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おいしいコーヒーを求めて スターバックスコーヒー「パイクプレイスロースト」  


10年くらい前の話になる。高校の校門約300mほどのところにスターバックスコーヒーがあった。田舎から都会へ出てきた私には初めてのスタバの店舗で入る勇気もなければ、ゆっくりとお店でコーヒーを飲むという習慣もなかった。ただ漠然と憧れと興味はあった。蓋つきのデザインを施された紙コップのテイクアウトやマグカップでコーヒーを味わいながら、ガラスケース内の充実したスイーツやフードを楽しむことができる。おしゃれに感じたのはそのネーミングで、サイズ表記が、S・M・Lではなく、ショート・トール・グランデという聞きなれないものだった。これも実はシアトル的おしゃれであって、我々日本人があえてお手洗いをトイレと表記する感覚のようである。

高校2年の夏休みも近いある日、同じクラスのIが透明なスターバックスの容器にはいった白っぽい抹茶色のシェイクのようなものを食べながら、朝、登校してきた。私は彼のところへ行ってそれはいったい何だと聞くと、抹茶フラペチーノというものだった。要は刻んだ氷を混ぜ込んだシェイクのようなもの。私は甘いものも、冷たいものもあまり好きではないが、スターバックスを飲んでみたいという気持ちがあったので、Iに今度スターバックスに行ってみたいんだが、と言うとせっかく学校の近くにあるんだから利用するべきだよと言った。彼は朝食をスタバで取ることもあるというが、自慢げな様子は少しもなかった。彼にとってスタバはコンビニと大して変わらないものだったのだ。

初めてのキャバクラよりも緊張していたかもしれない。私はもっともスタンダードなホットコーヒーのレギュラーサイズを頼みたかったのだが、そんな表記はどこにもない。ドリップコーヒーがそれらしいものだった。(ICE/HOT)という表記も一緒にあるが、その下にショート・トール・グランデというサイズ表記とおぼしきものがあった。果してどのタイミングで、どの順番で注文すればよいのか分からなかった。「ドリップコーヒー、ホットのトールで」いまだに私はこのように、決まり文句のように注文するのだが、正解なのかどうなのかいつも戸惑いを感じる。ホットとアイスで豆の種類が選べるようになっていて、コーヒー豆による味の違いがあるということもこのとき初めて知った。たしか、豆の種類はハウスブレンドだったと思う。

最初に感じた味の印象は香り、そして苦みであった。スターバックスコーヒーの特徴はこれに加えて、独特のスパイシーさだと私は思っているのだが、とにかく初めは苦すぎるように思ったが、香りは気に入った。スタンダードなブレンドコーヒーで苦いと感じるのであるから、深煎りであるスマトラ、イタリアン・フレンチローストはやや避けるようにしている、けれどもカフェベロナはというと悪くない苦みなのだ。逆に中煎りでもケニアは苦みが出過ぎている印象である。マンデリンに代表される豆本来の苦みではなく、煎り具合、高温抽出、酸化、撹拌不足などによる苦みという気がしている。

こんな風に、スターバックスのコーヒーに関して必ずしも好印象というわけでもなかった―値段に関して言えばリーズナブルで申し分ない―が、パイクプレイスローストは私のお気に入りで、本日のコーヒーがこれだとハッピーになる。ちなみに、上記にあげた苦みの際立つものはアイスだとちょうどよいし、ミルクと黒糖を追加することでおいしくなる。

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こちら「パイクプレイスロースト」はスターバックス発祥の地の名を冠しているだけあって、もっとも一般ウケするようなバランスのとれた定番といってもいい味わいである。コクと酸味がほどよく抑えられた飲みやすい一杯だ。香り、スパイシーさはそれほど感じられない。
豆を購入しようと思うと250g1140円とパッケージのデザインや味からするととてもお買い得だと私は思っている。しかし、豆は粒が不揃いで、クズや欠けた豆なども多く入っているため、相応という感じもする。私のコーヒーとの歩みのベースにはこのパイクプレイスローストがある。
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文学界新人賞へ応募 I氏の助言


「ブログ読んだよ」

と、I氏は、私を優しく射るような目をして言った。

「何か感想はある?」と私は返事した。

「そうだな、まあよくあんなにも多く書けるなと驚いたね。どうせ同じことの繰り返しなんだろうと思ってたらそれぞれ違っている。あれだけ書くネタがあるのは正直うらやましい気もしたね。でも、それぞれには残念ながら深みがないよ。だからむだにたくさん書けるとも言えるかもね。実際どういうつもりでブログを書いてる?」

