私の思想に巣くうファシズム


「俺が文学と認めたものじゃないとなんと言われたって俺は読まないよ」

私はそう言って巷に溢れる、一切の現代の文学を否定した。

「大体なんだその文学ってのは、抽象的でさっぱりわからない」とユウタは丸眼鏡を外して入念にレンズを磨き始めた。

「そうだな、端的に言えば時間の試練に打ち勝った、淘汰され現代にまで生き残った作品群だ」

「ほぉ。じゃあどうするんだ現代の文学作品は。価値を認めないかい?」

「俺には判断のしようがない。そして文学的評価さえ定まっていない作品を読んでみようという博打をするほどの時間が人生に与えられているとは思えない」

ユウタは怪訝な表情をした。

「そうなると現代活動している作家は無価値で認められないってことになる。お前がやっていることは文学を殺すことではないのか」

この言葉が私の心にひどく響いた。

「文学、文学っていって、自分の認める価値に準じないものは切り捨てる。そのやり方はファッショそのものだ」

彼は私の思想に巣くうファシズムをいとも簡単に見抜き、批判した。文学に限らず、趣味嗜好、生活スタイルの細部にまでファシズムは行き届き、他者をもファシズムによって私は取り扱っていた。

「お前は読みもしないものをくだらない、つまらんものだと言って酷評する。なぜそんなことがわかる」

「わかるんだよ。ダメな人間かいい人間かがわかるようにね。俺だってね、生れた時からそうだったわけじゃない。何度も失敗して、自分の意見を曲げて、他人の意見に耳を傾け、世間がいいというものを試してみたり、私がつまらないと予想したものを確認するつもりでやってみるとやっぱりつまらない。経験則なんだ。もううんざりなんだ、愚かで程度の低いものに時間を取られるのは」

「それにね、どう考えたってベートーヴェンを超える音楽を俺は想像できないし、失われた時を求めてを超える文学が現在の出版業界において登場するとは思えないんだよ。わからんかい?」

「俺は村上春樹の書くやつなんて最高にクールだと思うね。まぁ、好きなものを読めばいいさ。そういえば、この前ユキちゃんと飲んだ時にお前のことを彼女が価値の多様性ってことを考えないのね、残念な人なのねっていってたぜ」

「女が言うことなんて放っとけばいい。それに20そこそこの奴に何がわかるってんだ。あいつはいつも偉そうだからな。年間200も300も本を読むからって」

私とユウタの話は一向に平行線のままだった。しかし、この出来事が後の私の行動に大きな影響を与えることとなった。これだけではだめだったが、これがなければ後の出来事が起こっても何も私は変化しなかったであろう。
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「文学界新人賞」落選 足りぬ”おもしろさ” ブログの頼もしさ


「文学界新人賞」への挑戦は落選という結果に終わった。私はこの厳しくはないが正当な現実に改めて真摯に向き合わなければならないと切に感じた。そしてそれまで無関心とは言えないまでもさほど関心を向けていなかった芥川賞、そしてもちろん「文学界新人賞」の過去受賞作がどのようなものか目を向けてみようと思ったのだ。「百年泥」の冒頭を文芸春秋で立ち読みし、「おらおらでひとりゆぐも」を―これはネットの試し読みだったか―、中村文則さんのいくつかの小説のあらすじを、「コンビニ人間」の審査員の評価を読んでみた。私が早々に、はっきりと認めたそれらの共通点は”おもしろさ”であった。そして私が描いたものには私が見出したその”おもしろさ”の要素は一切含まれていなかった。さらに再認識と言ってもいい感覚だったのが、かつて私が小・中・高の学生時代に国語の授業で体感した平易で重厚さのない読み応えのない、頭脳に理解のための認識力を要求しない物足りなさであった。私になぜ、最上ともいえる読書体験を「吾輩は猫である」が与えたのか、いまだに謎ではあるが―たしか高2の国語の授業で一部ではあったが「こころ」が取り上げられたのに、そのときは大きな感動を覚えなかった―実際に自分で小説を書く段になってみると、「吾輩は猫である」ではなく、「三四郎」や「こころ」のようなものが書きたいと思い、いずれにせよ見方によっては古臭いものを書いた。それはある男性の悲劇の物語で、このテーマは今後何度か書き直しながら精度を上げていくような方向性で進めたいテーマの一つであるから、また少し時間をおいて書き直していきたい。私が思う、このいわゆる文学賞という位置づけというのが、野球に例えると、打者を巧みに打ち取るような投球ができる投手になるというもので、私の状況というのは、まだキャッチャーを座らせる前段階で相手の胸のあたりへ投球ができるようになるための投げ込みの段階だと考えているのでとにかく半期ごとに作品賞に応募することを続ける。その後、キャッチャーを座らせコーナーに投げ分けられるようなコントロールをつける入念な投球練習が必要になるといった具合で、ひとつの作品を丁寧に吟味し、推敲を重ねながら仕上げるという作業に移っていきたいと思う。

また、改めて考えさせられたのが、作品とブログの役割についてである。私がブログを始めたのは、とにかくなにか文学的な活動がしたかったから、それに尽きると思うが、なぜ小説を書かなかったかといえば、私が小説というものに対してあまりにも理解が浅かったし、その”書きたい”という気持ちも薄かった。当時の私は、名言や哲学的考察に過剰な価値を置き、人生とは何か、私はどう生きるべきなのか、それが重要な関心ごとであったのだが、今では人間とは何か、私はどういう人間なのか、心はいかに動き、存在とはなんであるのか。そうしたより、具体的で詳細なものへ遷移していった。そこでようやく小説に取り掛かることができたわけだが、こうして理想と現実というのか、私の力不足と才能の乏しさに直面し、力を注いだ作品がこの世界から葬り去られてみると、意義的価値は低いにしろ、こうしてひっそりとでも残り続けるブログのありがたみと、頼もしさを感じるのである。たとえ遊戯に過ぎないと言われても楽しさを感じながら投稿を続けていこうと思う。
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人生の妙 不足の功名


人生とは不思議なものだ。私が愛車を手放した途端、G’sのアクアに乗っている女性が表れて、私を迎えにきてくれる。もし私が車を所有したままであったらこうしたことはおそらく起こり得なかったであろう。私は少しばかり、自分というものを頼りすぎ、如才なく日々の生活を過ごそうとしていたことに気が付いた。不足があるからこそ知恵がうまれ、他者のやさしさを感じられる。私も他者の不足を補えるような存在になりたい。人はそれぞれ孤独だと思っていた。自分のことは自分で守り、自分のことは自分でやる。それが私のモットーでもあった。これは怠けてもいい、甘えろということではない。私は今まで、どうも自分自身を偽り、他者に対して取り繕い過ぎてきたように思う。本当の自分ではなく、お互いにとって都合のいい存在であろうと、探り、見極めながら、自分自身の人間像というものを構築してきた。そのため、Aには○○という印象を与え、Bには△△という印象を与えるということも多く、整合性が自分の中で取れていなかった。人との出会いというものは人に気づきを与え、成長させるのだと改めて実感した。
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愛するものを見つけて


オリンピックが終わった。このスポーツの祭典は開催決定まで、決定から開催までの準備、そしてオリンピック期間中と様々な問題・課題、そして話題と感動を生み出す。私はこのオリンピックというものの是非を問うことはしたくない。やがては消える野蛮なお祭りなのか、それとも未来永劫続く人間の誇りとすべき平和の象徴であるのか、私には分からない。しかしながら、人生の若い時期にすべてを投げ打ってでも打ち込める何かに出会えた、彼ら、選手の姿に私は感動する。人生で最高の幸福の一つは愛するものをもつことだと私は思う。その対象が人でも、生き物でも、スポーツでも、趣味でも、なんだっていい。とことん好きになること、それは人生を豊かにする。オリンピックを見て、そんなことを思った。そして、自分自身、スポーツとはすっかり疎遠になってしまったが、それは新しい恋人ができたようなもので、文学にコロッとやられてしまって、以来私は文学のことばかり考えている。人生のこんな早い時期にとことん打ち込めるものができて本当に幸せに思う。仕事を終えて帰って、さて文学をやろうと思う。そして眠るとき、また明日文学をやろうと思う。これから先、毎日、ずっと文学をやろうと思う。きっと死ぬまでやるんだ、やれるんだ、と思う。きっと一生かかっても運悪くそういうものに出会えない人も多いと思う。人生は愛するものを探す旅なのかもしれない。
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古き良き上品さ 銀座アスター 名古屋賓館


私たち3人は窓際に座を占めた。野郎でぶらりと入店するには気の引ける店構えだが、どういうわけかこのメンバーだと気にならない。おそらく彼らが気取るということがないからだろう。

東急ハンズが入っているセントラルパークANNEXビル12Fという好立地。せっかくだからというので東急ハンズを一通り見て回って、私は手ごろな洋服ブラシを、Sは彼女の好きなデザイナーのカレンダーを見つけ、購入した。Tはぶつくさと文句とも不平とも取れない感想を漏らしていた。彼の気に入るものはなかったようだった。12Fに上がると、買い物で時間を少し使ったので1時は過ぎていて、銀座アスターと掲げられた入り口からスーツ姿の男性が数名出てきた。見たところ同一の会社の幹部の会合といったところだった。

なんといっても景色が良い。名古屋の街を一望できるだとか、山々を見渡せるというのではなく、名古屋の大動脈といえる久屋大通と桜通りが交わり、テレビ塔と久屋大通公園を眼下に納めることができる。

まず、飲み物をということで迷うことなくビールになったが、なにやらグラスの横にピルスナーという聞きなれない規格があった。聞いてみるとグラスよりも容量が大きいものらしい。

「ドルトムントのフォワードにいそうだな、ピルスナーって」とTは冗談交じりに言う。

サッカーは私たち共通の関心ごとの一つでワールドカップがある今年もまたスポーツバーでひと騒ぎすることになるだろう。それから彼はピルスナーに音が近い最先端のレーザー機器の性能について科学的見地から詳しくわたしたちに聞かせた。それは医療分野で特に重宝されるだろうとのことだった。

銀座というからには高級中華の類だろうと私は想像していたが、ランチメニューもあって、価格は手ごろだった。確かに、考えてみればその「銀座アスター」の字面は宮廷風の店の造りもそうだが、古き良き上品さというようなものであった。
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料理も定番のエビのチリソースのセットと酢豚のセットでとても選びやすかった。静かで落ち着いた雰囲気で、味も脂っこくなく上品とまではいかなくとも繊細な味付けであった。特筆すべきはそのバランスだろうか。前菜からデザートまで高級食材が使われていたり、手の込んだ料理というのではないが、それが私には満足であった。
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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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