死期の予感 親しい人への還元 みんなで『ヘインズ プレミアム ジャパンフィット』を着よう

親父が昔こんなことを言っていた。

「世の中には不思議なことがある。

あるとき、私の向かいの席だった会社の同僚が新品のネクタイをいらないか、と言ってきたことがあった。私はネクタイなら使う機会があるじゃないかと言ったんだが、使わないからぜひ。ということだったから、強く断る理由もなくそれをもらった。たまたまその日、別の同僚とその彼からネクタイをもらったという話をすると、自分も彼から同じカメラの趣味があったから、高価なカメラを先週もらったという。しばらくしてそのネクタイをプレゼントしてくれた同僚が不慮の事故で亡くなってしまった。生前彼と親しかった人たちが口をそろえて言ったことが、彼が自分がこの世を覚っていたかのように、死の少し前から身辺整理といった感じで身の回りの物を捨てたり、人にあげたりしていたということだった。

人間は自分の死期が分かるものなのかもなぁ。」

私はこの頃、身の回りをすっきりさせたくて仕方がない。小銭が邪魔でしかたがないからあげるようにしている。募金も積極的に。なんか引き出しに商品券があったから、たまたま7月末に誕生日の友達に会う機会があったから、「今月誕生日だよね?おめでとう」といってその内の5000円分あげた。「まだ先ですけどいいんですか?!」と驚いた様子だった。私はうれしいというよりかはすっきりした気持ちだった。

私は高校時代、野球部に所属していたのだが部員が多かったため、クラスには複数人チームメイトがいるというのが普通だったのに、2年のときクラスに一人も野球部がいなかった。どうしても普段から交流のあるチームメイトと親しくなりがちなので、クラスに同じ部活の生徒がいれば彼らと仲良くすることになるのだが、このときはそういうわけにいかなかった。すると野球部ではない4人の友達ができ、いまだに親しく付き合っている―チームメイトだとかえって深い関係になりづらいという面もあるような気がする、私の場合、特殊な状況であったこともあり、チームメイトとは疎遠になってしまった。

その四人に私は大きな感謝の念を抱いていた。Iはとにかくお金持ちのご子息で、海外の土産をいつも買ってきてくれたし、常に満たされていたからだろう、いつもニコニコしていて、怒った彼の姿を見たことがない。私はいつも彼とは気楽にふざけることができたものだった。でも、私が彼にしてあげられたこととなると何もないのである。彼は常に満足していたから、楽しんでいたから。私によって何かプラスに働いたことはなかったに違いない。いつもプラスの感情で、時に私がマイナスなことをしたことがあったとしても。

Mは実直な面倒見のいい男。そして賢い。私と似た趣味を持っていて、大人になってコーヒーをドリップしたり、ファッションについて語り合ったり、今も昔も変わらず遊べる貴重な友人だ。

Kは東京で俳優をしている、長身のスポーツ万能イケメン。高校時代、英語がずば抜けてできて、私は彼から英語の神髄を教わった。女子にはモテたが、とてもシャイだった。日々稽古に励む彼の姿に私は尊敬の念を覚える。私の文学に対する姿勢はどうか?いつもそんな風に彼から言われてるような気がする。私たち三人は名古屋だが、彼は東京にいるため、なかなか4人そろって遊ぶことはできなくなってしまった。私はなんか一体感を得られるものが欲しいと思った。

私はこんな企画を思いついた。

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”この夏はみんなで『ヘインズ プレミアム ジャパンフィット』を着よう”

夏になると必ずと言っていいほどファッション誌で取り上げられるアイテムだ。

下着としてでなく、これ一枚でも着られるよう設計されていて、生地や縫製に至るまで国産にこだわり、適度な厚み、滑らかな肌触りは上質そのもの。ジャパンフィットの名の通り、日本人向けにつくられているため、非常に着心地が良い。なかなか自分で買うには、下着と考えると高価で、無地のTシャツとしても安価というわけではない。グッチしかほとんど着ないというIもなんとか許してくれるのではないか、と私は考え、ファッションに関心のあるMは以前から欲しがっていたのを知っていたし、Kは稽古や普段着として着てくれるだろうと思った。

それぞれがこのTシャツを着るときに他の三人のことが少しだけちらつくと思うとなんだか楽しい気分になる。みんなが着ているという一体感を私は感じることができた。案の定、Mは「欲しかったんだよな!ほんとにもらっちゃっていいのか?」と興奮気味だったし、Iにこれはいいものなんだぜ!と私に代わって説明してくれたので、Iももちろん着るよ!と喜んでいた。Kは突然宅配便で届いたものだからまさにサプライズとなった。

まさか私に死期が近づいていようとは思えないが、死の予感というようなものがして、私は今一度生き方を見直している。死を実感を持って考えるとき、人は生き方が変わるのだ。私の所持しているものを親しい人々に還元していきたい、そんな強い気持ちにとらわれている。一つひとつ実践してゆきたい。

Hさんのカナダへの旅立ち 河出書房新社 世界文学全集-美しき単行本


「今日か明日、誕生日でしたよね。おめでとうございます」

いかにもHさんらしいお祝いの言葉だ。毎年彼は私の誕生日にメールを送ってくれる。たしか私がHさんに自分の誕生日を教えたのは出会った当初の一回のみである。それゆえ今日か明日、という少し曖昧な表現をしているのであろうが、必ず当日で間違っていたことは一度もない。彼は万事において人がわざわざ覚えておかないようなことをしっかりと記憶にとどめ、相手への親しみをこめてその記憶に基づく、今回のような行動を取ることができる思いやりのある人なのだ。私は彼のそういった誠意のこもった行動を目にするたびに自分自身を反省し、戒めたものである。彼はこの春、カナダへ活動拠点を移すという。旅立つ前に会おうということになった。

私とHさんは、もう10年くらいの付き合いだろうか。Hさんが年上だが、私が先輩というやや複雑な関係性からメールの文言からもわかるように、微妙な距離感を保ってきたところがある。そもそも、Hさんは芸術家肌で、誰とでも一定の距離を保ち、自分のテリトリー内には入れさせないというような雰囲気の持ち主であった。作曲家で、多くのレクイエムを創作している。時々私にデモテープを送ってきては「いいものができたからぜひ」とか、「ここから先がどうしても合わない」というのだった。私もHさんも芸術を愛していたから、相通じるものはあったが、それゆえ親しくなりすぎるということもなかった。

餞別の品を贈りたかった私は、彼の希望であった折り畳み傘をプレゼントした。

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傘と言えば、雨。雨と言えばロンドン。イギリス王室御用達の傘ブランド フルトンだ。品質・機能性、デザインのバランスがいいスタンダードな傘といった感じだ。カナダの雨空にもきっと似合うであろう。彼も喜んでくれた。

彼からは誕生日ということでケーキと彼のバイブルであるという、単行本『オン・ザ・ロード』(ジャック・ケルアック著)のプレゼントがあった。誕生日プレゼントなんて期待していなかっただけにとても嬉しかった。

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私の所有する本の90%以上が文庫本でそのうちの80%ほどが岩波文庫である。なぜ文庫が多いのかと言えば、単純に廉価だからである。この度、ほとんど読むことのない単行本で文学作品を読んだのだが、なかなか心地よいものであった。

河出書房新社、世界文学全集第一集の一冊目がこの『オン・ザ・ロード』である。装丁も洗練されていて美しく、本棚に納めておきたいと思わせるステキなものだから、私はこの文学全集を一つずつ集めていくつもりだ。こうした機会を与えてくれたHさんには本当に感謝している。文学全集なんて売れない時代だが、それでもこうした企画を形にしてくれた河出書房新社も素晴らしいと思う。

これを機に私の読書スタイルを変えてみることにした。すなわち、自宅用の本を単行本に変えるのである。文庫本は仕事の合間やカフェなどで読むことにしよう。立派な存在感のある単行本が本棚に増えていくのを想像しているだけで胸が躍る。

競馬デビュー Mは天才かペテン師か

毎週末、私のもとにMから競馬の結果が届く。

先々週、彼は初めて大きな馬券を当てた。

27万円。

彼はひどく興奮していた。私は賭け事はばかばかしいと考えていた(数学的にみればやる気にならない構造になっている)し、金儲けに興味がなかったのであっそう、よかったね。くらいの反応しか示さなかった。

先週は土日の二日間で35万円勝ったという報告が来た。トータルで90万勝っているということだった。

私はさすがにすごいと感嘆しないではいられなかった。思わず彼の才能と幸運を称えた。

彼は何度も私を競馬に誘った。しかし私は断り、あしらい続けていた。ところが、今までと違って一緒にやりたい、楽しみたいと言ってきた。彼によるとなんでも今までは試行錯誤を繰り返しながら、自分のスタイルを確立ができなかったため、的中確率を自ら落としていたという。最近になって自分の馬券購入のスタイルが固まり、それがようやく結果として現れ始めた。そこで私にぜひ一緒にやってみないかということであった。そういうことならば断わる理由もないので、私は競馬デビューを果たすことになった。

彼の口説き文句はこうだった。

「欲をかかないことって重要」

「自分の形を崩さない」

「頭いい人は勝てる」

「コツを掴むだけ」

私は金をドブに捨てるつもりで、友情の証として、賭け事を一緒に楽しむことを目的とすることで競馬を始める動機とした。そして興味深かったのが、数学的にはどうしても儲けることができない競馬で儲けていると豪語するMの実情である。実際のところ私はその調査に乗り出すかっこうであった。何をするのか?Mと全く同じ賭け方をするのである。

Mは儲けられるというが、私は儲けられるはずがないと分かっている。だとするとMがハッタリをかましているということだろうか?私はそう思いたくないのだが、それはこの調査によっていずれ証明されることであろう。Mの人間性に迫るチャンスでもある。しかしながら、Mは天才的頭脳の持ち主であり、彼の競馬必勝法は数学的にみれば、ありうる範囲内で限りなく確率を上げる方法であるように私には思えた。そして彼が競馬で儲けていようが、いまいが彼には絶対的資本があるので、私がルールを自分でつくっておかなければ、私だけが破産する結果を生みかねない。その作ったルールというのが、”10万円損失を出したらやめる”である。彼の計算上では一回1万円の賭け金が手軽でいいそうであるから、10回は楽しめるわけである。成功率何割かという結果は確率として十分信頼してよいものになるかと思う。

私は言った。「俺はMの単勝賭けだ」

「プレッシャーっすね」任せといてください。

「馬主の気持ちにもなれていいだろう」

「その通りっすね」

今週は私はMと同様9千円賭けて負けた。ちなみにMは他のレースで1万5千円の儲けになったと言っていた。これで少なくとも4週連続勝っている。私はますます疑いの目を向けることになった。金の切れ目が縁の切れ目というが果してMは私の友でいつづけられるであろうか?!

資格の取得 国家資格でない資格、なんちゃら検定は意味がない

高校時代の恩師は私にこんな惜別の言葉を送った。

「だれもが、Hのように自由に、我が道を行くというような生き方ができるわけではない。こういう学校であればなおさらな。同級生の多くが社会的な地位を得、いわゆる立派な大人になっていくことだろうと思う。私は教師として彼らを誇りに思い、また彼らの活躍が楽しみでもある。だが、時々出会う、Hのような風変わりというか変わり者な生徒は私になんとも形容しがたい期待を抱かせる。きっと未来が想像できないからだろうな。大体高校を卒業するころにはどんな生き方をしていくのか、仕事、家庭、そういったものがすでに形作られていることが少なくない。進路相談で私がHにいろいろな質問をしても、NOという言葉は聞いたが、こうするつもりだということは聞かなかった。そして教師を偉いともなんとも思っていない態度も私には何かおもしろく感じられた。だから、ついぞ進路相談のときでさえ、Hに説教じみたこと、アドバイスの類もほとんどしなかったように思う。それが何か可能性を狭めることになるのではないかとも思えたからだ。しかし、わかっているだろうが、そんな生き方をしていてはリスクを伴う。教え子であるお前に苦しい思いをさせたくないという気持ちはやはりある。だから言うのだが、せめて資格の一つは取っておいた方がいい。あとは何も言わない。好きに生きろ。お前のことだ、仕事にも就かないかもしれんが。」

そのときから、「資格」を取ることは私の脳裏にずっと焼き付いていた。文学的活動に時間のすべてをささげたいと思っていた私には、資格のための勉強さえ惜しかった。文学では食えないこともわかっていた。資格が生きて行くための手段を与え、助けとなることは明白だった。そんな葛藤を抱えながら何年もが過ぎた。そして今年大きな転機があった。

