理解できるか、しかも分厚いから読みなれてないお前には少し負担になるんじゃないか、時間もないのだろ?」
といった。

僕は「たぶん画集のような解説書のほうが構図や色彩について学ぶべきところが多いのではないか」ともいった。

するとK平は画集を手に取っていた。その画集は、シャガールやピサロなど芸術界の巨匠たちのものだった。

僕は多少参考までに解説をした。

セザンヌなら構図の捉えかたなど参考になるだろう。実世界と美とのバランス、そして独特な暗色。

ゴーガンの深みのある色彩、ゴッホの鮮やかで際立つ色彩、そして日本画などを取り入れながら実験的試作。

ピカソのキュビスムなどの実験的アプローチなど。

彼は最終的にゴッホの色彩を学びたいと思ったらしくゴッホの画集を購入した。

いかなる理由であったにせよとても勉強になるし、いいことだと思った。

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死生観

前回の記事が山口県萩市に到着し、そこで見聞きしたものを書こうという段だったのでそれに連関ある事柄を書こうと思う。

僕が今回萩を訪れた目的は萩・津和野といえば日本の近代には欠かせない地名であり、特に萩は吉田松陰の松下村塾はじめ、高杉晋作、伊藤博文などの人物のゆかりの地である。

その旅を終えて、今一度吉田松陰の書いた「留魂録」を読み返そうと思ったのだ。

吉田松陰の門下生、高杉晋作がかつて松陰に

「男子の死すべきところは」

と質問されたそうである。それに対して即座には答えられなかったものの、死に直面した折に、

「死は好むものではなく、また憎むものでもない。世の中には生きながらえながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。つまり私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきをなす心構えこそが大切なのだ。」

と答えたという。

人間は死んで終わりではない。

それまでの生き様や生き方、によって何かが残るのだ。

せっかく生きているのだから、自分が生まれる前よりも死んだ後のほうが少しでも世の中がよくなっているようにしたい、そんな生き方がしたい。
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西日本 芸術旅 (うに丼の失敗) 4日目 (3日目)

東萩駅に着いたのが8時すぎであった。

すでにその晩の宿はとってあったが、まだ食事を済ませていなかったので、食事をするところを探した。

だけれど、観光地であるにもかかわらず、萩は全然ひらけてはいなかった。

ただの田舎である。駅もさびれていた。

なんでもいいから、多少ゆっくりできる食事どころに入ろうと思いながら道を歩いていたら、ちょっとした大通りにでて、そこにちょうど小料理屋の看板がでていたので、それに惹かれるようにその店へ足をすすめた。

おすすめは「うに丼」らしく、店の周りにはたくさんののぼりがあった。

「季節料理 いすず」である。

迷わず僕は「うに丼」を注文した。

野暮に思われたので値段を調べることはよしておいた。

満足のうちに食べ終え、会計をすると3600円のうに丼定食・・・

たしかに、うににあわびに鯛のどんぶりに、漬物2種、あら汁という定食だったので多少高めであろうとは予想していたものの、さすがに3600円は高すぎるのじゃないか

小料理屋はそうしたものなのだろうか、もっとも夕食というのは高めに設定されている。

払わないわけにも行かないから、平然と支払いを済ませた。

実際そこのおかみさんは話した限りでは悪い人ではなかった。僕をねぎらってもくれた。

だからといって良心的な印象も受けなかったが。

考え方を変えればこのお金で経験を買ったのだ。

夕食はよくわからないところで食べるべきではない。

そして、恥を覚悟で値段は確認することだ。

実際に、失敗しないと人は学ぶことができない。

失ったお金に比例して教訓もまた大きなものとなる。お金とは不思議である。

だからお金で経験することは必要だから積極的にお金を使って経験を買うべきだ。


おっと、これは4日目ではない、3日目の夜だった。

だけどこのエピソードは書いておく必要があると思った。
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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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