衣食住と文学に凝縮していく生活スタイル


今日、私は愛車を手放した。18歳の時に自動車免許を取得して以来ずっと自動車を所有してきたが、日々変わりゆく環境と生活スタイルの中で、車の必要性が低くなっていった。仕事が私に要求する者が増え、社会や社交に対しての己の在り方について考えさせられることが多くなった。それは身だしなみや振る舞、言動を改めさせた。私は毎週ごとに新生する自分を見出す。

私の生活は、衣食住そして文学に凝縮され始めている。これらに関係のないものをすべてそぎ落としたところに平穏の日々が実現されるように思う。不要な友とは絶交し、荷物は手放す。なんとすがすがしい気持ちだろうか。私に今必要なのは、おいしい米と良質な寝巻で、それを明日買いに出かける。まさに今、人生を、生活し始めた、そんな気さえしている。

結婚適齢期の男女交際の難しさについて


先日、私は高校の同級生に誘われて合コンへ参加した。彼(ユウと呼ぶ)とは高校時代から現在に至るまでずっと仲が良く、交流もあったのだが、最近になって一段と会う頻度が増え、より仲が深まった。時と共に人間関係や関係の濃密さは変化するもので、絶交があれば出会いもあり、疎遠になった友があれば、昵懇になった友もある。まるで生き物のようだ。

待ち合わせの時間は当初の予定より私の仕事に合わせてもらう形で30分遅らせてもらった。にもかかわらず私は5分ほど遅刻してしまったが、ユウは私よりも遅れてきた。彼とラインのやりとりを会場に向かう道中でしていたから、もうそろそろだなと私は店の入り口で待っていた。遠くからでもユウは私に気づき、息を切らせながら一段と速度を速めて私の方へ向かって歩いた。

「俺の方が、遅れちまったわ。悪いね」

「女の子たちは、もういるんだよね?」と私は答えの分かりきった問いをした。

「男が二人とも待たせるなんて最悪だな。あと、今日来る予定だったもう一人は仕事でこれなくなった」

ユウとその同僚と私の三人と女の子はユウの友人の友人であるアヤとやはりその同僚のサキエとユミの三人での合コンの予定だったが、2×3の不釣り合いな合コンになることを意味した。正直私としては、初対面の人間が一人減ったことで気が楽になったし、女の子が減ったわけではなかったので落胆はしなかった。といって喜んだわけでもない。

席について挨拶を交わすとすぐに、私は参加した3人の女の子をまるで農作物の等級を定めようとするかのように吟味した。これは本能と呼ばれるものに近い反応で、私自身どうしようもなかった。優劣ではなく、自分に気に入るかどうか、そのように問題を置き換えることが精いっぱいだった。しかしながら私は認識作用に打ち勝つことができず、あっという間に心の中で順位をつけてしまった。続いて私ができることといえば、その自身の傾向に抗って、平等に、かつ自然にその会でふるまうことであった。それは成功したかに見えて、家に帰ってから振り返ってみると第三希望の女の子にもっとも心づくしをしてしまっていた。けれども、彼女が私の正面の席だったことも作用しているはずなので、思った通りに近い良いふるまいができたのではないかと思う。いずれにしろ、評価するのは私ではなく、彼女たちである。そして私がもっとも気遣ったのは、私とユウとの距離感と会話の割合である。彼と合コン中ずっと話すことだってもちろん可能であって、逆にまったくしないということも可能なのであり、彼女たちにとって私とユウの関係性がどんな意味を持つのか、そして、この合コンという場で私たち二人はどのような関係性であるべきなのか、というのが私には難しかった。できるかぎり、私はユウをいい男に見せたかったけれども、それが実際に私の株をひそかに上げることになり、それが狙いだと思われるのではないかという、そんな不安さえよぎった。