「文学は好きだし、ああいった自分の好む傾向のものを書いていれば、共感してくれる人や同じ趣味を持つ人たちと交流できるんじゃないかって期待もあるんだ」

「文学をやってるつもりかい?俺はね、Hがまず一本作品を仕上げないと認めないよ。ブログなんて所詮娯楽だ。作品として仕上げると気分がいい。それに同志がやっぱりいて、彼らと話すのは非常に有意義だ。君は現実世界はバカばかりだというが、ネット界はそうではないと言い切れるかい?ブログを通じて知り合った人たちと俺の同志と比べてみたらどうだろうか。彼らは毎日必死に作品に取り組んでいて、賞に応募して切磋琢磨している。次こそは、と俺も思って試行錯誤している。俺からみると、ブログなんかやってないで、小説でも書いて、文学賞に応募するなりした方がいいんじゃないかって思う。書けないことはないと思う。書くことが好きだろうし、続ける根気さもある。俺は誰が見てるとも知れないブログを書き続けることはできそうにない。賞がとれるかもしれないと思えばがんばれるけどね。そうそう、今書いているやつを今度「文学界新人賞」に応募するつもりなんだけど、Hも試しに応募してみないか?俺も刺激になる」

私が内心抱えていた文学に対する葛藤。ブログと作品制作の意義。I氏はそれを鋭く追及したのだ。彼は文学界新人賞のみならず群像や新潮新人賞など様々な作品賞に応募してあと一、二歩というところでもがいているのを私は知っていた。私はどこか彼の才能に対する引け目から応募することにためらいがあった。作品として物語を完結させることさえできないほど才能に恵まれていなかったのである。ところが、彼は適切なアドバイスを私に与えた。

「俺には作品として完結させる実力もなければ、作品にするような物語のテーマもない。新人賞に応募するなんてとても望めないよ」

「わかってないね。大層立派なテーマなんて必要ないんだ。ただ恋愛するだけ、それでもいい。お前が考える恋愛は実はだれもが考える恋愛というわけではないんだ。適当にテーマを決めて、よし、書き始めよう。というのもいけない。書いたことがない人間はそうやって勢いで書いて途中で行き詰まる。それは当たり前だ。でもね、小説にはプロットっていう設計図があるんだよ。物語の骨組みを、そうだな、10個くらい、ざっと場面展開でもいい書いてみるんだ。たとえば、基本の4つは起承転結。細かいことはその都度相談してくれれば、俺だって大した実力はないけど、経験の中からアドバイスできることはあると思う」

彼にアドバイスを聞きつつ、書き始めてみると、なるほど案外すらすらと物語が紡がれていく。ちょうど私は資格の試験を終え、何かこの能動的集中力をせっかくだし、そのまま引き継ぎたいと考えていたので絶好のタイミングであった。ブログの方でも失望させられることもあったりして、少し変化というか刺激を求めていたところであった。こちらはある意味ネタ帳、練習帳として機能するに違いないし、面白いので続けながら、9月末の文学界新人賞に作品を応募することに決めた。

人に嫌われる才能 相手の気持ちが分からない

気づくと僕はひとりぼっちになっていた。どうしたら人に嫌われずにすむだろう?どうすれば人は僕を好いてくれるだろう?小学生の頃ずっと考えていた。Y君が人気者だったので一生懸命僕は彼のことを研究したのだけれど、どうしても僕は好きになることはできなかったので、彼のふるまいを参考にするということはなかった。しかし周りのみんなはY君のことが好きなのだから、私はますます仲間外れという形になっていった。僕は誰とも仲良くすることができなかったので、悔しさもあって一人で―その現実も忘れるために、自分を鍛えることにした。幸い、僕は野球に熱中していたので、いつも一人で練習をしていた。走ったり、素振りをしたり、小学生のすることだからその程度のことだ。小学生高学年のころの記憶に、誰か友達と仲良く遊んだ記憶はなく、部活の監督との関係もうまくゆかず、ある日のこと、僕はピッチャーだったので投球練習をするために、同級生のキャッチャーの子に相手を頼んだが無視された。あとで彼になぜ受けてくれない?と迫るとHの球は受けなくていいと監督のに言われたとのことだった。私は段々部活の居場所がなくなって、最後の試合を迎える前、私の存在はなきものとなり、チーム一丸となって練習に励む姿を校舎の三階の窓から眺めながら、担任の先生に「人生ってむなしいものですね」と私が言うと、「むなしいなんて言わないで」と言った先生の悲しそうな顔を今でもよく覚えている。

そんな具合で中学校にあがったものだから、必死に今まで関わりのなかったようなおとなしそうな子と友達になろうと試行錯誤したのだが、本当の友情など芽ばえるわけもなく、一層孤独感を募らせただけだった。あの年頃の孤独は辛かった!そして、過酷だったのは先輩からの仕打ちであった。努力の甲斐あって、私は先輩の試合に出してもらえていたのだが、グラウンドでは罵られ、外では陰口をたたかれていた。暴力を振るわれたこともなんどかあった。同級生と違って、味方をしてくれる先輩もいないではなかったが、そうした攻撃はなかなか他者が防げるようなものではないのである。

人間はある程度は孤独に慣れてくるものである。高校では自閉症ではないかと密かに疑われていたようである。のちに、サイコパスだと非難されたこともあるが、この頃から、己の人間性の異常に気づき始めた。私は周りがおかしいと思っていたのだが、その実私自身がおかしかったのである。私はすすんで人目を避け、家に閉じこもりがちになっていた。野球も勉強もあきらめざるを得なくなった時の私はどん底を見たような気がする。そこで出会ったのが文学であった。文学は私の生きる希望であった。

どんな局面であっても、私は社会の不適格性というものにぶつかってしまう。ブログを通じて、私はまた、かつての嫌われる自分を見出したのである。嫌われる勇気なんて平和なものだ。好かれようと思って、善をなそうとして、正確に嫌われるのである。心当たりはないではない。包み隠さずに言えば、私は人の気持ちというのが全くわからないのである。なぜなら、私が感情に乏しく、道徳観によってすべてのものごとを計り、合理的に処理することしか意識が向かないからである。孤独に親しみすぎて、感情をなくしてしまったのかもしれない。乾いた沖縄の大地、傷ついた人々、沖縄の今も爪痕を残す悲しい歴史。ただそうしたことが悲しいのである。道徳、感情、それ以外に何を基に他者と接すればいいというのだろうか、楽しさのもつ、快楽の負の側面よ。まじめになればそれだけ、孤独は深まるばかりではないか。今では人から好かれたいとは全く思わなくなったけれども、それゆえ速攻で人から疎まれるようにもなった。人から嫌われる才能を私は持っているらしい。

理解できない人間性 友への不信感 競馬人生終了のお知らせ


こんな形で友達に不信感を抱くことになるとは思わなかった。

彼は天才でもペテン師でもなく―ああ、ペテン師でなかっただけよかったのかも!私の理解を超える人間性の持ち主であった。私には寂しさが残った。彼が必勝法があるからぜひやろうといって競馬を始めたわけだが、私の作戦であった彼のその必勝法どおりに、すなわち彼と同じ馬券を買うということがなぜか受け入れられなかった。どうする?と彼に聞くと「○○を軸に3連単で」と返答があるのでその通りにしたことを告げると「さて、どうしようかな、わい」と私の意図を無視した、とぼけたような、間の抜けたような返事が来る。必勝法があるっていうならそれを俺にも適用させてくれよと私は思うのだが、友人とはいえその手の内は明かしたくないということなのだろうか。それを当てにしていた私も悪いのかもしれないが―ならば競馬で勝てるからやろうと友人を誘うとはいったいどういうつもりなのだろうか?私にはまったくわからなくなってしまった―自分は儲けて、友人は損をすればいいという了見なのだろうか?いや、彼は単純に私と競馬が楽しみたかったので、たまたま長年続けてきた競馬で、勝ちが続き、それをあたかもずっと勝ち続けているように見せかけて誘惑したのだ。とはいえ、あと5万円で100万円の儲けになるという。私が彼と同じ賭け方をしたつもりで、外れると彼は同じレースで当たったという。なぜ同じ賭け方をさせないのか理解できないのだが、私が仮に必勝法なるものを見つけたのであればその方法を友人に教えて一緒に勝とうと思うのだがめでたいのだろうか。彼と同じように賭けるつもりで始めたのだが、彼がそうさせないので私は止めると彼に告げた。すると「残念」「でも英断」と言った。

「一回勝ちたかったな」

「レース選びが大事っすね」

「いいレースとか教えてくれるかと思ってたよ」

「わら」

結局、一回当たったがガミってしまい、計35000円ほどの損失に終わった。私の競馬人生は終わった。

彼の口座を使って賭けていたので金を振り込むよといっても、いつでもいいっすよ。という。なぜかすぐに払わせない。私には理解ができない人間性だった。ただ、信頼関係を築くことは難しく感じられ、付き合っていて私に利をもたらしてくれるとも思えなかったので徐々に彼からは遠ざかるつもりである。

小説「オン・ザ・ロード」がつまらなすぎる 飯食って、セックスするしかないのか


河出書房新社の「オン・ザ・ロード」がつまらなすぎる。助けてくれ。

何がつまらないかって、描いている世界がつまらないから、どんな書き方をしたってつまらない。しかもその書き方だって薄っぺらい登場人物にぶつ切りにされたアメリカ大陸放浪記。自然が多く、広大で、美しいはずのアメリカ大陸は単純に描かれ、色あせてしまっている。そこで暮らす人々はもっといきいきしているはずではないのか?そうでもなさそうだ、当時の時代がそうだったのであろうか。私には分からないが。こんなつまらない小説は初めてだ。火にくべたって惜しくない。時間の無駄。これがある人々にはバイブルらしい。謎。

この世界はどんどんつまらなくなるし、文学もつまらなくなっていくのだな、と妙に納得してしまった。ゲーテはおもしろいことを書いてたなぁ。魔の山も好きだな。ドイツ文学、好きなのかしら。

私は、毎日やることがない。つまらない。飯食って、セックスするしかないのか、ばかばかしい。ずっと自殺しようかな、なんて考えている。生きてても仕方ないなと思うけど、未来のことは分からないからただ根拠なく期待しているから生きていられる。

やるべきことは?生きる意味は?はっきりしている、生きる意味なんてはじめからないんだと。善も悪も、ない。どうでもいい、おもしろいことはないのか、生きたいと思えるようなことはないのだろうか。何か月もこんな感じで過ごしている。文学に意味を求めてはいけないんだろうけど、なんだか虚しくなってきちゃう。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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