競馬デビュー Mは天才かペテン師か

毎週末、私のもとにMから競馬の結果が届く。

先々週、彼は初めて大きな馬券を当てた。

27万円。

彼はひどく興奮していた。私は賭け事はばかばかしいと考えていた(数学的にみればやる気にならない構造になっている)し、金儲けに興味がなかったのであっそう、よかったね。くらいの反応しか示さなかった。

先週は土日の二日間で35万円勝ったという報告が来た。トータルで90万勝っているということだった。

私はさすがにすごいと感嘆しないではいられなかった。思わず彼の才能と幸運を称えた。

彼は何度も私を競馬に誘った。しかし私は断り、あしらい続けていた。ところが、今までと違って一緒にやりたい、楽しみたいと言ってきた。彼によるとなんでも今までは試行錯誤を繰り返しながら、自分のスタイルを確立ができなかったため、的中確率を自ら落としていたという。最近になって自分の馬券購入のスタイルが固まり、それがようやく結果として現れ始めた。そこで私にぜひ一緒にやってみないかということであった。そういうことならば断わる理由もないので、私は競馬デビューを果たすことになった。

彼の口説き文句はこうだった。

「欲をかかないことって重要」

「自分の形を崩さない」

「頭いい人は勝てる」

「コツを掴むだけ」

私は金をドブに捨てるつもりで、友情の証として、賭け事を一緒に楽しむことを目的とすることで競馬を始める動機とした。そして興味深かったのが、数学的にはどうしても儲けることができない競馬で儲けていると豪語するMの実情である。実際のところ私はその調査に乗り出すかっこうであった。何をするのか?Mと全く同じ賭け方をするのである。

Mは儲けられるというが、私は儲けられるはずがないと分かっている。だとするとMがハッタリをかましているということだろうか?私はそう思いたくないのだが、それはこの調査によっていずれ証明されることであろう。Mの人間性に迫るチャンスでもある。しかしながら、Mは天才的頭脳の持ち主であり、彼の競馬必勝法は数学的にみれば、ありうる範囲内で限りなく確率を上げる方法であるように私には思えた。そして彼が競馬で儲けていようが、いまいが彼には絶対的資本があるので、私がルールを自分でつくっておかなければ、私だけが破産する結果を生みかねない。その作ったルールというのが、”10万円損失を出したらやめる”である。彼の計算上では一回1万円の賭け金が手軽でいいそうであるから、10回は楽しめるわけである。成功率何割かという結果は確率として十分信頼してよいものになるかと思う。

私は言った。「俺はMの単勝賭けだ」

「プレッシャーっすね」任せといてください。

「馬主の気持ちにもなれていいだろう」

「その通りっすね」

今週は私はMと同様9千円賭けて負けた。ちなみにMは他のレースで1万5千円の儲けになったと言っていた。これで少なくとも4週連続勝っている。私はますます疑いの目を向けることになった。金の切れ目が縁の切れ目というが果してMは私の友でいつづけられるであろうか?!

資格の取得 国家資格でない資格、なんちゃら検定は意味がない

高校時代の恩師は私にこんな惜別の言葉を送った。

「だれもが、Hのように自由に、我が道を行くというような生き方ができるわけではない。こういう学校であればなおさらな。同級生の多くが社会的な地位を得、いわゆる立派な大人になっていくことだろうと思う。私は教師として彼らを誇りに思い、また彼らの活躍が楽しみでもある。だが、時々出会う、Hのような風変わりというか変わり者な生徒は私になんとも形容しがたい期待を抱かせる。きっと未来が想像できないからだろうな。大体高校を卒業するころにはどんな生き方をしていくのか、仕事、家庭、そういったものがすでに形作られていることが少なくない。進路相談で私がHにいろいろな質問をしても、NOという言葉は聞いたが、こうするつもりだということは聞かなかった。そして教師を偉いともなんとも思っていない態度も私には何かおもしろく感じられた。だから、ついぞ進路相談のときでさえ、Hに説教じみたこと、アドバイスの類もほとんどしなかったように思う。それが何か可能性を狭めることになるのではないかとも思えたからだ。しかし、わかっているだろうが、そんな生き方をしていてはリスクを伴う。教え子であるお前に苦しい思いをさせたくないという気持ちはやはりある。だから言うのだが、せめて資格の一つは取っておいた方がいい。あとは何も言わない。好きに生きろ。お前のことだ、仕事にも就かないかもしれんが。」

そのときから、「資格」を取ることは私の脳裏にずっと焼き付いていた。文学的活動に時間のすべてをささげたいと思っていた私には、資格のための勉強さえ惜しかった。文学では食えないこともわかっていた。資格が生きて行くための手段を与え、助けとなることは明白だった。そんな葛藤を抱えながら何年もが過ぎた。そして今年大きな転機があった。