私の不安は、妙な形で現実問題と化した。もともとユウとアヤが共通の友人がいたこともあって交際へと発展しつつあり、その一環としてこの度の合コンが催された。私は当然のことだと思ったが、やはり三人の女の子の中でアヤが一番私の気に入った。かわいかったのだ。けれども、ユウとアヤの関係性を知っていた私は、かわいいと思うにとどめ、なんらアクションは起こさなかった。今の私にとって恋愛はどうでもいいことだった。本能に従って、順位を無意識的に定めていた、それだけのことだ。6人はお互いの連絡先を聞くこともなく別れたのだが、あくる日には、ラインでグループが組まれ、自然それぞれのラインを知ることになる。社交辞令が交わされ、これで私に関してはこの合コンでの出会いは終りであるはずだったのだが、アヤから連絡が来て、数日経ってもやりとりは途絶えない。私は何かを期待しているのだろうか。交際するなどは面倒だが、他人の考えや趣味を聞いたりするのはおもしろい。かつて私は、アヤと同じ職業の女の子と知り合ったとき、同じく長いこと連絡を取り合い―その職業の人にとって私は興味深い存在なのかと愚かにも思ってしまっている、今回が二度目というわけではない―まったく興味がわかないのに、不必要に質問を繰り返して不信感を持たれたことがあり、女の子と自然な関係性を築くのは難しいという印象を持っている。結婚したこともないのに、結婚がしたいとかしたくないとかいうのもよく分からない。現時点では、したいという気持ちがなければ、お付き合いなどはしないほうがいいという結論に至り、せっかく親しくなりかけたアヤとも近々音信不通になるのだろうと思うとなんとも残念な心持ちがする。

おいしいコーヒーを求めて スターバックスコーヒー「パイクプレイスロースト」  


10年くらい前の話になる。高校の校門約300mほどのところにスターバックスコーヒーがあった。田舎から都会へ出てきた私には初めてのスタバの店舗で入る勇気もなければ、ゆっくりとお店でコーヒーを飲むという習慣もなかった。ただ漠然と憧れと興味はあった。蓋つきのデザインを施された紙コップのテイクアウトやマグカップでコーヒーを味わいながら、ガラスケース内の充実したスイーツやフードを楽しむことができる。おしゃれに感じたのはそのネーミングで、サイズ表記が、S・M・Lではなく、ショート・トール・グランデという聞きなれないものだった。これも実はシアトル的おしゃれであって、我々日本人があえてお手洗いをトイレと表記する感覚のようである。

高校2年の夏休みも近いある日、同じクラスのIが透明なスターバックスの容器にはいった白っぽい抹茶色のシェイクのようなものを食べながら、朝、登校してきた。私は彼のところへ行ってそれはいったい何だと聞くと、抹茶フラペチーノというものだった。要は刻んだ氷を混ぜ込んだシェイクのようなもの。私は甘いものも、冷たいものもあまり好きではないが、スターバックスを飲んでみたいという気持ちがあったので、Iに今度スターバックスに行ってみたいんだが、と言うとせっかく学校の近くにあるんだから利用するべきだよと言った。彼は朝食をスタバで取ることもあるというが、自慢げな様子は少しもなかった。彼にとってスタバはコンビニと大して変わらないものだったのだ。

初めてのキャバクラよりも緊張していたかもしれない。私はもっともスタンダードなホットコーヒーのレギュラーサイズを頼みたかったのだが、そんな表記はどこにもない。ドリップコーヒーがそれらしいものだった。(ICE/HOT)という表記も一緒にあるが、その下にショート・トール・グランデというサイズ表記とおぼしきものがあった。果してどのタイミングで、どの順番で注文すればよいのか分からなかった。「ドリップコーヒー、ホットのトールで」いまだに私はこのように、決まり文句のように注文するのだが、正解なのかどうなのかいつも戸惑いを感じる。ホットとアイスで豆の種類が選べるようになっていて、コーヒー豆による味の違いがあるということもこのとき初めて知った。たしか、豆の種類はハウスブレンドだったと思う。

最初に感じた味の印象は香り、そして苦みであった。スターバックスコーヒーの特徴はこれに加えて、独特のスパイシーさだと私は思っているのだが、とにかく初めは苦すぎるように思ったが、香りは気に入った。スタンダードなブレンドコーヒーで苦いと感じるのであるから、深煎りであるスマトラ、イタリアン・フレンチローストはやや避けるようにしている、けれどもカフェベロナはというと悪くない苦みなのだ。逆に中煎りでもケニアは苦みが出過ぎている印象である。マンデリンに代表される豆本来の苦みではなく、煎り具合、高温抽出、酸化、撹拌不足などによる苦みという気がしている。

