幸福

僕は今、真に幸福である。

ただし、これは静の幸福だ。

詩を味わい、音楽を楽しみ、随筆から時を超越して世界と人間の内奥を眺め、人と交わり、家庭に安住し、適度に労働をする。贅沢ではないが手間をかけた食事。

こんな日々の中で僕の心は洗練され充実しなにかの行動によって表出しようとしている。

視野が徐々に外側に向いてきている。
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天才

アルチュール・ランボーは「早熟の天才」と呼ばれる。

天才とはなんであるのか?どういう人物であるのか?

一つの手がかりとして、天才は天性の才能を持っていることで、秀才は努力によって能力を身に付けたことというのが一般的な結論となっていることだ。

では、そもそもその能力とは如何ようなもののことをいうのか?

「地獄の季節」を読みながら、こんなことを思った。

「天才は敢て時代の思想の風潮に逆らわず、それでもなお影響されず、挫けず、鋭く自己の観察によってまじりっけのない思想を的確に表現できるもののことである」と。
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コンプレックス

コンプレックスという言葉をいつ、どのようにして知ったかは忘れてしまったがとにかくこの言葉はかなり一般的なものだ。概念もかちっと自分の中で収めることができる。

このコンプレックスについて思う。コンプレックスなんてありません。なんて人はいるんだろうか?

いたらとても幸せだろうとおもう。自分に対する関心がないことや大雑把な性格がその要因だとしてもだ。

でも一方でそのコンプレックスを今すぐになくす方法があるとして、すぐにそれを用いるかどうか?自分に問うてみると躊躇、あるいは必要ないなと考えてしまうことに気づく。

たぶん、コンプレックスって印象として、おそらく事実としてもマイナスに違いないんだけど、それは自分自身ってものに密接に関係しているもので、大方精神、思考的なものではなくて肉体的なものだから自分に付随していて、それがなくなることは自分でなくなることになってしまいかねない。

もちろん捉え方の違いはあるが。

そのコンプレックスを感じた瞬間から僕はそれとともに生きてきた。気にしながら、あるときには目の敵にしながら。

こうした長い付き合いだもの、どの道このコンプレックスは僕を安静させはしない。
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則天去私という捉え方

東京にいる友達から夜遅くにメールが届いた。

元気にしているか?という近況を案ずるメールだ。

論語にある、朋有り遠方より来たる。亦楽しからずや。ではないが、こうして頻繁に連絡を取り合うわけではない友から時々便りがあるのは嬉しいものだ。

学びと友とは人生を豊かにする。

今日、夏目漱石の草枕を読んで気づいたことがあった。

小説やその類は、現実とさほど変わらないから、どうしても世間のわずらわしさ、居心地のわるさをぬぐいきれない。だから、読んだところで利害や、感情の善悪が起こってきて心の平静を得られるものではない。

その点、東洋の詩はすばらしい。

世間を去ってただ自然、あるがままの存在として自己を捉える、受け入れる。

そして世界と同一化させる。そこに心の平静が生まれる。

自分自身をも客観的にみることで自らの行動に対する利己的な感情は拭い去ることができる。

一つの行動に意味を持たせることなども自由にできる。力量によってはたくみに行動させることができる。

そうすれば、世間の煩わしさを多少はやわらげることができるのかもしれない。
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気になること

人は誰もが悩みを抱えているに違いない。

それぞれの悩みは当然違うだろうし、悩みが多い人やあまり悩まない人などさまざまだろうけど。

また一方で、特定のある悩みに年がら年中悩まされているという人といったら数は限られてくるのではないだろうか?