会社からある資格を取ったらどうかという依頼のような提案のようなものがあった。私は二つ返事で引き受けた。運命はこうして巡り、人は一つひとつステップアップしていくのであろう。私にまた一つ道が開かれた、そんな気がした。一年一年、テーマを決めながら日々を過すのは私のスタイルであるが、今年のスタートはこの資格を取り、その延長でなにかをも獲得することが一つの目標となりそうである。

友人Mは毎日時間が有り余っているからなんか適当に検定でも取ろうかしらんと笑っていたが、私はその思いつきに賛同することは出来かねた。ユーキャンとかなんかいろいろ資格やらなんちゃら検定ーの類は金と時間と労力の無駄でしかないと私は思う。国家資格でない資格に私は意味を感じない。民間の資格、検定は商品でしかないのではないだろうか。最近遠ざかっていた暗記という活動がやや新鮮で面白く、楽しく勉強が進んでいる。勉学に向いている性格なのだと改めて感じ、文学はやめてそういう実用的な方面へシフトした方がいいのかもしれない。しかし、文学をやめることはおそらく一生不可能だ。

トヨタ2000GT 国産車の傑作 愛車MR2


こんにちは。よろしくお願いします。

私は国産車より外車が好きである。細かい理由は置いておくとして、ざっくりいうと、デザイン性、操作性、エンジンのアクション、上品なインテリアなどに魅力を感じるからである。ただし、先述のRX-7のように素晴らしい国産車も少なくない。愛知県が誇る世界的企業「トヨタ自動車」、その歩みと自動車産業の歴史を学ぶことができる「トヨタ博物館」で私は今回紹介したい名車に出会った。

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ロングノーズと見事に調和した印象的なフォグランプ(マイナーチェンジによってフォグランプが小型化されたが、個人的見解だが、改悪と言わざるを得ない)。フォルムは古臭い感じはまったくしないし、日本らしさも感じさせる柔らかくて落ち着いた印象を与えるデザイン。カッコよさを前面に出そうとするような無粋さもない。

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美しい車の絶対条件ともいえるバックスタイル。現代の日本車ではほとんど見ることがなくなったシンプルでありながら、バランスよくデザインを終結している感がある。金属製のマシンであることを暗に伝える塗装も今では失われた趣である。デザインばかりではなく、エンジンや内装も高性能、高品質のようだ。しかしながら、最近のトヨタ車のデザインに私は満足できない。これほどの自動車を作った功績があるのだから、なんとかならないものだろうか。日本人は直線の使い方が上手くないと言われる。なるほど、街行く車を見ていると、高い技術をうかがわせる流線形に無理やり直線や平面を削りだしている感が否めないデザインが多いように思う。高品質であるだけに、デザインとブランド戦略がいまいちなのはもったいないと感じるのは私だけではないはずだ。

トヨタのスポーツカーの原点を知った私はさっそく、トヨタのスポーツカーに乗りたくなった。幸い、MR2を持つ機会を与えられることになったわけだが、こちらも素晴らしい車であった。

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MR2は日本初のミッドシップ2シーターであるようだ。運転席は飛行機のコックピットのようで、包み込まれるような体をうずめるような、ドライビングと向き合うのに最適な姿勢がとれるような構造になっている。シフトレバーも軽快でクラッチもスムーズだったので、初心者の私にもとても乗りやすかったことを覚えている。それより強烈だったのは法外な保険料w、最終的にまたしても金銭面がネックとなってしまった。浪人中だった私は、よくこの愛車で山道や田舎の一本道を攻め、かっ飛ばしたものだ。くすぶる心の何かを発散するかのように、何かを忘れ、吹っ切るために。コーナリングもターボ車ゆえ、加速性も抜群だった、今思えばよく事故を起こさずにすんだ、シートベルトを着用していたかどうかも怪しい、ロックンロールをはき違えたバカ者だった。あの頃の、無鉄砲で挑戦的な心はどこにも見出すことはできなくなった。車はその持ち主の人生を雄弁に語るといって過言でない。私と父の関係性が保たれたのも車の話題があったからこそ。私にとってはまさに相棒、単なる乗り物ではないのである。

スポーツ万能のS氏、作家として活躍するI氏へのプレゼント


先日、T氏へのプレゼントの記事を書いたが、その続きを書きたいと思う。そんな私事をわざわざブログになんて、あげるんじゃない、煩わしい!という意見はもっともだが、私としてはプレゼントをあげた事実を書きたいのではなくて、T氏やこれから挙げるS氏とI氏がどういった人物なのか、そしてそのプレゼントは彼らに値するのかどうであろうか?ということに主眼がある。つまり単純に、作家気分で描写したいだけである。

T氏とS氏とは私の大学時代の友人である。彼らとの出会いが私の大学生活を変え、その価値を高めてくれた。彼らにはいくら感謝しても足りない。私にできることはこれからもずっと友情を保ち、想う気持ちを持ち続けることである。さて、T氏とS氏はいい対照をなしており、T氏が秀才であれば、S氏は天才、T氏がコミカルならば、S氏はシニカルといった具合なのだ。そんなT氏はスポーツ万能で、在学中に突然、ホノルルマラソンに出場するから後期をしっかりと履修するのは難しいと思う。といって実際に留年してしまったのは驚いた出来事であった。またチャレンジ精神が旺盛で、「俺も文学の一つや二つ読んでいないとな。」といってトルストイの”超”大河小説『戦争と平和』全巻を学内に持ち込んできたのもおもしろいエピソードだ。卒業後はというと、留年をものともせず、労せず一流企業に就職し、持ち前の運動能力を活かして現在はゴルフの腕前が相当で職場で羨まれるほどだという。

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スポーティーでクールなS氏に、この「パーカー」のT氏と色違いのそれぞれの特徴の表れた(私が勝手にそう思い込んでいるに過ぎない)ボールペンはぴったりだ。今でもランニングを欠かさないというし、ロシア文学を好んで読むそうだから、天性も損なわれていないと思われる。会社員という立場で成功と幸せを手にしてもらいたいと願うばかりだ。

続いてI氏。私はあまり人から影響をうけるタイプの人間ではないのだが、I氏からは非常に大きな影響と刺激を受けている。そのお礼として今回プレゼントを贈ることにしたのだ。彼が私にもたらしたものはさまざまだが、「ハードボイルド」と「ファッション」そして「女性観」である。そして現在、彼は作家として活躍している。このことが最も私の刺激になる。彼独自の世界観に包まれた物語は魅力的であるし、言葉遣いが驚くほど適切で、私は見習うべき個所多数といったところなのだ。簡単に言えば、古典から地道に読書を続けてきた私に、達観して「日はまた昇る」こそが素晴らしい作品だ。ハードボイルドは生そのものを映している。と宣言したのだ。彼にとっては歴史は一跨ぎで済んでしまう。これはすべてに通じていて、ファッションに関しても雑誌なんかを頼りにせず、直感とフォーマル(形式)の融合だという。極めつけは彼の洞察力だ。彼は見事にある女性の依存性の所在を説明して見せた。

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彼はウイスキーをグイグイ飲みながら執筆をするというので、普段はバーボンばかりだそうだから(これはヘミングウェイを愛し、アメリカ文学を好むがゆえであろうと思う)、ブレンデッド・スコッチウィスキーの定番『バランタイン』の12年を贈ることにした。ボトルのラベルデザインがリニューアルしたことに伴い、運よく安価で手に入れることができたのだ。複雑だがバランスがよくなめらかで、甘く豊かな香り。パッケージもしゃれているし、I氏にぴったりの一本だ。

以上、「ぴったりだ」というのはあくまで私の独断であり、お気に召さなかったら申し訳ない限りだ。

ゲーテよりもシラーを愛するT氏へのプレゼント


子どものころ、クリスマスは一年のうちで一番すばらしい一日だった。夕食はごちそうで、そのあとに大きなケーキを食べて、目覚めると枕元にはプレゼントがあって、それを開けると中には欲しいと思っていたおもちゃが入っているのである。私はサンタクロースを信じていた子どもであった。ワクワクしながら、サンタクロースを一目見よう、絶対にのぞき見てやろうと、布団の中で眠気と闘っていたのが懐かしい。知らない間に眠ってしまい、気がつくと朝になっていて、しまった!と悔やむのだ。やがてクリスマスは恋人たちのものとなり、彼女のための日となった。クリスマスを楽しむのではなく、プロデュースする立場となってしまった。もしかしたら、子どもにプレゼントをする日もやってくるのかもしれない。とにかく日本的なクリスマスを律儀に毎年送っている。とうとう、今年は何人かの友人にもプレゼントを贈ろうという気を起した。プレゼントをすることはプレゼントをもらうよりも実は幸福感と充実感がある。僕はそのことを発見したのでもちろん財布と相談しながらということにはなるわけだが、また不自然でない程度にサプライズという遊び心で実行してみた。

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まずT氏には、こちらの「PARKER IM」のシルバー/ゴールド。PARKERは歴史ある筆記具メーカーであり、矢羽のクリップの圧倒的な存在感をもつ矢羽のクリップは完璧なアイデンティティとなっていて、筆記具の有名一流ブランドといえるだろう。私にとっては、思い出のブランドでありながら、罪悪の証人でもある、運命的なアイテムである。T氏は大学の研究員であり、ドイツ文学を好み、ゲーテよりもシラーを愛する。サテン仕上げのボディーに金の光沢が映え、シンプルなフォルムの気品あるデザインからは知性とアイデアが感じられるこのボールペンは彼にぴったりだ。価格は安価であるが高級感さえある。プレゼントとしても非常に優れているといえる。これを導入として筆記具にさえ気を配り、愛着をもつような、品格のある学者として大成してくれたら幸いである。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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