こんな風に、スターバックスのコーヒーに関して必ずしも好印象というわけでもなかった―値段に関して言えばリーズナブルで申し分ない―が、パイクプレイスローストは私のお気に入りで、本日のコーヒーがこれだとハッピーになる。ちなみに、上記にあげた苦みの際立つものはアイスだとちょうどよいし、ミルクと黒糖を追加することでおいしくなる。

4524785162365_1_convert_20170807163830.jpg

こちら「パイクプレイスロースト」はスターバックス発祥の地の名を冠しているだけあって、もっとも一般ウケするようなバランスのとれた定番といってもいい味わいである。コクと酸味がほどよく抑えられた飲みやすい一杯だ。香り、スパイシーさはそれほど感じられない。
豆を購入しようと思うと250g1140円とパッケージのデザインや味からするととてもお買い得だと私は思っている。しかし、豆は粒が不揃いで、クズや欠けた豆なども多く入っているため、相応という感じもする。私のコーヒーとの歩みのベースにはこのパイクプレイスローストがある。

文学界新人賞へ応募 I氏の助言


「ブログ読んだよ」

と、I氏は、私を優しく射るような目をして言った。

「何か感想はある?」と私は返事した。

「そうだな、まあよくあんなにも多く書けるなと驚いたね。どうせ同じことの繰り返しなんだろうと思ってたらそれぞれ違っている。あれだけ書くネタがあるのは正直うらやましい気もしたね。でも、それぞれには残念ながら深みがないよ。だからむだにたくさん書けるとも言えるかもね。実際どういうつもりでブログを書いてる?」

「文学は好きだし、ああいった自分の好む傾向のものを書いていれば、共感してくれる人や同じ趣味を持つ人たちと交流できるんじゃないかって期待もあるんだ」

「文学をやってるつもりかい?俺はね、Hがまず一本作品を仕上げないと認めないよ。ブログなんて所詮娯楽だ。作品として仕上げると気分がいい。それに同志がやっぱりいて、彼らと話すのは非常に有意義だ。君は現実世界はバカばかりだというが、ネット界はそうではないと言い切れるかい?ブログを通じて知り合った人たちと俺の同志と比べてみたらどうだろうか。彼らは毎日必死に作品に取り組んでいて、賞に応募して切磋琢磨している。次こそは、と俺も思って試行錯誤している。俺からみると、ブログなんかやってないで、小説でも書いて、文学賞に応募するなりした方がいいんじゃないかって思う。書けないことはないと思う。書くことが好きだろうし、続ける根気さもある。俺は誰が見てるとも知れないブログを書き続けることはできそうにない。賞がとれるかもしれないと思えばがんばれるけどね。そうそう、今書いているやつを今度「文学界新人賞」に応募するつもりなんだけど、Hも試しに応募してみないか?俺も刺激になる」

私が内心抱えていた文学に対する葛藤。ブログと作品制作の意義。I氏はそれを鋭く追及したのだ。彼は文学界新人賞のみならず群像や新潮新人賞など様々な作品賞に応募してあと一、二歩というところでもがいているのを私は知っていた。私はどこか彼の才能に対する引け目から応募することにためらいがあった。作品として物語を完結させることさえできないほど才能に恵まれていなかったのである。ところが、彼は適切なアドバイスを私に与えた。

「俺には作品として完結させる実力もなければ、作品にするような物語のテーマもない。新人賞に応募するなんてとても望めないよ」

「わかってないね。大層立派なテーマなんて必要ないんだ。ただ恋愛するだけ、それでもいい。お前が考える恋愛は実はだれもが考える恋愛というわけではないんだ。適当にテーマを決めて、よし、書き始めよう。というのもいけない。書いたことがない人間はそうやって勢いで書いて途中で行き詰まる。それは当たり前だ。でもね、小説にはプロットっていう設計図があるんだよ。物語の骨組みを、そうだな、10個くらい、ざっと場面展開でもいい書いてみるんだ。たとえば、基本の4つは起承転結。細かいことはその都度相談してくれれば、俺だって大した実力はないけど、経験の中からアドバイスできることはあると思う」