会社からある資格を取ったらどうかという依頼のような提案のようなものがあった。私は二つ返事で引き受けた。運命はこうして巡り、人は一つひとつステップアップしていくのであろう。私にまた一つ道が開かれた、そんな気がした。一年一年、テーマを決めながら日々を過すのは私のスタイルであるが、今年のスタートはこの資格を取り、その延長でなにかをも獲得することが一つの目標となりそうである。

友人Mは毎日時間が有り余っているからなんか適当に検定でも取ろうかしらんと笑っていたが、私はその思いつきに賛同することは出来かねた。ユーキャンとかなんかいろいろ資格やらなんちゃら検定ーの類は金と時間と労力の無駄でしかないと私は思う。国家資格でない資格に私は意味を感じない。民間の資格、検定は商品でしかないのではないだろうか。最近遠ざかっていた暗記という活動がやや新鮮で面白く、楽しく勉強が進んでいる。勉学に向いている性格なのだと改めて感じ、文学はやめてそういう実用的な方面へシフトした方がいいのかもしれない。しかし、文学をやめることはおそらく一生不可能だ。

トヨタ2000GT 国産車の傑作 愛車MR2


こんにちは。よろしくお願いします。

私は国産車より外車が好きである。細かい理由は置いておくとして、ざっくりいうと、デザイン性、操作性、エンジンのアクション、上品なインテリアなどに魅力を感じるからである。ただし、先述のRX-7のように素晴らしい国産車も少なくない。愛知県が誇る世界的企業「トヨタ自動車」、その歩みと自動車産業の歴史を学ぶことができる「トヨタ博物館」で私は今回紹介したい名車に出会った。

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ロングノーズと見事に調和した印象的なフォグランプ(マイナーチェンジによってフォグランプが小型化されたが、個人的見解だが、改悪と言わざるを得ない)。フォルムは古臭い感じはまったくしないし、日本らしさも感じさせる柔らかくて落ち着いた印象を与えるデザイン。カッコよさを前面に出そうとするような無粋さもない。

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美しい車の絶対条件ともいえるバックスタイル。現代の日本車ではほとんど見ることがなくなったシンプルでありながら、バランスよくデザインを終結している感がある。金属製のマシンであることを暗に伝える塗装も今では失われた趣である。デザインばかりではなく、エンジンや内装も高性能、高品質のようだ。しかしながら、最近のトヨタ車のデザインに私は満足できない。これほどの自動車を作った功績があるのだから、なんとかならないものだろうか。日本人は直線の使い方が上手くないと言われる。なるほど、街行く車を見ていると、高い技術をうかがわせる流線形に無理やり直線や平面を削りだしている感が否めないデザインが多いように思う。高品質であるだけに、デザインとブランド戦略がいまいちなのはもったいないと感じるのは私だけではないはずだ。

トヨタのスポーツカーの原点を知った私はさっそく、トヨタのスポーツカーに乗りたくなった。幸い、MR2を持つ機会を与えられることになったわけだが、こちらも素晴らしい車であった。

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MR2は日本初のミッドシップ2シーターであるようだ。運転席は飛行機のコックピットのようで、包み込まれるような体をうずめるような、ドライビングと向き合うのに最適な姿勢がとれるような構造になっている。シフトレバーも軽快でクラッチもスムーズだったので、初心者の私にもとても乗りやすかったことを覚えている。それより強烈だったのは法外な保険料w、最終的にまたしても金銭面がネックとなってしまった。浪人中だった私は、よくこの愛車で山道や田舎の一本道を攻め、かっ飛ばしたものだ。くすぶる心の何かを発散するかのように、何かを忘れ、吹っ切るために。コーナリングもターボ車ゆえ、加速性も抜群だった、今思えばよく事故を起こさずにすんだ、シートベルトを着用していたかどうかも怪しい、ロックンロールをはき違えたバカ者だった。あの頃の、無鉄砲で挑戦的な心はどこにも見出すことはできなくなった。車はその持ち主の人生を雄弁に語るといって過言でない。私と父の関係性が保たれたのも車の話題があったからこそ。私にとってはまさに相棒、単なる乗り物ではないのである。

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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