ある種の悩みは普段は気にならないことがかゆみに触れたようにぶりかえされてたまらなく気になってしまって終に悩みになってしまう。

本当にこれはどうしようもない。解決のしようがない悩みなのだ。

僕はこれを人間の特性とすら思っている。

すなわち、人間の脳は悩みをつくりだす仕組みになっているに違いない。

なにか悩みが解消されるとまた違う悩みがつくりだされて、結局悩むことになる。

仏教で言う煩悩とはこういうことをいっているのかな?
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人生の肯定

僕はまじめであったり、けなげであったり一生懸命に生活している人だと認める人の人生ならば如何ようなものであれ尊重したい。

僕は言葉では肯定する。しかし、僕自身の人生を、その根本思想をおおっぴらにしたらそんな肯定の言葉も一瞬のうちにはねつけられてしまうだろう。

こうした生き方をしている以上、僕は大半の人たちの人生を肯定することはできないに違いない。

ひとりひとりの生き方は尊重すべきものだ、愛すべきものだ。僕は自分の人生を顧みずににいうのだ。

あなたの人生はすばらしいとおもうと。

本当に相手の生き方を肯定することは、その人生を生きることだ。

そうでなくとも、その人生をいきたいと思うことだ。

だけど、僕はやっぱり自分の人生を生きていきたいと思う。
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惹かれる女性

美しい女性、否。

空想的なまなざしと自然体とでふるまいが優美な女性、彼女らはなぜおろかにも愚にもつかないようなふらふらした思慮深さとは縁のないような人物を好むのだろうか?

僕はそんな女性たちに好意的な、誠実なまなざしを向け、興味をもってしまうが、彼女らにとっては僕は単なる気難し屋か妙な圧迫を覚える付き合いにくい人物かそれ以下の取るに足らない人物なのだ。

それを実感すると悲しい気持ちになる。

女性は常に自分の愛を前提として相手からの愛を受け取る。これを世の男性が心得ていたらどれほど悲劇が演じられることが減るだろうか。
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欠点

僕は僕のことを信頼してくれたり、好意を持ってくれたり、慕ってくれたりする人たちを失望させてしまう。

それでも僕はそうした人たちを――おおげさかもしれないが愛しているから、だましているようで、欺いているようで心苦しい思いをする。

自分自身ですら自分にたいする失望を乗り越えるのは大変だった。出口の見えない失望の闇だった。

他人に対してそれを期待することができようか?

ぼくの内情をあまりなく告白することができようか?

一般的な見方では、極端と捉えられることを覚悟で言う。致命的な欠点だと。

僕はどうしてもいえないのだ。どうしても、どうしても・・・。
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東大新入生にもっとも読んでほしい本

「カラマーゾフの兄弟」の新潮文庫に”東大新入生に読んでほしい本第一位!”という帯がつけられていた。

だから購入したわけではないけれど、もちろん「カラマーゾフの兄弟」は世界屈指の書物であることは誰しもが認めるところではある。

しかし日本の最高学府が推薦するにはなにかすっきりしないところがある。

100㌻前後までは長老がでてきて、その説法のような話が大半を占めて私たち日本人にとってはありがたくもなんともない話なんじゃないかと思えなくもないが、思い当たる節もあってこの時点で人生の教訓が盛りだくさんで今後の内容にも大いに期待が持てる。

空想的な愛は飛躍的で発展的で、その上報酬の即効性を期待し、それゆえ瞬間的である。一方で、実行的な愛は地道で地味で目に見える報酬は期待できない、だから期待もしないのだけどそのぶん継続的である。それに伴って忍耐が必要不可欠の要素となってくる。
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文学とは何か

書物を学問的に読む。あくまで娯楽としてではなくなんというのか、心の宝物を探すつもりで読む。

そういった読書を続けているとなんとなく文学というものを感じるようになる。

文学好きだと自分でも認めざるを得なくなってくる。しかし文学とは何かと常に自問自答している。

この問いに答えを与えるために読書していると思えてくることもある。

内村鑑三著の『後世への最大遺物』の中にこんなことが書かれていた。

我々が後世に残せるものとして文学がある。そしてその文学とはその書き手自身が自分の思うところを思うままに書いたものであり、そういうものに後世に残すべき価値があると。

僕はぜひ文学を残したいと思うし、残すと強く心に決めているくらいだ。

この言葉は励ましになった。

どうしても体裁よく、形式的な文学的価値を持った作品をつくりたいと思ってしまっていたのだが、それは文学の本質を履き違えていたのだ。

勇気と自分の心を素直にみつめることが必要なんだ。
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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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