奥飛騨温泉郷の離れ 福地温泉 スタッドレスタイヤを契機に


購入したBMWミニにはサービスとしてスタッドレスタイヤも付けてもらえた。とはいえ、私は雪国に住んでいるわけではないので使う機会は実際皆無である。まあでも、せっかくスタッドレスタイヤがあるのだから使おうという気になる。冬の足音はすぐそこに聞こえていた。雪国といえば、名古屋から思いつくのは岐阜か長野。毎年冬になると私は奥飛騨か志賀高原あたりの温泉へ交互に入りに行くようになっていたが、今年は奥飛騨にいこうかしらと思っていたところであった。奥飛騨は紛れもない豪雪地帯、スタッドレスタイヤの本領発揮するにはもってこいの環境。私の物事の進め方はこういった具合だ。偶然性を含んだ出来事に対して最適かつ合理的な行動をとるのである。私は他者や自然事象による反応によって人生を歩んでいる心持ちがする。

今こうしてブログを書いている現実世界では雨は全然降らないけれど、梅雨入りしている。夏がすぐそこだ。ブログでは二年前の冬の出来事を綴っている。失われた時を求めながら、自世界の再構築を私は試みているわけだが、徐々に現実に近づいてきているが、心配はいらない。現実を超えていくことはありえないし、常に現実を追想し、再構築するという図式は変わらない。「魔の山」が私に教えてくれたように、時間をなるべく細分化することで充実した過去を実現し、その充実した過去を未来に投射しようというのである。過去が現実に近づきつつあるのは、私が現実逃避を控えるようになったことと大いに関係している。つつじ園のツツジが美しく思えた時期があった。しかし、今は通勤途中に道路の真ん中で堂々と咲き誇る夾竹桃に生きる勇気をもらい、言葉を失うほど美しく思える。もはや空想と散歩によってどこにでも桃源郷は現れる。

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奥飛騨温泉郷は私の初めての冒険の一つに数えることができる。氷瀑と秘湯。平湯・福地・新平湯・栃尾・新穂高という五つの温泉地からなる奥飛騨温泉郷はそのどれもが豊富な湯量を誇り、泉質も間違いない。その冒険となったのは新穂高温泉で、一番奥地にあるまさに秘湯でほとんど野湯に近かった。心身ともに余裕と充実にあった私は、奥飛騨の離れと呼ばれる「福地温泉」に行くことにした。奥飛騨温泉のはなれと呼ばれることもあるようで、少し外れたところにあり、周りは静寂に包まれている。規模は大きくないがそれだけ上質な宿が並び、奥飛騨温泉郷随一の有名宿「湯元 長座」もここ福地温泉にある。私が選んだのは泉質にこだわり、緑褐色の濁り湯を持つ「元湯 孫九郎」。最近リニューアルされたという内湯が決め手となった。

素晴らしきホスピタリティ 想古亭げんない


「味の味」というこだわりの味の名店を紹介する雑誌で紹介されていた『想古亭 げんない』。その魅力はずばり食事である。

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夕食のメインは長期熟成の近江牛のサーロインステーキ。塩コショウ、ワサビ、タレなど五つの味わいで楽しめるようになっている。食感は実にやわらかい。脂身は少なく、熟成による柔らかさであろうと思う。上品なほのかな香り。肉っぽさは弱いかもしれないが、甘味を感じる。私は塩コショウ、わさびが気に入った。ともあれ、三大和牛の一つといわれる近江牛を食することに大いなる喜びを感じたことは言うまでもない。三大○○というのははっきり決まっているわけではないことも多く、この三大和牛とて例外でなく、松阪牛、神戸牛とするものや、近江牛を含まず、米沢牛があげられることもある。それは判断基準によるのであるが、ある基準から優れているということは間違いない。近江牛はその希少性、こだわりの飼育法、そして長い歴史を有している点で優れているようである。和牛もなかなか奥深いのであった。

近江牛が供されるから味の名店なのであろうか?いや、夕食はこれだけにとどまらない。存在感では見劣りするものの、う巻きも絶品であった。蓋つきの陶器に納められて出てきた。卵の甘味、ウナギの香ばしさが交じり合っておいしい。ふっくらと焼き上げられたウナギはふわふわの卵を邪魔しない仕上がり。華やかさはないが懐かしさを感じさせ、同時に郷土料理との新たな出会いにわくわくさせられる。充実した食事の時間を堪能した。

私がこの「想古亭 げんない」で強く感じたのは、充実したホスピタリティ。客室は十分なほど広い。風呂は別棟であるが貸切。食事は個室で、朝食は庭園に面した縁側のある、掘りごたつ式の座敷で頂いた。

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左奥に見えるのは「五右衛門桶風呂」といって、五右衛門風呂の木桶タイプ。木の香りに包まれながら浸かり、サウナの要素も持ち合わせているお風呂。こちら「光明石温泉」と名付けられており、放射性元素を含む自然石である光明石を泉源体とした温泉なんだそう。ややごつごつしたざらつきのある石の湯船は強化プラスチックやホーローなどより温まる気がする。なにより広々とした浴室は贅沢である。とにかく滞在中はどこにいても心地がいい。

チェックアウトを済ますとお土産としておにぎりを下さった。私のような当てのない旅を続ける旅人にとって、こうしたささやかな食料は非常にありがたいのだ。玄関先ではたぬきと見間違うおっきな犬?が日向ぼっこをしていた。飾らない宿。洗練され、上品な宿もいいが、こうしたおばあちゃんの家のような肩肘張らずに過ごせる宿も旅の疲れを癒してくれるし、魅力的である。

一日四組限定のまさに隠れ家 味宿 想古亭 源内


世間はGW真っただ中。

先日できたばかりのイオンモールに行ったらものすごく混んでいた。人気スポットに行こうものなら渋滞、長い待ち時間は必至であろう。近所で食事をするのでさえ普段ではそんなことはないのに待たされた。食事で待たされるのはツライ…

人気スポットや人気店、どうして人は集まるのであろうか。人々はなにか目的があってそこへ行く。食事であればおいしいものを、宿であれば快適に過ごせるところ、映画であれば感動やおもしろさ。インターネットやSNSでの口コミを参考にして目的地を決めるというのが最近では多いようだ。私は食べログの口コミなど全く信用していないし、参考にもしないのだが、よく食べログの口コミがいいから行こう、だとか、じゃらんの口コミをみるとよさそう、などときいたりするが、もうちょっと信用のおける情報はないの?と思ってしまう。知り合いや友達がおいしい、よかったと言っていたという方がよっぽど信頼できるではないかと私は思う。

さて、黒壁スクエア・長浜の旅はいつもの温泉旅とは違って、黒壁スクエアがメインだったので近くに温泉宿はない。温泉地であれば私が絶対の信頼を置いている『温泉遺産』を参考にして宿を決めるのだが、今回はこの雑誌を参考にすることはできない。宿泊で最も重視するのは温泉の泉質なのだが、その次はというと食事の質である。そこで食事に重点を置いた雑誌を参考にすることになるのだが―雑誌の質も様々だが、写真や説明、対象の読者、そのコンセプトで判断している―今回は『味の味』を参考にした。

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雑誌の紹介文には、「味の味」は各界の著名人によるエッセイなど美味しい話と全国のこだわりの味の名店を紹介する月刊の”食の文化誌”です。とある。その名店のなかに『想古亭 源内』があった。

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奥琵琶湖、賤ケ岳の麓、自然のなかにひっそり佇む一軒宿。一日四組限定のまさに隠れ家。黒壁スクエアのある長浜中心部からは北に外れる。

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この階段を上がった先にあるのだが、あらかじめ有力な情報を持って臨まなければ躊躇しかねない立地である。しかし実は街と田舎をつなぐ緑のトンネルなのである。トンネルを抜ければ忘れかけていた田舎の暮らしがあるのだ。

カフェ叶匠寿庵 琵琶湖の湖畔にて ああ無常


黒壁スクエアの商店街にある『カフェ叶匠寿庵』

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純喫茶の懐かしさを保ちつつ、おしゃれで洗練された大人の雰囲気。
最近見た目、形こそ立派だが、中身が伴わないがっかりカフェが少なくないが、こちら和菓子屋さんのカフェとなっていて、売り場が併設され、広々とした店内、品よく陳列された和菓子の数々、正面にはショーケースにかわいらしいケーキが並ぶ。素材と調理にこだわった充実したメニューから歴史や伝統、質の高さがうかがえる。もっと黒壁スクエアが盛り上がらなければ、ここにこのお店はふさわしくないと思えてしまった。なぜこんなところに?と思わないではいられなかった。家の近くにもあったらな。

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長浜城は復興天守であるため、感慨めいたものを引き起こすことはなかったが、それでも豊臣秀吉の初めて築いた城ということで、私の眼にはやや立派に映った。例によって、城内は歴史博物館になっていて、一通り観覧すれば長浜の歴史、豊臣秀吉及び近親、側近がたどった運命を知ることができる。私は日本史に疎いので、淀殿や江にまつわるエピソードに新しい発見と理解があったものの、もっと感心と理解があれば、長浜の旅も楽しめるのだろうと残念でならなかった。

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太閤井戸跡。

「夏草や兵どもが夢の跡」のように私にも詩が読めたなら、この旅にも意味を与え、深い感慨とともに記憶にとどまることだろうに。
海岸と錯覚するほど広大な琵琶湖は水平線までしっかりと描いていた。波は海とは違って不規則で、相対的に凪のようであった。あのときの私の穏やかな心持は、あの空にも似て、水面にも似て、あたたかな風にも似ていた。ある種の幸福の絶頂があるとするならば、あの時がそうだと思う。今では、涙の一つや二つ流れてしまうに違いない。私は無常を知ったのだ。

長浜の町 慈しみを含んだ愛着を生活に伴うすべてのものへ

長浜への旅で私は己の旅の遍歴において大きな転換期を迎えたことに気が付いた。

黒壁スクエアの周辺は商店街あり、城下町あり、由緒正しき寺院ありと散策するには格好のエリアであり、長浜城、琵琶湖にも近く、もっと観光地として注目されてもよいスポットだと思わないではいられなかった。多くの情報を仕入れず、何の気なしに旅した私には発見と驚きの連続で、ずっと感動と興奮に包まれていた。

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しかしながら、その一瞬一瞬を切り取って単独に眺めてみれば、長浜でなくても出会えるような普段の生活の中でなじみのある風景であったり、気にも留めないような光景であったりするのである。そう、長浜の街は飾り立てられているわけではないが、よそ行きの薄化粧といった按配でどこか日常を感じさせる自然体を残している。私は初めて、旅をしながら日常を感じたような気がしたのである。同時に、日常の中で旅情を見出したような錯覚を起こした。なるほど、私の住んでいる町にも商店街があって、長浜の商店街と大きく違わないし、見方によっては魅力に富んでいるところさえある。このとき私の生活の中で、旅と日常のボーダーが取り除かれ、日常のなかに旅情と興趣を見出し、旅のなかに日常とあるがままの自分を発揮することが難しくないことに思われた。日常のなかに見出される感動。旅気分。旅をしながら、何気ない一日を過す贅沢―。以前よりも空を眺めることが長くなり、山や川を巡り、花々の美しさにみとれ、町や人の流れ、人々の生活に興味を抱くようになったのはそれからだった。町の歴史を調べたり、名前の由来やゆかりの地と呼ばれる理由への興味。私が単に年を取ったといえばそれまでかもしれないが、慈しみを含んだ愛着を生活に伴うすべてのものに抱きうるそんな希望がたしかに見えたのだ。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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