彼にアドバイスを聞きつつ、書き始めてみると、なるほど案外すらすらと物語が紡がれていく。ちょうど私は資格の試験を終え、何かこの能動的集中力をせっかくだし、そのまま引き継ぎたいと考えていたので絶好のタイミングであった。ブログの方でも失望させられることもあったりして、少し変化というか刺激を求めていたところであった。こちらはある意味ネタ帳、練習帳として機能するに違いないし、面白いので続けながら、9月末の文学界新人賞に作品を応募することに決めた。

人に嫌われる才能 相手の気持ちが分からない

気づくと僕はひとりぼっちになっていた。どうしたら人に嫌われずにすむだろう?どうすれば人は僕を好いてくれるだろう?小学生の頃ずっと考えていた。Y君が人気者だったので一生懸命僕は彼のことを研究したのだけれど、どうしても僕は好きになることはできなかったので、彼のふるまいを参考にするということはなかった。しかし周りのみんなはY君のことが好きなのだから、私はますます仲間外れという形になっていった。僕は誰とも仲良くすることができなかったので、悔しさもあって一人で―その現実も忘れるために、自分を鍛えることにした。幸い、僕は野球に熱中していたので、いつも一人で練習をしていた。走ったり、素振りをしたり、小学生のすることだからその程度のことだ。小学生高学年のころの記憶に、誰か友達と仲良く遊んだ記憶はなく、部活の監督との関係もうまくゆかず、ある日のこと、僕はピッチャーだったので投球練習をするために、同級生のキャッチャーの子に相手を頼んだが無視された。あとで彼になぜ受けてくれない?と迫るとHの球は受けなくていいと監督のに言われたとのことだった。私は段々部活の居場所がなくなって、最後の試合を迎える前、私の存在はなきものとなり、チーム一丸となって練習に励む姿を校舎の三階の窓から眺めながら、担任の先生に「人生ってむなしいものですね」と私が言うと、「むなしいなんて言わないで」と言った先生の悲しそうな顔を今でもよく覚えている。

そんな具合で中学校にあがったものだから、必死に今まで関わりのなかったようなおとなしそうな子と友達になろうと試行錯誤したのだが、本当の友情など芽ばえるわけもなく、一層孤独感を募らせただけだった。あの年頃の孤独は辛かった!そして、過酷だったのは先輩からの仕打ちであった。努力の甲斐あって、私は先輩の試合に出してもらえていたのだが、グラウンドでは罵られ、外では陰口をたたかれていた。暴力を振るわれたこともなんどかあった。同級生と違って、味方をしてくれる先輩もいないではなかったが、そうした攻撃はなかなか他者が防げるようなものではないのである。

人間はある程度は孤独に慣れてくるものである。高校では自閉症ではないかと密かに疑われていたようである。のちに、サイコパスだと非難されたこともあるが、この頃から、己の人間性の異常に気づき始めた。私は周りがおかしいと思っていたのだが、その実私自身がおかしかったのである。私はすすんで人目を避け、家に閉じこもりがちになっていた。野球も勉強もあきらめざるを得なくなった時の私はどん底を見たような気がする。そこで出会ったのが文学であった。文学は私の生きる希望であった。

どんな局面であっても、私は社会の不適格性というものにぶつかってしまう。ブログを通じて、私はまた、かつての嫌われる自分を見出したのである。嫌われる勇気なんて平和なものだ。好かれようと思って、善をなそうとして、正確に嫌われるのである。心当たりはないではない。包み隠さずに言えば、私は人の気持ちというのが全くわからないのである。なぜなら、私が感情に乏しく、道徳観によってすべてのものごとを計り、合理的に処理することしか意識が向かないからである。孤独に親しみすぎて、感情をなくしてしまったのかもしれない。乾いた沖縄の大地、傷ついた人々、沖縄の今も爪痕を残す悲しい歴史。ただそうしたことが悲しいのである。道徳、感情、それ以外に何を基に他者と接すればいいというのだろうか、楽しさのもつ、快楽の負の側面よ。まじめになればそれだけ、孤独は深まるばかりではないか。今では人から好かれたいとは全く思わなくなったけれども、それゆえ速攻で人から疎まれるようにもなった。人から嫌われる才能を私は持っているらしい。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる